女神様は双子とゴハンを食べたい
私が目を覚ましたのは、眩しい光の中だった。
こんなに強い光は見た事がなくて、間違いなく死の国に来たのだと思った。
でも違った。
私が来たココは、私の知らない世界だった。
光に目が慣れると、私の目の前に居た人がこう言った。
「なるほど、そういうことか…」
それからしばらくココで過ごした。
目覚めた時に私の目の前に居た人、その人の家で暮らした。
彼には娘が居て、その子と私はとても仲良くなった。
ココがどこだかもわからないし、言葉もわからないし、ひとりで自分のお世話もできない。
お風呂にも入れない、髪も梳かせない、歯磨きもできないし、食事の仕方もよくわからない。
そんななにもわからない私に、色んな事を教えてくれた親友。
今日はその子の誕生日のお祝い。テーブルに彼女の大好物が並んでいる。
大きなローストチキン、真っ白なおむすび、それからクリスマスツリーの形に盛られたポテトサラダ。
今日は12月24日、親友の椎子の誕生日でもあるけど、クリスマスイヴという祝日でもある。
椎子は祝日やイベントが大好きで、色んな季節のイベントを盛大に楽しむ。
ココに来てから随分色んな行事を教えてもらった。そしてどれも楽しかった。
椎子は楽しむ名人だ。
私がココに来て最初に会った人間である父親には、少しも似ていない。
見た目も性格も…私には似ているように見えない。
その父が、皆に飲み物を配りながら椎子に訊ねる。
「椎子はいくつになったのかな。」
「95歳ですうー。相変わらずボケてるねえ、パパ。」
泡がキラキラしてるシャンメリーを受け取りながら、椎子は答えた。
私がココに来た時は、92歳だったということかしら…あら?91歳かしら…?
指を折って数えてみる。
目の前に物があって数えるのはできるようになったけど、目に見えないものを数えるのは難しいわ…
数の数え方は椎子が教えてくれた。
父親のヨハンは、あまり家に帰ってこない。
とても仕事が忙しい人みたい。
私もヨハンに会う時は、研究所の方が多い。
椎子も同じ研究所で働いているけど、私が来てから随分仕事を減らして、私の面倒ばかりみている。
『大丈夫だよ仕事のうちだから!』と言っているけど、本当かしら…
ココの事を知る程に、彼女に無理をさせていないか心配になってしまう。
でも私、3年前は"心配する"ということもできなかった。
人間の心とか生活とか、私何も知らなくて。
私はココに来る前、なんでも人にお世話してもらっていたし、心もあまりなかったのかもしれない。
だって私は入れ物、器だったんだもの。
私が私であってはいけなかったんだもの。
私は神様という何かの器。
頭の中で声がしたら、それを神官に伝えるの。
それが仕事。
そう、それと…
次の器を産む事。
それも仕事。
私はココに来る前、娘を産んだ。
私の代わりに、次に器になる子。
その子が少し大きくなったら、言葉が話せるようになったら、その時に、私は死の国へ旅立つ事になっていた。
その予定は大幅に早まってしまったみたいで…
きっとまだ、あの子が言葉を話せないうちに、私は死んだ…
筈だった。
目を覚ませば、知らないココに居て、それから3年経った今は呑気に親友の誕生日を祝っている。
私が死んだ時、一緒だったあの人はどうしているかしら…
私の手を引いて走ってくれたあの人はどうなったのかしら…
死んだ経緯をヨハンに話した事がある。そうしたら彼はまた「なるほど。」と言って…
時が来たら教えるから、もう少し待ってくれと言われた。
それからもう3年も経ってしまった。
私、あの人達とまた会えるのかしら。
それとももう、会えないのかしら…。
「そこのぽんやりちゃん!ポテトサラダがこぼれてましてよ!」
そう言って笑う椎子の口の端には、ローストチキンのソースが付いている。
「椎子のお口には美味しそうなソースがついてましてよ?」
「あぁらっ!ごめんあそばせぇ~!」
椎子は大袈裟に言うと、指で自分の口を拭った。
そしてその指を舐めると「ホント!美味しいソース!」と満足気に言う。
「お行儀がよくないよ、椎子。君の」
「ママが見たらなんて言うか。」ヨハンの言葉の続きを椎子が言う。
これはもう何回も見た、いつもの光景。
椎子はヨハンの事をよくわかっている。
親子ってこういうものなのかしら。
私には親というものの記憶がないから…よくわからないのだけど…。
それが良いのか悪いのかも、よくわからない。
私、幸せというものもよくわからなかった。
ココに来るまでは。
「ねえ、アンナ。この後はケーキがあるよ。今日はね、アンナも好きなメロンも乗ってるの。」
「本当?嬉しいわ。」
ココに来て、沢山の感情を知った。
嬉しい、楽しい、そして…幸せ。
椎子が教えてくれた、楽しい事、美味しい物、幸せな時間。
もうお腹一杯だと思ったのに、ヨハンが冷蔵庫から出して来てくれたケーキを、椎子とたくさん食べてしまった。
椎子は私のお皿にたくさんメロンを乗せてくれた。
私の"好き"も、ココに来て初めて知ったの。
そして、だからこそ…
思ってしまったの。
これまで私…
悲しかったし、苦しかったし、痛かったし…
それはもしかして当たり前じゃなかったんじゃないかって。
生まれてずっと、当たり前にしてきた生活が…
こんな幸せを知ってしまったら、逃げ出したいような辛いものだったように思えた。
それが良かったのか悪かったのか、わからない。
知らなければ良かったなんて、思った時もあった。だけど、今は…
「あの子たちにも食べさせたいなぁ…」
「んっ、また双子ちゃんの話?」
「ふふ、うん。きっと、喜ぶと思うの。」
「そうだねぇ、甘くてフワフワで、幸せの味がするよね。ケーキって!」
椎子は口の端に生クリームを付けたまま笑った。
「あらあら、お口に美味しそうなクリームがついてましてよ?」
「あははっ!ごめんあそばせぇ~!」
ヨハンと私は椎子に誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントを渡して、椎子はヨハンと私にクリスマスプレゼントをくれた。
私は椎子に、ふわふわのマフラーをあげた。
彼女は大喜びして、すぐ首に巻き、ひとしきり騒いだ後…
私に向かってちょっと真面目な顔で、箱を差し出した。
「これ、お部屋に飾ってね。」
朱色の箱に白いリボンが掛かっていて、それは開けるのがもったいないと思うぐらいに綺麗にラッピングされていた。
椎子がじーっと見ている前で、丁寧にリボンを解いて、少し緊張して箱を開ける。
そこに入っていたのは、可愛らしい花とリボンで飾られた輪だった。
そう、これはリース。
クリスマスだからかしら?
私が椎子の方を見ると、彼女は嬉しそうに解説してくれた。
「それね!そのお花はね、ミモザって言うの。厳密に言うとミモザじゃないっていうか…まぁそれは置いといて!」
私は頷いて、彼女の言葉の続きを聞いた。
椎子のことだから、きっと何かいっぱい考えてこれを選んでくれたんだわ。
「花言葉っていうの、ほら、前に教えたでしょ?その白い花の花言葉はね"死に勝る愛情"っていうんだよ。」
「死に勝る愛情?」
「うん、そう。アンナは一回死んだじゃない?だけど、またアンナの大切な人に逢えたらいいなと思ってさ。双子ちゃんと一緒に、ケーキ食べれたらいいなって!」
「そうなの…ありがとう。私、頑張る。何をどうしたらいいのか、わからないけど。」
彼女は私よりも、私の事を考えてくれている。
私にはこれまで、愛情というものもよくわからなかったけど。
彼女が私にいっぱいいっぱいくれた優しさは、きっと愛情って呼んでもいいんじゃないかと思う。
私も誰かにあげたい。
あの時、きっとふたりは私を助けようとしてくれていた。
あれはきっと愛情だった。
私も、ふたりに、愛をあげたい…
いつか…
いつかまた逢えたら…
「ふむ、丁度良いね。アンナ、私からお知らせがあるんだが…」
私が大切な人に想いを馳せていると、ヨハンがテーブルに着いたまま語り掛けてくる。
「なによパパ、今感動のいいシーンなんですけど?」
椎子はムゥと頬を膨らませ抗議したけど、ヨハンの「大事なお知らせだよ。アンナが逢いたい人に逢えるようなね。」という言葉に真面目な顔になる。
私が訊ねる前に、椎子が「どういうことなの?」とヨハンに詰め寄る。
「"あの研究"が進んでね。過去に戻って、ふたりを助け出せるかもしれない。…但し、安全性は確認できていないし、行ったら帰っては来れない確率が高い。実験の結果、過去に送って活動出来るのは短時間、帰って来れるのは2割だった。」
「安全性が確認出来ない事を言わないでよ?2割?そんなの…」
ヨハンも椎子も、研究の事を話す時は真面目な顔になる。
だけど…今の椎子は少し怒っているようにも見える。
何か椎子を怒らせる内容なのかもしれない。
それでも私は、ふたりを助け出せるという言葉がとても気になって…
「逢えるの?ふたりに逢えるの?」
焦ったように、ヨハンに訊いてしまう。
「逢えるよ。そして私は君が成功する事も知ってる。今こうして話しているアンナ、君は、死んでしまうかもしれないけれどね…。」
「そんなの成功って言わないでしょ?何考えてるの!」
椎子は今度こそ、とても、怒った。
彼女がこんなに怒るなんて珍しい。
あぁきっと、私が死んでしまうかもしれないから、だから怒ってくれているんだ。
「私、考える。ねえ、今日は椎子のお誕生日でしょ?椎子怒らないで…」
大好きな親友にぎゅっと抱き付く。
椎子が怒っているのが伝わってくる、でも諦めないでずっと抱き締めていたら、段々とそれが治まって来る。
「お願いよ。ね、一緒に、ココアを飲んで、寝よう?」
「うん。そうだね、うん…。」
悲しい時や怒ってる時悩んでる時、ココアを飲んで、あったかい布団で寝る。
これは椎子が私に教えてくれた、落ち着く方法。
私、貴女が教えてくれた事、貴女に言えるようになったの…。
少しは愛を返せるようになったのよ…。
それから約2ヶ月。
私はヨハンの言っていた"あの研究"を使って、過去に戻る事になった。
それは精神、心、魂といわれるようなものだけを、過去に戻すというもの。
私はどうやら過去であるどこかの世界から、身体ごとココに来てしまったみたいだけど…
どうやらココの技術では、身体は戻せないらしい。
そして、戻る時間と場所の指定も出来ない。
私の魂が戻るのは、過去の私の中に戻るんだそうだ。
しかも、短い間だけ。恐らく2,3日だって。
その間に、私が未来の世界に連れて行きたいふたりに"合言葉"を言わせなければならない。
出来るかはわからないし、彼らが確実にココに来れるかもわからない。
でもヨハンは彼らを連れ出す事には自信があるみたいだった。
その理由を訊いても、「君には難しすぎるし、一から説明すると何年掛かるかわからないからね。」と返されてしまった。
隣に居た椎子はすかさず「女神様だけができるんだよ、双子ちゃんを愛してるから、死の国から連れて来ちゃうんだよ。」と笑顔で言ってくれた。
椎子はあの誕生日の夜以来、何度かヨハンと喧嘩していた。
危ない事をどうしてさせるんだとか、わかっているくせになぜ提案するんだとか…
でも私は可能性があるなら、やってみたかった。
だから椎子に言ったの。
『私、死に勝ってみせる。椎子の事、愛してるもの。帰って来るわ。』
そしたら、彼女は泣いてしまった。
泣きながら『ずっと待ってるからね、何百年でも待ってるから帰って来てね!』と、痛いぐらいに私を抱き締めた。
椎子は死なない、老いない。
ヨハンも。
だからきっと、ちょっとのんびりな私の事も、きっと待っていてくれる。
「さて、そろそろ行こうか?」
ヨハンの呼びかけに、私は研究所の椅子から立ち上がった。
「うん。ありがとう、ヨハン、椎子。」
手にはしっかり、あのリースを持って。
椎子は今度は笑顔で私を抱き締めた。
あったかくて、優しい。
「いってらっしゃい!」
「いってきます」
帰って来たら、一番に、メロンがいっぱい乗ったケーキを食べよう。
椎子と…それと、あのふたりと…
絶対に帰って来るからね。
私は決意を胸に、用意された寝台に横たわった。
眠りに落ちる前に、甘い香りがした気がした…




