双子たちの恋キャンプ
5月。
朝に突然帰って来た双子姉妹の提案で、庭キャンプをする事になって…
楽しく準備を始めた僕達だったけど…相変わらずの姉妹の我が侭が炸裂。
結局家であるものだけでは足りず。買い出しに行く事になってしまった。
僕はレイさんの指令を受けて、レティシアとナティシアの姉妹と駅前まで買い物に来た。
ふたりが買い過ぎないように見張れとの事だ。
だけど…
「ねえねえアンちゃん!コレ新作だって!美味しそう!新作はチェックしなきゃ!」
「アンちゃん!こっちもいいよね?だってポテチじゃないよ、お米チップスだよ!」
この姉妹、きゃあきゃあ言ってレイさんに言われたルールの抜け穴を突いてこようとする。
馬鹿みたいに騒ぎながら、実は結構頭が良いんじゃないだろうか…
僕達はお菓子コーナーに居た。姉妹に真っ先にひっぱられて来たからだ。
外は少し暑いぐらいだったけど、スーパーマーケットの中は冷房が入っていて涼しい。
涼しいけど。
この姉妹のまわりは温度が1、2度高いような。
買い物カゴに次々にお菓子を入れるレティとナティ。
僕は増えて行くお菓子をじっと見てから、ひとりずつに問い掛ける。
「ねえ、レティシアはどのお菓子が一番好きなの?」
「えっ?うーんと、コレ、かな?すごく美味しいの!」
レティが選んだのは、彼女が一番最初にカゴに入れたココナッツ味のビスケットだった。
「そうなんだね、僕も食べてみたいなぁ。」
「そうでしょ!えへへ~」
レティは嬉しそうに笑った。
次にナティに「ナティシアはどれが一番好きなの?」と声を掛ける。
すると"待ってました!"とばかりに、イチゴジャムの乗ったクッキーを手に「コレだよお!とっても美味しいんだよ!」と見せてくる。
「イチゴ味?美味しそうだねぇ。僕にもくれる?」
「勿論だよ!一緒に食べようねっ!」
ナティもニコニコ嬉しそうだ。
僕も嬉しそうなふたりに微笑み返す。
「うん、じゃあさ…ふたりとも食べた事ないお菓子はどれかな?」
「えっ?どれかな?」
「これかな?これはないよね?」
ふたりが話し合うのを見守って、僕は2つ目の空の買い物カゴを差し出した。
「じゃあそれと、レティのビスケットと、ナティのクッキー、ここに入れて?」
「はぁい。」
「どうして分けるの?」
姉妹は大人しくお菓子を3つ、空いていたカゴに入れた。
「こっちは今日買う分。残りはまた今度にしよう?僕もふたりの好きなお菓子を色々食べてみたいけど、お腹一杯になっちゃうから…またいつか紹介してくれるよね?」
最期に「お願い。」と付け加えると、姉妹は顔を見合わせて…
「うん!わかったよ!」
「またパーティーしに帰って来る!」
と、良い子に山盛りのお菓子を棚に戻し始めてくれた。
良かった…。
そう思ったのもつかの間…
「でもアンちゃん、甘いのばっかりじゃダメだと思うの。」
「そうそう、しょっぱいのも必要なの。」
姉妹はそれぞれ一袋ずつ、味の違うポテトチップスをカゴに入れて来たのだった。
レイさんの言いつけは二袋までだから…まぁ範囲内なのかな。
うん…。
後は必要なチョコレートとマシュマロとクラッカーを僕も一緒に選んだ。
彼女たちがご所望の"スモア"を作る材料だ。
マシュマロが甘いので、チョコレートはビターなものにした。
クラッカーは全粒粉の香ばしいもの。
「さて、飲み物も買うよ~っ!」
次に連れられてきたのは飲み物売り場。
かと思いきや…
「えっ、これお酒じゃない?」
並んだ缶を手に取ると"アルコール"の文字。
「お酒です!」
「お酒は飲み物です!」
「えぇ…?」
意気揚々とお酒の缶をいくつかカゴに入れるふたり。
お酒ならレイさんも飲むのかな。
僕はやめておこう…リトは…飲みたいのかな、どうだろう。
リトの分を買おうか悩んでいると、ナティが僕の顔を覗き込んできた。
「ねえ!アン!」
「アンはお酒好き?何が好きなの?」
訊ねられているだけなのに、なんだか甘えたような声に感じる。
ただでさえこの姉妹の傍は温度が高いように感じるのに、距離が近いせいか、暑い…
キラキラした目が僕の顔をじっと見てて、ふと引き込まれそうな感覚が…
「リトは!甘いワインが好き!」
それを振り払うように大き目の声で答えた。
ナティはきょとんとした顔で「ええっ?アンの事を訊いたんだよ?」と言ってから、楽しそうに笑った。
そしてレティの所に戻って行くと、一緒にお酒を選び始める。
「甘いワインかぁ~、シュワシュワも好きかな?」
「ブドウチューハイでもいいかな?ワインも美味しいけどぉ~。」
僕はそれを眺めながら、さっきのは何だろうと思いを巡らせる。
熱い。ナティが離れて行ったのに。
僕の体温が上がってるんだ。
どうして?
「どうしたのアンちゃん、ボーッとしちゃって。」
「ね~、疲れちゃったの?」
買い物が終わる頃にはグッタリしていた。
考え事をしてしまってたのもあるけど…
とにかくふたりがパワフル過ぎて。
結局抑えてくれたのはお菓子だけで、お酒とジュース、追加で何か作ると言ってレジ袋一袋分の材料、明日食べるって言ってたパン。
大きな袋3袋分の買い物になってしまった。
ごめんなさいレイさん…
心の中で懺悔しながら、帰り道を歩く。
「疲れちゃったならそっちの袋も持つよ~?」
「そうだよそうだよ、重いでしょ?」
「いや、大丈夫だよ。」
僕の持っていたのは飲料が入った重い袋だ。
こんなのをふたりに持たせるわけにはいかない。
それに僕が疲れているのはコレのせいじゃないし…
「アンは力持ちなんだね!」
「うんうん、力持ちだね!ありがと!」
ふたりは笑って先を歩く。
なんだかフワフワ浮いてるみたいな足取り。
蝶が飛んでいるみたい。
彼女たちが元居た世界には死の概念が無かった。それもなんとなくしっくりくる。
人間じゃなかったのかも。
この世界で言う所の、天使とか妖精とか、そういう…
人間じゃない何か、不思議な美しいものだったのかもしれない。
「ただいまぁ!」
「レイちゃんリトちゃんただいま~!」
妖精姉妹が"ただいま"を言ってTwinkleMagicの庭に帰って来る。
不思議だな。
僕もリトも、この姉妹も、別の世界から来たのに…
みんながここに"ただいま"って言う。
ここは僕達の家なんだな…。
それから、案の定レイさんと姉妹がワアワアやって、みんなでレイさんとリトが用意してくれたサラダと燻製チキンを食べた。
食べてる間はリトも姉妹も静かだ。
時々「おいしい~」という声が出るだけで。
夢中で食べている様が、なんだか可愛くって、僕は三人を眺めながらにこにこしてしまう。
でも夢中になるのもわかる。いつもながら凄く美味しい。
それにこうして外で食べると、外の空気も手伝って更に美味しく感じる気がする。
見上げると青い空に白い雲が少しだけ浮かんでる。
陽射しは暑いけど、そよ風は涼しい。
店の手前の桜の木が、風が通る度に緑の葉をサワサワ鳴らす。
気持ちの良い午後だ。
そして、サラダとチキンの第一弾キャンプゴハンは、たくさん用意してあったのに4人で食べたらあっと言う間になくなった。
「よし、じゃあリゾット作るか。」
第一弾がすっかりなくなった所で、レイさんが立ち上がる。
「じゃあ私、アンとスモア作る!」
ナティも立ち上がって、僕の腕を引っ張る。
「えっ?」
さっきのこともあって、僕は少し動揺した。
そういえばこの子、初めて会った時も僕に抱き付いてきたんだよな…
あの時も本当にビックリした…
僕は動揺したまま、ナティにぐいぐいと引っ張られてバーベキューコンロの前まで来る。
「そんなに引っ張らなくっても…」
「やだった?ごめんなさい!」
素直に謝って来る彼女に、文句を言う気にはなれない。
「イヤじゃないよ?びっくりしただけ。」
僕は努めて明るく笑って返す。
すると彼女もまたパッと明るく笑った。
「よかったあ!じゃあ一緒にスモア作ろ!」
ナティは買い物袋から材料を取り出して…
まずクラッカーを紙皿に並べていった。
「はいっ!まずはこの全粒粉クラッカーをお皿に並べまぁーす!」
元気に自分の行動を実況してくれる姿に、僕は思わず笑みがこぼれる。
「ふふっ、次はどうするの?」
「次は~っ、このマシュマロの袋をぉ~…んっ!…ん!!!」
ナティはマシュマロの袋を開けようとして、ぐいぐいと引っ張っている。
けど、なかなか上手に開けられないようだ。
「うぐぐ!」必死に頑張っている姿が可愛らしくて、ずっと眺めていたい気もしたけど…
ほんとになかなか開かないから、僕は「かして?」と手を出す事にした。
袋を渡してもらうと、真ん中らへんから力を入れて開けてみる。
マシュマロの袋はバリッと音を立てて、綺麗に口を開けた。
「わっ、すごい!開いたぁ!」
ナティは手を叩いて喜んだ。
袋を開けただけなのに「すごいすごい!アンかっこいい!」と大袈裟に褒めてくれる。
大袈裟だけど、本当にそう思ってくれてるんだろうなってわかるから嫌な気はしない。
この子は、ただただ純粋だ。
「ではっ!このマシュマロちゃんをぉ~」
気を取り直して、ナティはマシュマロを金串に刺すと、炭が熱を放つコンロに近付けた。
「こうしてっ、慎重に炙ってください…アンもやって!」
「はい先生。」
僕が先生と呼ぶと、ナティは物凄く嬉しそうな顔をして「へへへっ!」と胸を張った。
「やり過ぎると溶けちゃうからねっ!溶ける前にこうしてクラッカーに乗せるの!あっあっ!チョコも乗せ…チョコとって!」
本当はチョコレートを先に割っておきたかったようだ。
僕は自分の金串をナティに渡して、手早く板チョコを一粒ずつに割る。
「そう!それをクラッカーにのせてー…それでマシュマロを乗せて、もう1枚で挟んで…こう!」
ナティは僕に金串を返すと、マシュマロとチョコレートをクラッカーに挟み、金串を勢いよく抜いた。
「これで!スモアの完成ですっ!」
「おぉー、これがスモア…」
僕はパチパチと先生に拍手を送った。
「ふふんっ!簡単でしょ?」
「教え方が上手いからね、僕でも出来そうだよ。」
「またまたぁ~!えへへへっ」
こうして楽しくスモアを2個3個と次々作った。
買ってきたクラッカーを全て使い切り、4皿分もスモアが出来上がった。
…これ、ひとり1皿食べるの…?
1皿にはスモアが5つも乗っている。
「ねえこれ、デザート?だよね?」
「うん!そうだよ!」
「こんなに食べるの?」
「うぇー甘そうーとか思ってる?ふっふっふ~意外と食べれちゃうんだなぁコレがあ~。」
ナティは得意げな笑みを浮かべると、何故か耳打ちで僕に囁いてきた。
「食べたらわかるよ…」
「えっ…」
それはとても甘い声だけど、少し怖くも聞こえた。
いつもキャアキャアと転がるような声を出している彼女が、抜けるような息で囁くものだから…
「さあっ、持って行こ!」
パッと離れた彼女はいつもの声で明るく言った。
今の何、って訊きたかったけど、ナティはさっさとテーブルに行ってしまった。
彼女は本当に僕をよく動揺させる。
なんだか、翻弄されているなぁ…。
テーブルに戻ると、レティに攫われていたらしいリトも鍋を手に戻って来た所だった。
あっちではまた別の料理を作っていたみたいだ。
最期にレイさんが戻って来て、キャンプゴハン第二弾が始まった。
テーブルに並んだのは、レイさんが作ったトマトクリームリゾットと新玉ねぎとじゃがいものホイル焼き、レティとリトが作ったマッケンチーズ、そしてナティと僕が作ったスモアだ。
リゾットはレイさんが予告していた通り、燻製の風味がついた油が使われていた。いい香りがして美味しい。
煙の中に置くだけで、どうしてこんなに良い香りがつくんだろう。とても不思議だ。
新玉ねぎとじゃがいものホイル焼きは一口ずつもらった。お腹一杯になってしまいそうだし、僕の分の残りはリトにあげた。でもどちらもとても美味しかった…。
玉ねぎもじゃがいもも、よく料理に入っているけど、それ自体を味わう事はなかなかない。味付けは塩とオリーブオイルだけ。
レイさんによるとじっくり火を通すから美味しくなるんだそうだ。
そしてレティとリトが作ったというマッケンチーズ。
マカロニとチーズ、どこかで食べた事あるなぁと思ったら、グラタンに似ている。
でも作るのは簡単だそうで、リトが「後で作り方教える!」と張り切って言ってくれた。
僕はマカロニグラタンが好きだし、似た味が簡単に作れるんだったら嬉しいなぁ…
最期にスモアに手を伸ばした時、
レイさんが「そういえば椎から連絡あって。夕方に寄るってさ。」と上機嫌に言った。
その顔はピンク色、片手にはビール。
レイさんはお酒に強くないけど、飲むのは好きなのだ。
そういえば…と、姉妹の方を見ると、彼女たちも買ってきた缶チューハイを美味しそうに飲んでいる。
ナティは桃、レティは梨。見た目はほぼ一緒で、僕達よりも似ている双子だけど、やっぱりそれぞれに好みは違うようだ。
それはそうだよな…。
似ているけど、僕達は違う人間なんだから。
思う事は全然違ったりもする。
通じ合える事も多いけど。
「あれぇもうアンちゃんデザートなの?」
「まだあるよぉマッケンチーズがぁ~でも早くスモア食べて欲し~!」
幾分か姉妹の声がスローになっている。いつもはきはき喋るので、余計にわかりやすい。
少し酔っているみたいだ。
「お腹一杯になっちゃうから、スモアは食べたいし…オススメなんでしょ?」
「そうなの~オススメなの~っ」
「おいしいよお~っ恋みたいに甘い味がするよお~」
恋みたいな甘い味。そういえば恋話するとか言って始めたんだっけ…キャンプ…。
恋とは甘い味がするんだろうか?
スモアを一口かじってみる。
柔らかいマシュマロ、チョコレートも少し溶けてる。
マシュマロがクラッカーからはみ出そうになったので、結局残りもすぐ口に入れてしまった。
口いっぱいに、甘い味。
でもクラッカーが香ばしくて、微妙に塩気があって。
マシュマロも思ったよりは甘くない、香りは甘いけど…。
チョコレートがビターなのもよかったかもしれない。ほんのりした苦味も手伝って、すぐもうひとつ食べたくなるような味になっている
ナティが言う通り、意外と食べれちゃうやつだ。
僕はじっと様子を伺って来ていたナティに目を合わせ、うんうん頷いた。
すると彼女はパァッと顔を輝かせ、「でしょでしょ!」と頷く。
すると隣からリトが「恋の味する?」と訊ねてくる。
そもそも恋をまだよくわかっていない僕は「これが恋の味なら、恋も食べてみたいなぁ。」と応える。
「うわーお前意外と大人な返しするな?今のかっこいい。」
酔ったレイさんまでもキラキラした目でこっちを見てくる。
「えぇ?そうですか?」
「うんうん、かっこいい~。」「かっこよかったいまの~。」
酔っ払い達に褒め倒されて、僕はなんだか困ってしまったのだった。
第二弾のキャンプゴハンを終えて、鍋や食器を片付けて…
タープの下の大きなレジャーシートで、レイさんは寛ぎつつ眠ってしまった。
もうすぐ陽は傾き始めるだろうか。16時に近付いている。
いっぱい食べたから、流石にオヤツを食べる気にはまだなれないけど…。
レティとナティはしっかり買ってきたお菓子を真ん中に並べ、それを囲むように僕とリトも座った。
「それでそれで~…あっ!ちょっと待って!」
「そうだねっ!ちょっと待って!」
話始めるかと思ったら、姉妹は自分達の愛車に走って行き…
戻って来ると、可愛らしいデザインのクッションを抱えていた。
「ん?寝るの?」とリトが訊ねると、ふたりは同時に「「恋話に必要なのっっ」」とクッションを抱き締める。
どうやら女の子の恋話には必要なものが多いらしい。
ふわふわした見掛けに寄らず、レイさんよりもお酒が強いらしいふたりは眠そうな様子はない。
眠いどころか、ゴハン中よりも目がぱっちり開いている。
「それでそれで~、恋の話!だけど!」
「うんうんっ!恋っていうのはねっ…」
僕とリトも、姉妹の話の続きをうんうん頷いて待つ。
「恋っていうのはー…うーんとー」
「どうやって話せばいいのかな?」
「「えぇえー」」今度は僕達が声を合わせてしまう。
構えていた力が抜ける。
僕は気を取り直して姉妹に訊ねた。
「愛と恋は違うんだよね?ふたりはどう違うと思うの?」
「あっ!うん、そうだねっ!愛は幸せな気持ちかな?」とレティが言うと、今度はナティが「恋はね!ドキドキな気持ちなの!不安なのに近いかもしれないの!」と答えてくれた。
不安。意外な答えに、僕は首を傾げた。
「好きなのに、不安?不安に近い気持ち?」
僕がもう一度訊ねると、今度はそれにリトが応えた。
「俺ちょっとわかるかも。なんか、ちょっと、怖いっていうか。感覚がそんなんなる。胸がぎゅってするっていうか…あっ死にそうってのに似てるかも。」
あっ死にそう?
怖い…そういえばさっき僕は、ナティの声に何かそういうものを感じたような。
いや、まさか恋とかそういうのではないと思うけれど…。
でも別に彼女が危険な人物ではない事はわかってる。
恋はさておき、好意的に思っている人に対しても"不安"とか"恐怖"それと似た感覚を感じる事はあるのかもしれない。
「リトちゃんの、あっ死にそうっていうのわかるかもー。なんかねっすっごいクラクラしたりドキドキしたりするの。」
「そうなの、ハアハアしたり、ギューギューしたりするの。」
どうも3人の言う話を聞いてると、恋というのは楽しいだけじゃなさそうだ。
なんだか体に負担のかかりそうな…
確かに本で読んでも、恋愛をしている人は楽しそうというより苦しそうなシーンが多い。
勿論結ばれて幸せに暮らす…というエンディングも多いけど、それは飽くまでもエンディング。結末であって、その過程は大体障害が多いものとなっている。
僕は親しい人達には、…リトにも、双子姉妹にも、あまり苦しい物語は体験して欲しくないな。
始終幸せな恋は無いのかもしれないけど、出来れば笑顔の多い恋を経験して欲しい。
女神様の生まれ変わりだという、ルミさんにも。
笑顔の多い人生を送ってほしいな。
僕が少し切ない気持ちで3人を眺めていると、背後から「なーに、青春会議って聞いたけど?小学生の集まりだった?」と少し溜め息混じりの黒江さんの声。
リトと双子姉妹の会話は"恋の定義"から「ちゅーしたことある?!」「ちゅーってなに!」「キッスだよ!きっすぅ!」といった会話に移っており…
それを黒江さんは"小学生の集まり"と言ったのだろう。
小学生っていうのは、吉春くんぐらいの年頃。つまり僕らの半分の歳。
子供か!と言いたかったんだろうな。
「えーっ親愛の方じゃなくて恋の方だよ?」
「黒ちゃん恋の方は大人になってからするんだって言ったじゃないっ!」
「そーだそーだっ私達は大人のちゅーの話してたのっ」
「どーせ黒ちゃんはいっぱいちゅーしたことあるんでしょーっ」
「うーん、そうだねぇーどうかなー」
姉妹の反論を華麗にスルーした黒江さんは、細長い箱をお菓子セットの中に追加した。
「…これ、お土産のドーナツ。食べるでしょ?」
「「きゃーっ!黒ちゃん大好きぃー!」」
途端に歓声を上げる女子ふたり。
こういうのが手の平を返すって言うんだなきっと。
そこでまた僕の弟が余計な一言。
「黒江さん…いっぱいちゅーしたこと、あるの…?」
「…えっ。」
黒江さんがリトの方を見て固まる。
まさかリトにそんな事言われると思わなかったんだろう。
レイさん、きっと恋に悩んでるのがリトだって伝えなかったんだろうな。
ちょっと考えてから黒江さんはリトと僕の間に座って言った。
「いいかい、キスは本当に好きな人とだけするの。だからリトの質問の答えはNOです、いいえ、だよ。本当に好きな人ってそう何人もできるものじゃないんだから。」
リトにも僕にも言い聞かせるように、黒江さんは続けた。
「好きな人ができるのっていいと思う。僕も恋はしたことあるけど、してよかったと思うよ。それが成就するかどうかはともかくさ。でもそんなにたくさんできることじゃないんだ、突っ走らないでゆっくり大切にしなさい?」
僕達兄弟が真面目な顔で頷くのを遮るように、またキャアキャア声が割り込んで来る。
「ちょっと!別に黒ちゃんが色んな人とちゅーしたなんて言ってないよぉ!」
「そうだよそうだよ!ただひとりの好きな人といっぱいちゅーしたかもしれないじゃない!」
「もー、わかったよ、わかったから大人の女はドーナツの欠片飛ばしながら喋らないの。」
そんなやり取りを見てたら、やっぱり僕らもレティもナティも、まだ子供なのかなぁなんて思った。
ううん、違うか。
黒江さんとレイさん、TwinkleMagicの皆の前では子供になっちゃうのかもしれない。
甘えたくなるのかもしれない。ここが僕らの家だから。
それから本格的に陽が落ちて。
夜になると少し肌寒くなった。
黒江さんはレイさんが起きると、ふたりで少し話してから帰って行った。
お店の話かな?ふたりとも真面目な顔をして内緒話という感じだった。
夜になってもお腹一杯の僕とレイさんは飲み物だけ飲んで、リトと姉妹はしっかり夕飯も食べた。
分厚いパンで野菜とチーズを挟んだサンドイッチだ。
美味しそうだったな…双子だというのに、僕はリトよりずっとお腹の容量が少ないらしい。
夕飯の後はレティナティ姉妹の作っている"動画"を見せてもらったりした。
日本中の美味しいスイーツなどを紹介したり、簡単料理をしてみたり、踊ってみたり歌ってみたり…色んな事をしているようだ。
画面の中の彼女たちは、やっぱり大人だ。外見は変わらず可愛らしく幼くも見えるけど、"誰かに見せる意識"があるのがわかる。お行儀も良い。
彼女たちにも外向けの顔があるのだ。やっぱりここでは気を緩めて過ごせてるんだなぁとよくわかって、ほのぼのしてしまった。
22時をまわるとレイさんが僕とリトの分も寝袋を持って来てくれて、庭に建てたテントで寝てみる事になった。
実はレイさんも、僕らが住んでるシャトル虹森の1階に住んでいる。
だから「俺は戻って寝るけど、なんかあったらすぐ呼べよ。」だそうだ。
大人二人が寝転がれるテントがふたつ、大きなタープがひとつの庭。
少し涼しい夜、それぞれの寝床につく。
テントも寝袋も、思っていたより狭苦しい感じはなかった。
とはいえ慣れないので、寝付くには時間がかかりそうだ。
この辺りは住宅街で、治安も良い。
まわりはとても静か。
リトは今日もたくさんはしゃいで考え事をして、疲れてたんだろう。
すぐに寝息が聞こえてきた。
隣のテントの姉妹はもう眠っただろうか?
キャンピングカーで旅をして寝泊りをしているんだ、きっとこういうのも慣れてるんだろうな。
元は"お兄ちゃんを捜す"という名目で始めた旅。彼女達は新しい目標を見付けて、楽しく過ごしているように見える。
最初に会った時、彼女達は『納得はしたけど、諦めてはいない』って言ってたな。結局どういう意味だったのか訊けずにいる。
レティとナティは、"お兄ちゃん"の事をどう思っていたんだろうか。
僕は、"女神様"の事をどう思っていたんだろうか。
それは、恋だったんだろうか。愛だったんだろうか。
別の何かだったんだろうか。
僕は元々夜型だし、考え事をしていたら目が冴えてしまった。
こうなるとじっとして居ると頭の中がうるさくなってきてしまう。
あれこれ考えて、あれこれ思い出してしまう。
少し夜風に当たろうかな。
寝袋を抜け出し、そっとテントから出る。
リトはぐっすり眠って居そうだし、起きたりはしないと思うけど…
「あれっ、アン。眠れなかったの?」
いつもより少し抑えた声。
敷きっぱなしだったレジャーシートの上にはナティが居た。
今日は月が明るいし、少し離れているけど街灯があるから暗くはない。
だから彼女の姿もはっきり見えた。
レティとは左右対称に結わえている髪は解かれている。
でも、すぐにナティシアだと判った。
雰囲気とか話し方とか声とか、きっと些細な違いだけど。
どこが違うと言われると説明するのは難しいけど。
でももう間違う気がしない。
僕は少し間を空けて、ナティの横に座った。
「へへへっ、もっと近くに来ていいのに。」
「充分近いでしょ。」
僕もナティも抑えた声で話して居るけど、声はちゃんと聞こえている。
「そっかぁ~…ふふふ」
ナティは昼間話した時と同じクッションを抱えていた。
彼女はそれをぎゅっと抱き締めて、顔を埋める。
しばしの沈黙。
そよ風にサワサワと木の葉が微かに音を立てている。
何か話題はないだろうか。
訊きたい事は、沢山有るけど…
そうだ、恋…
彼女には、僕らの中で唯一、明確に恋人が居たんだよな。
最初に抱き付かれた時、僕がその恋人にとても似ていたんだと言っていた。
「ナティシアは…恋人が居たんだよね?」
僕がそっと問い掛けると、ナティは顔を上げてふにゃっと笑った。
「うん、そうだよぉ。」
「僕に似てたんだっけ?」
「うん、そうなの。でもねぇ…中身は全然違ったかな?」
「そっかぁ、どんな人だったの?」
「どんな人かぁ、ううーん…シンさんはねぇ、おっきくて…こう、強くって、でも弱いの。」
なんとも抽象的な表現だけど、僕は「うんうん」と相槌を打つ。
「私をキラキラした目で見て、好きだって言ってくれて。それで、色んな事を教えてくれて…私の知らない事をたくさん教えてくれたんだよ。私はお兄ちゃんが大好きだった、その好きしか知らなかった。でも、他の好きがあるんだって初めて知ったの。」
「恋?」
「ふふっ、恋だね!」
ナティは楽しそうに笑う。
「…ナティは、そのシンさんは探さないの?僕に間違って抱き付く程大好きだったんでしょ?」
「あははっ!そうだったねぇ、アンに抱き付いたんだった!」
僕と最初に会った時を思い出して、ナティは更に楽しそうに笑う。
そしてふと、穏やかな表情に変わると「そうだねぇ、私…お兄ちゃんは探したかったけど」と呟くように語り出す。
「お兄ちゃんは探したかったけど、シンを探したいとは思わなかったなぁ。生まれ変わりの話を聞いても、そのシンの生まれ変わりに会いたいとかも、思い付きもしなかったの。だからアンを見た時、抱き付いちゃった私自身にビックリしたよ。」
「そうかぁ…」
「うん。」
また少しの間、ふたりで黙ってしまう。
彼女は恋人の事を思い出しているのだろうか。
宙を見詰めたまま、ぼんやりとしている。
新城さんが言っていた"思い残し"が、そのシンさんに対しては無かったのだろうか。
だからまた会いたいと思い付きもしなかった…のかな。
僕には前の世界…前の人生で"恋人"は居なかった。
そもそもそういう定義が無かった。
もしかしたら外にはあったのかもしれないけど…それを得る前に神殿に染まってしまったし。
この世界に来て、女神様の事を思い出す事は度々あった。
今のナティみたいに。
僕には思い残しもあった。
だけど。
それは恋だったのかと言われると、どうなんだろうか。
「…ナティシアは、恋して良かった?」
ナティが夢から覚めたような顔で振り向く。
思い出の世界から帰って来たんだろう。
そして僕の顔をじっと見る。
「いい、わるい、ってよくわからないけど…」
彼女は言いながら、こちらへ寄ってきて、また"内緒"とばかりに耳打ちしてきた。
「私、とても楽しかったんだよ。魂が燃え尽きちゃうぐらい。」
言い終えると、耳元から彼女の唇が離れて行った。けど、体はそのまま僕にくっついて離れない。
「辛い事も痛い事も悲しい事もたくさんあったけど、それでも、楽しかったのはっきり思い出せるぐらいに、楽しかったの。だから私ね…」
僕もなんだか離れる気にならなくて、そのままじっとナティを見詰める。
言葉を途中で止めた彼女は、再び顔を近付けてきて…
そして離れた彼女の顔を見て、数秒経ってからやっと、何が起きたのか理解した。
今、彼女は僕にキスをした。
「だから私ね、また恋できてるんだと思う。」
小さな声で、言葉の続きを言うナティシア。
いつもしないような、少し真面目な顔をして。
美しいな。と思った。
強いなと思った。
今の彼女は、いつものふわふわした印象じゃない。
買い物をしている時に一瞬感じた、あの引き込まれそうな感覚がまた訪れる。
これは、もしかして僕はナティに魅かれていたんだろうか。
恋、の意味で。
そこに思考が着地した所で、僕は内心とても動揺してしまった。
それを悟られまいと、なるべく冷静を装って聞き返す。
「…恋、僕に?」
訊かれたナティはきょとんとした顔になり…
いつもの幼い表情で少し怒った声で言い返してきた。
「ちょっとお、他に誰が居るのっ!」
それが可笑しくて、そして可愛くて、僕は笑ってしまった。
「そうだよね、ふふっ」
「なんで笑うの~!」
今度は彼女が大きな声で怒る。
拗ねたような駄々をこねるような、子供みたいな声。
「ケンカしちゃダメだよ~?」
そこに眠そうな声。
レティがテントから顔を出している。
騒いでいたから起こしてしまったんだろう。
リトはそのまま寝ているのかな…
「ケンカしてないよぉ。でもね、アンったら酷いのっ!聞いて聞いて~」
ナティは僕からパッと離れると、レティの方へ走り寄って行った。
今から僕の悪口大会でもするんだろうか。
笑ったのは悪かったけど、あれはつい…
ナティが可愛いと思ったのと、そう思ってる自分が可笑しかったのもある。
本人以外が居る所でそんな事を言うのも恥ずかしいし…
弁解するにもなんて言っていいのか解らず…
「…えっと…じゃあ僕、寝るね…」
取り敢えずはテントに逃げ帰るしかなくなったのだった。
寝袋に入ってもしばらくは、隣のテントからヒソヒソとクスクスと、姉妹の内緒話の音がしていた。
それを聞いているとなんだか眠くなってきて…
恋という字が頭の中をくるくると回りながら、僕は眠りに落ちて行った。