父の作った甘いナポリタン
狭い部屋。黄色い石で組まれた部屋。
松明が1本だけ…
傍らに横たわった兄。
目の前には女神様が居て…
彼女は泣いている。
―早く目を覚まさなきゃ。
床が熱くなってくる。
怯えた彼女を抱え上げる。だけど…
息が苦しくなって…
膝をついてしまう。
―早く目を覚まさなきゃ。
しがみついてくる女神様を強く抱き締めて、落とさないように、腕に力を込める。
あぁ、痛い…熱い…
息が出来ない…
早く目を…
開けないと…
「…―ァああああ!!!!!」
栓が抜けたかのように声が出る。
同時に目が開く。
そのまま荒い息をして起き上がると、そこはいつもの部屋だった。
俺と兄の今の家、アパートの一室だ。
夢を見ていた。
夢の中でも、もうわかっていた。これは夢なんだって。
目を覚まさないといけないと思っても、自由がきかなくて…
もう目が覚めたとわかっているのに、息が苦しく体が熱い。
耳に女神様の泣き声が張り付いている気がする。
「リト?!」
兄の声。
そっちを振り返る間も無く、俺はベッドを降りて風呂場に走った。
シャワーの蛇口を捻り、水を出す。
頭から冷たい水を浴びていると、段々と息も落ち着いて来た。
大丈夫大丈夫、夢だったんだから。
何回も自分に言い聞かせる。
しっかり目が覚めて、落ち着いてからシャワーを止めた。
脱がずに水浴びしたもんだから、服が重たい。
「大丈夫?」
心配そうな声にハッとして風呂場の入り口を見ると、アンがバスタオルを持って立っていた。
「…大丈夫!ありがと、タオル忘れてたんだ。」
「タオルがどうとかって場合じゃなかっただろ…もう…」
大きな溜め息を吐く兄。
それはそうだ。自分でも状況に驚いたし…ちゃんと対処できたことにも驚いた。
過去に心が戻った時の事、新城さんに訊いておいて良かった。
『酷いパニックを起こすと心臓が止まる事も在り得るからな。ちゃんと覚えておけよ。』
新城さんの声が頭の中で再生される。
まだ死にたくない。
ここで生きて居たい。
やっとそう思えたんだから、こんなことで死んでられない。
「今日やめとく?報告に行くの。」
「行く!せっかく昨日の内に黒江さんに連絡してもらったんだから。」
俺は着ていたTシャツを絞りながら返事する。ジャーッと音を立てて水が滴った。
今日は新城さんに、ひなまつりマーケットでの事とミモザに行った事を報告して…それから訊きたい事も色々あったから会いに行く予定だ。
「今回はちゃんと歩けるし、痛くもなんともないよ!ほら!」
この前みたいに赤い足はしてない、と、片足を上げて見せる。
「うん、いや、わかるけど…」
まだ心配そうな兄からバスタオルを受け取って、頭をゴシゴシ拭いていると…
グゥウとお腹が鳴った。
「えぇ…?」
「…聞こえた?そんな事よりお腹空いた。」
「そんな事、って。…まだ4時だし!」
怒ってるつもりなのかな呆れてるつもりなのかな、でも半分笑っちゃってるアン。
「何か食べないと寒くて死んじゃう…」
「仕方ないなぁ…なんか食べる?」
「食べる!!」
俺の必死の訴えで、結局夜が明ける前に朝ご飯を食べる事になった。
アンがホットケーキを焼いてくれて、足りないと言ったらベーコン入り野菜炒めを作ってくれた。
賞味期限が近づいて来たから持って帰りなさいとレイさんに頂いたベーコンだ。
店で使っているものなので、オーナーのこだわりベーコンなんだと思う。
オーガニックだかなんだか。よくわかんないけど。
TwinkleMagicで使っている食材は、オーナーとレイさんが話し合いに話し合って選びに選んだ食材を使っていたりする。
オーガニックだかなんだか…天然だのなんだの…農家直送だのなんだの…
この世界ではあらゆることに選択肢がとても多い。
食べ物も着るものも住むところも、仕事も娯楽も…
それって凄い事だし、楽しいけど…大変な事でもあるような気がしてる。
こだわりベーコン入りの野菜炒めは凄く美味しかったけど…
それでもまだ足りなかったので、オーナーにもらったお菓子を食べた。
大きな袋入りのビスケットを買ったはいいが、ひとりじゃ食べきれなかったんだそうだ。
皆なんやかんやと美味しいものをくれるんだよな。
ばりぼりと固めのビスケットを10枚ぐらい食べて、3杯目のカフェオレを飲み干したら落ち着いた。
その時点でやっと夜が明けて、窓から光が入って来た。
「今日の約束、何時だっけ?」と言って俺が欠伸をすると…
「14時…」と言ってアンも欠伸した。
「「うん、寝よ…」」
俺とアンは眠い目を擦って歯を磨きに行き…
それぞれベッドに倒れ込むとまた眠った。
―――リリリリリ
聞き慣れた呼び鈴を鳴らす。
しばし待つと、玄関ドアが開いた。
「遅い。」
いつもあまり機嫌良さそうではないけど、今日は更に威圧感増してる新城さん。
それもそのはず、もう15時だ。
なんと1時間の遅刻。
あの後10時まで寝てて、中途半端にお腹が空いた俺達はまた軽くトーストなんか食べて、少し寝転がりながら本なんか読んでいたら…
ふたりしてまた寝ていた。
まさか寝過ごすなんて考えても無かった俺達は、目覚まし時計もセットせず。
起きたら14時半をまわっていたのだ。
「ごめんなさい、寝坊しまして…」
「まさか3度寝するとは思ってなかったんだよお…ごめんなさい新城さん。」
「…そんなに油断してるんなら、状況は良さそうだな?まぁ入れ。今日はリビングで良いだろ。」
新城さんは溜め息を吐くとリビングに先に歩いて行った。
俺もアンと慌てて靴を揃えて脱いで追いかける。
俺とアンをソファに座らせると、新城さんはキッチンからリンゴジュースが入ったグラスを持って来てくれた。
そして自分も立派なリビングチェアに腰掛けると「それで?」と俺達に話を促してきた。
「うん、あの。探していた人には会えた。凄い良い人だったよ。」
「ひなまつりマーケットに行った時は、僕が少し感化されてしまったというか…」
俺とアンは交代交代におひさまひなまつりマーケットでの事を話した。
そしてつい昨日、ルミちゃんのお店ミモザに行った事も。
「それで、蒸しパンが滅茶苦茶美味しくて…!」
「リト…それはもういいから…」
「随分平和な報告になって何よりだな。」
若干呆れた様子の新城さん。
ついルミちゃんの料理の事を熱く語ってしまって、何回かアンに止められた。
「でも、今朝…平和じゃなかったんですけどね…」
と、アンが早朝の出来事を話そうとするから、俺は慌てて「平和だったよ!もうなんでもないだろ!」って止めた。
「なんだ、また過去の事でも夢に見たのか?」
「えっ、なんでわかったの。」
「なんでってお前…わかりやす過ぎるんだよ。」
新城さんは本日何度目かの溜め息を吐いた。
ひとしきり報告が終わると、新城さんは「ふむ。」と頷いて、
「まぁ何も問題が無いなら良かったな?このまま仲良く出来ればお前らの本望なんだろ?」
と訊ねてきた。
けど俺達はイマイチ、問題がないという風には思えないというか。
良かったです!で終わる気にもならないっていうか。
「そうなのかなぁ…」
「そうなんでしょうか…」
と、ふたりして煮え切らない返事をしてしまう。
「…俺が聞いた限りでは、上手くいっているように聞こえたが?」
確かに、このままルミちゃんと仲良くなれたら嬉しい。
もっと話したり、一緒にゴハンを食べたり、どこか遊びに行ったり。そしたら楽しいんじゃないかなと思うんだ。
俺達は、いや"俺は"何をモヤモヤとしてるんだろ?
俺が悩んでいると、アンが新城さんに問い掛けた。
「…新城さんは、記憶があるんですか?今の新城さんになる前の…つまり、前世の記憶が。」
「……俺の話が聞きたいのか?」
アンは頷いて、俺は「聞きたい!」と身を乗り出した。
過去や未来が視える、と新城さんは言っていた。
だったら俺達みたいに、自分の死んだ時の記憶や死ぬ前の記憶があるんじゃないだろうか。
そんな新城さんは一体どんな経験をして、どんな気持ちでいるんだろう?
「記憶があるかと言えば、まぁ、…ある。が、それの何を訊きたいんだ?何かお前らの参考になることでも?」
「参考になること…うーん。」
俺は好奇心が大きいからなんでも聞いてみたいけど、参考になる事って言われると考えてしまう。
このモヤモヤの正体について何か、何かヒントになるような事はないだろうか?
俺が黙って居ると、またもアンが発言する。まるでいつもと逆みたいだ。
「新城さんは、僕らにとっての女神様のような人は居たんですか?その、前世で。」
「生まれ変わっても会いたいような人、という事か?」
「そういう人が居たの?」
いつも割と飄々としてる新城さんだから、そんな人が居たのかと思うだけでなんだかドキドキする。
とても聞いてみたい。
かつて俺達みたいに悩んだり走り回ったり誰かに相談したことがあるんだろうか。
きっと俺は"興味津々!"って顔をしてたんだと思う。
新城さんは眉を顰めてまたまた溜め息を吐いた。
それでも新城さんは自分の昔話を俺達に聞かせてくれた。
新城さんが新城遥として生まれる前。
ずっとずっと前。
その世界では、こことは全く違う文明が栄えていたそうだ。
「ある意味…今の、この世界よりも進んだ文明だったかもしれない。」
その辺りは詳しく説明するとキリが無いからと省かれた。
けど、新城さんが居た世界にも"神殿"があって、"神"というものも居た。
俺達と同じような"神殿"に生まれた新城さんは、女神様のような"神"をやらされていた。
生まれてからしばらく自由の効かない生活をしていたんだそうだ。俺達の女神様のように、それを当たり前に受け入れていたものの…ある事件をキッカケに神殿から逃げ出した。
「だから…愛海に頼まれたのが大きいが、お前らに同情した所も少しあるな。」と、少しだけ胸の内を明かしてくれた。
結果的に逃亡は成功し、外の世界を旅するうちに、ある人に恋をした。
それは別の国の"女神様"だった。
自分と同じように神をやらされていた、ただ何か少し不思議な力のあるというだけの女性。
周りに国の象徴として囲われた、"寂しい"という気持ちさえ知らないような女性だったという。
「寂しいさえ知らないって、どういう事?」
「好きも嫌いも嬉しいも悲しいも無いって事だ。周りに言われた事を全てイイコに受け入れてきたような女だった。優秀な聖なる女神様だな。」
自分の感情さえ神に差し出したような。
俺達の女神様のようだ。
そして新城さんも神殿に居る時はそのように生きていたから、自分に重なったんだという。
「最初は誑かしてやろうと思ったんだが。」
「たぶらかす…って…え?新城さん悪者?」
「悪い男というやつですか?」
「……まぁ…返す言葉も無いな。確かに物語なら悪者になるが、最後まで聞きたいなら大衆の評価は横に置いておけ。」
俺達は最後まで新城さんの事を聞きたかったので、取り敢えず黙っておくことにした。
それに"物語なら悪者"っていうなら、俺とアンだってそうだ。
掟を破って神殿の女神様を攫って逃げようとしたんだから。
結局新城さんは、最初は誑かしてやろうなんて思ってた女神様に恋をしてしまい、愛してしまった。
「まぁその人がお前らの言う女神様に当たるのかと思うが…」
俺は堪らず「どこが好きだったの!!」と、つい前のめりに訊いてしまった。
俺は丁度、恋とはなんだろうと悩んでいたから。
「……いや、…お前は何が訊きたいんだ?」
「えっ、恋の話?」
「それは前世とか関係無いだろうが。雅にでも訊け。」
「えええーッ…だって!じゃあ新城さんはなんでその人に生まれ変わってまで会いたかったの?」
「…それは…思い残し、だな。」
「「思い残し…」」
俺とアンは同時に呆然と呟いた。
「思い残し、文字通り想いを残していたって事だ。俺は彼女と結ばれたし愛し合えたし、お前らと違って長い時を過ごす事も出来た。けど、最後に言葉を掛ける事が出来ずに、俺は死んでしまったから…」
段々と声が細くなり、言い終わると、新城さんの息さえ消えてしまったような錯覚をした。
いや錯覚じゃなかったかもしれない。
息が…聞こえない。
「新城さん!」
俺は慌てて新城さんを呼んだ。
前に新城さんが俺にしてくれたように。
ハッと顔を上げた新城さんは、なんだかいつもと違う顔に見えた気がした。
新城さんだけど、新城さんじゃない。
誰か…そうきっと、生まれ変わる前の…
「あ…新城さん、それ…」
新城さんを見ていたアンの声が少し震えている。
それ…?
俺も新城さんの顔から少し視線を下にしたらすぐ気付いた。
首。
首に赤い痕が走っている。
キレイに真横に。
俺が足を赤くしたのと同じ現象だろうか。
きっと新城さんは今、自分が前世死んだ時の事を鮮明に思い出したんだ。
指摘された新城さんは、首元に手をやると「あー…久し振りだな。」なんて呑気に呟いた。
きっと何度もあったんだろう。
新城さんが目を閉じ、深く息をすると、首の赤い痕は薄らいだように見えた。
「あとは放っておいても消える。」
「痛くないの?」
「痛くないよ。そりゃあ、最初はお前みたいに気を失ったりもしたけどな?」
ハハッと可笑しそうに笑った新城さんは、話の続きを聞かせてくれた。
「お前らが知りたいのは、その生まれ変わっても会いたい人に、実際会ってどうだったかってところだろ?」
「会えたの!?」
またも俺は身を乗り出した。
「会えたよ。まあ概ね幸せそうだったし…なんなら、俺の事を思い出してもくれたよ。」
「その、思い残し…掛けたかった言葉っていうのは、伝えたんですか?」
俺の訊きたかった事をアンが訊いてくれる。
すると新城さんは素っ気なく、「いや。伝えなかった。」と返す。
「ええっ?なんで?」
「どうして?」
俺とアンは更に新城さんに詰め寄った。
せっかく会えて、思い出してくれて、それでも思い残した事を言わないなんて。
「俺はお前らみたいに転移してきたワケじゃないからな。この体はこの時代にこの国に生まれたもので、今の彼女に会うまでに大人になってたし、色んな経験をしてた。」
うんうん頷きながら、俺とアンは話の続きを聞く。
「今の彼女に会って、話をした時気付いたんだよな。元から、前世からもう彼女は自分で幸せになれる人間だったんだ、とな。」
「俺が死んだ時に彼女は不幸な状況だったように思えてた。だから…"今度はきっと幸せにするから"って言いたかった。けど、彼女を幸せにしたいなんてのは、己が好かれたいという欲でしか無かったと恥ずかしくなったんだよ。」
己が好かれたいという欲。
好かれたい…
って、おかしいことか?
「なるほど…」
と、アンが何か考え込むような仕草をする横で俺は叫んだ。
「好きな人に好かれたくって何が恥ずかしいのかわかんない!」
本当にわからない。
好き合いたいのは当然じゃないんだろうか?
自分で幸せになれるような人だったとしても、幸せにしたいなって思うのは、当然じゃないんだろうか?
笑った顔がみたい、喜ばせたい、自分が幸せにしてあげたい。
そんでそれが好かれたいっていう欲から来てたって…
「いいじゃん別に!好きって言っても!」
「リト…」
「新城さんは恥ずかしくなんかないし、カッコイイよ!」
なんだかムキになったように言ってしまったけど、新城さんは俺の頭をよしよしと撫でた。
吉春にするみたいに。
そして見た事無いような優しい顔で「わかったよ、ありがとな。」と言ってくれた。
新城さんの首の痕はもうすっかり消えていた。
それからもう少し今の新城さんの話を聞かせてもらったり、オーナーとのことや黒江さんとのこと、昔のレイさんの事も少し聞いたりして、あっと言う間に日が暮れた。
「そろそろ帰って来るな…」
新城さんが呟くと、示し合わせたように玄関ベルが鳴った。
玄関に向かった新城さんと共に戻って来たのは、今日も元気いっぱいの吉春だった。
「リト!アン!よく来たな!」
「おかえり吉春!」「おかえり、今日はどこ行ってたの?」
アンの問いに、吉春は満面の笑みで答えた。
「今日はみーままのとこだ!」
「「みーまま?」」
初めて聞いた名前に、俺とアンは首を傾げる。
「吉春。手洗って来い。」
吉春が答えるのを遮るように、新城さんが指令を出す。
「そうだな!手を洗う!」
言われるままに、吉春は洗面所に飛んで行った。
みーまま。
ママ?母親の所だろうか。
新城さんが聞かれたくないんなら訊かない方がいいんだろうなあ…。
でも…結局その"生まれ変わっても会いたかった彼女"とは、どうなったんだろ?
概ね幸せそうに暮らしてて、でも伝えたい事はもう伝えなくてもいいって思って…
それで、新城さんはその彼女とはどうなっちゃったんだろ。
その後も結構話をしていたのに、巧みにかわされた気がしてきた。
"生まれ変わっても会いたかった人"が、吉春のママだったりしないのかなあ。
「おい、リト。余計な事考えてるだろ?」
新城さんの鋭いツッコミが降って来てドキッとする。
「えっ?へへ…」
笑って誤魔化す俺に、「夕飯食って行くか?」と誘ってくれたのは…
余計な事を訊かれない為だったりするんだろうか。
「新城さんが作ってくれるの?!」
「そりゃ…そうだろ、他に誰が作るんだよ。」
黒いエプロンをした新城さんがキッチンに入って行くのに驚いた。
そうだよな、吉春とふたりで暮らしてるんだもんな。
吉春はまだ7歳だ。料理できないこともないかもしれないけど…日々の料理をするのは新城さんだって考えた方が自然だよな。
俺の周りでは一番背が大きくて、身体つきもガッシリしてて、大人で。
絵を描いてるのを見てるし、器用ってのは知ってるんだけど…"料理する"ってイメージが全く無かった。
お茶はよく淹れてもらってるんだけど。
何作ってくれるんだろ…。
どんな風に料理するんだろ…。
気になって思わず「料理するの見てていい!?」と走り寄ってしまった。
「良いけど…邪魔はするなよ?むしろ手伝え。」
「僕も手伝いましょうか?」
吉春を構っていたアンがこっちに来ようとしたけど、「アンは吉春を構ってやっててくれ。」と新城さんに止められた。
大人が3人並ぶには少し狭いかもしれないし、アンが来たら多分吉春も来る。
もしかしたらアンも新城さんの料理するのを見たかったのかもしれないけど…俺が見てて後で色々教えてあげよう。
料理のレシピとか。
いそいそと手を洗った俺は「そんで何作るの?」と腕まくりした。
「ナポリタン。取り敢えず玉ねぎの皮でも剥け。」
新城さんは大き目の玉ねぎを1個手渡してきた。
ナポリタン。玉ねぎとピーマンとベーコンをケチャップで炒めたパスタ。
TwinkleMagicにも大体はある。
大体は、っていうのは無い時もあるからだ。
仕入れが無い時は無理に作らない。これもオーナーとレイさんの"こだわり"ってやつだ。
レイさんが作ったのを見た事しかないし、外で食べた事はまだ無い。
メニューとしては外の店でよく見るんだけど。
「はい出来た!」
キレイに剥けた玉ねぎを新城さんに渡すと、それと引き換えに今度はボウルに入ったじゃがいもを渡された。
「今度はコレな。」
「んっ?じゃがいも?ナポリタンに入れるの?」
「ポテトサラダ作るんだよ。」
「あっ、そっか!まかせて!」
今度はじゃがいもをキレイに剥く。一緒に渡されたピーラーで慎重に。
玉ねぎは手で剥けるけど、ピーラーや包丁を使う時は慎重に。
『じゃがいもはな、特に滑るからな?本当に気を付けろよ?』
レイさんの言葉が甦る。
集中してじゃがいもを剥いていると、隣でトントントンと包丁がまな板を叩く音がしてくる。
玉ねぎを切って、ピーマンも切って…
―――ペキペキペキッ
って、え?
最期のじゃがいもを剥き終わる所で、料理中にあまり聞かないような音がして、俺は思わず新城さんの方を見た。
「えっ何してんの新城さん。それ。」
「何って…見りゃわかるだろ?スパゲッティ折ってる。」
新城さんが手にしていたのは、真っ二つに折れたスパゲッティの束だった。
「折っちゃうの?!」
そんな事してるの見た事も聞いたことも無かったからビックリした。
「俺は折る。フライパンで茹でるし、吉春も食べやすいからな。」
そう説明してくれてから、大き目のフライパンに沸かしたお湯にザラザラと折れたスパゲッティを入れていく。
フライパンで…確かにちょっと深さがあるフライパンだけど。
ちゃんと茹だるのかな?
折ってるとその分茹だりやすくなるのかな?
「終わったか?じゃがいも。」
「あっ!うん、終わった!」
キレイになったじゃがいもが入ったボウルを新城さんに渡す。
じゃがいもをひとつ手にとった新城さんは「ん、上手。」と褒めてくれる。
表情はいつもの"怒ってんの?"ぐらいの顔なんだけど、声は優しい気がする。
絵を習ってる時もこうだ。
笑顔を見せることはあんまりないけど、ちゃんと褒めてくれる。
新城さんのそういうとこが俺は好きだ。
じゃがいもは小さめに切られて、いつの間にか用意されてたニンジンと一緒に容器に入れられると、電子レンジにかけられた。
スパゲッティとジャガイモたちが過熱されてる間、新城さんはキュウリを切ってハムを切って、それからソーセージを切った。
俺はキュウリを塩もみしたり、食器を出したり、料理する新城さんの手元をじーっと見詰めたり。
スパゲッティが茹だると、新城さんはフライパンをシンクの上に持って行って…
トングで麺を押さえつつ、お湯をゆっくり捨てる。
「ザルは使わないの?」
「使わんな。」
大体のお湯を捨てると、フライパンは火の付いたコンロの上に戻された。
「炒めてれば蒸発するからいいんだよ。」
そう言うと新城さんは玉ねぎとピーマンとソーセージを入れて、フライパンを揺する。
少ししてからそこに、オリーブオイルをかけて…
「え、油って後から入れるの?」
「俺はそうする。」
「ええっ???」
「家でこうする時は気を付けろよ?水分が多く残ってると油がはねるからな。」
「う、うん。」
ナポリタン指導を受けているうちにレンジが鳴って、今度はじゃがいもを潰す指令が来た。
じゃがいもが熱いうちにバターを入れて、混ぜる。
あとは具材を入れて、一旦火を止めた新城さんが、ポテトサラダにマヨネーズを絞って。
混ぜ合わせて仕上げたら、新城さんは吉春を呼んだ。
「吉春、味見。」
「まかせろ!」
アンと本を読んでいた吉春はすぐキッチンに飛んできた。
新城さんがスプーンにすくったポテトサラダを、フーッと少し冷ましてから吉春の口に入れる。
いいなぁあああー!俺も味見したいなあぁあー!!と思っていたのは流石に口に出さなかったけど、とても羨ましかった。
味見係の吉春は、笑顔でうんうんと頷くと「うまい!」と言い残して去って行った。
味見係のお墨付きをいただいたので、ほんのり温かいままポテトサラダは器に盛られる事になり、それを俺が担当してる横で新城さんはナポリタンの最期の味付けをする。
気になってチラチラ見ていると…
ケチャップを入れて…
次にまだ何かチューブのやつを入れて…え、めっちゃ入れるな。
「新城さん?なにそれ?」
「……練乳。」
全部絞り切ってないか?ってぐらい沢山入れて、しなっとしぼんだチューブを見せてくれる。
そこには確かに"練乳"の文字。
TwinkleMagicでも使ってるから、俺にもちゃんと読めるし、味だってどういうものか分かってる。
あまーい、とろっとしたミルクだ。
果物とかパフェとかパンケーキとかにかけるやつ。
そう思ってたから…パスタに入れちゃうなんて。
思わず「大丈夫なやつ!?」って叫んでしまった。
「大丈夫なやつだ。」新城さんはあまり表情を変えず頷いた。
もしかして、カレーにチョコレート入れるようなもんなんだろうか?
ナポリタンもレイさんが言ってた"懐が深い"ってやつなのか?
出来上がった夕飯をテーブルに並べ始めると、吉春も飛んできて手伝ってくれた。
4人分のナポリタン、ポテトサラダ、それからりんごジュース。
全員テーブルについてから、一緒に「いただきます。」して、食べ始める。
吉春は口いっぱいにポテトサラダを詰め込んで、アンもポテトサラダからゆっくりよく噛んで食べている。
俺は…練乳が入ったナポリタンが気になって仕方ない。
「大丈夫なやつって言ってるだろ?」
じっとナポリタンを見詰めていた俺に、新城さんが声を掛けて来る。
「わかってる!ちょっと見てただけ!」
そのやり取りに気付いた吉春が、ポテトサラダを飲み込んでから俺に訊ねる。
「リトも欲しいのか?タコさん。」
「えっ?タコさん?」
「これだ!」
吉春が自慢げに自分のナポリタンの皿を差し出してくる。
よく見ると、吉春のナポリタンには変わった形にされたソーセージが乗っている。
なるほど、これタコなのか。そう言われるとそう見える。
「父がオレにだけ乗せてくれる特別なやつだ。…どうしても欲しいなら…!」
「いや、吉春の特別なやつを貰うわけにはいかない!大丈夫だぞ!」
「そうなのか?父、今度リトにも作ってくれ!タコさん!」
新城さんはめんどくさそうな顔をして「あぁ、まぁ…次があればな…」と呟くように返事した。
吉春のタコさんも辞退したところで、俺は練乳入りのナポリタンを食べてみる事にした。
新城さんが作ったんだし不味いわけはないと思ってるけど、あれだけ入れた甘い液体がどうなってるのかは想像できない。
フォークでくるくる巻いて、オレンジ色のソースがたっぷりついたスパゲッティを口に入れる。
甘い、けど、全然おかしくはない。甘いけどちゃんとしょっぱい。
レイさんが作るナポリタンよりはずっと甘い。味もちょっと濃い目かも。
でもそれが美味しい。
玉ねぎもピーマンもよく火が通ってしんなりしてる。
具っていうよりソースと一体になってる感じ。
「これ、めっちゃ美味しい…!」
一口食べて、すぐ続けて二口食べてから感想を伝えると、新城さんは「だろ?」とニヤッと笑った。
ポテトサラダも美味しかった。こっちはむしろ塩味控えめだったかも。
バターを入れてる分マヨネーズは少な目なのかな。
バターとじゃがいもとニンジンが甘くて、ハムとキュウリが塩味出してる感じ。
ナポリタンもポテトサラダも夢中で食べてしまった。
俺と吉春は同時に「ごちそうさま!」を言った。
「早…ゆっくり食えよな。」
「もー、ちゃんとよく噛んだの?」
吉春は父に、俺は兄に、ちょっと呆れた顔をされたのだった。
皆食べ終わってから一息ついて、俺とアンは吉春に引き留められつつも玄関に向かった。
「リト、アン。また来るんだぞ。絶対だからな。今度は父じゃなくてオレと遊びに来るんだぞ。」
玄関までついてきて寂しそうな吉春に、アンが屈んで話しかける。
「また一緒に本読もう。おすすめの本探しといてね?楽しみにしてるから。」
それを聞いた吉春はパッと顔を輝かせてうんうん頷いた。
「楽しみにしてろ!探しといてやるからなっ。」
きっと次に会うまでの目標が出来て嬉しいんだな。
俺も寂しい時に"目標"を貰って嬉しかったっけ。
女神様が居るのか居ないのかわかんなくて、寂しかった時に。
「…生まれ変わっても会いたかった人は今どうしてるの?」
どうしても訊きたくて、口から出てしまった。
新城さんはまさか今訊かれるとは思ってなかったんだろう、少し驚いた顔してた。
アンが息を呑んだのを感じた。
きっとアンも"訊いちゃいけない"と思ってたんだろうな。
少し間があった、けど、新城さんは応えてくれた。
「殆ど交流は無いが、程々に平穏に暮らしてると思う。今は"只の知り合い"だな。」
「そうなんだ…」
「言ったろ、俺があの人に会いたかったのは"思い残し"だって。でもお前は違う。お前のはもう"思い残し"ではないんじゃないか?」
"もう"思い残しではない。
そうだ、それこそ俺は最初は思い残しで女神様に会いたかったかもしれない。
今朝見た夢。
女神様を助けれなかった。
守れなかった。
可哀想な最期にしてしまった。
女神様の心からの笑顔を見てみたかった。
叶わなかった想い。
想い残し。
でも今、俺がルミちゃんに会いたいと思うのは違う気持ち。
彼女が女神様の生まれ変わりだったらいいなとは思う。
だって今、少なくとも女神様よりは幸せそうだから。
だけど、もしルミちゃんが女神様じゃなかったという事になったら、もう会いたくないのかというと、それは違う。
きっと違う。
「新城さん、ありがと…ちょっとわかったかも。」
俺がお礼を言うと、新城さんは頷いてから、アンにも声を掛けてくれた。
「…アン、お前はこいつを見習ってひとりで抱え込み過ぎるなよ?」
「あっ…はい、ありがとう新城さん。」
アンも緊張が解けたみたいで、ホッとした顔でお礼を言った。
またドキドキさせてしまっただろうか。
俺がいつも"余計な事"を言ってしまうみたいなので、アンはドキドキハラハラするんだと二人の時に言われるのだ。
元気に手を振る吉春に見送られて、俺とアンはすぐそこの我が家へ帰っていった。
部屋に戻ると、案の定「もう!なんで玄関まで来てあんな事訊くんだよ!」とちょっとお説教された。
ひとしきり説教を聞いて、謝って、ナポリタンのレシピの話をし出すとアンはふむふむとちょっとメモを取り出し…
練乳の事を話すと「ええっ!?そんなに練乳が入ってたの!?」と驚いた。
俺だって見てなければ練乳が入ってるとはわからなかったかもしれない。
それぐらい味に違和感は無かったから、アンの反応は当然だなぁと思った。
そうか、こういう風に"見てなかったらわからなかった"って事たくさんあるのかもしれないな。
知らないから驚くし、怖かったり不安だったりなるのかもしれない。
俺は新城さんの言葉を受けて、ほんの少し、気持ちの端っこがわかった気がした。
モヤモヤが少し晴れたような。
「今度は俺が作ってみようかな、ナポリタン。」
「レイさんに教えてあげたらビックリするかもよ。」
「そうだな!上手く出来たらレイさんに食べてもらお!」
今日は、またひとつ、楽しみな目標が出来た。