白いミモザのタコライスとおやつ
今日は待ちに待った土曜日。
と言っても…
"ミモザ"に行きたいと弟に言われて数日だ。
あんなに改まって言うなんて…もしかしたらリトは僕が思っているよりも、色んな事を気にしているのかもしれない。
強がって元気に振舞ってるだけなのかもしれない。
「なんか難しい事考えてる?」
いつの間にか顔に出てしまっていたのか、リトに指摘された。
「ん、なんでもないよ。」
「えー?俺にウソつく?」
リトが口を尖らせる。
「嘘じゃないよ、隠し事だよ。」
「一緒だろ!」
「全然違うよ。ほら電車の中では静かに…」
人差し指を口の前に立て、「しー」とリトに囁くと、不満げな顔のまま「黒江さんみたいだ」と返された。
確かに、黒江さんがしてたから覚えた行動かも。
まだ不満そうにしてるけど、"静かに"の注意はちゃんと受け取ったリトは、声を抑えて訊いて来た。
「あと駅いくつ?」
「あと3つかな。」
「遠いなぁ…」
3つ。と言っても、大分駅間が長いのでまだまだ時間はかかりそうだ。
僕とリトは例の彼女の名前を知らないので、仮に"ミモザさん"と呼んでいる。
"女神様"と呼ぶのは取り敢えずやめにして…
それは僕とリトの中で、彼女がなんなのか決めかねているからだ。
"生まれ変わる"とはどういうことなのだろう。
その人がその人であるとは、どう定義すればよいのだろう。
考え事をして、時々リトとぽつぽつ会話して、思ったよりも時間は早く過ぎた。
バスに乗り換え、また十数分。それでも前回のマーケット会場よりは近い。
最寄りのバス停に降り立つと、黒江さんにもらったミモザまでの地図を頼りに歩いて向かう。
店が近づくにつれ、緊張してきた。
それでもまた具合が悪くなるわけにはいかない。
僕は春の空気を大きく吸って、気合いを入れた。
すると隣を歩いていたリトも、僕の真似をして深呼吸する。
「ふふっ、真似すんな。」
「俺も丁度息吸う予定だったんだよ。」
なんだよ息吸う予定って。
リトが面白い事を言うものだから、緊張が少しほぐれた。
それからもう少し歩いて、小川沿いの道から少し入った所にミモザはあった。
迷ったわけではないけどもう14時近くになっている。
小さな店だ。
家の一角でやっているような食堂だった。
「やっと着いた!」
僕は一旦店の前で立ち止まったにも関わらず、リトはすぐに扉を開けて入って行く。
「こんにちはー!」
と、元気に…。
僕も慌てて後を追う。
中に入ると、丁度2人連れのお客さんがお会計をしている所だった。
「美味しかったです。また来ますー。」と言いながら、ミモザさんより小さな背丈の女性が彼女の2倍は無かろうが背の大きな男性と連れ立って出て行く。
大人と子供みたいな身長差だけど、きっと恋人同士か仲の良い兄妹かなんかだろうな。
恋人…
本はたくさん読んだけど。
恋、ってなんだろ。
僕が女神様に抱いていた気持ちって…
どんな形の気持ちなんだろう。
そんな事を考えながら、店から出て行くふたりの背中をぼんやりと眺めた。
「いらっしゃいませ!来てくれたの!」
入り口から少し避けて待っていた僕らに、ミモザさんが声を掛けてくれる。
「来たよ!どこに座ったらいいですか!」
もしかしてリトも緊張しているんだろうか、無駄に元気な声だ。
「じゃあ窓側のテーブルにどうぞ。」
ミモザさんはにこにこ笑顔で席に案内してくれた。
店内はほんのり明るくて、洋風なのか和風なのかわからない統一性があるようなないような不思議な雰囲気。
敢えて言うなら、全体的に古い感じがする。長い時を過ごしてきた家といった感じ。
テーブルと椅子も古い木製だ。
座ると椅子はギシッとは言うけど、壊れそうな感じではない。しっかりした椅子だ。
「ゴハンかな?お茶かな?」
言いながら、ミモザさんがメニューを二枚テーブルに置いてくれる。
一枚はランチメニュー。もう一枚は"おやつ"とドリンクメニューだ。
それをじっと眺めたリトが「ランチとおやつは一緒に頼んじゃダメなの?」とミモザさんに問う。
言うと思った。けど、ミモザさんはリトがたくさん食べるやつだと知る由もない。
「うーん、ランチにデザートも付くから…お腹に余裕があったら頼んだらどうかな?」
と、気遣ってくれた。
正直、僕もどっちも食べたいけど…美味しいものは美味しいと感じる状態で食べたい。
お腹がいっぱいなのに詰め込むのは勿体無い気がする。
大丈夫だよどっちも行けるよ!と言いたげなリトを遮り、僕が先に注文した。
「本日のランチの、タコライスと…リンゴジュースください。リトも一緒でいいよね?」
「…いい。です。」
僕らの様子にミモザさんは「ふふっ、仲良しだねえ。」と笑った。
店はミモザさんひとりでやっているみたいで、厨房に彼女が引っ込むと店内はとても静かになった。
音楽も流れていない、厨房から料理をする音だけが聞こえる。
なんだかとても落ち着く。
「なぁアン、あれってミモザじゃない?」
静けさを破って、リトが話しかけてくる。リトの指差した先を見ると、花と枝で作られた輪が目に入った。そうだ、一時期TwinkleMagicにも飾ってあったな。リース、というやつだ。
壁に掛けてあるそのリースは、白いミモザと深い緑の葉と細い枝とレースのリボンで作られていた。
ショップカードには白いミモザとリボンが描かれていた。
あのリースもこの店のイメージなのかもしれない。
「ミモザだね、きっと。でも黄色じゃなくてやっぱり白なんだね。」
「なんで白なんだろ?ミモザさんが来たら訊いてみよ。」
「ちょっとややこしいなぁやっぱり、ミモザさんて呼ぶの…」
だからって名前を訊くのは失礼だろうか?大丈夫だろうか?
僕が悩んでいると、そこにミモザさんが出来上がった料理を運んできてくれた。
「おまちどうさま~。タコライスとリンゴジュースです。それからデザートの杏仁豆腐ね。」
古びたテーブルに置かれた"タコライス"というもの。
初めて見る料理だった。ひき肉とレタスとトマトとチーズとコーンと…なんだろう、黄色いフレーク状のものがまぶしかけられている。
色鮮やかで、スパイスっぽい良い香りがする料理。
僕とリトは色々訊ねたい事があった筈だったのに、美味しそうなゴハンに我慢できず…
「「いただきます!」」
と元気に食べ始めてしまった。
沢山乗った具の下からはご飯が出てきた。
丼というジャンルの一種なのか、それともカレーライスとかの仲間なのか…
タコライス、だもんな…じゃあ具の部分は"タコ"の部分?
タコ?ってなに?たこ焼きのタコ?でもタコは入ってない。
「美味しい!俺これめっちゃ好きー!たこ?らいす?タコってなに?」
リトも同じようなタイミングで不思議に思ったらしく、傍でにこにこ僕たちを見ていたミモザさんに話しかけた。
「タコスのタコかな?」
「タコス!…ってなに?」
「うーんと、タコスっていうのはねえ。…その上に乗ってるパリパリのがあるでしょ?トウモロコシの粉でできてるんだよ。それと同じような味の薄い生地に、このご飯に乗ってる具を巻いた食べ物だよ!」
思わぬ所で、この黄色いフレークの正体が明らかになった。
タコスというものの生地を表現しているらしい。
じゃあこれは…タコスをご飯に乗せた料理、って感じなのかな?
僕とリトが好きなものしか乗ってない。
味付けもスパイスが効いてて、けれど辛いとかではなくて、食べやすくて美味しい。
「凄く美味しいです、ミモザさん。あっ。」
美味しい料理に気が緩み、つい彼女を"ミモザさん"と呼んでしまった。
彼女はきょとんとすると、「えっ、私?ミモザさんて。」と、どこか照れくさそうにしてから「美味しく食べてもらって嬉しいよ~。」と笑顔を向けてくれた。
「ねえ、ミモザさんはホントはなんていう名前なの?」
僕がまごまごしていると、すかさずリトが彼女の名前を訊いた。
「あ、私?ルミです。嶋中留美。」
「ルミ!俺はリトラビア。」
「リトラビアっていうの?じゃあリトでいい?」
すぐに馴れ馴れしくしてしまうリトに肝を冷やす一方で…羨ましくも思う。
色々考えてしまって、そんなに真っ直ぐ無邪気に話せない。
「僕はアングレル、アンでいいです。」
ついでに僕も自己紹介すると、ルミさんは「よろしくね、アン。」と微笑んでくれた。
優しい声。
やっぱり声が女神様に似てる。
こんな風に名前を呼ばれる事なんて無かったけど。
女神様は僕と弟の名前を知らなかった。
最期まで。
あぁせめて名前を呼んでもらうぐらいの時間があったなら良かったな…
「大丈夫ー?お腹痛くなった?アン。」
ルミさんの声でハッとする。
僕はいつの間にか悲しい顔をしてしまっていたようだ。
「いやあの…半分、食べちゃったから!もう、半分食べてしまったなって!」
咄嗟の誤魔化しに、リトみたいな理由を言ってしまう。
「ええっ?あはは、そんなに気に入ってくれたの?また食べに来て?」
ルミさんの顔から心配が消え去り、笑顔になった。
そうか、いつも僕を笑わせてくれるリトは、こんな風な気持ちなのかもしれないな。
僕がしみじみしていると、正面に座っていたリトが大き目の声で言った。
「なぁー、おやつ注文していい?」
結局、僕とリトはおやつメニューから"2種類の蒸しパン"と、"タルトタタン風りんごホットケーキ"と、ほうじ茶を注文した。
15時をまわり、ミモザのおやつを目当てにお客さんが入り始めた。
近所の常連さんも、観光で近くを通った人も居るみたいだ。
土曜日しか開いてない小さなお店は、あっという間に満席になった。
それから、店をひとりで切り盛りするルミさんは大忙し。
話す暇はほとんどなかった。
「はい、今日の蒸しパンは"なずな"と"さつまいも"です!ホットケーキはキャラメル味がついてるからそのまま食べてね。」
それでも注文したメニューの事はしっかり説明してくれて、笑顔を向けてくれてから、厨房へ戻って行く。
きっと常連さんの中には、こんなルミさんに会いたくて来る人も居るのではないだろうか。
古いけどどこかホッとする店内。料理が美味しくて、店主の笑顔が素敵で。こんなお店が近くにあったなら、きっと通ってしまうなぁ。
「おいしいっ!」
大きな感動の声に驚いて見ると、リトは手にした蒸しパンをキラキラした目で見つめていた。
その蒸しパンは、もうほぼ半分かじられている…。
そんなに大きな蒸しパンではないにしろ…一口で半分いくとは…。
「そんなに美味しいと思うならゆっくり食べたらいいのに…あと声大きいよ、恥ずかしいじゃないか。」
「恥ずかしいの?みんなニコニコしてるけど。」
まわりのお客さんは、リトを見て「カワイイ~」とか言いながらクスクス笑っている。
「もう…黒江さんにも目立つなって言われてるだろ。注目されちゃダメだよ。」
「あっ、そうか…ごめん。」
リトは素直に謝ると、とても美味しいらしい蒸しパンを今度は小さくかじった。
とはいえ、すぐなくなりそうだ。
僕は内心慌てて付け加えた。
「それとリト、蒸しパン僕にも一口頂戴。」
なずなの蒸しパンもさつまいもの蒸しパンもとても美味しかった。リトが叫んでしまうのも少しわかる。
ふわふわもちもちしてて、ケーキとも違うし焼いたパンともまた違う食感だ。
食べ応えがあるけど、ほの甘くて素朴な味は、うっかりお腹の容量を超えて食べてしまいそう。
「アンのホットケーキ頂戴。」
口を開けて待つリト。
急いで切り分けて、その涎が垂れそうな口にりんごホットケーキを入れた。
まだ僕も食べてないのに。
ほんとに食いしん坊な弟だ。
モグモグと口を動かす弟。
みるみる"おいしい!"の表情になり、飲み込むと予想通りに「おいしい!」と叫んだ。
さっきよりは幾分ボリュームが抑えられているものの、大き目の声だ。
でももう仕方ないな、と僕も笑って、"おいしい!"りんごホットケーキを自分の口にも運ぶ。
タルトタタン風と書かれていたけど、これはきっとりんごのお菓子の事だ。
甘党の黒江さんが食べているのを前に見た事がある。甘く加熱された林檎がギッシリ乗ったタルトだったと思う。
ミモザの"タルトタタン風りんごホットケーキ"は、生地はしっかり目でモチモチ系。
キャラメル味のりんごがこれでもかと入っているホットケーキだった。
添えてあるホイップクリームをつけて食べても、美味しい。
ホットケーキが甘くて、ホイップクリームのほうが甘さ控えめだ。
一緒に食べると丁度良く、むしろクリーム付きの方が爽やかに感じる。
「アン、もう一口頂戴…」
とっくに蒸しパンを食べ終わってしまったリトが、じっと見つめてくる。
リトの一口は大きいから、これはもう半分以上は持っていかれるなぁと覚悟してお皿ごと渡してあげた。
「ちょっとは残してくれよ?」
「うん!」
数分後、本当にちょっとだけ残して、リトはホットケーキの皿を返してくれた。
僕が二口もらっただけじゃないか、これ…
呆れながらも、満足そうな弟の顔を前に何も言えない。
ああ本当に。
弟って可愛いもんですよね、黒江さん…。
店内も少し空いてきた頃。
もう16時半をまわっている。
おやつを食べ終わりお茶も飲み終わって、いい加減僕らは帰る事にした。
ルミさんともっと話をしたいのが本音だけど、あまりお店に長居し過ぎもよくないだろう。
「すいません、お会計を…」
厨房に声を掛けると、ルミさんはすぐ出て来てくれた。
「ごめんねえ、忙しくってあんまりお構いできなかったよ。」
「いえ、こちらこそ急に押し掛けて長居しちゃって…。料理凄く美味しかったです、ルミさん。」
「また来るね、ルミちゃん。」
僕に続いてリトが挨拶したが、その言葉は更に馴れ馴れしく…
「ちょっとリト…ちゃん、て…失礼だろそんな」
「だって可愛い人は"ちゃん"ってつけて呼ぶって言ってたよ。ミヤビが。」
「ちょっと照れるけど、いいよお。その呼び方でも。」
ルミさんはフフッと笑って許してくれた。
支払いを済ませると、扉を開けてルミさんが見送ってくれた。
「いっぱい食べてくれてありがとうね。」
別れが寂しいのか、少ししょんぼりした様子のリトが、ハッと何かに気付いたように顔を上げた。
「あ、ねえ。ミモザ!」
「ミモザ?」
「ここのミモザはなんで白いの?」
そうだ、そういえば訊こうと思ってたんだった。
「あぁ普通は黄色だもんね?このお店のミモザが白いミモザなのはね、花言葉に由来してなんだ。」
「「花言葉?」」
「うん、花言葉。知らないかな?お花にはそれぞれ意味のある言葉が付けられてたりするの。有名なのは赤い薔薇を恋人に贈って"あなたを愛しています"とか。でもね、黄色い薔薇は"友愛"つまり友達への好意を表したりするの。」
「同じ花でも色によって意味が違ったりするんですね?」
「そうなの。それで白いミモザは"頼られる人"って意味があってね。私、そういう人になりたいなって思って。」
そう言うと、ルミさんは両手の拳を握りしめた。
「私が守ってあげたいの。大切な人を…」
少し切なそうな表情になったルミさんに、リトがまた無邪気に無神経な問いを振る。
「ルミさんには大切な人が居るんだ?」
「えっ?いやいや、違うよ?そんな風に思える人ができたら嬉しいけどね!」
若干慌てて、ルミさんは両手を胸の前で振った。
正直少しドキッとした。
だけど…
大切な人…今この人に大切な人が居たとしても、それは何も変じゃないし…
むしろ当たり前の事に思える。
リトの言うようにルミさんは可愛いけれど、僕らよりは年上に見える。
僕たちよりも、長くこの世界で生きているんだ。
女神様よりも長く生きて、ルミさんはルミさんの人生を送ってきたんだ。
わかってはいるけど。
少し落ち込みそうになったが踏みとどまり、リトの袖を引っ張った。
「すいません、弟が変な事言って。ほら、帰るぞ。」
「いえいえ!気にしないで!私も変な風に言っちゃった。」
ルミさんは照れ笑いをすると、「また来てね!」と改めて手を振って見送ってくれた。
リトも「ありがと!またね!」と手を振り返し、僕らはミモザを後にした。
夕暮れの道をバス停に向かって歩く。
「ルミちゃんやっぱり、いい人だったな。」
「うん。そうだね。」
「アンはさぁ…ルミちゃんの事好き?」
「え?」
唐突な問いかけに、僕は思わず立ち止まった。
リトも一歩先で立ち止まり、僕を振り返って来る。
「ルミちゃんの事、…女神様の事も、アンはどう思ってた?」
「急に聞かれても、わかんないよ。リトは答えられるのか?」
「わかんないから訊いてみたんだよ。アンは俺より頭が良いから…」
リトは口を尖らせた。
僕はリトの方が頭が良いと思ってる。
頭が良い、というか…感情についてよくわかっている気がしている。
僕はひとつの感情にいっぱい理由や付属品を付けて、もう元がどんな感情だったかわからなくなってしまうんだ。
だから、リトに「そうでもないよ。」と素っ気なく返し、また歩き出した。
「何、怒った?」
「怒ってないよ、けど僕は頭が良くなんかないんだから。」
「ええ?そんな事無いよ、アンの方が俺よりずっと難しい本を読むし…料理も上手だ、それに…」
「そんなに褒めてもわからないものはわかりません。」
早歩きをする僕、慌てて付いてくる弟。
同じである事を強いられて生きてきた僕たちだったけど、今確かに違う者として生きている。
この世界で。
リトとアンとして。
僕は僕。リトはリトだ。
もうアングレルとリトラビアでさえないのかもしれない。
僕たちは、姿はそのままだけど…
生まれ変わろうとしているのかもしれない…。