おひさまのひなあられとちらし寿司
3月3日。ひな祭り。
女の子の健やかな成長を祈ってお祝いする日なんだと、レイさんが教えてくれた。
1年前はまだこの世界に来て間もなかったから、覚えて無いけど…オーナーが俺達にひな祭りに食べるお菓子の"ひなあられ"をくれたらしい。
今日、女神様の"生まれ変わり"の人に会える。
会える、というか…見れる、と言ったらいいんだろうか…。
未だにどうしたらいいのかわからない。
兄弟で何度も話し合ったけど、答えが出ない。
気持ちは会いたい。けど、もしも一目会っただけで辛い記憶まで引き出してしまったなら、僕らはきっと後悔するんじゃないだろうか。
でも会いたい。
でも怖い。
堂々巡りの会議は、結局今日の今日まで、取り敢えず女神様の居る"おひさまおひなさまマーケット"というイベントが開催される場所まで行くということしか決まらなかった。
黒江さんとレイさんにも相談した。ふたりは、『会場までは付いていくよ。だけど、会うかどうかはその時に君たちが決めて。』『何があっても協力するし、俺はお前らの味方をするよ!』と言ってくれた。
オーナーは『私は会うのに賛成。我慢して生きてたから死にきれんかったんやろ?』と僕とリトの背中を強めに叩いた。
そういえば、新城さんの言う説に当て嵌めると、レイさんは"おにいちゃん"の生まれ変わりって事になるのかな…。
レティシアナティシアのふたりが、べったりくっついていても、レイさんにおにいちゃんの記憶は戻っていないみたいだ。一瞬、レイさんの中の"おにいちゃん"が顔を出したみたいだけど…。
もし、そのぐらいで済むならいいのに。
一瞬女神様に会えたら…
いや、どうだろう、そんなことになったら余計に僕は寂しくなるんだろうか?
あのふたりみたいに…
朝8時、僕らはTwinkleMagicでレイさんのモーニングを食べていた。
今日はオーナーも居るから、"オーナーの気まぐれモーニング"だ。
ツナサラダがギッシリ詰まった塩バターパン。
それとコーンスープ。
緊張して、最初は喉を通らなかった。
一口食べては休憩して…を繰り返していたら、隣に居たリトが「なぁアン、双子ごっこしようよ。」と話しかけて来た。
双子ごっこ、とは。僕と弟が小さい頃にやっていた遊びのひとつで、向かい合わせになって同じ動きをするという単純な遊びだ。
僕がやるともやらないとも言わないうちに、「いくよ?」とリトは勝手に双子ごっこを始めた。
リトはおかわりした2個目の塩バターパンを掴むと、大きな口でモグッと食べた。
口をもぐもぐさせながら、"早く真似しろー"と目で言ってくる。
笑ってしまった。
要は僕に元気に朝ゴハンを食べて欲しかったみたいだ。
「あはっ、仲良しだなぁ。」僕らの様子を見ていた黒江さんも笑う。
レイさんもオーナーも、にこにこしてリトの"ひとり双子ごっこ"を眺めていた。
パンを飲み込むと、「いや、やれよ!」とリトが文句を言う。
「えぇーやんの?」と返しはしたけど、僕はリトの真似をしてやる。
僕が元気にパンを頬張ると、弟は満足そうな笑顔になった。
そこに裏口が開く音。
その場に居た全員が驚いた。今日集まる予定になっていた全員がもう店のテーブルについていたからだ。
「レイちゃーん!ごはん!!」
「お腹空いたよおー!」
ふたり分の騒がしい声。
奥から現れたのは、レティシアとナティシアだった。
「おまっ…なんで今日帰ってくんだよ!」
「なによ!帰ってこなきゃよかったっていうのー?」
「ああっ、リトちゃんアンちゃん、パフェぶりだねえー」
店の中が一気に騒がしくなる。
「これは…今日はレイはお留守番コースだなー。」と、黒江さんが呟く。
僕もそう思った。
確かにレイさんが来てくれたら心強いけど、このふたりが久し振りに帰って来たっていうのに、引き離せない。
色々知ってしまった今なら尚更。
それに今日は"ひな祭り"だ。
「レイさん、今日はひな祭りだよ。」
リトが僕が言いたかった事を先に言った。
「女の子の成長を祈ってお祝いする日なんだから、ふたりのお祝いしなくちゃ!」
「ええっ?でも今日は俺…」
「今日はレイは私と、レティとナティと、ひな祭りパーティーやるやんな?」
オーナーが若干の圧をかけてレイさんに微笑む。
3人の女子に囲まれて、レイさんは「やらせていただきます…」と降参したのだった。
それから少し、双子同士で話をして。
女神様の生まれ変わりに会いに行く事を報告した。
彼女たちは少しだけ切ないような微妙な表情になって…それから、「帰ったら一緒にパーティーしようね!」と笑顔で言って、励ましてくれた。
僕とリトは、彼女らみたいに笑えるようになるだろうか。
もし今日、泣いたとしても…
結局、一緒に行く予定だったレイさんは店に残して、黒江さんとリトと僕で出発した。
行先は電車で1時間程。いつも遊びに行く範囲の倍はかかる。
長時間電車に乗っているせいか、クラクラした。
目的地の最寄り駅に降りた時は、ホッとした。
そこからしばらく歩く。
まだ風が吹くと寒いけど、陽射しは暖かい。
この世界、日本には四季というものがあって、春夏秋冬の今は春なんだそうだ。
始まりの季節だってレイさんが言ってた。
今頃TwinkleMagicで、あっちの双子とレイさんは仲良く過ごせてるだろうか?
レイさんに記憶が無くたって、3人は仲の良い兄妹に見えた。
僕らも、ああいう風になれたらいいのに。
もう僕らの事を思い出さなくってもいいから…
新しく仲良くなれたら、それでもきっと僕らは凄く幸せだと思うんだ。
「あの公園だね、マーケットがやってる会場。」
黒江さんが指差した先には、広い公園。
まだマーケットは少し奥だけど、もう遠目に屋台のような店がいくつも見える。
新城さんのくれたメモを確認する。"入り口から3番目の店"。
もうマーケットの入り口に立ってしまえば、女神様が居る店が見えてしまうかもしれない。
立ち止まり弟の方を見ると、目が合った。
リトも同時にこっちを見たのだ。
「取り敢えず声はかけない、店の前を通り過ぎながら…女神様が居るか確認しよう。」
「わかった。あくまでも自然に。怪しくないようにしよう。」
よしっ、と確認するようにふたりで頷く。
もう女神様は女神様の姿ではない。だってこんな晴れた空の下で、お店なんてやれるんだ。
今の女神様のことを僕らは何も知らない。
今更だけど、それなのに彼女だとわかるだろうか?少し不安だ。
「ここで僕は待ってるよ。」
入り口の所で黒江さんは立ち止まった。
「まずふたりで行っておいで?ここからでも君たちは見えるし。何かあったらすぐ飛んでいくからね。」
少し離れて見守ってくれるようだ。
リトとふたりきりだったら、もっともっと不安になっていたかもしれない。
僕らの事を本当に心配してくれる、僕らの味方。
そんな人が居ると思うだけで、なんて心強いんだろう。
僕らは顔を見合わせて頷いた。
もう一度新城さんのメモを確認する。入り口から3番目、右の列に印が付けてある。
ここから見ても、人影は確認出来ない。
小さな仕切りがあるから、その向こうに居ないとも限らないけど。
取り敢えず前の道をさりげなく歩きながら通り過ぎてみることにした。
自然に、マーケットを楽しみに来たお客さんみたいに…
思う程に怪しい動きになってしまうのはなんでなんだろ。
ぎこちなく、1店舗目、2店舗目の店を眺めながら歩く。
1店舗目は花を使った小物や装飾品、2店舗目は食べ物とは思えないような綺麗なお菓子。
3店舗目は…
息を止めてしまう程緊張しながら、店の商品から目に入れる。
食べ物、だ。
ご飯に色んなものが乗ってる、それがパックに詰められて並べられている。
それと緑ピンク白の粒が袋に詰まったものもある。あぁ思い出した、コレだ!
オーナーが僕たちにくれたひな祭りのお菓子。"ひなあられ"だ。
「居ないな、戻る?」
リトが小声で僕に話しかける。
ハッとして視線を上げる。
店には誰も居なかった。
ホッとしたような残念なような。
「あぁ、うん、もう少し先の店も見てから戻ろうか?すぐ戻ったら怪しいだろ…」
僕も小声でリトに返す。
「それもそうか。」とリトが頷いた。
「ところでさ、リト。このお菓子なんだけどさ…覚えてる?オーナーが1年前に僕らにくれたの。」
ひなあられの事を覚えてるか聞こうと思って、袋をひとつ手にとってリトに見せる。
「えー、覚えてないなー。あったっけそんな事…」
リトがじーっとひなあられを見詰める。
「そうだよ、リトなんか手のひらいっぱいに貰ってたよ?」
「そうだっけ。ポップコーンの時じゃなくて?」
「いやコレだったって。」
そういえばポップコーンを初めて食べた時も、オーナーに両手いっぱいに貰ってたな…
リトはこの世界に来た当初は、かなり精神的に不安定ではあったけど。
今と変わらずよく食べた。
食べてる途中に泣き出したりもしてたけど。
今は美味しいものを食べたら笑ってくれるようになって、本当に良かった。
リトと話すのに夢中になっていると、唐突に隣から「それね、手作りなんですよ~。」と、女性の声。
驚いて振り向くと、女性がこちらを覗き込んでいた。
「ひなあられ、私が作ったんです。すいませんちょっと飲み物買いに行ってまして…」
その女性は商品の並んだテーブルの向こう側に入って行った。
つまり、この人が…
背は女神様と同じぐらい。でも黒髪で、肌も白くはない。おそらくこの国で産まれて、生きてきたんだろうと思う。彼女は鳶色の目で、こちらを見ている。
うっかりひなあられの話に夢中になって、女神様に会ってしまうなんて。
予期せぬ事態に、僕とリトは動揺した。
互いに互いの顔を見て、どうする!?と伺い合う。
「そっちのちらし寿司も手作りですよ。自信作です!」
彼女は気にせず話しかけてくる。
僕は手にひなあられを持ったままだった事に気付いた。
「あ、あの。コレと、そのちらし寿司もください。」
取り敢えず買い物をしてしまって、一度黒江さんの所に戻ろう。
そう思って勧められたままにちらし寿司も購入する事にする。
「ありがとうございます!800円です!あっ、お箸いりますか?ふたつ、かな?…ひなあられも一緒に袋に入れましょうか?」
彼女は手際よくちらし寿司のパックを袋に詰め、割り箸を入れ、僕が手に持っていたひなあられに手を差し出した。
「あぁ、じゃあこれも…」
「はーい」
ひなあられを渡す瞬間、少しだけ指先が彼女の手に触れた。
途端に酷い眩暈に襲われる。
思わずよろめいた所を、隣に居たリトが支えてくれる。
「大丈夫か?」
「大丈夫ですか?!」
ふたりが心配してくれる。
指が触れたら眩暈が、なんて言うわけにはいかない。
「あぁ、うん、乗り物酔いかもしれない…大丈夫だよ。」
「そうだな、今日遠くから来たもんな!昨日夜更かししたし。」
リトがそれとなく話を合わせてくれる。
「そうだったんですか…あっちに休憩スペースがあるので休んで行ってくださいね。」
彼女はまだ心配そうな顔をしていたけど、取り敢えず支払いを済ませ、その場を離れた。
店から少し離れると、黒江さんが駆け寄ってきてくれる。
「もう…アンの方が引っ張られちゃうとはね…」
溜め息をつきつつも、ペットボトルの水を差しだしてくれる。
「引っ張られたってどういう事?」
「女神様が会ったら思い出してショックを受けるかもって言ってたでしょ。アンの方にそれが起きたってことだよ。」
僕は何か思い出したわけじゃないけど、体がショックを受けたのかもしれない。
新城さんが言ってた、"肉体的フラッシュバック"のような。
「ごめん、絶対変に思われたよね…」
女神様に何事も無くて本当に良かったけど…
取り敢えず、彼女が言っていた"休憩スペース"に3人で向かう事にした。
休憩スペースにはテーブルと椅子がいくつか出ていて、ここで飲食も出来るようになっていた。
青空の下でゴハンを食べるのは気持ちよさそうだ。
水を飲みながら少し座っていると、眩暈は大分良くなった。
「はぁ…もう大丈夫そうだ。」
「良かったよ…ふたりが女神様と話し始めた辺りからもう心配で心配で…」
「あはは、女神様いいひとだったよ!」
リトが明るく笑って言う。
黒江さんの心配を拭いたい一心なのだろうか。
リトもかなり動揺していた筈だ。
それなのに、僕を支えて、連れ帰ってくれた。
頼もしい弟だ。
「それで、何を買ってきたの?」
黒江さんはテーブルに置いた袋に注目した。
「そうだ、黒江さんも一緒に食べようよ!」
食いしん坊の弟は早速中身をテーブルに並べた。
ひなあられと、ちらし寿司。
「手作りって言ってたよな?あの人が作ったって。」
「へぇー、ひなあられってどうやって作るんだろ…」
黒江さんは透明な袋に入ったひなあられをじっと眺めた。
確かに、なにをどうしたらひなあられになるのか、僕には予想も出来ない。
以前オーナーにもらったのより、粒が少し大きめかもしれない。
色も少し濃い目かな?
「まだお昼ご飯には早いけど…朝オヤツだね?」
その黒江さんの言葉に、リトは目を輝かせる。
「朝オヤツ!そういうのがあるの?」
「うん、…そういう習慣がある所もあるね。リトは代謝良さそうだから朝オヤツしても問題無さそう…。」
「黒江さんは問題があるんですか?」
「…うー…あるかもしれない…やめやめ、こんな話はっ。」
黒江さんが話を変えたそうだったから、僕も「取り敢えず食べよ!」と割り箸をリトに渡した。
「そっかぁ…これ…女神様の手作り…」
リトがちらし寿司をじっと見つめて、なんだか大事そうに食べる。
いつもみたいに勢いよくではなく。
女神様は女神様だったので当然ながら生活の一切を世話係に任せていた。
というか僕らも料理なんてしなかった。
神殿には神殿の調理をする係が居たし、僕たち自身も食べ物にそこまで興味があるわけでもなかった。
そりゃ若干の好みはあったけど、そもそも選択肢が多いわけではなかったから。
生まれ変わったということは、女神様であっても女神様ではない。
だけど、新城さんの描いてくれたあの図に当て嵌めたら…女神様の延長線上にあの女性が居ると考えることもできる。
料理なんか一切する事の無かった彼女が、生まれ変わって、太陽の下で自分が調理した食べ物を売っている。
しかも、楽しそうだった。『自信作です!』って言ってたな。料理が好きなんだきっと。
その彼女の自信作を、僕も食べてみる事にする。
「リト、一口頂戴。」
「んっ、勿論!はい。」
リトが箸でちらし寿司を掬って差し出してくれる。
「当然のようにあーんするとか…」
僕がリトに食べさせてもらっていると、黒江さんがフフッと笑った。
それに対してリトが「黒江さんだってしてくれたじゃん!俺がすっごい具合悪くなった時…」と返す。
「そういえばそんな事もあったねぇ…」
「それに女神様にはよくしてたよ。」
「それで寝るまでお世話とか、でしょ?なんていうか…ほぼ育児だね…?」
ふたりの会話を聞きながら、初めての女神様手作りの料理を食べる。
寿司は食べた事があるけど"ちらし寿司"は初めてだな。
ご飯は酢飯、細く切られた玉子が敷かれて、その上に乗っているのは、海老とレンコンと枝豆と…ニンジンは可愛らしい花の形にしてある。
なんだかほんのり甘くて優しい味がする。
僕の気持ちのせいかもしれないけど、とっても美味しい。
「美味しいね、女神様の作った料理…」僕が呟くと、リトが「な!美味しいな!」と同意を示す。
「僕はひなあられが食べてみたいな。」と黒江さんが言うので、今度は僕がひなあられの袋を開けて「はい、どうぞ。」と黒江さんに差し出した。
「ふふっ、僕にはあーんしてくれないの?」
「して欲しかったですか。」
「あはは、冗談だよ!」黒江さんは笑って、それからピンク色のひなあられを一粒口に入れた。
「んっ?これ苺の味がする。」
「苺の味?珍しいんですか?」
「ひなあられって、普通は色が付けてあるだけで、お砂糖の味しかしないけど…これ色を付けるのに苺パウダーとかが使われてるのかなぁ。」
「苺!美味しそう!」
リトはフルーツが大好きだ。黒江さんの話を聞いて、ひなあられに手を伸ばす。
ピンク色のひなあられを一粒食べ、「ほんとだ!」と目をキラキラさせる。
緑色のはなんの味がするんだろ…?
僕は緑色のひなあられを食べてみる事にする。
ひなあられは口に入れるとサクッと砕けたあと、甘く溶けていった。
そして少しのほろ苦さとお茶の香り。
「これは…お茶の味?あ、抹茶。」
去年の秋頃だったか、レイさんとリトと"和カフェ"というものに行った時を思い出した。
そこでみんなで食べたケーキやパフェが全部そろって"抹茶味"だったのだ。
レイさんは普段そんなに甘いもの食べないけど、抹茶味のアイスクリームは大好きって言ってたのが印象的だった。
「白いのは…お砂糖とお米の味…だけど甘さが優しいねぇ。きっとお砂糖にもこだわってるんだろうなぁ。」黒江さんがうんうん頷いて味わっている。
どの色も美味しい。
3人で次は何色、次は…って食べてたらあっと言う間に無くなってしまった。
「大変、無くなっちゃったよ…。」
リトが絶望の表情になる。
食べれば無くなるのは当たり前なんだけど。
僕もなんか寂しい。
ちらし寿司を再び大事そうに食べだしたリトを眺めつつ、黒江さんが声を掛けてくれる。
「ね、それ食べ終わったら…お土産の分も欲しいし、買いに行かない?3人で。」
その提案に、僕もリトも「行く!」と頷いた。
陽射しが暖かくなってきた。
今度は3人で、彼女の店に向かう。
そろそろお昼で、マーケットも先程より賑わいを見せている。
今度は黒江さんが一緒に居るせいか、あまり緊張はしていなかった。
傍まで行くと、すぐに彼女はこちらに気付いて手を振ってくれた。
「先程はどうもすいませんでした。」僕がぺこりと頭を下げると、彼女は「もう大丈夫なの?無理しちゃだめだよ?」と心配してくれた。
「ひなあられ買いに来たんだけど…もう、ない?」
リトが不安げに彼女に問う。
テーブルを見ると、さっきまでたくさんあったひなあられが1袋しかなくなっている。
「あっ、ありますよ!ちょっと待ってね。」
彼女は店の端に置いた箱から、ひなあられをたくさん取り出して並べてくれた。
それを見たリトの顔が輝く。
「よかった!すっごい美味しかったから、いっぱい欲しくて!」
「えぇ、ホントに?嬉しい~。」彼女はリトの言葉に嬉しそうに笑った。
もしかしたら、女神様と声が似てるかもしれない。
喋り方が全然違うけど。
音色が似てる気がする。
もし女神様が嬉しそうに笑ってくれたなら…。
きっと、こんな声だったかもしれない。
「みんな分で、多めに見積もって5袋でいいかな…?」
ひとつで両手2杯分は入っているひなあられだ。
黒江さんの計算は正しい、と思ったけど…
「えっ、俺ひとりで2袋食べるよ?」
と、すかさずリトが言う。
慌てて僕も、「えぇっ、ひとりで?じゃあ僕も1袋欲しいな。」と、ひなあられをひとつ確保する。
「えー…うーん、レティとナティも居るしなぁ…じゃあ、8袋ください…。」
黒江さんは苦笑いして、彼女に注文する。
僕らは、たった今並べてくれたひなあられを全て買い占めてしまったのだった。
万が一を考えて、彼女に触らないように、今度は黒江さんがやりとりしてくれた。
ひなあられがたくさん詰まった大きな袋を彼女が渡してくれる。
もう少し話をしたいけど…
お店の邪魔も出来ないし、何を話しかけていいのかわからない。
そこに黒江さんが「普段はどこかでお店やってるんですか?」と、彼女に話しかけてくれた。
「あっ、さっきショップカード渡すの忘れちゃいましたね!土曜日だけなんですけど、ゴハンのお店やってて…」
彼女が小さなカードを人数分くれる。
それぞれに渡してくれるものだから、僕はとても慎重に受け取った。
少し怪しかったかな…手が震えてたかもしれない。
「へぇー、可愛いカードですね。これも手作りですか?」
「えへへっ、これは友達に頼みました!」
「ふふ、そうでしたか。実は僕らも飲食業でして…カフェをやってるんです。」
「えーっ!そうなんですか!」
「少し遠いですが…何かこちらの方へ来る用事があったら是非寄ってください。」
とても自然な流れで、黒江さんはTwinkleMagicのショップカードを彼女に手渡した。
僕とリトはふたりの会話を呆然と見つめた。
この会話術、見習いたい…。
「それじゃあ、ありがとうございました。行こっか?」
黒江さんに声を掛けられてハッとする。
僕も親切に対応してくれた彼女にもう一度頭を下げて「ありがとうございました。」と挨拶した。
リトも僕に合わせてぺこっと頭を下げ、顔を上げると彼女に「ゴハン食べに行くから!」と笑顔を向けた。
「ふふっ、お待ちしてます!ありがとうございました!」
彼女は両手を振って僕らを見送ってくれた。
僕とリトは何度か振り返りながら、マーケットを後にした。
帰りの電車で彼女にもらったショップカードを眺める。
花とリボンの絵で飾られたカード。店の名前は"ミモザ"と書いてある。
彼女自身の名前はまだ知らないし、ほんの少し話しただけだ。
あの人を僕らの捜していた人と思えるのか、思えないのか。
まだわからない。
だけど、女神様の延長線上…女神様の未来が、あの女性だとしたら…
僕は、そうだったらいいなと思った。
好きな料理を作って、お店をやってて。
この広い世界の、明るい空の下で、あんなに楽しそうに笑って。
もう自由なんだね。
涙が、一粒落ちた。
慌てて袖で目を擦って拭う。
黒江さんは外を見てて気付かなかったけど、リトは僕の様子に気付いて心配そうな顔をした。
"大丈夫だよ"
ふたりにしかわからない暗号で、リトに伝える。
リトは頷いたけど、横に寄って来て僕に肩をくっつけた。
そんな事されたら、逆に寂しくなるじゃないか。
帰ったらTwinkleMagicの皆でひな祭りパーティーだ。
ひなあられ、きっと皆気に入るだろうなぁ。
レイさんはご馳走作ったのかな?女子3人に囲まれて大変だっただろうなぁ。
商店街のアイスクリーム屋さんで、抹茶アイス買って帰ろうかな。
あの人の帰る場所は、どんなところなんだろう。
どうか、優しい場所でありますように。