7 回廊にて
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
ヘンリー・マクスウェル:イーリンの父、公爵
ソフィア・マクスウェル:イーリンの母、公爵夫人
マリア・マクスウェル:イーリンの姉、隣国貴族と婚姻予定
クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り
アンナ:イーリン付きの侍女
リリー・ストラスタ:イーリンの友人、侯爵令嬢、第二王子ルイスの婚約者
ルイーゼ・ボンベルグ:イーリンの友人、辺境伯令嬢、実はイーリンの従妹
ファン:クリスの従者、ヴィルターが紹介
風の冷たいある日、イーリンは城壁の回廊を歩いていた。
「お嬢様、あんまり寒くなったら戻りますよ。」
アンナが声をかける。アンナは、イーリンが領地に戻る際に、王都から一緒についてきてくれた。
「はあい。でも、もう少し歩くわ。」
イーリンは時々、体力をつけるために城のあちらこちらを歩いていた。
マクスウェル城は数代前の先祖が建てたもので、石造りの堅牢な城である。戦争の多かった時代を反映するように、小高い丘の上に立ち、見張り塔をつなぐ高い城壁は、兵士が配置されるための回廊をぐるりと有していた。
回廊は、大人が3人くらい横に並べるほどの幅があった。外側に面した壁は、大人が軽く屈めば隠れられるくらいの高さまで伸び、内側にはしっかりした石造りの塀が巡らせてあるため、歩いていても危なっかしさはなかった。
(あら、あれは……。)
イーリンは、回廊の先にある見張り塔の手前に、人影があるのを見つけた。その人は内塀に少し身体をもたれさせ、外のほうを眺めているようだった。
外壁には、弓で敵を攻撃するための狭間がいくつも設けてあった。そこから吹き込む風に、黒髪がそよいでいるのがはっきり見えたとき、その人がこちらに向き直り、話しかけてきた。
「やあ、イーリン様ではないですか。お散歩ですか。」
きゅっと目を細めて笑い、挨拶してくれたのはファンだった。ファンは、アンナにも「お疲れ様です」と頭を下げた。
「そうです。ファン様もですか?」
「はい。今日は風が冷たいですが、気持ちよく晴れましたからね。少し休憩です。」
ファンの顔は、ニコニコと笑っている。
ファンは意外と人懐っこく、城の人間によく話しかけていた。クリスの従者という身分とはいえ、隣国の公爵ヴィクターの紹介であるため、半分客人のような扱いを受けていた。
「ああ、お散歩の邪魔をいたしましたね。どうぞお通りください。」
そうして、ファンは内側の塀の方にさらに寄り、道を空けてくれた。礼を言って通ろうとするとき、壁の狭間から外の景色が見えた。
「あ、森……。」
マクスウェル領の南には、ハーフェンとの国境にかけて、広大な針葉樹の森林を持つ山地が広がっている。野犬や狼などが出るため、イーリンたちが実際に近づくことはないのだが、城の上から見る森は、姉や兄たちと一緒に見た、懐かしい風景であった。
きゅんと胸が痛んで、涙ぐんでしまいそうになり、イーリンは立ち止まった。まだ気持ちに不安定なところがあるため、イーリンは時々こういった状態になることがあった。
様子に気づいたアンナが、イーリンのそばに寄り、ハンカチを差し出した。
ファンはイーリンの様子を見て驚き、
「何か、失礼をいたしましたか。」と焦っていた。
イーリンは涙を拭くと、ファンの方を向いて言った。
「申し訳ありません、ファン様は何も悪くありません。ただ、森を見て感傷的になってしまって。」
「森を……ですか。」
「小さい頃は、よく姉や兄とここを歩いたものです。でも私、いずれ王都に戻るものですから。もうすぐこの景色も見納めなのですわ。」
「なるほど。」
自分で言って、イーリンはまた泣きそうになってしまった。
これから待つ困難に立ち向かわなければいけないのに。そのために、こうやって体力づくりもしているのに。
涙をこらえていると、ファンの低い、穏やかな声が聞こえた。
「愛する故郷があるのはいいことです。遠く離れても、それは心に残ります。」
「心に……。」
そう言って、ファンは森の向こうに視線をやった。会話するには問題はないが、ファンの言葉にはややぎこちないところと、独特の訛りがあった。
(ファン様は、遠い国から来られたのかしら。)
イーリンは、朴訥な印象を覚えるその喋り方が、嫌ではなかった。ファンはイーリンの方に向き直り、にこやかに笑って言った。
「風が強くなりました。もう、戻った方がいいようです。私も休憩を終わります。」
「はい。」
「そうですね。そろそろ戻りましょう、イーリン様。ファン様、失礼いたします。」
イーリンはファンと別れ、アンナに促されて慌てて部屋まで戻った。その頃には、回廊では情けなくて泣きそうだったのに、いつのまにか、その気持ちがすっかり消えてしまっているのに気づいた。
少し寒さが緩み、水に氷が張らなくなった頃、王都から手紙が立て続けに届いた。
リリーとルイーゼは、これまでにも何度かお見舞いの手紙を送ってくれていた。いつもはイーリンの体調を気遣う内容だったのだが、今回は少し趣きが異なっていた。
『花の命は短いですわ。ぜひ、枯れる前にうちの庭園を見にいらしてね。』
『気持ちのいい季節はすぐに終わってしまいます。できるだけ早くイーリン様と一緒に、王都で馬に乗りたいですわ。』
「これは……。」
イーリンは息を呑んだ。2人ともが、王都に急いで戻れと言っている。イーリンは、母親に手紙を見せて相談した。
「王都で、何か良くないことが起きているのでしょうか。」
ソフィアは眉根を寄せ、少しの間考えていたが、
「まずはお父様に、王都がどういう状態か聞いてみましょう。」
と、すぐに早馬を出した。
数日経つと、ヘンリー自身が戻ってきた。
ヘンリーの顔色は悪かったが、自分の部屋に家族を集めると、すぐに話を始めた。
「ここ最近、王都で何件か人死にがあったんだ。」
「まあ……。」
「少年や少女が行方不明になったあと、街中で無惨な状態で見つかった。」
生きながら血を抜かれたり、全身を鞭や刃物で痛めつけられたりされていたという話だった。
イーリンは聞いていて気分が悪くなったが、何とか我慢し、父親の話に耳を傾けていた。
「もちろん、国王も衛兵を出して、犯人の捜査に当たらせた。その結果、ある少年の遺体を棄てようとしていた男が捕まった。当然、取り調べが行われた。」
そこまで言うと、ヘンリーはぎりぎりと歯噛みし、両のこぶしを握りしめた。
「その際、そやつが、信じられないことに……、イーリンの名前を出したのだ。イーリン・マクスウェルに命令されてやったと!」
父親の言葉にあまりに驚き、イーリンは心臓がとまりそうだった。マリアやクリスも、あんぐりと口を開けている。ソフィアは、隣に座っているイーリンをばっと抱きしめた。
「わ、わたし、そんなことしていません。どうして……。」
「当たり前よ、イーリン。だいたいこの子はずっと領地にいたのよ。どうしてそんなことをする必要があるの。」
イーリンは母親に身を寄せ、震えている。マリアやクリスも、口々にそんなわけはないと言った。
「すまない、嫌なことを聞かせたね、イーリン。お前がそんなことをする子じゃないのは分かっている。捕まった男が、こんなくだらない嘘をついた理由は分からない。」
そこまで言うと、ヘンリーは少し言いよどんだ。
イーリンは胸がどきりとした。これから聞くことが、いい話だとは思えなかった。
「ただ……、これだけなら、手の込んだ嫌がらせと片付けてもいいんだが……。」
それに加えて、王都には不穏な噂が流れていた。
──イーリンが、魔女だと。
お読みいただいてありがとうございます。魔女の話が出てきて、ちょっと不穏になってまいりました。次回もファンが出てきます。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




