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魔女と呼ばれた令嬢  作者: 梨花むす
第一章
3/77

3 薔薇の唇

イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢

アンナ:イーリン付きの侍女

ピーター:マクスウェル家の庭師

アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの婚約者

キャサリン・パー:男爵令嬢

リーデン伯爵:キャサリンの後見

リリー・ストラスタ:イーリンの友人、公爵令嬢、第二王子婚約者

ルイーゼ・ボンベルグ:イーリンの友人、辺境伯令嬢、実はイーリンの従妹

 キャサリン・パー男爵令嬢は、豊かな黒髪に黒い瞳が特徴の、美しい少女だった。元々の唇の色が濃いらしく、どんな口紅をつけても赤さが目立っていたが、唇そのものの形は薄いため、全体的には品よくまとまっていた。


 彼女をアーサー王太子に引き合わせたのは、キャサリンの父親であるパー男爵ではなく、有力貴族の一人、リーデン伯爵だった。


 ある日、連れ立って王宮の庭園を散策していたアーサーとイーリンは、初夏の頃、薔薇園の前で一人の少女を見つけた。

 少女は2人に気づくと微笑み、丁寧にお辞儀をした。


「御前に、失礼をいたしました。」


 少しかすれた、少女にしては低い声だった。その声が零れる唇は、そばで咲き誇る赤い薔薇の花弁が、まるでそのまま顔に貼りついたかのようだった。イーリンが隣のアーサーの様子をそっと窺うと、目を引く容姿をした彼女に興味を持ったのが、すぐ分かった。


 よい頃合いと見たのか、どこからともなくリーデン伯爵が現れ、キャサリンを紹介した。


「彼女はパー男爵家のキャサリン嬢です。年齢は、王太子殿下の一つ下になりますかな。とても優秀な子で、面白い話ができます。きっと殿下のお気に召すかと。また、日を改めて殿下にご挨拶させます。」


 そう言って二人で礼をすると、リーデン伯爵はキャサリンのほっそりとした白い手を取り、王宮の方へと歩き出した。キャサリンは少し歩くと、その手をそっと外し、伯爵の腕にするりと絡めた。そのまま2人は歩いていったのだが、それを見ていると、伯爵がエスコートするというよりは、キャサリンの方が伯爵を連れて歩いているような気持ちにさせられた。


 イーリンが再びアーサーの様子を窺うと、アーサーは頬をわずかに赤く染め、うっとりとした目つきで、2人の後ろ姿をじっと見つめていた。




 伯爵が言った通り、キャサリンはすぐにアーサー王太子の心を掴んだ。


 王都では交流のため、あちらこちらで舞踏会や晩餐会が行われる。リーデン伯爵は、たびたびキャサリンを連れて現れた。


 キャサリンの方も、アーサーに話しかけられても、最初は遠慮がちにすぐに下がっていたものが、夏の頃には堂々とアーサーのそばに侍るようになっていた。


 この頃になると、キャサリンは、リーデン伯爵の養女になるのではないかと、もっぱらの噂であった。リーデン伯爵が明らかにキャサリンに目をかけていたし、伯爵令嬢ならば、身分的に王太子の婚約者の座にもつけるからだ。

 リーデン伯爵にはキャサリンより2歳下の実の娘がいたのだが、驚くことに、娘はキャサリンに嫉妬するどころか、いたく気に入っており、お姉様と呼んで慕っているとのことだった。


 キャサリンとアーサーの距離が近づくにつれ、イーリンはアーサーに邪険にされるようになっていった。3人で話そうと人気のないところに連れ出されては、イーリンだけが追い払われた。意見をしようとすると、アーサーは癇癪を起こしてイーリンを罵倒した。


(さすがに、お止めした方がいいのでしょうけど……。)


 深窓の令嬢であるイーリンにも、婚約者同士でもない男女が2人きりで過ごすことについて、よくないことであるとは分かっていた。アーサーはもちろんのこと、キャサリン嬢にもいずれ婚約者ができるだろう。

 2人は、分別あるふるまいを心掛けなくてはならない。




 イーリンにも友人はいた。 

 特に仲が良いのは、第二王子の婚約者であるリリー・ストラスタ侯爵令嬢と、ルイーゼ・ボンベルグ辺境伯令嬢である。


「イーリン様、私もうハラワタが煮えくり返って。」


 秋になろうかとする昼下がり、3人はマクスウェル家の庭園でお喋りを楽しんでいた。


「ルイーゼ様、あまり言うとイーリン様を困らせましてよ。」


 リリーが軽くルイーゼをたしなめる。

 イーリンは少し困った様子で微笑んでいた。


「だってリリー様、あの方始終殿下にベタベタとしながら、『イーリン様には、いつも仲良くしていただいていますの。王太子殿下とお並びになった姿は、本当に素敵ですわよね。私見るたびに見蕩れてしまいますわ。』なんて、しれっとおっしゃいますのよ。周りもそれを真に受けて、ああ悔しい。」


 ルイーゼの扇子を持つ手に力が入る。

 武人の娘であるルイーゼは、腹芸が苦手で率直な物言いをしがちだ。しかし、この年下で性根が真っ直ぐな娘を、イーリンやリリーは好ましく思い、可愛がっていた。


「まあ、婚約者のある方にあまり近づくのは、褒められた行為じゃありませんわね。」


 苦笑しながらリリーが言う。


「それだけじゃありませんわよ。最近は何かといったら殿下のことを引き合いに出して、物をおっしゃるし……。それに、国王陛下や王妃陛下の覚えもめでたいとかも、ちらちらと匂わせてきますのよ。」


 ルイーゼはむうと膨れる。

 イーリンは、むくれた様子も可愛いな、と思った。


「嫌いですわ、あんな平気で嘘ばかりつく方。」


 あまりにはっきりした物言いであったが、ルイーゼがそう言うのも無理のない話であった。


 アーサーに気に入られているとはいえ、非公式であっても、簡単に男爵令嬢が国王や王妃に拝謁できるわけもない。ましてやキャサリンは、陛下の覚えがめでたくなるような成果も上げているわけではない。


 キャサリンは確かに色々なことを知っていた。並の令嬢なら学ばないような、国外の情勢や軍事の知識などを滔々と話した。

 しかしその内容は、外交に長けた親を持つイーリンや、海に面したストラスタ領のリリー、常に戦の危険にさらされた辺境伯の娘であるルイーゼが聞くと、いかにもお粗末なものだった。


 聞きかじったような知識を元に、キャサリンの勝手な推測をさも事実のようかに話すので、何も知らずに聞いた人は信じ込んでしまうのだ。


 キャサリンは、人の心を掴むのも上手だった。

 相手の欲しいものを見抜き、その人物の前では誠実にふるまい、耳触りのよい言葉を並べる。あのかすれた声が、なんとも人の心をくすぐるらしい。それで人はすっかり騙され、結果彼女に心酔してしまうのだった。


 リリーやルイーゼはキャサリンが無礼だと言ってくれるが、キャサリンに心酔した人々が、アーサーとキャサリンを見て『2人はお似合いだ』と噂しているのも聞こえてくる。


「王太子殿下も、イーリン様にこれ以上何を求めていらっしゃるのやら。イーリン様は、どこかの誰かさんみたいに出しゃばらないだけで、あの方よりもよっぽど本当の才媛ですのに。」

「それは私も全く同意ですわ。ルイーゼ様。それに、あの方よりもずっと、お姿もお心持ちも美しいわ。」


 リリーは、イーリンの方を向き、微笑んで言った。


「もっと自信をお持ちなさいませ、イーリン様。私は、真に王妃にふさわしいのはイーリン様だと思っていますわ。」


 ルイーゼは、そうだそうだと言わんばかりに、うんうんと頷いている。

 本当にそうだろうか。まだ、グズグズと決断のつきかねている自分は、王妃に足る器なのだろうか。


 リリーの目が、少し真剣味を帯びる。


「イーリン様、差し出がましいようですが、私も今のキャサリン嬢のふるまいは目に余ると思いますの。」

「……。」

「イーリン様にお考えがあるのは分かっております。しかし、あるべき姿が歪むのは、国のためになりませんわ。」

「……その通りですわ、リリー様。お心、感謝いたします。」




 2人が帰った後も、イーリンはしばらく庭園を歩いていた。付き添っていた、侍女のアンナが声をかける。


「風が冷たくなってまいりました。そろそろお戻りになりませんと。」

「……まだ、少し考えたいの。」


 そうしていると、庭園の奥から庭師のピーターが歩いてきた。


「これはこれは、お嬢様。」


 ピーターは、20代半ばの青年である。

 アンナとピーターは、イーリンが小さな頃からマクスウェル家に仕えていた。王都で生活するイーリンが寂しくないようにと、気心の知れた使用人を領地から連れてくるのを、公爵が許してくれたのである。


「アンナの言う通りですよ、将来の王妃様に風邪でも引かせたら、我々の首が飛びます。」


 だから、お身体を大事にしてくださいね、とピーターは笑う。


「あ、そうそう。お嬢様、薔薇の植え替えは終わりましたよ。館の外の、目立たないところにしました。」

「手間をかけさせてごめんなさい。」


 イーリンは、申し訳なさそうに謝った。

 別にいいんですけどね、とピーターは頭を掻く。


「薔薇はお好きではなくなったんですか?何かお気に入りのお花があれば、植えておきますが。」


 イーリンは、ぎゅっと唇を噛み締めた。


「……あの方がここに入ってきてしまうような気がするの。」


 薔薇の蕾が開くように、キャサリンの唇が開くような気がする。四方に伸びる薔薇の枝はキャサリンの黒髪になり、自分の手足に絡みついてくるような気がする。そこからあの白い腕がぬるりと出て、自分の大事なものにまで手を伸ばし、侵していく。骨抜きになったものは、全て彼女の傀儡だ。

 リーデン伯爵や、アーサーのように。


 薔薇の花が咲く頃には、全てをキャサリンに奪われてしまうのではないだろうか。


 そんな妄想に囚われ、イーリンは薔薇を見ていられなくなった。─特に、赤い薔薇の咲く木は。


 冷たい腕に抱かれたように感じ、イーリンはぞくりとして身震いした。


「お嬢様、やはり館に戻りましょう。温かい飲み物を用意させます。」


 アンナに急かされ、イーリンは館に戻ることにした。


「ごめんなさい、心配かけて。」

「……公爵様は、懐の広い方です。」

「えっ……?」

「一度、ご主人様にご相談なさいませ。ご主人様は、お嬢様のことを大層大事に思っておられます。きっと、悪いようにはなさいません。」

「アンナ……。」


 普段、アンナはここまで踏み込んだ意見をしてくることはない。

 自分がよほど心配させてしまっているのだろう、とイーリンは思った。


(私は、何をやっているのかしら。)


 友人たちやアンナにはっきりと分かるくらい悩んでいるのなら、ちゃんと向き合って解決の方法を探るべきなのだ。


「ありがとう、私、お父様に相談してみるわ。」

お読みいただいてありがとうございます。ルイーゼはよく動いてくれるので好きです。次回はお父様が頑張ります。次もお付き合いいただけると嬉しいです。

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