2骨目 真の寄生は受肉の後で
私の台詞に疑問を覚えたらしい暫定デスが、小首を傾げながら顎を鳴らす。
「もにたぁ? 何を言うておるのじゃ」
「ぷあっ、リアルデス様クソあざとカワイ……じゃなくて!」
極限状態でも萌えという感情は自重してくれないらしい。
あるいは、極限まで混乱しているからこそ、逆に平静を保つためにくだらないことを考えてしまうのかもしれない。
「えっ、なにコレゆめ?
でも、私、こんな夢の見方したことないしっ」
今にも子どもの癇癪のごとく人目も憚らず泣き出しそうになっている私へ、黒い人骨は情け容赦なく目くらまし用の魔法フラッシュを放ってきた。
「ぬわっち!」
おそらく、契約の効力で私のHPにダメージを与えることが出来なくなっているので、こういう方法を使ってきたのだろう。
呻きながら両手で瞼を押さえていると、更に頭上から言葉が落ちてきた。
「これ、主人。どれほど非常識極まりない状況でも、現実は現実じゃ。
命が惜しくば早々に逃避を止め、現状把握に努めるべきであると進言するぞよ。
万一、余にも太刀打ちできぬほどの強大な敵対存在があれば何とする」
なにもかもが気を失う前と違っている世界の中で、これまでモニター内の文字でしかなかったはずの彼の声が響いている。
例えるなら、落ち着いた壮年期の執事なおじ様の色気のヤバいエロボイスといったところだろうか。
も、萌える。
たったそれだけなのに、私のギリギリのSAN値にプラス補正がかかったような気さえするのだから不思議なものだ。
「で、でも、こんなの絶対おかし……っあ?」
張り裂けそうな感情と呼応するように痛む心臓を押さえようと腕を胸元に持っていけば、それはフカフカした何かに受け止められていた。
こ、これは……っ。
「ふぉっ、おおお、乳、やぁっべぁ。わ、私、今キャラの姿になってる?
あっ、髪もピンクい。確定っぽい」
「……別世界で真っ先にやることが己の胸部を揉むことであるか、お主」
デスには盛大に呆れられてしまったが、これが意外に落ち着くのだ。
何となく大多数の日本男児たちが巨乳を好む理由が分かったような気がした。
この感触は確かに魅力的だろう。ふっかふっか。
「レベル1の最低スペックだけど、それでも自室のある2階に行くだけで毎回息が上がってたような堕落しきった身体よりはマシ、だと、思うし。
この容姿だったら、むしろ負け組一直線の現実より、イイ男ゲットして素敵な一生を送れる可能性が無きにしも非ず……?」
乳効果で、段々とポジティブになってきたようだ。
これが……母性っ。
「お。その開き直りの早さ、よいのぅ。
余も、余にかかっていたある種の制限が外れたようでな。
視野が急激に広まったような、新たに生まれ出でたような、とかく爽快な気分であるぞよ」
「えっ。もしかして、界を渡ったことで主従契約が切れたとかですか?」
デスの発言を聞き、ザッと顔から血の気の引く音がする。
私がまだ正気でいられる理由のひとつに、圧倒的強者の彼が味方にいる、という安心感が少なからず含まれているのだ。
それを失ってしまったら、色んな意味で弱者極まりない私ごとき、1日だって生きていけるか分からない。
脳内に浮かぶ最悪の想像に震えていれば、あっけらかんとデスが答える。
「否、そうではない。
思考可能な領域が大幅に増えたようなのじゃ」
「あ、な、なんだ。はは」
良かった。
いつの間にか詰まっていた息が流れ、強張っていた身体から力が抜ける。
「例えるならば、フロッピー時代のパーソナルコンピュータから最新型スーパーコンピュータに進化したとでも言おうか」
「その例えは、ちょっとどうなんでしょう」
自覚があるのかは知らないが、そもそもがスパコン内の存在であった彼がするには、あまりに微妙な例えだろう。
ツッコミを入れながらも未だ座り込む私へ、デスは目の窪みの奥に見える小さな赤い輝きを向けて語る。
「主人よ。
多少なりと正常な思考を取り戻せたのならば、まず、そのような些細な問題にかかずろうておる時ではないぞよ」
「正論」
それから、ゆっくりと差し伸べられた彼の右手の黒骨を掴んで、震える足に何とか活を入れ立ち上がった。
触った経験なんかないけれど、その骨の感触が本当にリアルで、一気にこの信じがたい状況が現実であるのだという認識が強まっていく。
「あ、あのっ、デス様」
「何じゃ」
「も、もうここは、い、∞の世界じゃないし、私は完全オワタ式残機なしのクソ仕様な主人ですが、それでも、まだ、その、守っていただけます、か?」
先の言動から、主従関係を解消するつもりは無いのだろうと分かっていながら、それでも不安で確かな言葉を欲しがるウザい主人こと私。
この不用意な発言のせいで彼が立場を考え直して「じゃあ、契約やーめた」なんて展開になったら、もう死ぬしかない。
「……そうじゃな。
異形である余が人の世を楽しむには、テイマーであるお主という存在が不可欠となろう」
えっ。それって、つまり……。
「もしも、私の代わりが出来て不要な存在になったら、その瞬間ポイっ?!」
咄嗟に彼から手を離して後ずさる。
個人的な意見を言わせてもらうのならば、最初から見捨てられてしまうよりも、優しくしておいて途中で裏切られる方が心に極大ダメージだ。
いついらない宣言されるのかと脅えながら過ごすなんて、真綿で首を絞められるような日々を送るなんて、そんなの拷問にも等しいと思う。
警戒心をあらわにジリジリと距離を取る私を見て、デスが肩をすくめながら顎の骨を開いた。
「案ずるでない。
確かに主人は卑小な人間じゃが、余はお主を厭うておらぬ」
えっ。いや、厭われているとは最初から思っていませんが。
塵芥のようにどうでもいい存在だと思われているんじゃないか、とは考えてましたけども。
……でも、案ずるなってことは、もしかして、もしかする感じですか?
私、期待しても良いんですか?
「人間とは、精々100も生きぬ儚き種であろう。
そなたらの一生は、余の一瞬。
であれば、主人の儚き命に添うてやるも、また一興というものよ」
「で、デス様ぁーーーーごふッ!」
彼の回答に感極まって衝動的に懐に飛び込めば、自分が装備させていた鉄の鎧にぶち当たり、鈍い痛みに呻き転がる羽目になった。
確認する術はもうないけれど、この肉体がゲームに準拠しているとすれば、絶対ヒットポイントが減っていると思う。
最大が18だったけど、多分5は逝った。
そのぐらい痛かった。
「カッカッカ、現金な主人め。
なぁに、回復魔法も結界魔法も備えておる。
即死ばかりはさしもの余も手に負えぬが、常に多重結界を施しておれば、そのような不祥事は早々起こりうることでもなかろうて」
「なにゆえ死神が回復魔法……」
というか、そんなの覚えてるなら、今こそソレを使って欲しいんですが。
デコとかまだヒリヒリしてるんですよ?
なんでご主人様が痛がっているのにスルーしてるんですか?
と、心の中で思っていても、口には出せない骨なしチキン主。
主従とか、名ばかりにもほどがある。
「そう、おかしなことではなかろう?
どこぞの大魔王なぞ、自身を全回復させる術を習得しておったと言うではないか」
「いつの時代のゲームの話ですか。
それに、確かリメイク版では修正されていたでしょう」
「そこまでは知らぬ」
いや、絶対知ってるでしょ。
この骨、めちゃくちゃシレっと嘘を吐きおるな。
しかし、目覚めてすぐの彼の発言が本当に正しいのだとすれば、もはやここは地球でもゲームの中の世界でもないのだ。
だというのに、なぜデスはこんなにも平然とした態度でいられるのだろうか。
私という弱者がいるから、敢えて不安を隠して見せないようにしているのだろうか。
もしくは、高度なAIとはいえ、元々ただのコンピュータプログラムだったから、そういう感情が欠落しているのだろうか。
あとは、データから生身の骨になったことで、制限が外れたような云々と言っていたから、その広くなった視野のせいで一種の躁状態にでもなっているのかもしれない。
勘違いの可能性も高いが、妙に声が弾んでいるというか、どうも浮ついた雰囲気を感じるのだ。
自分より強い敵がいたら、とか何とか注意してきたけれど、なんだかんだ彼は己が負けるビジョンというものを持っていない気がする。
それで、未知なる世界の新たな冒険を前にオラわくわくすっぞ状態になっている、と。
うーん、ありえる、のか?
デスに視線をやりながら考え事に没頭していると、彼も何か疑問に思うことがあったのか、顎部分に人差し指の骨を当て小首を傾げていた。
あざとい。
「…………のぅ、主人よ」
「えっ、はい」
珍しく言いよどむような声色だったこともあり、私の意識はすぐにデスに向かった。
ジッと、彼は私を覗き込むように見つめてくる。
「あー、何じゃ、その……お主。
どことなく、マトモであるというか、こう、妙にしおらしいような……」
「それが……何か……」
微妙に嫌な予感がして、顔に少しばかり皺が寄った。
やがて、フッとひとつ息を吐いたデスが姿勢を正し、こう問いかけてくる。
「率直に聞くぞ。
お主、真に余の主人か?」
「なぁっ!?」
驚いた。
まさか、正体を疑われるなんて夢にも思わなかった。
そもそも、私との契約が切れていないと言ってくれたのはデスで、その私だって少しだけ冷静になれた今は、薄っすらとだけれど確かに彼との繋がりを感じられるようになったこの状況で、まさかそんな質問を投げかけられるとは……。
「まっ、真に私ですっ!
しおらしいとか、そ、そんなのっ、しょうがないじゃないですかっ。
今まではゲームの中だったから、ロールプレイ……いや、ハメ外し本音プレイしていたんです。
だから、今のこの姿が本当の私っていうか。
現実じゃウダツの上がらない派遣社員で、想定にない言動されるとすぐ混乱して固まって、ネガティブで愚痴っぽくて、基本コミュ障で……。
デス様が相手だから初対面って気がしなくて、こうして普通にしゃべれてますけど、リアルじゃいつだって挙動不審者ですからね」
「う、うむ」
デスが微妙に引いていることに気が付いていながら、鬱トークモードに入ってしまった私の口は止まらない。
「いや、ゲームでも現実でも、考えてること自体は別に変わらないんですよ。
ただ、どこまで表に出せるかって言われると……やっぱり白い目で見られるのは怖いし、どこで誰がどう私を嫌って攻撃してくるか分からないし、いっつも日和見で、自分の意見なんて人前じゃ絶対出せなくて、そのクセ内弁慶で、要は虚構の、ゲームの中だから自分を抑えず好き放題できていたんです」
なんというウザさ爆発の発言だろうか。
立場が逆なら、間違いなく私は私を見限っている。
けれど、デスはボスモンスターという事実に見合わぬ心の広さで、私に同情の視線を向けてきた。
「ふむ。なんじゃ、少々つまらぬことを聞いてしまったようじゃな」
「え……いえ、そんな」
「お主が違え様なく余の主人であるのならば、それでよい。
添うてやると申したからには、二言はないぞよ」
あまりにデスが優しすぎて、湧き上がる情動のままに雄叫びを上げたくなった。
こんなイケメン骨が果たして彼の他に存在するだろうか?
答えは、否! 否であるッ!
「っくぅ、デス様の器おっきぃよぉ……惚れてまうやろぉ……」
「それは遠慮する」
「恋・即・斬!?」
そりゃ、じゃあ付き合うかとでも返されたら、こっちだって断りますけどさ。
冗談でしたけどもさ。
もうちょっとノリ良く返してくれてもエエんやで。
「あ、でも、アレですよ。
ゲームだったらモンスターも無限にリポップして倒したい放題でしたけど、現実になった以上、この世界の生き物を殺しつくしたとしてもレベルアップしない可能性がありますよ。
契約時にメリットとして提示した条件が意味をなさなくなってますけど、本当にいいんですか」
「……さすがにクドいぞ、主人」
「っあぁぁごめんなさい! 石橋を叩きすぎて壊すタイプのクソ人間でごめんなさい!
もう言いません、何卒お慈悲をッ!!」
呟いたデスの声に明らかに不機嫌さが混じっていたので、私は涙目になりながら倒れる勢いで土下座の姿勢をとり、何度も額を地面に叩き付けた。
「う、うん」
どうやらガチでドン引きされてしまったらしい。
キャラ崩壊甚だしい口調で頷いたデスが、私の傍から後退し距離を取った。
相手が恐縮してしまうくらい全力投球で謝意を示すのが許されるためのコツだ。
年々、こういう小賢しさばかり磨かれていっているのだから、本当に最低の人間だと思う。
もっと他に学ぶべきことはいくらでもあるだろうにね……。
一応、怒りは収まったようなので服の袖で目元を拭って立ち上がる。
いつの間にか傍まで戻って来ていたデスが、おでこについた土を払ってくれた。
くっ、恋・即・斬のくせにまたそうやって……この天然骨めぇ。
「……また何ぞ下らんことを考えておるな」
思わず睨んでしまってでもいたのか、変わらぬ表情の中に確かな呆れを滲ませてデスがため息をついていた。
こうして、何やかんやありつつも、珍妙な主従の2人ぼっち放浪生活が決定した。
あぁ、いるかいないのか分からない神様お願いします。
どうか、この異世界での人生がイージーモード設定でありますように……。
おまけ~その夜の会話~
「主人よ、ひとまず今宵の野営の準備が整ったぞよ」
「……小屋丸々作っておいて野営っていうのは、ちょっと違和感が酷いんですが」
「この世界に到ってより、魔力に融通が利くようになったもので練習がてらのぅ」
「融通?」
「呪文による画一的な効果のみならず、魔力そのものの操作が可能になったのじゃ」
「なるほど、それは随分と色んなことが出来る様になりそうなアレですね」
「お主の世界の超能力者と呼ばれる種の能力は大体使えるようになっておると思って良いぞ」
「えっ。まさか、テレキネシスのみならずテレパシーやサイコメトリー、果てはクレアボヤンス方向も網羅してたり!?」
「試してはおらぬが、対象物に直にワシの魔力を干渉させることで可能になるじゃろう」
「おぉーっ、ゴートゥーESP! ゴートゥーESP!」
「これ、主人。あまり往来で騒ぎ続けると余計な存在を招き寄せてしまうぞよ。
脆弱な体力を消費せぬ内に、早う中に入るのじゃ」
「あ、はーい」
ごめんなさい、神様。
祈るまでもなく、イージーモードっぽかったです。