1骨目 何の変哲もない異世界トリップ
「3番の部屋かぁ」
手の平よりも少し大きな木札に下げられた鍵を揺らしながら、どこかペンションのような雰囲気の小さな宿の階段を上っていく。
「扉を開けたら中にミフネさんがいて、袈裟懸けに切られたりして」
「かまいたち地下の話かの。それなら5番よりはマシじゃろう」
「どこまでもネタについてこれるデス様が怖いんですが」
「真顔で言うことではないぞよ」
こんな風に意味のない雑談に興じていられるのも、全てはデスがいるからだ。
いつも考えの足りない頭の隅で「彼には随分と助けられているな」と改めて思った。
デスがいるからこそ、肉体的にも精神的にも弱者な私が今もこうして生きていられるのだろう。
階段の先の廊下を進めば、コツコツとブーツの底から硬質な音が響いた。
……あぁ。やはり、日本とは違う。
いつも、ほんの些細なきっかけから郷愁は募った。
だが、献身的に守られている手前、それを表に出すことはない。
突き当たりから3番目の3本の赤線が刻まれた扉へと鍵を差し込み、軽く捻る。
カチ、という音を確認してノブを掴めば、大きな抵抗もなくそれは回った。
デスがまず室内へと足を踏み入れ、魔力で侵入者や不審物等の有無を確かめてから、こちらを向き首を横に振る。
特に問題はなかったようなので、私は故国の記憶から数段劣る質素な部屋の中へと足を踏み入れた。
即座に寝具へと飛び込みたくなるが、まずはデスの手から離れた旅の荷の整理に取り掛かる。
先にシーツの汚れやノミやダニを彼に除去してもらわなければ、脆弱なこの身では満足に休むことすらままならないのだ。
「カッカッカ。汚物は消毒じゃあーーっ」
楽しそうで何よりです。
1階の食堂で味の薄い夕食をお腹に収めた後、自室へ戻り固いベッドへと身を滑らせる。
ゴロリと体を仰向けに収めれば、我知らず、ため息が口から零れていた。
「…………疲れた」
「レベル1の身では、さもありなん。
しばらくは、この町に逗留する予定なのじゃろう。
その間、ゆるりと英気を養うがよいわ」
独り言のつもりだったのだが、小さな丸椅子に腰掛けたデスから気遣いに溢れた返答をいただいた。
強くて優しくて格好良いとか、最高なんじゃなかろうか。
ウチのカレピッピとか言ってみたいレベルだ。
いや、デスのことはさすがに性的な目で見れないし、そもそも冗談でも怒られそうだけど。
「ありがとうございます。
そういえば、もうすぐ武闘大会があるって聞いたんですけど……出ます?
他の大陸からも人が集まるような結構な規模の大会で、毎回すごいお祭り騒ぎらしいですよ」
「興味がない、と言えば嘘になるの。
テイマーは使役するモンスターを参加させることが出来るのじゃろう?
余は、祭りは参加してこそ、と思うておるでな」
「御意でーす。
選手登録は大会の2日前までみたいなので、忘れずに行きましょうね」
「そうじゃな」
そのままお互い無言になり、部屋に静寂が満ちる。
普段のデスは結構おしゃべりなタチなのだけれど、今は疲れている私に気を使ってくれているらしい。
こちらからアクションを起こさない限り、彼が顎骨を開くことはなかった。
……しかし、眠気はあるのに、なんとなく寝付けない。
目を瞑り、無意味にシーツの上をゴロゴロ転がりまわってみれば、デスから呆れたような視線を向けられた気がした。
この図は、完全に保護者と子どものソレだなぁ。
どっちがどっちかなんて、言うまでもない。
「護るも攻めるも黒骨のぉー、浮ぅかべる笑みこそ頼りなるぅー」
「ん……何じゃ、お主。
銀玉遊びなんぞに現を抜かしておったのか?」
「えー? いえいえ。
パチン男くんって古いゲームのダウンロード版をプレイしたことがあるだけで、本物はやったことないですよー。
無料で配信されてたし、私レトロゲーム好きなので、とりあえずやってみたんです。
で、BGMがすごく耳に残るなーって興味が湧いて、ネットで調べて歌を覚えました」
「れとろげぇむ」
「特にドット絵とピコピコ音は至高ですね。
機械文明の発達と共に廃れてしまったのが残念でならない」
「生まれてもおらぬ時代の懐古厨か」
「ヤな言い方しないでくださいよ……」
ゲームが好きだった。現実が嫌いだった。
家族が好きだった。自分が嫌いだった。
自宅が好きだった。職場が嫌いだった。
だからって、リアルから逃げ出したいとか、ゲームの世界に行きたいとか、そんなの考えたこともなかったのに……。
「ホント…………何でこんなことになっちゃったんでしょうねぇ」
「さてのぅ、皆目見当もつかぬ」
「昔は楽しかったなぁ。
画面越しだったし、死ぬ心配がなくて」
「死など……余が24時間体制で守護しておるじゃろう」
「もー、理屈じゃないんですってば」
~~~~~~~~~~
およそ400時間という長い長い攻略期間を経て、ようやく自身の望むモンスターのテイムに成功した私は、冒険で友人の足を引っ張ることもなくなり、日々面白おかしく∞(インフィニティ)世界を堪能していた。
情報開示設定を友人のみにし、更にテイムモンスターの装備変更機能を使って、デスには中下級モンスター骸兵の突然変異体として擬態してもらっている。
そのため、そこそこ以上に私たちの存在が目立つことはない。
本来は魔法に特化している種ということだが、現在の彼の装備は刺突用片手剣のレイピアと左手用短剣のマインゴーシュとなっている。
過去に暇を持て余して様々な武器の扱いを齧った結果、一際気に入ったものがソレだったらしい。
逆に、杖や死神のイメージである鎌については、あまり好まないそうな。
だから、魔法の使えない骸兵の真似をしてもらうのに、特に苦労することはなかった。
肝心の剣の腕も相当に高く、もし、彼が元のロココ調衣装を着ていたのならば、もはや気絶するレベルで素敵なのではないかと常々思わされている。
自慢になるかもしれないが、レイピアを手に優雅に戦場を舞うデスは、それはもうすごくすごく格好良かった。
人目のない場所限定だが、もちろん無双もお手の物だ。
ペルソナを集め鬼神と化した緑の勇者のごとく、レイピアから衝撃波だかビームだかよく分からないものを放ってくれることもある。
当社比のイケメン骨が、目の前で華麗に敵を殲滅していく姿は正に眼福。
現実世界で溜まったストレスも、無限の彼方にマッハGOというものである。
ま。そんなこんなで、私は順風満帆にゲーム生活を送っていた。
その日も、いつものように∞内で友人と落ち合うため、主従連れ立ってあまり人気のない森のフィールドをだらだらと歩いていた。
道中、どこから仕入れたのかよく分からない小ネタを得意気に披露するゲーム内最強ボス。
それを適当にログに流しながら気のない相槌を打っていると、急に彼が言葉を途切れさせて辺りを見回し出す。
「どうされました?」
「いや、何やら妙な声が……」
瞬間、パソコンのモニター画面が、室内全てを染め上げる勢いで白い強烈な光を発した。
あまりに唐突に、あまりにあっけなく、私の意識は闇に沈んだ。
~~~~~~~~~~
風が頬を撫でてゆく感触に、ゆっくりと意識が覚醒していく。
瞼が瞳の半分より少し上まで開いたところで、視界にありえない光景が映し出され、3度、私は瞬きをした。
「……………………え」
そこに、見渡す限りの草原が広がっていた。
「ぅえっ!? うそやだ、なにっ? なんで? どこぉ?」
反射的に上半身を起こして、困惑のままに口を開く。
「ふむ、地上の気配も煉魔獄の気配も捉えきれぬな。
にわかには信じがたいが、ここは我らの与り知らぬ別次元の世界なのではないかのぅ」
頭上から落ちてきた言葉を追って視線を向ければ、そこに見覚えのある漆黒の人骨が立っていた。
「ひぃっ! で、デス様!?
な、なんでっ、三次元っ、も、モニターはっ?」
思わず声が引き攣る。
手を伸ばせば届きそうなほどすぐ傍らに、その非現実的な存在は実にリアルな質感をもって佇んでいた。