「救世主?」
今後の成長のため厳しいご指摘頂けると幸いです!
◇
いつもの日だった。いつものように朝起きて、いつもみたいにご飯を食べて、いつもみたくサモンと2人で森に山菜を摘みに行った、いつも通りの日のはずだった。
「最近山菜があまり生えてないですね……」
「うーん、森の奥ならあるかもしれないし行ってみようよ」
「そうですね」
そんな何気ない一言が始まりだった。
ちょうど山菜を採り始めた頃。
ふと、タクヤは奥の茂みから聞こえる音に気づいた。
何か水っぽいものをべちゃべちゃと捏ねているような、そんな音。
「……!」
そっと低木の隙間から向こうを覗くとそこには1体の魔獣の姿。
だがタクヤを驚かせたのはその存在だけではない。その魔獣は別の魔獣を、それも一体ではない。数えることすら無謀に思わせるほど多くの魔獣の死骸を喰っていた。
その中にはタクヤを散々な目に遭わせてくれた上級魔獣のモーグラさえも含まれている。
細く長く伸びた黒い鼻、血と涎の滴る鋭利な牙、ピクピクと揺れる耳、無駄のない流れるような四足歩行。
一見するとその魔獣は大きさも姿形も前世での大型犬と大差ない。
幸い魔獣は未だタクヤ達の存在には気付いていないようだが、いつバレるかなど分かったものではない。
タクヤの声量は自然と小さくなる。
「な、なぁサモン、あれって……」
「はい? え?……ひャッ! 嘘、でしょ……! あれは伝説の魔獣……ケルベロスッ!?」
「え、それって……」
「村に今すぐ帰りましょうッ! 今すぐ! すぐにッ!」
「あいつと戦っても……勝ち目はないのか?」
「あるわけありません! 3つの国が滅んでるんですよッ!?」
「そ、そうなのか……でも伝説なんて言われるぐらいなら村に逃げても地雷が効かないんじゃ……」
「でも、でも今はひとまず帰りましょうっ! それに、こちらから攻撃しなければすぐには反撃してこないはずなんです!」
「そ、それはどうして……?」
「後で説明しますからっ、ひとまず今は早くッ! 絶対に、絶対に攻撃しないでください!」
小声で早口に返すとサモンは身を低く屈め駆け出す。
絶対に勝ち目のない相手。天の恩恵をもってしても生存できるか不明瞭な相手に挑むほどタクヤは愚者ではない。
タクヤもサモンに倣って地べたを擦るように低く、息の音も抑え、慎重に、かつ可能な限り早急にその場を立ち去る。
聞き慣れたはずの風に揺れる草木の音が今はひしひしと恐怖を奏でる。
歩き慣れたはずのこの道がまるでどこまでも続いて永遠に続いているかのように錯覚する。
でも、立ち止まることなんて出来ない。走り続けなければ本当に恐怖に呑まれてしまうかもしれない。
だから走って走って、村を囲う柵が遠くに見えたその時、焦燥のせいか安堵のせいかタクヤは誤って木の枝をぽきっと踏んでしまった。
とても小さな、虫を叩き潰す程度の、僅かな微かなその音は一瞬の静寂の後、嵐を呼んだ。
後方で犬の遠吠えが聞こえたと同時に草木がぶつかり合う音、そして……
正面の茂みが大きく揺れ黒い影がバッと視界を覆い、2人の正面に魔獣――ケルベロスが立ち塞がる。
――あの距離をこんな速くに移動した!?――
爛々と輝く紅い双眸が2人を射抜きその場に釘付けにする。
離れていても漂ってくる生臭い獣臭。あるいはそれは血の匂いか。
鳥肌は既にタクヤの全身を覆い尽くし冷や汗は毛穴という毛穴からぞわぞわと湧き出る。
「ごめんサモン! 俺のせいで……俺のせいで――」
「タクヤさんは悪くないんです! 全部私のせいなんです!」
「俺がなんとかするからサモンは先に村に行ってて! えっと、“ファイア――」
「お願いだから攻撃しないで! お願い! 私を信じて!」
「え!? でもこのままじゃ魔獣に襲われ――」
「お願いッ!」
「サモンッ!――」
魔獣の姿が視界から消えた。
血が飛び散る。生温くて濁った赤い血。
次の瞬間悲鳴が鼓膜を裂き、思わずそちらを向くが、そこに、隣にいたはずのサモンの姿がない。
同時にタクヤは気付いた。
背後で音がする。
皮がべりべりと剥がされる音。
骨ががりがりと削られる音。
肉がぐちゃべちゃと噛み砕かれる音。
振り向くと、抉りとった赤黒い物を喰らう魔獣の下で、悶え踠くサモンの姿が瞳に映る。
「 サモンッッ!! 」
思考を巡らせる時間なんてなかった。
駆け出し、勢いに任せ自分の全身で魔獣を押しのける。
衝撃で宙に舞ったものの難なく着地した魔獣にタクヤは気付かない。それよりも――
――とにかく早くサモンを……――
しかし、サモンの身体を一目したタクヤは一切の言葉も、挙動も、恐怖さえもを失うしかなかった。
その左脚に穿たれた大きな窪みは血と肉で咲いた花弁のようで、その奥では脈打つ動脈が剥き出しのまま生々しくどくどくと運動を繰り返す。
「サモンッ!」
彼女の震える肩を掴み涙で濡れたその顔を覗き込む。
「私、もう……ダメ……す……もう……」
「大丈夫、待ってて! 俺がこいつを倒してすぐに村に運べば……」
「いいえ無ッ……ゲハッ……無駄です、はぁ、ケルベロスの毒は……痛覚を……過、敏に……それに……」
「でもっ!」
「た、タクヤ……さんだけで、も……逃げて……ぇ」
――どうすればいい!?――
サモンを見捨てるという選択肢は存在しない。だがどうするべきか。
――村は魔獣の後方にあるからサモンを抱いて村へ逃げることはできない。助けを呼ぶべきか……誰を? 村のみんな、子供たちを危険に晒して?――
――違う――
――俺しかいない。俺がサモンを、みんなを守らなきゃいけない。
常時携帯していた短剣。扱い方はジャックに軽く教えてもらった程度だが……でも、戦える。
「“身体強化“ッ!」
威力の高い魔法はここぞの時にしか使えない。魔力切れだけは避けなくてはいけない。
上手く立ち回らなくてはいけない。隙を見せてはいけない。絶対に勝たなくてはいけない。絶対に――
タクヤのこれまでの経験より、無限回復は切り傷や咬み傷、骨折、軽い打撲や火傷などは時間経過で完治させるものの、それよりも重傷ならばどうなるかは分からない。
ただ1つ分かっていることは、ここで負ければ自分だけじゃない、後ろで苦痛に呻くサモンさえも殺されるだろうということだ。
もうタクヤの中に逃げるという選択肢は消え去った。
――ここで逃げて何が転生者だ、何が天の恩恵だ、何が救世主だ? ここで勝つ、勝たなきゃいけない――
短剣を構え目を逸らさずに向かい合う魔獣の様子を伺う。薄暗い木々の中でその真っ赤な瞳だけが爛々と光っていた。
一瞬。
目を瞬いた、その一瞬を逃さず魔獣は高く飛びかかる。ギリギリのところを転がるように何とか右に躱し震える手で再び胸の位置に短剣を構えて……
――いない!? 違う、これは――
既にタクヤの背後は回り込んだ魔獣はそのまま首筋を狙って真っ赤な口を大きく開きバッと後ろから飛びかかる。
「ッ!」
ばく、ばくと響く鼓動を確かに聞いた。
ツンとした濃い獣臭が鼻腔を刺激する。
魔獣の体温の生温かさが風を切って頬を掠める。
辛うじて、首筋は噛まれていない。即死することはない。死ぬことはない。まだ死ぬことはない。
そう、死ぬことはない。
だが、噛み砕かれた左肩は呼吸をするたび刺すような苦痛に襲われる。
短剣を持つ手が震える。いや、全身が、痛みに恐怖に震えている。
――怯えるな、逃げるな、俺には天の恩恵がある、死なない、死なない、大丈夫――
立っているだけで激痛が全身を駆け巡り意識が白く遠のく。
しかし、意識はすぐに呼び起こされた。
無限回復が既に身体の修復を始めている。
左肩の様子は……傷口が消えたわけではないものの血は止まり先程よりもほんのひと回りほど小さくなった気がする。
意識は消えないが痛みも同じく消えることはない。
魔獣はすぐには襲って来ずタクヤの周りをぐるぐると回っている。
幸いサモンを攻撃する意思は見られない。ただしそれはタクヤが今魔獣に狙われているからであってタクヤが死ねば恐らく次に殺されるのは彼女だろう。
いったいいつまで粘れるだろうか。長期戦になれば間違いなく負ける。ここで倒さないといけない。なら――
再び、短剣を強く握りなおした直後、魔獣が正面から突進してくる。
ドッドッと砂埃を上げ向かってくる魔獣。
避けたい、という衝動をどうにか抑えて汗だらけの手で短剣を構え息を呑む。
――狙うは魔獣の脳天、もしくは首筋。そこに剣を刺す。それだけに集中すればいい。それだけに――
魔獣の姿が近づく。
――今だッ!――
……だが、全て無駄だった。
その動きは明らかに人間が追いつけるものではなかった。
きっと、魔獣の目には人間の動きがスローモーションのようにゆっくりと動いてるように映るのだろう。
タクヤは短剣を紛れもなく魔獣の露わになった脳天を刺した、刺そうとした。
だが魔獣はそれをいとも容易く避け、タクヤの右腹を食いちぎると、後ろへ回って再び左肩、今度は首筋に近い部位を噛み切ってそのまま元来た方向へ戻った。
そしてこの一連の動作は、タクヤにとっては“短剣を刺す“というたった1つの簡単な動作の内に行われたのだ。
これを見極めろなどというのは端から無理な話で、この魔獣に対して人間に出来ることと言えばバレないよう見つからないよう静かに怯えて生きることだけだろう。
勝てない、勝てるわけがない。
逃げられない。この魔獣から逃れられることなど出来るはずがない。
右と左とタクヤの身体から苦痛のない箇所は完全に消え去り、痺れと震えとそれらを全て吹き飛ばすほどの激しい苦痛に侵された。
――立てない。立ち上がれない。呼吸が苦しい、もう動きたくない。全ての挙動を止めてしまいたい。叶うなら、この鼓動すらも――
ジッと静かに横たわったまま動かないタクヤは、ゆっくりと牙を鈍く光らせながらこちらへ近づく魔獣よりも向こうで倒れているサモンのことを見ていた。
近いはずなのに、とても遠くに見えるサモンの表情は場違いなくらいにいつも通りの表情だった。
そう、いつものこの表情。
あの日も同じ表情をしていた。
唇が揺れるのが見えると同時に微かな吐息のような声が聞こえた。
「ご……め…………ん……」
――どうして彼女はいつも自分を責めているんだろう。どうして自分の中に不安も心配も詰め込んで溜め込んで吐き出そうとしないんだろう――
タクヤは痛みと恐怖と悲しさが混濁し、波のように浮き沈みする意識の中であの日のことを思い出していた。
読んで下さってありがとうございます!