全然イタクナイ
今後の成長のため厳しいご指摘頂けると幸いです!
◇
「すごい……奇麗……」
ポツリとタクヤの口から漏れ出た声はうららかなそよ風に運ばれていく。
サビた扉の取っ手を引いた先。風光明媚な絶景の数々はタクヤの存在を温かく出迎えた。
蒼天に浮かぶ紅紺2つの月の下、遠くでうっすら鋸歯を覗かす険しい山々、その山々に張り合うように異常に高く尖った無数の高樹。足元には、吹くぬる風にさらさら音を立てなびく青草の絨毯。前も後ろも上下左右も全て、目に映る全てが元の世界とは遠く遠くかけ離れた光景。
改めて実感させられる異世界転生という事実を前にタクヤはただただ立ち尽くすしかない。
「こ、これが私たちの村、ニコラ村です!」
「ああ、凄くいい眺めだ……けど、その、こんなに“自然との一体感を楽しめる“ようだとモンスターとかに襲われるんじゃないか?」
“ボロい”という言い方をオブラートに包んだ表現とはいえ、文字通りその村は自然との一体感を……というか実に自然と一体化していると断言して良いだろう。
狭い野原の上に点々と建つ建造物は古木をただ打ち付けただけの簡素な小屋のみ。井戸はすっかりと錆びつきツタに覆われている。当然舗装などされているわけがなく、草と土だけの地面は至る所がベチャベチャとしたぬかるみだらけ。
異世界の集落といえばモンスターによる厳酷苛烈な襲撃に対し常時対応・即時撃退・絶対不可侵の理念を体現化した数多くの防衛線、例えば深い堀や堅固な砦や地雷防壁などなどなどが敷かれていることであろうとタクヤは考えていた。
しかし、見渡す限りこの村――ニコラ村の防御力を漢字1字で表すなら無だ。数字で表すなら0だ。
堀も設備も何も無し。唯一、村を円状に囲う防壁の名を借りたDIY程度の木製柵があるものの、高さ2メートルにも満たないそれの耐久性など語るまでもない。これではゴブリンの群れどころか寝込みをスライムに襲われるだけで村は壊滅してしまうだろう。
「あ、でも問題ありません! この辺りは低級魔獣しか生息しませんし襲ってくることは稀なので……あ。えーと多分大丈夫…………」
「……ねぇ、今柵にくっついてるアレ、水色のドロドロしたやつ、あれスライムだよね?」
言ってるそばからスライムの群れに襲われキィキィと悲鳴をあげる木の柵を目にした2人。
「…………ま、任せてくださいタクヤさん! 私の魔法にかかればスライムなど1瞬で……」
「いや、サモンは極力魔力は使わないで。スライム程度なら俺でも倒せるって! この辺りに弱い魔獣しかいないんだったら俺の天の恩恵ってやつを確認するのにもちょうどいいしな!」
「だ、ダメです! 危ないですよ!」
「大丈夫だよ! なにも問題な…………」
無防備に柵を乗り越えたタクヤの視界を一瞬にして暗闇が覆い隠す。
――臭い、それと暑い。というか息が苦しい! なんだよ! これ……あれ――
予想以上の跳躍力でタクヤの顔面に張り付いた大量のスライムの群れはあっという間に全身を包み込みそのまま……。
◇
――なんでこうなった――
「タクヤさんすごいです! 本当に痛くないんですか!?」
「ふっ、この程度で俺が痛みを感じるとでも思ったかい? HAHAHAHAHA! こんなの全然イタクナイ! とってもめちゃくちゃイタクナイヨ!」
――ウッソだよ! クッッゾ痛ええよおおぉぉぉっ!!――
魔獣の攻撃を全て全身で受けながら見栄を張るタクヤ。
スライムに襲われた際かろうじて口と鼻を保護したのは彼にとって不幸中の幸いと言えるだろう。
なお不幸とは、口と鼻以外の全身が全て魔獣の被食部と化したことだ。
スライムだけではない。鋭い牙を持つ闇色の犬、朱色の舌をシュルルと見せる巨大な蛇。それらが一斉にタクヤの身体を襲う様は阿鼻叫喚の地獄絵図。
しかし、魔獣による咬み傷はなんとみるみるうちに修復していく。
――“無限回復“――
即死攻撃以外はどんな傷も回復する天の恩恵。タクヤが唯一手に入れた力。
この能力を体感した当初の彼は驚愕と、自分は不死身だという溢れんばかりの高揚感に満たされた。ただし……
――痛ええええええええぇぇぇぇぇぇっっっ!!――
もっとも、その光景を客観的に眺めた際何が恐ろしいかと問われれば、延々と魔獣に襲われ続ける血みどろの男よりも、それを無言でただ眺めているだけの少女の存在だと人は即答するだろう。
「あ、あのさサモン……助けてくれなんて全然思ってないけどさ……さっき武器を取ってくるって言って俺のこと置いていったよね、なら今手にしてるそれは……」
「あ、これですか? メイスです!」
「違う、棒だ。ただの木の」
「じゃあ棒です!」
「その、棒で……どうやって、この魔獣を……倒ッせばいいんですかぁっ!?」
「うーん、できることなら魔法を使って対処したいですが目立ってしまいますし……」
「いや……やるだけやってみるから……と、とりあえず……魔法のやり方を教えてくれないか?」
魔法に対する好奇心が3割、とにかくこの状況この痛みから解放されたい願望が7割。
「うーん、はい! 分かりました、それでは簡単な詠唱魔法をやってみましょう。あ、声に出すだけじゃなくてその魔法をイメージしないと発動しないので注意してくださいね! それじゃあ自分の肉体が強くなったイメージで……“身体強化“!」
「す、す……“身体強化“?」
……何の変化もない。緑の巨人にならない。筋肉ダルマにも、肉圧で服を破くことも……
――でも、体が軽い。とても軽くて、力がみなぎるような……いやでも痛みは消えないんだけど――
「どうです? 多分もう素手で魔獣を倒せると思いますが……」
「え? お、おお! すごい!」
手も足も出なかったスライムの粘着も大蛇の締め付けも闇犬の噛みつきも軽く力を込めるだけで簡単に引き剥がすことができる。鉄拳制裁の後、試しに1メートルほどの重たい岩を持ち上げてみると……
「軽っ!」
「なあサモン! ほ、他にも魔法ってできるのかな? さっきサモンが小屋で見せた魔法陣とかさ!」
「あー。魔法陣を用いる魔法は詠唱魔法よりも強力な分、発動するためにより多くの魔力が必要なので……まずは魔法陣の描き方からやってみましょう!」
「ま、魔法陣の描き方……?」
「はい! じゃあまずは地面にこの紙の通りに魔法陣を描いてみてください!」
渡された紙の通りに、幾つもの記号を含んだ円――魔法陣をメイス(棒)で地面にカリカリと描く。
「描けたけど流石に勝手に発動はしないよな」
「魔法陣はその内容を理解していないと発動しないんです。例えばこれは“炎爍煌“って魔法の魔法陣なんですが、この十字の記号は“炎“を表しているんです。こっちのは範囲を表す記号で……ていうのを全て理解しないと発動しません」
「へぇ……大変なんだな。というか思ったんだけど実際の戦闘でこんなの描いてる暇なんてあるのか?」
「もちろん戦闘時に地面に描くことなんてほとんどありませんよ、よっぽどの物好きとかじゃないと……。普通は“光の粒“っていう魔法で魔法を描くんです」
そう言いながらサモンが手を大きく振ると文字通り無数の光の粒が現れ先程タクヤの描いた魔法陣とそっくりそのまま同じ魔法陣を描く。
「これなら空中に魔法陣を描くことができるので攻撃としての幅も広がります!」
「待て待て待て待て! サモンは魔法を使っちゃダメだって! 魔力の使いすぎには注意しないと……」
「あ、大丈夫ですよ! “光の粒“に必要な魔力量は私達の魔力自然回復量を下回っているのでどんなに使っても魔力切れは起きないんです。それに私魔法適性もかなり高いですから……」
「そ、そうなのか? てか魔法適性ってみんな持ってるものなの?」
「まあ中位魔法までは大半の人が扱えると思います。もちろん適性が全くない人もいますが魔法適性が0でも日常生活に使う低位魔法なら使えますし……」
「へぇ……。低位とか高位とかやっぱり魔法にもクラスとかがあるのか」
「はい! 魔法適性が無くても使える詠唱不要の低位魔法、戦闘で最も用いられる中位魔法、適性が高くないと扱えない魔法陣を用いる高位魔法。さらにその上に超高位魔法と、があります!」
「超高位魔法って名前からして強そうだな」
「超高位魔法はタクヤさんの無限回復など転生者にのみ与えられる天の恩恵に匹敵すると言われる強力な魔法です。その分、非常に難解なものが多くそもそも理解が出来ず常人では扱えないでしょう。それに大抵魔力の消費量が異常に多く、中にはコントロールできない魔法があったりと大きなリスクを伴う魔法なんです」
「へぇ……」
「まあひとまずは特訓あるのみです! 私は剣術もそれなりに会得しているので教えることができますよ!」
「本当!?」
「あ、そうだ! ちょっと耳を貸してください、この村に伝わる奥義を……」
ゴニョゴニョと耳元で囁くサモン。
それから1時間ほど経っただろうか、タクヤも“光の粒“の扱いに慣れ簡単な魔法陣を空中に描けるようになった頃、それは訪れた。
タクヤの視界に柵越しから接近する何かが映る。それは……少年、サモンと同い年くらいの少年だろうか。まっすぐタクヤのいる方へ向かってくると猪突猛進の勢いのまま柵を乗り越え……
「テメェッ! サモッチに近づくなァァ ッ!」
少年はタクヤに対し怒号と一方的な肉体言語で強烈な挨拶をする。
「うおおぉぉぅっ……」
“挨拶“の反動でよろけたタクヤをすかさず少年が押し倒す。
「サモッチ! 今すぐこいつから離れろ!」
少年は返答を待たずそのままタクヤの上体に跨るとエメラルド色の瞳で身体の隅々をじっくり、舐め回すように視線を這わせた。
――なんだよ、この状況は!――
タクヤにショタコンの属性はない、が誰でも押し倒されたままジロジロと見られるのは恥ずかしいものだ。
「あ、あの、君は何なんだ?」
「ん? ああ、オイラはジャックだ。おっさんは?」
「お、おう。俺は、タクヤだ。よろしく……というかまずは降りてくれないか? あとな、俺はおっさんじゃねえから! 断じて違うからなッ!」
「あー分かった分かった。まあ一通り見てみたけどおっさんが幼気な少女を襲う血に飢えたバケモンじゃないってことはわかったよ」
――この世界にも幼女を襲う輩でもいるのだろうか――
などと無意味な考察をしているタクヤをよそに少年――ジャックは静かに立ち上がるとサモンの方を向いて声のトーンを落とす。
「なあサモッチ、無闇に外に出るなよ。危険だろ!……おい、まさかこいつに何の説明もしてないのか?」
『こいつ』が自分を指した言葉だと理解するのに時間は要らなかった。弁明を、いや謝らないといけない。彼女を無理やり外に連れ出したのは他でもないタクヤ自身だからだ。
「あ、いや、俺もサモンが魔力切れで危険なのは知ってる。無理に連れ出したのは俺なんだ、だから――
「ごめんなさい。私の自覚が足りなかった。ジャック君もタクヤさんもごめんなさい」
深々と頭を下げるサモン。
「いやそんなことない! サモンは全然悪くないって!」
「本当に悪いのは私で……」
「いや、俺が全部悪い……」
「まあまあおっさん落ち着きなって! オイラは別に責めてる訳じゃないし」
延々と続く2人の懺悔のやり取りに聴いていたジャックはその連鎖を断ち切る。
「ひとまず2人に大事が無かったから良かった、まずはオイラ達の村に戻って――
突然、大きくうねった揺れがタクヤ達の足元をグラグラと歪める。
「な、なんだこれ!」
「ウ、ウソ……!?」
「おい、これまさか!」
6つの瞳がその一瞬で恐怖の色に染まる。