転移ではなく転生
今後の成長のため、厳しいご指摘いただけると幸いです!
半ば引きずられるようにタクヤが連れてこられたのは隣の部屋に置かれた本棚の前だった。
本棚、たしかにそれは本の置かれた棚。しかし果たしてそれを本棚と呼んでよいのだろうか。色や形や大きさが異なる幾千もの本が壁面全体をギッシリと、奪い合うようにギッシリと埋め尽くしたその様を的確に言い表すならばそれはまさに本で出来た壁。
顔ぐらいある大きな本、手帳のように小さな本、華美に装飾された本、質素な黒革に包まれた本、ボロボロの本、ピカピカの本、薄い本、鈍器。
狭い部屋にあることも相まって、多種多様な本の放つ威圧感は半端なものではない。
「召喚時に言語の習得に関しても色々やっておいたので読み書きについても問題ないと思うんですけど、試しに……はいこれどうぞ」
そう言ってサモンが沢山の本の中から差し出したのは表紙に鳥や馬や鼠といった動物の絵が描かれた――
「絵本?」
「はい! これは子供の道徳性を育てるために作られた童話の絵本です!」
なるほど確かに本に書いてある文字は差し障りなく読むことができる。絵もついていることでタクヤは容易に絵本の内容を理解することができた。
「えーと、内容は『人を傷つけてはいけない』、『追い詰められても諦めるな』……とかかな? 俺の元いた世界と道徳性に大して違いがなくて良かったよ」
道徳性則ち倫理観。盗み暴行拉致殺人を肯定するような世界にでも転生させらていたらたまったものではない。
「問題なく読めますね! でしたらせっかくですしタクヤさんが好きそうな本……これとかどうですか? ドロギトネッチョリベチャベタ恋愛小説!」
「うん、オノマトペ使いすぎ。あと生理的に読みたくない」
「じゃあこの本! 清楚な胸キュンアオハル殉愛文学!」
「青春ラブストーリーはいいよね! 胸がキュンキュ……ん、殉?」
「あとはこの本! 3日以内に他の人に渡さないと呪われる怪談本!」
「俺を呪い殺す気?」
「えーと、じゃあ……」
サモンの悪意なき悪質な本紹介が続く中、端無くタクヤの視線は棚の端にしまわれた本に吸い寄せられる。
タン色をした分厚い獣皮に包まれその上から光沢を帯びた黒ベルトで縛られた、まるで金庫のように厳重に管理された本。それはタクヤの好奇心をくすぐるには充分すぎるほどの魅力を持ち合わせていた。
「この本は……なんの本?」
気付いた時には本は既にタクヤの手に掴まれている。
「あ、それは……召喚術についての本です……」
サモンがほんの一瞬表情を曇らせたのは気のせいだろうか。
「ふーん……これは……うーん? なんか読みにくいんだけど……」
読みにくいなんてものではない。いみふめーな文字、?な記号。かろうじていくつか読める箇所はあるもののごくごく僅か。さながら暗号文、絵がない点で鑑みればヴォイニッチ手稿とやらよりも厄介だろう。
「まあ私も解読に時間かかりましたから仕方ないですよ」
「へぇ……あ、読めた! ここ、『転生者は魔王を倒すため召喚された』って書いてあるみたいだけどさ……魔王って何?」
『?』には『俺が勇者の英雄展開来る?』というささやかなニュアンスが含まれている。
「あ、えーと、私たち人類は魔王率いる魔族と魔獣の集団、魔王軍と戦っているんです。数年前、前々回の転生者様が魔王を倒しこの世界に平和をもたらしたのですが……」
「……別の魔王が現れたのか?」
「大体そんな感じです。その後、別の転生者が新魔王を倒すために召喚されたのですが死んでしまい……」
「そして俺が魔王を倒すために召喚されたんだな?」
タクヤは超自信たっぷりに推測を述べる。
「いえ違います」
タクヤは羞恥心いっぱいで顔中が火照る。
「……え、そうなの? いや、でも魔王を倒さなきゃこの国はずっと平和にならないんじゃないか? 俺の予想だとまずは冒険者ギルドなり王宮なりに行って――
「そっそんなのダメです! 危険すぎます!」
「えぇ……でも俺は“天の恩恵“のおかげでよっぽどのことがない限り死なないんだろ? だったら別に問題はないんじゃないか?」
「ダメなものはダメで……すから……」
不意にサモンの身体が大きく、ゆらゆらと揺れてそのまま――
「サモンッ!」
倒れ込んだサモンをすんでのところで受け止めるタクヤ。
「大丈夫!?」
「え……えぇ大丈夫です、きっと多分ただの寝不足ですから……」
――寝不足?――
サモンを受け止めた際に彼女の顔を間近で目にしたタクヤはその返答に疑問を抱く。
間近で目にした少女の頬はゲッソリと痩せこけ目元を大きな隈が黒く濃く染めている。確かに一瞥した限りでは軽い寝不足かと人は思うだろう。
だが、タクヤの脳内では、先ほど読んだ召喚術の本の1文とサモンの台詞が固く結びついて解けない。
『召喚術の行使には非常に大量の魔力を消費する』
『魔力が減り過ぎてしまうと立つ気力すら失ってしまうこともあるほど危険なんです!』
――まさか……――
「なあサモン、正直に答えてくれ」
「は、はい……なんでしょう」
疑問を胸に問いかけるタクヤ。
「サモン、この本に書いてあったんだけど……サモンは召喚術を使っても大丈夫なのか?」
「え、えーと……あの、いや、えっと……その、大丈夫じゃないですけど……その……バレなきゃいいかなぁって……」
バツが悪そうな顔をしたサモンを見てタクヤの不安は確信へと変わる。
「ダメだよサモン! 自分の体は大事にしなきゃダメだ! 魔力を使いすぎると危険だって言ってたじゃないか! 本当は無理してるんだろ?」
「え!? え? い、いえそんな……無理なんて全然……」
「いいから休んでて!」
「いや、でもそんなわけには……」
「うーん……じゃあポーションの備蓄とかはある?」
「ポーション?……そんなものうちにはありませんが……」
「ならどうやって魔力を回復したら良いのか……」
「あ、あの、魔力は座ったり寝たりすると回復が早くなりますけど……」
「じゃあ寝て! 座って!」
「え、でも……。……じゃあ座らせていただきます……」
これでひとまずサモンは大丈夫だろうか。
タクヤは1人自責の念に駆られる。もっと早くに気付いていればと。
考えてみれば召喚術と言えば大抵その世界で腕利きの魔術師やら大司教様やら、少なくともこんな幼い少女が難なく扱えるような魔術ではないだろう。もっと早くに気付くべきだった。だって異世界転生なんだから……だから……。
そう、異世界転生なのだから……。
タクヤはあることに思い至る。
それはまるで1粒の水滴が紙面を徐々にジンワリと広がっていくような……
そんな不安に胸を侵されながらタクヤはひたすらページをめくる。
――まさかまさか、まさか――
予感は当たる。悪い予感だ。皮肉なことに、読める部分が非常に少ない本なのにその1文だけは明瞭にはっきりと読むことができてしまった。
ページをめくっていたタクヤの手は凍りついたように止まる。いや、手だけではない。その時の彼の身体、意識、全てが凍りつく。
青白い顔、震える手、過呼吸、虚ろ目、絶句。そんなことはないと自分自身に訴える、虚しく響く心の声。
もっと早く気付くべきだった。違う、気付くことをひたすら避けてきた。
『召喚された者は元の世界に戻ることができない』
当然のこと。とても当然のこと。わざわざ驚くまでもないこと。普通なら気にも留めないような、どうでもいいこと。なのかもしれない。
小説なら、普通の主人公なら、新しい生を得たなら、もう起きてしまったことなら、
――でも。
でも彼には未練があった。過去も、未来も、すべてを置いてきてしまった。
もう来ない。
口下手なくせにいつも励ましてくれる父。誰よりも自分のことを理解してくれる母。
そして、そんな2人の前で堂々と胸を張って笑っている、決して訪れることのない未来の自分。
決して来ない。
顔も知らない愛すべき妻、名前さえ与えてあげられなかった愛し子、想像することすら叶わぬ沢山の夢のような日々。
全部全部、失ってしまった。
彼にはあと少しで届くはずの幸せな人生がこの先にあるはずだった。
こんなこと、こんなことでいちいち泣いてはいけない、分かってる。彼は分かってる。でも、でも――
「……その、元の世界に戻る方法とかは……」
「残念ですが……召喚術は向こうの世界の死者にしか使えないので……タクヤさんが元の世界に戻るということは……」
「嘘だろ、そんなの……酷いって……」
「……その、こんなこと今言うのもなんですが――
「同情なんていらない」
「…………はい……ですよね……」
サモンが顔を俯ける。
長い間。
ジメジメと湿った重い空気が深く沈んで濁って澱んで暗い部屋を塞ぎ込む。
慰めることも励ますことも口を開くことさえも拒絶された時間。
タクヤはただ、
悲しくて、哀しくて、寂しくて、淋しくて、悔しくて、憂わしくて、苦しくて、虚しくて、辛くて、怖くて、切な
「大丈夫! 全然、大丈夫だよサモン!」
「ごめんごめん! 何も気にしなくていいって! 俺は大丈夫! 大丈夫だって!……うん! 本当だったら俺は死んでた、てか向こうでは1回死んだんだろ? んでそこを運良くお前が拾ってくれた。サモンのおかげで俺は2度目の人生を手に入れたってわけだ! 俺ってほんとツイてるぅっ〜〜!」
これからの人生を楽しめばいい、なんて割り切ることはできない。今まで生きてきた過去を、手に入れるはずだった未来を奪われた理不尽に納得することなんてできるはずがない。それを口の中に無理やり力づくで強引にギリギリ抑え込んで騙る精一杯の強がりがどれほど虚しくどれほど辛いか。
でもタクヤは見てしまった。俯いた少女の瞳、ちらりと映ったあの瞳。
――なんで彼女が泣いていた?――
他人の悲しみをまるで自分のことみたいに受け止めて、少しでも理解しようと苦しみ喘ぐ黒い瞳。励ますことも慰めることもできない。伝えたくても伝えられないもどかしさが溢れ出たような、そんな涙。
――俺のせいで――
彼女を傷付けてしまった自分への吐き気を伴う嫌悪感。自分の言葉が、感情の吐露が目の前の少女の心に深い傷をつけてしまった。その事実が心の奥をキツく締め上げる。また人を傷付けてしまうんじゃないかと冷たい恐怖が全身を覆う。
――怖い――
たった1瞬1人の少女のその瞳がタクヤにとっては深く深くトラウマのように、ただ1つの確かな決意として刻み込まれた。
――もうあんな顔2度と見たくない、2度とさせない。
感情を声に出さない、それだけでいい。それだけでもう誰も傷つけない。悲しくても苦しくても、絶対にもう弱音は吐かない――
「タクヤさん……」
「そうだサモン! 体調が回復したなら外を案内してくれないか? 俺興味あるんだよ! いつまでもこの部屋にいても始まらないし……な?」
「は……はい!」