前編
劇中の台詞は関西弁に似た、とある地方の方言を少しだけ分かりやすくして用いています。読み辛かったらすみません(>_<)
涙が止まらないほどに、誰かを好きになったことはありますか――――
* * * * *
僕、高山琉斗は小さな頃から泣き虫だった。
けれども別に弱虫だったわけではない。もちろん辛いことがあれば泣いていたが、僕が泣くのは辛いときだけじゃなかった。
テストで学年一位をとって、母親に褒められた時も嬉しくて泣いた。
クラスメイトと喧嘩をして怒りが沸き上がってきても泣いた。
バスケの試合で負けた時にも悔しくて泣いた。
親友たちと遊んでいる時間が心地よくて、ずっとこのまま今が続けば良いのにと思って泣いた。
要するに感情が昂る度に泣いていたのである。
どうしようもないのだ。我慢しようと思っても瞳からはポロポロと大粒の雫がとめどなく溢れ出る。
中学までの僕は、自分のその体質がものすごく嫌だった。
周囲の皆が時には同情するような、時には蔑むような視線を浴びせてくるからだ。
涙を見せることは恥ずかしい。差別的だと捉えられるかもしれないが、男は簡単に涙を見せるべきではないと思っていた。
にも拘わらず、僕の「思い」はお構いなしに、「想い」に従って、涙は溢れる。だれかがレバーを操作して瞳の奥の水門を開閉しているのではないかと嘆きたくなる程、自分では制御がきかなかった。
そんな泣き虫な僕が恋をしたのは、中学二年生の頃。
今でも僕は彼女のことが大好きだった。
* * * * *
『中学の友達誘ってお花見バーベキューパーティーせぇへん?』
そんなメールが届いたのは、高一の修了式当日の夜だった。
二年生に進級する前の猶予期間である、春休みが明日から始まろうとしている矢先だ。
差出人は野間宏。中学時代からの親友だ。
(確かこの前そんな話したな……)
僕は二日前くらいの記憶を掘り起こそうと宙を仰いだが、どんな話をしたのかまったく思い出せなかった。
仕方なくスライド式の携帯電話の画面に視線を戻し、宏に返信をすることにした。
『ちょっと詳しく』
すると数十秒で返信が返ってきた。宏は中学から携帯を持っていたので文字入力がとんでもなく速い。
僕も携帯を買い与えられてから一年経っているのでそれなりに速くなったはずだが、宏には到底敵わない。
『A商入ったん俺だけやん? それでめっちゃ寂しくなってもーてん。高校での一年間終わって、皆も久しぶりに集まりたいんちゃうかなーって思ってな』
宏はA島市内のA島商業高校に通っていた。本人の言うとおり、同じ中学から一緒に進学した者は一人もいない。
中学時代お調子者で、男女問わず人気だった宏にとってそれはなかなかにキツかったらしい。以前、高校では中学と同じようにはいかないと嘆いていた。
だがそれは宏自身わかっていたことだった。それでもなお、自分をちやほやしてくれる友人のいないA商に彼が進学したのは、自分の夢が明確にあったからだ。その夢のためには、資格が取りやすくサポートも厚いA商が近道なのだと言っていた。
普段はおちゃらけていたクセに、誰よりも真剣に将来のことを考えていた宏を僕は心底尊敬したし、それまで以上に好きになった。
反対に僕には夢なんてものはなかった。A島市内有数の進学校であるS北高校を選んだのも、ただ漠然と良い大学に行って良い企業に勤めたい、その程度の考えしかなかったからだ。
『寂しいなんて可愛いこといいまちゅね~! それで、中学の友達って、メンツは誰を考えているんでちゅか~?』
僕は宏をおちょくるような内容の返信を送った。別に本気で馬鹿にしているわけではない。気心の知れた仲なのだから、こういうおふざけをちょいちょい入れるのはよくあることだ。
『いつも電車が同じメンバーは誘うでちゅ! あとは、適当に連絡先知ってる奴らを誘おうと思っていまちゅ!』
宏もノリノリで返信をしてきた。しかも最後に赤ちゃんの絵文字つきである。
『きもっ』
『酷くない!?』
フリにノってきた相手を突き落とす。こんなくだらないやりとりが、僕にはとても楽しかった。多分宏も同じように感じてくれていると思う。
『琉斗はもちろん参加するよな?』
僕の返信を待たずして、宏が次の文を送ってきた。僕は勉強机の椅子から立ち上がり、ベッドに仰向けに体を放り投げた。
うーんと唸りながら顔の前に携帯を掲げる。
『メンツによるなぁ』
人気者の宏は中学時代の友達がたくさんいる。しかし僕はというと、あまり積極的に多くの人と仲良くしない、というよりできない性格だった。しかも、人の好き嫌いが激しく、宏の友達でも僕は嫌いだ、ということがそれなりの人数に当てはまってしまう。
『もちろん琉斗の嫌いなやつは誘わんよ! それに、』
宏もそこはちゃんと理解してくれていた。気を遣わせたことに申し訳なく思いながらも、じゃあ参加してもいいかなという気になった。そして宏のメールの続きに視線を滑らせる。
『それに、梓ちゃんももちろん誘うよ(ハート)』
「いっ!?」
僕は素っ頓狂な声を上げて驚き、携帯を持つ右手を滑らせてしまった。咄嗟に顔を背けたが、重力に引っ張られた携帯はあえなく僕の右頬骨に激突した。
「痛ったぁ~……!」
僕は右頬を手で押さえて痛みに悶えたが、痛みはすぐに消えてくれた。この前は前歯に当たって血まで出てしまい、そしてかなりの時間痛かった。僕は過去の反省を活かして、歯に当たることを避けることができた自分を褒めてあげた。
いや、違う。そんなくだらないことを考えている場合ではない。
(北原も誘うんか……)
と言うかそれは当たり前だった。宏は最初に言っていた。電車が同じメンバーは誘うと。
北原梓は僕とは違う高校、J東高校に通っている。僕と宏はS北やJ東など、A島市内の高校に通う中学の元同級生数人と同じ電車に乗っており、通学時はいつも固まってお喋りをして過ごしていた。
そしてそのグループには北原梓も入っている。
僕は慌てて宏への返信を打ち込み、送信した。
『じゃあ俺も参加するわ。でも北原がどうとかは関係ないぞ!』
すぐさま宏からの返信が届く。
『返信遅かったなぁ。動揺したのバレバレ(笑)』
僕は顔がカァーと熱くなるのを感じた。こういうのでいじられるのは嫌いだ。イラついたので宏への返信をスルーしていると、また携帯の画面が光った。
『ごめんごめん(笑) まぁ、また詳しいことメールするわ。他の奴らにも声かけておくけん楽しみにしとって』
『わかった』
さすがに謝っている相手を無視するのは大人気なさすぎると思ったので、僕は短い返事を送って携帯のスライドを閉じた。
ふぅーと長いため息をついて思い浮かべるのは北原梓のことだ。毎日のように朝電車で顔を合わせているのに、未だに恥ずかしくて彼女の顔を直視できない。
(でも、しょうがないやん……)
北原梓は僕が中二から今まで、ずっと思いを寄せ続けている女の子なのだ。
* * * * *
僕が北原と出会ったのは中学に上がった時だ。
僕の住んでいた町は小さかった。僕の通っていた小学校と、北原や宏が通っていた小学校は別だったが、中学はその二つからの卒業生が入学する一つだけだった。
各学年二クラスずつしかない小さな中学校であったが、北原とは別のクラスでほとんど関わることがなかった。
その時から北原のことは可愛いと思っていた。他の男子がニヤニヤしながら北原のことを話しているのをよく聞いていたし、その気持ちも充分わかる程に、彼女は可愛かった。
でも僕はそういうのには結構ドライで、可愛くても性格が悪ければなんの魅力にもならないと思っていた。これは別に強がりで言っているわけではない。芸能人でも、顔がいくらよくてもバラエティで番宣だけしてあとは澄ました顔で笑っている女優より、多少可愛くなくても体を張ったり芸人たちと愛嬌たっぷりに笑っているタレントの方が好みだった。
……少し言い訳がましくなった。まぁ、信じてもらえないなら別にそれでも構わないけど。
とにかく、一年の内はあまり北原に対して浮わついた感情は持ち合わせていなかったということだ。
しかし、二年に進級して一気に気持ちは変わった。北原梓は僕の嫌う顔だけの女の子ではなかったからだ。北原の良いところを上げようとすれば、それはもうキリがない。
まず顔が可愛い。美しいではなく、可愛い。目がくりんとしていて、どちらかと言うと童顔だ。
髪型はショートボブ。いわゆるマッシュルームヘアというもの程ではないが、シルエットがきのこのようにも見えるので、女子の友達にはきのこといじられているのを見かけことがある。そのときに不満顔でプンプン怒っていたのも可愛かった。
そして真面目だ。学業の成績自体は中の上くらいだと聞いたが、校則違反をしているところを見たことがなかったし、先生からの評価も高かった。
さらに声が可愛い。当時から現在に至るまでトップで活躍し続けている人気声優の声を、アニメよりも少し現実っぽくしたような声だった。
それでバレー部に所属していた。運動部で一生懸命汗を流す姿はとてもはつらつとしていたし、そのおかげかとても健康的なスタイルだった。
とまぁ、この辺にしておいても彼女の魅力は伝わると思う。別に気持ち悪いと思われても構わない。自分でもそう思うから。
つまり進級して同じクラスになったために、北原の魅力をどんどん理解していったというわけだ。
でもまだ初めの内は、その感情は恋にまで発展しなかった。当時の僕はまだまだガキで、恋というものがどういうものかわかっていなかったのだ。
しかし、その恋という感情は二年の秋に芽吹いた。
うちの中学は文化祭で各クラスが出し物をする決まりになっていた。出店のような形式ではなく、ステージで演劇やダンスなどを披露するといったものだ。
僕のクラスはダンスをすることになった。当時人気だった男性アイドルグループの曲に合わせて、女子が考えた振り付けで踊る。僕はクラス長だったので先生からクラスの統率を任せられていた。しかし中二の男子というものは、身勝手で、騒がしくて、バカだ。先生が席を外すと待ちわびていたかのようにそれぞれに喋り出す。
クラス長だからと言って僕にはなんの権限もなかった。注意しても聞き流されてしまい、教室内は無法地帯になる。
女子の批難の目は、だんだん言うことを聞かない男子たちではなく、彼らを制御できないクラス長の僕の方へと向けられた。容赦なく降り注ぐ視線の束に、僕は冷や汗をかきながらどうしたもんかと行動を決めあぐねていた。すると突然、僕の体操服の裾をぴん、と遠慮がちに誰かが引っ張った。驚いて振り向いた僕は、その先にいた人物を見てさらに驚いた。
「どうするん……?」
僕の裾を引っ張っていたのは北原だった。不安そうな顔で僕を見上げていた。北原は別に女子のクラス長ではない。それは別にいて、僕のことを睨んでいる集団の中にいた。だから北原は、役割とか関係なく、生来の気の真面目さから僕のところへやってきたのだろう。
北原としては、僕を頼ったのは単にクラス長だったからという理由に過ぎないと思う。でもその時の僕はあの北原に頼られたことが嬉しくてたまらなかった。僕は「任せて」と一言、真面目な親友たちの力を借りてバカ男子たちを説得し、見事に場を収めてみせた。
いつの間にか僕を見る女子たちの目は感心のそれに変わっていた。僕は達成感に満ち溢れる胸を撫で下ろしてホッと息を吐いた。するとまた僕の裾がぴん、と引っ張られる。そちらを向くとまた北原が僕を見上げていた。
「ありがとう。さすがクラス長さんやなぁ~」
その時僕はものすごく強い衝撃を受けた。北原の笑顔が学校の花壇に咲いている早咲きのコスモスよりも色鮮やかに見えたからだ。僕は完全にこの瞬間、彼女のことを好きなのだと悟った。恋に落ちた、いや、北原梓によって撃ち墜とされたのだった。
* * * * *
午前中の部活動を終えて帰宅した僕は、リビングで遅めの昼食をとっていた。その間も僕の頭を支配しているのは昨夜の宏のメールの件だ。果たして北原は参加するのだろうか。そのことが気になって仕方がなかった。
食べ終えた食器を流し台に持っていき、ソファでくつろいでいると母親が洗い物をしながら話しかけてきた。
「琉斗、ちょっと休憩したら買い物付き合ってよ」
「別にいいけど。どこ行くん?」
「ホームセンターと『ブラン』やな」
「おっけー」
『ブラン』とは町内にある中型のショッピングモールだ。ブランなら暇潰しにもなるし、ちょうど欲しい漫画もあった。高校生にもなって母親と買い物に行くなんて信じられないと同級生から言われたことがあったが、僕にはなんの問題もない。親子仲はとても良好で、一緒にいるところを見られても別に恥ずかしくもなんともなかった。
だから僕は母の運転する軽自動車の助手席に座り、ブランへとやってきたのだった。
「母さん、俺ちょっと本屋寄ってくるわ。すぐ戻るから」
そう言って母親と別れて二階のテナントに入っている本屋を目指す。ブランは全国的に見れば大きくはない施設だが、町内では最も大きい。よって中学の友達や元クラスメイトたちもよく利用している。僕もたまに偶然見かけたりする。まぁ、よほど仲の良かった人にしか話しかけないが。
だがそうなるとどうしても期待してしまう。もしかしたら北原と偶然会ったりすることもあるのではないかと。そう考えるともう、北原に会いたいという気持ちが泉のようにどんどん溢れてきた。
そんなことを考えてドキドキしながらも、本屋に着いたので漫画の新巻のコーナーを見る。しかし目当ての物は見つからない。
(あれ~? 確か今月出ると思ったんやけどなぁ……)
そう思いながら改めて平積みの漫画を隅から確認していると、急に僕のTシャツの裾がぴん、と引っ張られた。
その感覚にドキッとして、恐る恐る振り向いてみた。
「おっす」
そこにいたのは僕の想い人、北原梓その人だった。
「おおっ!?」
僕は間抜けな声を出して跳び上がった。会いたい会いたいと思っていたが、まさか本当に会えるなんて。
北原は少しタイトめのデニムに白い薄手のブラウスにスニーカーという出で立ちだった。僕的には女子の服装はスカートが好みなのだが、そんなことはどうでもいい。北原の私服姿を久しぶりに見られただけで眼福だ。
「ひっ、久し振りやな」
「うん~? ふふっ、昨日ぶり~」
そうだ、昨日の朝電車で一緒に通学していたじゃないか。せっかく休日に会えたのに、バカなことを言ってしまった自分を殴りたい。しかし目の前にいる僕の想い人は、そんなこと気にもせずに朗らかに笑っていた。
「漫画買いに来たん?」
「あぁ、うん。『フリーズ』ってやつなんやけど、知っとる?」
「あぁ! 妹が集めとるけん、知っとるよ~。私も読んでるよ」
「え! そうなんや!」
北原が僕の好きな漫画を読んでいる。そんなことが嬉しくてたまらないあたり、高校生になっても僕はまだまだガキなんだろう。
「友達と来てるん?」
「えっ、まぁ、うん」
本当は母親と来ているのに、咄嗟に嘘をついてしまった。母親と買い物をするのは恥ずかしくないはずなのに、北原にはその事実を知られるのは恥ずかしいと思ったのだ。
「北原は?」
「私はお母さんと来てるんよ」
「そうなんやな……」
そこでふと僕は、北原にバーベキューのことを訊いてみようかなと思った。しかし宏からまだ連絡がいっていない可能性もある。だが北原が参加するのかしないのか、そのことは今の僕にとってとても大事なことだったから、思い切って話してみよう。そう思って口を開こうとした。
「じゃあ、私行くな。邪魔してごめん。また電車でな!」
「あ、うん! バイバイ!」
「ばいばーい」
そう言って北原は百均のフロアへと歩き去ってしまった。僕は自分の決断の遅さを呪って肩を落とした。
とは言え北原に出会えたのは本当にラッキーだ。しかも北原の方から話しかけてきてくれた。つまり北原は僕のことを少なくとも話しかけても良い友人であると思ってくれているのだ。
そのことが嬉しくて、僕はスキップしたくなるような気持ちで食品売り場の母親と合流した。「あんたそんなアホ面やったっけ?」と母親に言われたが、僕はまったく気にしなかった。