ヒーロー(ルパン三世のアニメをみながらふと思ったこと)
ルパンと不二子の愛って、大人の愛なんじゃなくって、実はとても幼い愛なんじゃないのか?
って、あらすじに書いてますけど、その考察がなされているわけではないのです。
ただ、おそらく、ふたりの愛は、きっと幼いんだと思います。
なぜって、ルパン三世、彼は、永遠のヒーローなのだから。
ヒーローって、なんなんだろ?
と、ふと思った。
ルパン三世のイタリアンゲームを、みて。
このアニメは、実は三年前の1月に放送されたのを、このあいだ再放送したもの。
私は、ルパン三世にそんなに詳しくなくって、おそらく、いわゆるファーストルパンが、一番いいんだろうという認識でずっといて、とくに新作新作を追っかけるつもりもなく、そこにそうしてある風物詩、私にはあまり関わりのない、みたいな接し方をしてきたと思う。(あ、でも、もし、日本で一番好きなアニメ映画は?との問いがなされるのなら、私は迷わず「ルパン三世 カリオストロの城」って、答えはするのだが)
そういう立ち位置のアニメだったルパン三世だったが、その認識が大きく変わったのが、2018年夏にやってた「ルパン三世 5」をみて。
えっ、て思った。
なんていうか、制作スタッフが、この過去数十年に渡って続いてきたアニメのことを好きで好きで大好きで、って想いが伝わってきた、と思った。本当のところは、知らないけどね。むろん、テレビ局のアニメ制作部みたいなところがあって、その中でのルパン三世という作品の置かれている位置というのも容易に想像できる気がするし、その伝説の、鉄板の、視聴率を必ず取ってきた作品の制作にあたって、スタッフの取り組む覚悟みたいなものが、他の凡百のアニメとは違うというのは、これはもう想像というより、絶対にそうであると言い切ってしまってもいいと思う。
で、そこの部分とはべつのところで、制作しているだれ?監督?脚本家?プロデューサーみたいな人?だれだかよく知らないけど、作品の色を決めることができる人、あるいは人たちが、絶対に子供の頃からルパン三世をみていて、大好きなルパン像(次元像を、五右衛門像を、銭形像を、そして、これが一番大切なのだが、峰不二子像を)を、持っていて、その大好きにできるだけ沿おうといている。
ように。
見受けられるのだ。
それって、凄い事だと思う。
実際には(ぜったい、ぜ〜ったいに、あり得ない話だけど)やっつけ仕事でなんの思い入れもなく作っているんだとしても、あれだけのルパン三世にたいする思い入れ、愛情、いや、盲目の愛とさえ呼んでいいのかもしれない思いの丈を、画面所狭しと散りばめられたら、それは、みている方も気合いを入れて、みてしまうだろう?
それは、仕方がないだろう?
で、今喋ったのは、ちょっとまえまでやっていた、2018年の夏に2クールでやっていた、連続テレビアニメとしてのルパン三世の話。あきらかに、「おみそれしました、なめていました、ごめんなさい」と頭を下げてしまったアニメの話。
で、おとといにやった再放送は、その大好きになったルパン三世より2年以上以前に作られていたルパンアニメだったわけだが、ほぼほぼ、同系の匂いがした。
つまり、とっても気に入った。
で、冒頭の問いを、問いたくなったってわけ。
ヒーローって、なんなんだろ?
でも実は答えなんて遠い昔から少なくともこの日本では揺るがない像をもって決まっていて、実はその答えなんて至極シンプルで、たった一言の短い言葉で表すことができる。
問、ヒーローって、なんなんだろ?
答、『憧れの人』
お読みくださり、誠に有難うございます。
こんどまた場所をあらためて、ふたりの純愛については話をしてみたいと思っています。
またお会いできる日を楽しみにしています。
でわ。