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Scene 1 「はじまり」の終わり

 ゴトンゴトン。

 ただいまケータイが非常に繋がりにくい地下鉄の区間を走行中。

 このままでは少し遅れてしまう。

 でも、まあいいか。

 いつもよりもドキドキ。さすがに少し緊張してる。

 金曜日の夜。ここは世界の大都市、東京。

 ステータスが下がったとかいろいろ言われるけれど、世界の先進各国の主要都市に劣る存在だとは思わない。

 確かに、東京以上に素敵だと思った都市は少なくないけれど、長く住んでみたらそれもわかったものではない。実際、三か月ステイしたロサンゼルスにはいいイメージはないし――この東京は、間違いなく素敵な街だ。

 そんな東京の人口の多数を占めるサラリーマン。

 私もそのひとり。

 この人種の多くが今、この時間帯を好ましいと思っているはずである。

 日頃の煩わしい仕事や人間関係から解放され、しばし訪れる自分の時間。

 このときのために、日々、あんな苦労をしているのだと言っても過言ではない。

 まして。

 ドアの横に立っている。外を眺めても真っ黒な世界。ちょっと息苦しい感じがあるのと並んで、地下鉄の最大の欠点だ。だがそれも今の私には、いい機会に思えた。

 とうとう観念するときが来たかな――。

 いろいろな思いが頭をよぎる。正直、まだイマイチぴんと来ない。

 自分の生活がきっと大きく変わることになるのだろう、ということには思いは及ぶけれど、いろいろな話ばかりは聞くけれど、さすがにまだ、実感はない。毎年一週間以上の単位で行っていた海外旅行も行けなくなったりするのかも――そう思うと少し鬱。

 これがいわゆる、「マリッジブルー」というやつなのだろか? いや、それはもっとあとの話か。

 ……ひとり、苦笑する。

 非凡でありたいと、そう思っていたんだけどな。

 結局、ごく普通に結婚しちゃうのか、私。

 かけがえのない週末の、プライベートをともに過ごすパートナー。

 ここ半年くらい、二週間に一度くらいしか会えていない。

 金曜日に会うこと自体久しぶりだ。

 ここ最近会ったのは三回前の日曜日。このときも確か二週間ぶりだったので、朝から晩まで連れまわした記憶がある。

 彼といると、ヘンに気負うことがなくいられる。

 ホッとするとかそういうのではなく、なんというか、余裕をもって接せられる気がする。これは意識してみるとあんがい気持ちよく、遂に交際期間はほぼまる四年に及んでいた。来月が終わるともう5年目に入る。よく続いたものだなと、我ながら感心する。

 その彼から「重大な話があるので必ず来てほしい」と連絡があったのは、今週の月曜日の昼。

 私と付き合う前まではあまり得意ではなかったケータイでのメール。今では彼もそこそこ速くなった。私の教育の賜物だ。

 正直、自分色に染めてるんだ、っていう自覚はあった。

 彼はルックスもまずまずだし、センスも悪くない。お金をかけるポイントがしっかりしてて、オシャレというほどではないけれど、気が利いている。ただ、もともとそうだったとはいえ、その手助けをしてきて、それなりに伸ばしてきたという自負はある。もっとお金をかけてもいいんじゃない? と思うこともあるけれど――結婚するならこのぐらいの方がきっといいのだと思う。

 仕事もできる方だと聞いてるしね。

 出すぎず出なさすぎずの性格も、サラリーマン社会ではある意味必要な性質であるし、実際、四年も付き合っていれば、良くも悪くも判ってくる。

 誠実な好青年であることは間違いない。どこに出しても、まあ恥ずかしいというわけではない。

 だから――。

 駅に着いた。

 やばい、やっぱ遅刻だ。ちょっとだけど。

 彼はきっと、もう待っているに違いない。一度、待ち合わせに遅れた彼とケンカして以来、彼は待ち合わせに遅れてくることは一度としてなかった。

 やっぱ生真面目な男だなぁ――と思う。

 一〇年前の私なら、絶対に付き合っていない。否、付き合った可能性はそれなりにあるけれど、きっとすぐに別れていただろう。

 一応メールを再確認。何もない。

 彼もきっとドキドキしているに違いない。それほどタフな方ではない。心も体も。私以上にきっとドキドキドキ。二年前のときがそうだった。

 あのときは、彼の挙動不審ぶりからすぐに判った。そこでこちらも動揺し、混乱していたなら、今日この日はなかったかもしれない。そしてそれは、決して悪い意味ではない。きっとその時点でOKしていただろうと思うから。「結婚は勢いだよ」と、若くして嫁いだ友人たちはだいたい口を揃えてるし。

 でも。

 あいにくと、私はそれほどかわいげのある女ではなかったらしい。

 二年前といえば、私が三〇の誕生日を目前に控えていたころ。

 三〇前に結婚を──というような、世間に少なくないプレッシャーに負けて駆け込んでいく女たちの一員になりたくはない、そんな思いが、当時の私には確かにあった。

 オンリーワン、というほどではなくても、あまりにありふれた人生は願い下げ――そんなふうにずっと思って生きてきた。非凡な人生を歩んでやるんだと。それをそこで諦められるほど、私は自分の人生に悲観的になってはいなかった。

 平たく言えば――冷めて――しまったのだ。

 正直、「このヘタレ」と思ったことを否定しない。いい年した男が見せる余裕のない態度にがっかりしたのはそれはそう。でもそれ以上に、私はそのとき、間違いなく思っていたのだ。彼をすべて、と決断するのはまだ早い──と。

 あれから二年経った。

 やっぱり、潮時だよ――。

 自分の気持ちを整理しながら、私は彼の指定した待ち合わせ場所へと急いだ。


 彼の姿がすぐに視界に入ってきた。一五分の遅刻だ。

 一応ちょっと速足。少しでも急いだんだよ、という自分をアピールしたい。

 一生の思い出に残る瞬間が待ち構えているのだし。

 運動によってさらにドキドキ。でも我ながら頭は冷静さを保てている。余裕がある。二年前のときとは違った冷め方だ。

 これならきっと大丈夫だ。

 彼のプロポーズ次第ではあるけれど、きっと素敵にOKできる、そんな自分を想像できる。

 よし――。

 彼の方はまだこちらに気づいていない。

 人ごみの中。

 さっき視界にとらえた私の方も、彼の姿をロストする瞬間は多い。彼が気付いていないことにはちょっぴり不満だけど、それはさすがに仕方ない。

 少し歩速を緩める。

 ちょっと脅かしてやろうか?

 それともいつになくかわいく振舞ってみようかしら?

 ──浮かれている。

 そんな自分をコントロールしながら、再び彼を視界に捕らえた。電話を、している。

 自分のケータイに目をやる。

 私じゃない。

 彼が電話をしているのは、私ではない。

 そう認識した私の眼に次に入ってきたのは、今、会話をしている、という事実。

 距離が近い。会話の内容が聞こえるほど。彼の方はこちらからみて横を向いてしまった。タブレット端末を確認しながらの電話だ。

 彼の視界には、間違いなく私は入っていない。

 え?――。

 耳を疑った。

 一瞬立ちすくんだ。

 まさか――。

 流暢な英語が飛び込んで来た。彼の、声で。

 日本人らしさは抜けきっていないが、日本人としては一流と言えるレベルの――ビジネス英会話だ。私でさえ――いや、私では全部はちょっと理解できないほど、難解な単語が並ぶ。法律、知的財産系かな? と推測は出来るけれど、そこまでだった。

 どのくらい立ちすくんでいたのだろう。

 気がついたら、電話を終えた彼の方もこちらを向いていた。

「よう」

 彼はいつものように、ちょっとだけ右手を挙げた。

 なんとか態勢を立て直す。

 今、英語しゃべってたみたいだけど?──の一言が出ない。

 付き合い始める前、まだただの職場の同僚として知り合ったばかりの頃だから、もう七年近くも前。確かに聞いた覚えがある。

 英語が全然ダメで、それがコンプレックスであること。

 日常会話ぐらいなら誰でも英語でこなせるようなウチの会社の中では、弱点すぎて話にならない、と語って暗くなっていたのを励ました覚えがある。私にしてみればそれ自体珍しい行為だが、その時の彼はそれほど自虐が入っていたのだ。彼の同期の社員に、他に武器があるんだから、と慰められていた覚えまでもある。

 何でそんなに覚えているかって?

 だって珍しいじゃない? 自分の弱点をあからさまにさらけ出すヤツ。しかも、真剣な顔で。

 いわばライバルでもある年の近い、あるいは同期の同僚に暴露するヤツ。本気で自分が嫌いだ、嫌だ、という態度で語る、そんなヤツ――。

 四年も付き合っていれば、一緒に海外へ行ったこともある。一度だけど。

 そういえばあのときはドイツ、フランスが中心だった。彼が二外がドイツ語、私がフランス語だったから、予め各々が担当分野を全面的に受け持つことで、お互いの言葉が現地でちゃんと通じているかもレクリエーションの一つとして楽しんだ旅行だった。

 困ったときでも身振り手振りで出来るだけ――そんな約束で笑い合った、そんな旅行。

 実際は本当に困った瞬間はほとんどなく、英語もほんとに数回使っただけだった思う。私が。

 そんな彼だったから、私は今この目で見たシーンを、理解できなかった。

 そんな茫然自失に近い私に、彼が話しかけてくる。

「あんまり時間をかけるわけにはいかなくなった。これからまた、社に戻らないと」

 え?

「いろいろ考えてたんだけど、単刀直入に言う」

 …………。

「俺、明後日、シリコンバレーに行くことになった」

 …………は?

「今の社会情勢の中じゃわかったもんじゃないけど、社の方では最低五年は向こうで、って言ってる。シリコンバレーだけじゃなく、ロスだとか、サンディエゴだとかにも。しばらくアメリカ西海岸を転戦することになりそうだ。行ったり来たり、かなり忙しくなる。日本にはたぶん、年に一度戻って来れるか来れないかだと思う」

 …………。

 ……ロス? 西海岸? アメリカ?

 先進国の中で一番肌に合わなかった、あの?

 英語は話せるけど――え? そんな、急に言われても。

 混乱している。

 話の内容は理解してはいるつもりだ。

 だから混乱しているのだけれど。

 ついて来いって?

 ついて行かなければいけないの?

 ってことは仕事は?

 私の、仕事は?──。

「今の俺らじゃ、たぶん、お互いのためにならない。だから、別れよう」

 ……?

 …………。

 ……………………。

 !っ――!?

「俺はタフなタイプでも器用なタイプでもない。たいしたキレ者でもない。新しい環境、しかも初めての海外生活だ。話を聞く限り、周りは天才ばっかの世界に入り込むことになる。たぶん、仕事に無関係な何かを考えている余裕なんて当分ないだろう。だから」

 ――――。

「ごめん。すぐ戻らなくちゃいけないんだ。現地の所長がモニタの向こうからお呼びでね」

 ────。

「君といた四年間、本当に俺は幸せだった。そのおかげで今の俺がある。感謝してる――それだけは言っておきたかった。会って直接、どうしても言っておきたかった」

 ……あれ?

「今まで長い間ありがとう。それから今日、来てくれてありがとう。……じゃあ」

 …………あれれ?

 早々に背中を見せた彼。

 いつもより速いように見える足どりで。

 ………………あれれれれ?

 人ごみの中に消えていく背中。

 ――ええっ?

 一度も振り返ることなく、ほどなくして、消えた。


 ……なにそれ?

 なに、それ。

 どういうことよ??

 

 どういう、ことよ――。

 

     * *

 

 土曜日にフルタイム出勤したり、日曜日ふらっと出かけて行ったと思ったら会社にいたり。

 何が彼を追い詰めているのか――。

 私は、半ば逆ギレ的に食ってかかった。

 私はそんなに信用ないのか?

 フォローできることがあればするから! と。

 

 キレて、そんな内容のことをいろいろ口走った覚えがある。

 彼は、そんな私に一瞬目を丸くし、少しの時間考えたあと、怒りまくって肩で息をしている私に、語り始めた。


「たぶん、遅かれ早かれ、もう限界だったんだと思う」


 落ち着いたあとの、彼の開口一番は、これだった。

 そのあと、彼は軽蔑されるかもしれないけど──と前置きし、素情や育ち、自らの性格や考え方、そして「夢」について語ってくれた。

 いつもの綺麗にまとまった語り口ではない。


 彼自身、誰かに話すことを考えたこともない、そんなテーマだったのかもしれない──。


     * *


【登場人物】( )は初登場時の年齢

成川琴乃(31):本作の主人公。一流大学出身、大手企業に勤務。就職氷河期の中を勝ち抜いた才媛。

非凡でありたいと思って人生を過ごしてきたものの、これまでの順風な人生に大きな不満は感じていなかったが──。


 みちみち出てきますが、また「ふたつ、ください」のときと同様、「Scene 1」には主人公の名前が出てきませんでした(笑)。なので、こちらでご紹介。

 一見、ここで完結しているようにも見えますが、もちろん続きます。よろしくお願いいたします。

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