酒と桜と男と男
はじめに謝っておきます。ごめんなさい。
とある庭園。櫻の園として有名なこの場所をカップルが訪れた。
桜の木の下満開の4月1日。あちこちで酒盛りが楽しそうに行われていた。
女が男に声をかける。
「あたしたちも早く呑もうよ?」
「そうだね。ここいらでいいか」
シートを開き飛ばないように荷物を置く。その中からお酒とおつまみを取り出す。
そのまま二人きりの花見を始めると、全てが楽しくてしょうがなくなった。道行く酔っ払いが指差して笑う。男が時折それに応えると、何故か近寄ってきてはシートにしゃがみ込まれ、絡まれる。しかし楽しいので許す。それが重なり重なり、赤ら顔の酒臭い、名も知らぬおっさんたちの名刺がたまった。
その中の一人が、イカゲソを半分口から溢しながら、妙なことを口走った。
「兄ちゃんよお、運がいい! ここ、縁結びの樹があるんだぜぇ!」
「へえ、何処にあるんですか?」
「ほら、あのトイレの裏にあるでっかい奴。盛っても許すぞ! あははは!!」
「ははは……」
それっきり、おっさんは眠ってしまった。ゲソが口に刺さっている。
唾液にまみれたイカゲソが、まるでアリスのように、口のなかに広がる不思議の国に入っていこうとしているようにも見えた……と、小説なら書くのかもしれない。
しばし後、部下らしき男性が何度も頭を下げながら、やって来た。部下がおっさんを引きずり歩いていくのを眺める男が女に、
「その桜の樹、見てみたくない?」
「そうだね。行ってみる?」
二人は貴重品だけを持って立ちあがった。
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「ちゅ………ん……んちゅ………」
「ん……ちゅ…んちゅ………」
その場所では、周囲の目を気にすることもなくいくつかのカップルが情事に耽っていた。最初あっけにとられていた二人も、ムードによるものかアルコールによるものか、どちらのせいかは判断がつかない。にもかかわらず、次第に身を寄せ合い始めていた。
が、急に女が身を怖ばらせた。
「だ、だめだって。いやっ」
「いいだろ。なあ、ほら、みんなしてるんだから」
「だけど……。壊れちゃう」
「大丈夫だよ」
男は女の背中に手を回し、シャツに手を入れる。その動作はこなれたもので、下着のホックをなんともなしに開放してしまった。
「ん……いや! だめ、だめになっちゃう!」
「いいよ」
今度は逆の手を腰に回し、徐々に下へと高度を下げていく。反っていた部分が徐々に方角を変え豊かな肉付きのある個所へと手が導かれた。
「やめて! 私、怖い! 壊れちゃう!」
「怖くない怖くない」
充分にその感覚を楽しむと、男は女から一度手を離した。女が男の顔を見るとホッとした後に目を閉じたので、男はそういうことかと一人合点。御免とつぶやいて、目を閉じ口づけを交わそうとする。
「あああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
別の場所から悲鳴のような声が上がった。男はチャンスとばかりに抱き着き、手を回す。
右手で胸をもむ。何だか固い。
背後に回した左手でケツをなでる。固い。というか、人じゃない固さ。
閉じた瞼を開く。
目の前には髭面のおっさんが眼を見開き、男を見つめていた。
「ワシだ」
「ぎゃあああああああああああああああ!!」
「ふふふ……。ははははははは!!」
男は悲鳴をあげつつ、慌てて抱き合っていた体を引き離す。
目の前にいた男に向かって、遠くから兵士が畏まりつつ声をかけた。
「曹丞相! 何をお笑いになるのですか」
「ふふ。分からぬか? 周瑜も孔明も木偶の坊だということだ。我――曹孟徳ならば、ここに将を配し大将を撃つ」
「さすがは丞相です」
一山越えを果たし、劉備や孫権の軍勢を決死の思いで排し続けた曹操軍はその言葉に奮い立つ。目を爛々と輝かせた男の群れは血生臭い甲冑を脱ぎ捨て、黄泉の国から帰って来たかのように互いに抱き合っては時折、歓喜の声で歌う。
何者かが和太鼓を鳴らす。音に合わせて3人が、両手を前に伸ばし腰を落として上下に激しくシェイクしながら右に左に体を揺らす。
その、なんというか、すっごく可愛い。もう可愛すぎて理性が飛びそうだ。
「わはははは!! ほら見ろ愉快だ! ……む?」
遠くから、何やら音が響き渡って近づいてくる。
次第に音量を増すその音は、どこか懐かしい。
とはいっても心地よいものではない。むしろ逆で、曹操は無意識に唾液を飲んだ。
ジャーンジャーンジャーン。
音が迫力を増す。馬の足音が大きくなる。
音に合わせ、曹操方の兵士による叫び声が響きわたる。その惨劇の醜さは、青ざめている兵の表情がすべてを物語っていた。
その後に飛んできた声は、曹操にとって、確かに覚えのある声であった。
「曹丞相、それまでだ!」
「む、何奴だ!」
鳴り響く和太鼓が銅鑼に改まり、目前には群衆をかき分ける美髯男の姿。
美髯男が名乗り上げるその前に、曹操の周囲から声が挙がった。
「あ、あれは関雲長だ!」
「何っ!?」
ジャーンジャーンジャーン。
鳴り響く音の中堂々と姿を現した、身の毛もよだつ切れ長の目に長顎髭。
「げえっ、関羽!!」
なめまわすように全身を見渡す。
間違いなく関羽であった。
それを認めた曹操はわなわな震え、声を出すのがやっとで指示も出せない。
「桃園の誓い、庭園で再び果たさん! 御免!」
裂帛の気合に答えるように、赤兎馬が嘶く。
威勢よく駆け出す足に迷いはない。砂埃を巻き上げ、対象へ向け足を掻く。
そこに立ち塞がる二人の男。
どこからともなくやって来た武将二人が意気揚々と叫ぶ。
「ここは通さん! 顔良!」
「おう! 文醜!」
顔良が駆ける。文醜が飛ぶ。その手にはナイフがきらりと光る。
しかし、青龍偃月刀の前にナイフでは赤子も同然。
切り落とされ、顔良文醜、二人は静かに息を引き取った。
なお馬は駆ける。
曹操と関羽の距離は既に消え失せ、関羽の頭上高く振り上げられたその太刀が振り落されると、深々と恐怖の穿たれた顔面を容易く貫いた。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
関羽は青龍偃月刀を引き抜くと、男へと向かい合った。
「ひい」
必死に命乞いをする男の大して高くもない鼻先に、大刀が掠めた。
関羽は自分の髭をなでつつ、タバコ一本分の距離まで顔を近づけると、男をそのひげでぺちぺち叩き始めた。
その、なんというか、すっごく可愛い。もう可愛すぎて理性が飛びそうだ。
「貴様、桃園で、うふ、何を、してたの?」
「ち、違う! 助けて! ここは桃じゃない! 桜! 桜の園!」
「うん? やあねえ、何言ってるのよ?」
関羽は、ふぅ、と酒臭い息を男に吹きつけると、辺りを見渡しだした。
男も周囲を見渡してみる。いつの間にか周囲は元の桜の園に戻っている。
関羽も合点がいったらしく、
「あら。やだ。迷惑をかけたわね。じゃあね」
背を向けたその背後、仄かに酒の臭いを残し、姿が小さくなっていく。
そのまま消えゆく関羽と一行。
まるで彼らを祝福しているかのように空は晴れ渡っていたのだった……。
翌日、ベンチで冷たくなっている関羽が発見され、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取った。
条件 達成状況
桜の木の下 ○
ナイフ ○
庭園(ティェン≒ティーン) ○
以上、おしまい