自転車通学
どうぞお手柔らかに。
爽やかに吹き抜ける風は、ペダルを重くする。雲ひとつない青空は深く、宇宙の色さえ透けて見えて、仰げば吸い込まれそうだ。
私はその引力に身を任せてみたい衝動に駆られた。
植えてまもない稲の苗はまだ密度が低い。ひかれた水の方がきらきらと太陽の光を返す。
自転車は風にのり、私は空に沈む。太陽の暖かさとそれを冷やす空気を肺一杯に吸い込めば、草の生きる匂いがした。
宇宙はもうすぐなのに手を伸ばしても届かない。
「琴音?…何してるの?」
現実はいつも無慈悲だ。私を一気に地面に戻したのはクラスメートのちとせだった。
「おはよう、ちとせ。空が綺麗だよ。」
「…おはよう。前見ないと危ないよ。しかも片手運転だし。」
ああ、もう少しで宇宙に手が届くところだったのに。
「急がないと遅刻するよ。お先。」
ちとせは自転車から身体を離し、大きくペダルを踏み込んで、セーラー服をはためかせた。
春はもう終わる。夏が侵食してくる気配に草木は歓喜している。
深い宇宙をただの空気が阻んだだけの色。空はいつもそんな色だった気がしてきた。なにも特別ではない。
皆勤賞がかかっている。遅刻はできない。私も高校に向かってペダルを踏み込んだ。
お粗末様でした。




