前編
見知った人が何人もいる。 テレビカメラも来てる。
みんな時計を見ては、空を見上げ耳を澄ましている。
その時、一人の男性が「みなさん、もうすぐですよ。 報道の方はもう少し下がって!」と声を上げた。 たちまちみんな、空を見上げてきょろきょろと何かを探し出す。
遠くの方から『コオオオォォォォォォ』と音が聞こえたと同時に、空に黒い点が五つ現れた。 「来た!」一人が声を上げると、多くの人が拍手をしながら歓声を上げた。
黒い点は飛行機に変形して私たちの目の前に着陸した。 中からパイロットが出てきて、顔を出すとさらに大きな歓声が上がった。
彼ら五人はこれから宇宙に行く、宇宙飛行士なのだ。
彼らはおのおの家族と最後のふれあいをしている。 私のところにも一人、ぬっと私だけに影を落とすツンツン頭の男が来た。 私を見下ろしてニっと笑うと、頭を乱暴に撫でてくる。
「よぉ、イリ。 十一歳の誕生日おめでとう。 ……母さんも来てくれてありがとうな」
お父さんは私の持っている写真に目線を合わせた。 写っているのは、数年前に死んじゃったお母さん。 不幸の事故で死んじゃった。
お父さんはじっとお母さんを見つめて、なにかを話しているように見えた。 私はそれを羨ましく思いながら、ただじっと待っていた。
目線が私の方に向いた。 「プレゼント何がいい?」「月の石」お父さんは満足そうに私の頭を優しく叩いた。
遠くからNASAの職員がお父さんたちを呼ぶ声が飛んできた。 お父さんは子供のようにうれしそうな顔をした。
「また後でな」
お父さんたちは職員に従って施設の中に入っていった。 集まっていた人もちりじりに散っていく。
もうすぐお父さんが月に行く。
お父さんが宇宙に行くと私は一人になる。 おじいちゃん、おばあちゃんは身体が良くないから逆に私がお世話をしなくちゃいけない。
だから、一人でも掃除、料理、洗濯をして一人でお父さんを待ってなくちゃいけない。 宇宙に行く訓練でお父さんは遅くまで帰ってこないから、家事は自然とできるようになった。
でも一人になるのは慣れない。 声に出さないだけで寂しい。 自分の家がいやに大きく見えて、見慣れたものが初めて見るように違和感がある。 夜になると静かさが不気味になる。
本当はお父さんにずっと家にいて、と言いたいけど月に行くと決まった時のお父さんの顔を見たら言えなかった。
言ってしまえばお父さんを困らせて、うれしい気持ちを台無しにしてしまうと思ったから。
ぐっと堪えて、口を閉じて、つり上げて、顔に嘘を張り付けて『やったね』と絞り出して言った。
もうすぐお父さんは月に行く。
数日後にお父さんを乗せた宇宙船が飛んでいった。 宇宙船の煙が消えて無くなるまで私は空を見上げ続けた。 無くなる頃には私だけが取り残されていた。
私も家に帰ろうとしたら、頭にぽふっと柔らかいなものが降ってきた。 きゅっと音がして、目の前に緑色に光るボールが転がった。 ボールはひとりでに私の周りを転がり始め、ポンっと跳ねた。
私の目の前で静止し、ボールは形を変えた。 まるでティンカーベルのような光る球体に羽が生えて、キラキラと光っている。
思わず声が漏れた。 触ってみようと手を伸ばしたが、スイっと避けられてしまった。 意地になって手を出すも軽々しく避けられてしまう。 ボールだった子は笑うように小刻みに揺れると、緑色に光る粒子が漂う。
それを手で受けてみると、光りが鈍って黒い何かが残った。 気持ち悪くて手で払ったが、払った方の手に付いた。 それを何度も繰り返して、結局は服に擦り付けた。
「あなたは誰? 妖精さん?」
ボールだった子は答える気がないのか、振り子のように飛ぶ。 私はそれを眺めながらどうしようか迷った。 なんとなくこの子は遊んでほしそうな様子に見える。 でもこの子がなんなのか分からないから、少しだけ怖い気持ちもある。 当然、この子がなんであるのか知りたい好奇心もある。
悩んでいるとボールだった子は突然私の服の下に潜った。
「イリちゃん、そろそろここ閉めたいけどいいかな?」
後ろから職員の人に声をかけられた。 「あ、はい」と答えると職員の人は妙に膨らんでる私のお腹を見た。
「お父さんのいない間に犬でも飼うの? 生き物を飼うなら大人の許可がいるよ」
「あ、いえ……、犬じゃないです。 ボールです。 こうすると痩せるって学校で流行ってるの」
「子供はそんなこと気にしないで、いっぱい食べた方が良いとおじさんは思うな」
「私もそー思う。 それじゃ、またね」
「困ったことがあれば、おじさんのとこ来て良いからね」
私は大きなお腹のままこの子を隠して家に帰った。 家に着くとあの子は勝手に服の中から出て来てあちこちを飛び回っている。
あの時正直に言おうと思ったけど、この子が震えていたから言わなかった。 あの人が怖かったのだろうか。 私は何度も顔を合わせたこともあるし、家に招待してご飯を一緒に食べたこともある。
優しい人だ。 人に悪いことをしたことがないような人。 見た目からもそれがにじみ出ている。
人が怖いってことじゃないだろうけど、少しだけ気になる。
「ねぇ!」と呼ぶと、つい~とあの子が出てきた。
「私の言ってること分かるの?」
分かるとも分からないともとれる飛ぶ方で、どっちなのか分からない。
「……天井まで飛んでみて」
螺旋状にゆっくり上昇して、天井にタッチして戻ってきた。 跳ねるように飛んで褒めて欲しそうにしている。
言ってることは分かってるみたい。
パチパチと拍手して褒めてやり「どこから来たの?」と尋ねた。
あの子は羽を上に突き出した。
「上から? 空?」
あの子は身をねじって『違う』と言うと、私の後ろに回って背中を押し始めた。 押されるままに進んでいくと、玄関まで来た。
あの子は玄関に飾ってある写真の中から、月が写ってるものを指した。
「月から来たの?」
こくりと頷いた。
「私のお父さんもね、月に行ってるの。 入れ代わりで来たね」
ニカっと笑うと、あの子も小刻みに揺れた。