携帯初恋物語。
お読みになったあとは出来ればご感想などください(切実)
「今度こそ、携帯買ってくれるよね」
真冬にしては天気のいい朝のことだ。朝の食卓で朝ごはんの目玉焼きをかじりながら雪子は母親に話しかけた。
「そうね。高校も順調みたいだし」
「やった!」
雪子は思わずガッツポーズをした。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
ドアを開け脚を踏み出す。雪子はウキウキとしていた。しかし学校に着いた時に気持ちは一変した。雪子は学校が嫌いだったからだ。実を言うと雪子には友達というものが居なかった。雪子は寂しかった。
その日退屈な学校を終えると、携帯を買うため母親とショップへと行った。クラスで携帯を持っていない人など雪子と他の数人くらいだった。
その日から雪子は携帯電話にハマることになる。外へ居ても内に居ても、雪子は携帯を片手にぽちぽちとサイトを覗いたり会ったこともない人とメールをしていた。
彼女の心の中は常に雪が降り続き積もっていた。その中に雪子は存在する。吹雪いて一寸先も見えない。けれど手探りで歩むうちに雪子は何かに触れたのだ。「携帯」という「家」を見つけたのだ。其処は色々な人が寒さから身を守るため温まり、傷を癒す―、居場所だ。
雪子は其処でいろいろな人々と関わる。顔は見えない。皆あの大作アニメのカオナシみたいにお面を被っている。実名というものも其処では存在しない。ただ常に生々しい人間の感情が行き交っている。人々は其処で他人と交信しあい、自分と云う存在を確めあっている。
雪子はいろいろな人々の「家」を渡り歩く。
雪子は学生出会い系サイトに「雪」と云うペンネームにメールアドレスを載せ、自分の「家」に誰かが訪ねてくるのを黙って待つ。自分の様に孤独で寂しい誰かを。どんな傷を持った人でも私は歓迎しよう。そう思っていた。
掲示板、書き込み、出会い系…無数に存在するサイトを旅する。現代じゃ普通のことだ、そう自分に言い聞かせながら。雪子は世間―いや、世界を旅しているような感覚に陥った。そして夜は更けていく―。そんな日々が続いた。
「雪子、朝よぉー」
またいつもの様に玉子の焼ける匂いがし、母親が雪子を起こす。
しかし雪子は部屋から出てこなかった。
「朝ごはん出来てるわよ。学校に遅刻するでしょ、早く起きなさい!」
「行かない」
雪子は極力落ち着いた声を保った。
「え?」
「今日はメル友と会う約束だから」
「……」
母親は娘が携帯に依存していることを知っていた。
「……そんなの許さないわよ。学校は行きなさい。友達も心配するでしょ!」
「あたし学校で友達なんかいないよ」
「……」
「あたしの友達はYasuだけ」
母親はそれ以上なにも言わなかった。いや、言えなかった。好きにしなさい、と言い、母親はしばらく娘の様子をみることにしたようだ。
しかしその日から家族はばらばらになるようになった。
母親は働きながら不登校の子どもが居て苦しむ親たちが集まる青少年センターへ相談しに通っているようだ。
雪子はあの日から部屋に籠り一日中「Yasu」いうメル友とメールをしている。
妹は家に帰ってこない。話によると、彼氏の家に入り浸っているようだ。小学校のときは姉妹は仲良しだったが、妹は中学に上がるととたんに化粧をし露出度の高い服を着、色気づきはじめ、いわゆる「男好き」になった。現在も未だに荒れている様だった。
父親は会社の社長で、娘たちや家族に関心の薄い淡白な性格だ。今日も淡々と仕事をしている。経済的に不自由はない。
Yasuは雪子の痛みを理解してくれた。クラスで男子にいじめられている、と打ち明けると「そんなヤツらなんか気にすることはないよ 逆にそいつ、雪のこと好きなのかもよ。だからいじめてしまう」などと彼なりに解決策を出してくれたりもした。雪子はそんな彼の優しさに惹かれていった。しかし彼には彼の傷を抱えていて、悩みがあるようだった。好きな人は、居る、らしい。
今、彼は二十歳だそうだ。しかし働いてはいないらしい。彼はいわゆるニートだった。性別は勿論男だ。写メ交換は、雪子も相手もあまり自信が無いとかで、送らなかった。
雪子にとって初めて心を打ち解けた相手がYasuだった。顔も知らない。本名も知らない。
……けれど好き。
雪子はどうしても積極的に動けなかった。
しかし幸運なことに彼も雪子と同じく東京都に住んでいた。
メールを始めて3週間、とうとうこの日、会うことになったのだ。メールで連絡をとりあう。
「ぜったいに変なことはしないって約束する。待ち合わせ場所は渋谷のハチ公前でいい?13時にね!」
「うん(^O^)楽しみ」
予定の時間を計算し家を出ると、雪子は駅で渋谷行きの切符を購入する。
電車に乗り、数十分経つと、車掌があの電車のアナウンス特有の癖のある言い方で「ぇ次はぁー、しぶやーァ、しぶやでぇーす」と乗客に伝えた。
電車に乗っている間、雪子はかなり緊張していた。心臓の音が、体じゅうに響く。手の震えが、止まらない。真冬だというのに背中や手はじっとりと汗ばんでいた。
(つまらない人、可愛くないと思われたらどうしよう…)
雪子は外見に自信が無かった。しかし本人は気づいていないのだが、雪子はかなり可愛らしい方の部類だった。白い肌にくりっとした奥ぶたえ、ぷっくりとしたくちびるが、とても魅力的な女の子だ。背は低いがスタイルもそこそこ良かった。声も腹に力が入っていなく弱々しい。しかしそれはかえって男が守ってやりたいと思う様な可愛らしさだった。
昼の渋谷の人混みのなかをすいすいと泳いでいき、駅の看板を見ながら雪子はYasuのところへと向う。様々な建物に光が散乱する、渋谷の街。建物にぴたりと無造作に貼り付いた大型テレビからはガンガンと音楽が流れ耳を揺らす。
途中でたくさんの人が青になる瞬間を待つ大きな横断歩道で、男が近づいてきた。その男に雪子は話し掛けられたが、雪子は怖くて何も言えなかった。相手はなんかごめんね、と言うと信号が青になると同時に人混みの中へ混じり消えていった。
雪子は少し遠回りしてしまったものの、無事ハチ公前へと辿り着いた。
すると
(…あれ?)
直ぐにその異変に気づく。
其処では沢山の老若男女が誰かと待ち合わせをしている。自分もその中のひとりだ。記念撮影に、とインスタントカメラやデジカメで写真を撮る者もいる。
なんの変てつもない。
しかし何かがおかしい。
間違いさがしをするときの様に、目に映る景色、人々を分析してみる。
…高岸康人。
確かそういう名前だった、雪子は思った。
クラスで雪子をからかい、いじめ、リーダー格の目立ちたがり屋だった。一重でスポーツ選手の様なサムライ顔だ。
そいつが、居る。座っている。携帯を握りしめ、メールを打っている。
すると雪子の携帯がチャララン…とバイブと共に鳴り響く。
「着いたよ(^o^)座ってるよ。赤いジャンパーにジーパン、キャップだよ。雪は?」
…ドンピシャじゃん。
雪子はそう思った。今は死語だろうか。
数分後、雪子は意を決して出ていき、会うことにした。
メールの返事はせず、無言で康人の前に歩み寄り、立ち尽くす。
うつむきながら携帯を握りしめる康人の視界に少女の細く頼りない脚が映った。顔を上げると、其処には井原雪子が居た。パチン、と携帯をたたむ。
「……こんちは」
康人は言った。
「…こんにちは」
人混みの中しばし二人だけの沈黙が訪れた。
雪子はYasuは高岸康人なのだ、と確信した。雪子は康人のついた嘘と悪口を流すいじめが許せなかった。しかしこの「Yasu」―高岸康人にどうしようもなく惹かれている自分が居たのも事実だ。
彼は彼が雪子をうざい、暗い、だの言ういじめのことこそ自分が悪いのだが、家族のこともよく相談にのってくれたし、寂しくて眠れない夜には話を聴き、必ず5分以内に返信をくれた。大丈夫だよ、と。いつの間にか好きになっていた。
「…あのさ!」
康人が沈黙を破った。雪子はびくっとする。
「雪が井原雪子だってことは、実は途中から気づいてた。だから嘘ついた。マジでごめん。学校では悪口言ったりしてマジでごめんなさい。……ずっと好きでした!マジで俺と付き合ってくださいっ!!」
康人が大きな声で気持ちを伝えると、一瞬だけ沈黙が、渋谷の街に伝染した。
雪子は白い肌をほんのりとピンク色に赤らめ、それから「はい」と云った。
携帯。
それはこの世の人々とのコミュニケーションをとるひとつの媒体。
それが、愛するひととの出逢いを発掘することも現実に、あるのだ。
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