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吹雪に紛れて覗くもの

 出自も語源も判らない単語と言う物は、山村や閑村と言った隠れ里染みた場所に散見される物であるが、私の場合、それを知ったのはほんの偶然だったと言わざるを得ない。

 十年ほど前の話で有っただろうか。

 当時まだ学生であった私は、学部内において過去の地理学科の雑多な研究資料のデジタル化、そして……可能であれば……便宜上であっても分類する為に内容を一部なりとも読解し、或いはその概要を、如何にもそれらしいタイトルとして添付しフォルダ分けし、データベース化して行く、そんな作業に駆り出されていた。

 過去数十年分に亘る資料に対して駆り出された人海戦術を物量で圧倒されていた私達であったが、そんな折、私の前にそれは現れた。

 勿論、初めは別段気にも留めなかったものの、そのとある東北地方の山間に存在する、当時は寒村であったらしいムラの調査資料に幾度となく出て来る単語についての研究経過が、如何にも仄めかしに終始しており、寧ろ何故ここまで研究を進めておきながら、恥ずかしい話では有るが、少なくともこの作業の時点で、私はこれらに関する論文を見聞きした記憶について唯の一つも覚えが無かったのは、単純に自分が寡聞にして知らないだけだと思っていたのである。

 後に、過去に在籍していた教授陣も含め、誰一人この案件に係る論文等について見聞きしたことは無く、またデータベース化を進めた結果、そう言った類の物は存在していないことだけがはっきりしたのみであった。

 この事実は、学生とは言え地学者の端くれとして、しかも主として扱っていた研究テーマがそう言った孤立発生、或いは同族にのみ伝わる符丁と言った、「基本的にオモテに出て来ない」単語や言語の起源と発生、およびそれらの流布や分布からの人口移動の追跡を行っていた私にとって大変魅力的なテーマであることは確かであったが、当時はそれ以前に、先に述べた過去の研究資料のデータベース化に忙殺され、取り敢えずその時はそれで終わったのだった。



 この研究資料を書いたM氏と言う研究員はどう言った人物で有ったのか。

 資料が作成されたのがそもそも四十年からも前の話ではあったのだが、M氏の足跡を辿った所、恐らくは既に死亡しているであろうことがはっきりしただけだった。

 彼の調査に対する姿勢は生真面目そのものであったらしいが、現地での話を見聞きすること、ひいてはそのための人間関係を構築するのに非常に長けており、また何かにつけて巡研と称しては現地へ足を運び(それがあたかも単に遊びに訪れる様に、或いは懇意の人物と茶飲み話にでも行く様に見えても!)、そう言った積み重ねもまた、その様な人間関係の構築に一役買っていたのだろうと思われる。

 当時の彼の調査と同行したことの有る人物達からは「不思議と一足飛びに現地民に溶け込む、不思議な魅力や人間性が有り、また聞くことも含めて話術に長けた人物であった」と口を揃えて評し、決まって「まさかあんなことになるとは」と、これまた口を揃えて話すのだった。

 失礼を承知で彼の遺族に対して聞き取り調査を行わせて貰ったことも有る。

 当時M氏がその寒村を、現代風に言えばフィールドワークをしていること自体は存じていたものの、結局、何を調査しているのか、何故調査しているのか、何故そこであったのかについて、彼はついぞ家族にさえ語ることは無かったことだけが判明しただけであった。

 結局、M氏は遠く東北地方の山村でのフィールドワークの行きか帰りかは兎も角、雪の林道で運転していた自動車を、恐らくはその土地でよく見られる、突如として発生する猛烈な吹雪……いわゆる地吹雪……で視界を奪われ、そのまま道を見失い、車を滑落させて恐らくは死亡したのであろう。

 恐らく、と言うのは、遺族等の関係者が死体確認した訳では無いからである。

 遺族からの話によれば……と言っても彼らも後に聞いた話であるらしいが……M氏がムラを出て林道を走り滑落したらしい痕跡と、その先の沢までの斜面にひしゃげて留まっていた車を、数日振りに出た太陽を頼りに狩りに出た狩人が発見し、数名からの村人により救助作業を行ったものの、ただでさえ冷え込むこの辺りの厳冬期で有ったことに加え、折からの吹雪に拠る発見の遅延、それに運悪くまともに食料も防寒具……サーマルブランケット等と言う洒落た物は無かったにしても、毛布やシュラフ等の類……も準備していなかったこと等が重なり、発見された時点でM氏は既に冷たくなっていたらしい。

 また、この冬は断続的な吹雪に覆われ、山を下って駐在にことのあらましを伝えるのも困難な状況であったとのことであり、年代から察するに四八豪雪か五二豪雪辺りで有ると思われるが、確かに記録的な豪雪が有ったことは事実で、今であれば差し出がましいと言われるのかもしれないが、お弔いを村で行い埋葬したのも、ひと冬の間、延々と遺骸を放置しておく訳にも行かないと言う意味ではやむを得ない措置で有ったのかも知れない。

 そんなことも考えつつ、私はたった一人自宅において、取得したコピーでもってM氏の調査報告を読解する作業を続けるのであった。



 別にM氏の遺志を継ぐとか、そんな大層なことを考えていた訳では決して無いが、妙に心に惹かれる物が有った私は、院生となったこともあって、結局彼の研究を追うこととした。

 今となっては何故そんなことを考えたのか、それすら理由も思い当たらない所を考えると、恐らく彼の資料で婉曲表現や暗喩や仄めかしに塗り重ねられていたそれを白日の下に晒したいと言う使命感では決してなく、単にこの目で、耳で見聞きしはっきりさせたい、ただそれだけの理由であった様に思える。

 そもそも今から四十年ほど前と言えば昭和四十年後半から五十年前半と言った所で、M氏がそれを知った経緯については最早に知る由も無いが、如何な当時の道路事情が有るにしても、或いは記録的豪雪の年であったにせよ、そんな春先、雪が融けてから漸く山を降りて駐在所に死亡事故の発生を報告する等に至っては、いくら田舎にしても余りにものんびりとし過ぎては居まいか。

 端的に言おう。

 勿論、M氏の研究していた事案は、私の興味をそそるに充分な魅力を湛えていたことは認めざるを得ない。

 しかし同時に、私はこのM氏の死亡と警察への届出との時間差について、如何にも何らかの作為を疑っていたのだ。

 東北地方の山間部の寒村。

 当然、農作業自体は行われても居るだろうが、決して農業に適した土地で有るまじきことは容易に想像も出来る。

 加えて折からの……後に記録的と称される様になった程の……吹雪と豪雪。

 当然、外部との接触は断たれて孤立し、或いは蓄え自体も窮乏するかもしれない。

 そして外部の人間が知り得ぬ状況で行われたお弔いと埋葬。

 これらの情報が、私の頭の内部で、ただ一つの方向をのみ指し示している様な気がしてならなかったのだ。

 斯くして私は、件の山村……今となっては既に人口限界集落と成り果てていたが、それでも頑なにヤマを降りずに生活している者も居たそこを、表向き飽くまでもM氏とは無関係を振舞いながら、年単位の視野で村に解け込みつつ、習俗を調査して行くこととなった。

 まず注目したのは主食となる米作についてで有ったが、やはりと言うべきか、南向きの山の斜面に張り付く様に作られた棚田によって賄える分が全てと言って過言ではないらしい。

 今となっては既に耕作放棄すらされている田が半分を占める程で有った。

 集落が最も栄えた時期は今の倍ほども開墾されて作付けされていたとのことだったが、単にその耕作可能地で賄える人口のみを支えていたのではないか?……正直に言おう。裏を返して恒常的な人肉食が行われていたのではないか?との疑念がどうしても付いて回っていた。

 しかし、数年来の調査を続け、通年を通して見ると、どうにも私が初めに疑った恒常的な人肉食の習慣なぞは存在しないことが浮き彫りになったが、だがしかし、この村の習俗について拭えない疑問が別な意味で首をもたげて来たのであった。



 そもそも、このムラは誰が、何時、何故造ったか。

 そんな根源的な疑問が、調べれば調べる程思考のどこかに刺さった小さな棘の様な違和感を生じさせるのだ。

 農業に適した場所に自然発生したムラではない。

 戦における要害や要衝、防衛線として発達したムラでもない。

 街道筋に近い訳で無いのはM氏の件からも明らかである。

 少なくとも私が行った調査、或いは村人と接触して聞き取り等を行った結果だけを追うならば、この山村の成り立ち自体、敢えて言うならばマタギやソマビト、或いは山伏にも似た自然を信仰する者が多く集まって出来た村で有るらしい。

 言わば、何らかの信仰の為に作られた村。

 勿論、男体山や比叡山、富士山の様な山岳信仰から発生したムラも無い訳では無いが、この寒村に関しては、そう言った信仰対象となる事物の存在は確認されなかった。

 その唯一にして一点が、多くのムラの成立と比して異質で有ると言えた。

 とは言え、考えてみれば、今でこそ人口限界集落となり果てているとは言え、……よしんば最盛期であったにせよ……世帯数・人口数に比して大小合わせた道路や通路が多く、同時に交叉も多いのは、そう言った神道仏教とは別の信仰におけるまじないの一種なので有ろうか。

 それらの交叉にも、村人達が「サイジンサマ」等と呼ぶ一種の道祖神らしき物が数多く設置されているが、それらの殆どはよく目にする餅つき、もっと直接的に言うなら男女の交合を図案化した物では無く、漢字や梵字や神代文字ですらない、言うなれば正に模様か文様と言った風情の図案が彫刻された石塊や、或いは古びた物では塔婆様の板にそれを墨書でもしたのであろう物が、今では苔生し雑草に埋もれて、ひっそりと、しかし数多く佇んでいたのだった。

 結局の所、自分なりのアプローチでM氏の研究資料を側面から補完しようとした私の試みは、この時点で行き詰ってしまっていた。

 M氏の研究資料に散見される「猿頭児」そして「夷鷹」。

 これらがあの集落で何らかの形で祀られる、或いはこれらを祀る者が集まって作られたのがあの寒村である、と言うこと自体は、件の資料を幾度となく読み返し、おぼろげではあるが、想像に難くない。恐らく大意は間違っていない筈だ。

 だが、肝心要のそれらについては先に述べた通り、婉曲で、迂遠で、仄めかされて、まるで掴み所が無い。

 それでも尚読み下した先に読み取れたことと言えば、恐らくそれらは外ツトツカミで、荒ぶる神性か或いは祟り神の類「であろうか?」と言った所であった。

 こと此処に至って私は、村人達にM氏の大学の後輩にあたることを小出しに話し始めることとしたが、村人達の反応は思いの他芳しくなかった。

 数年かけて馴染んだ村人との距離感は表向き維持されていた物の、その内情は初めて訪れた時か、それ以上に隔絶した疎外感へと変化してしまったのである。



 私がしばしば視線や気配を感じる様になったのは、丁度その頃からであったろうか。

 始めこそ気のせいとでも思って高を括っていたのだが、やがてそれが村人達との間に生じた距離感が生み出す物ではないかとの疑念に取って代わるまでに、そう時間は掛からなかった。

 日に日に焦燥感に駆られ、憔悴して行った私の姿を見た知人や大学関係者は私の身体の調子を案じたが、正直私としては件の視線や気配の主に対するやり場の無い怒りを胸の奥に抱えるのが精々で、私の身を案じてくれていた彼らに対してあたり散らさない様に気遣うので手一杯であった。

 他人に対する攻撃性が妙に昂ぶっていたのが、思い返してみると理解できるのだが、当時はそれにすら気付けない程精神が張り詰めていたことも、今となっては理解できるが、当時の私は本気で精神を病みでもしたのかと思い詰め、心療内科への受診さえ開始するほどに追い詰められていたのである。

 だがしかし、私の村人達に対する疑念は、割と直ぐに晴れることとなった。

 件の気配と視線は村近辺のみならず、大学構内で、通勤経路で、そして自宅内でさえ、その存在を主張し始めたからである。

 視線や気配はやがて徐々に距離を詰め、あたかも首筋に相手の呼気さえ感じる様な錯覚さえ覚える様になったが、この類の話の常で、どれだけ不意を突き、或いは急に振り返ったとしても、相手の姿形を確認することは叶わなかったが、村に出入りしている時のみ、ふと気付くと気配を感じなくなっていたり、気配の存在感が遠くなっている様に思われることが多々有り、再び村へ足繁く通うことになったのは、このことと無関係では決して無かった。

 やがて、背後に潜んだ気配が何事かを呟いていることに気付いたのは、気配の主を確認すること自体を放棄して後、暫くしてからのことだった。

 始めはブツブツと何かを呟いているな、位に思っていた。

 やがて、それが無作為的な音ではなく、意思を含んだ語であることに気付いた。

 「エンジゴ……エンジゴ……」単語として表記するならそんな感じであろうか。

 だが、言語としてこれを聞き取った瞬間、私は自分の思考に天啓を受けたかの様な、雷鳴の轟きにも似た衝撃と、煩悶としていた行き詰まりが氷解するのを感じた。

 M氏の調査内容に繰り返し表記されていた「猿頭児」。

 私はこれを「エントウジ」等と読む物と思っていたが、これはひょっとして「エンズゴ」と読むべき単語では無かったのか?

 M氏が足繁く村へ通っていたのは、まさしく今の私の様に妖しい気配が遠く、あるいは全く感じられなくなるからではないかと考えるのは、果たして私の思い込みだけであったろうか。

 半ば確信めいたその思いを胸に、居ても立ってもいられなくなった私は、一時の間も置かずに確認したいとの思いに急かされて、初冬の東北自動車道を北へ向かっていた。

 或いは今までの行き詰まりの突破口になるかもしれない「エンズゴ」または「エンジゴ」は何を指し示し、どんな意味がある言葉なのか。

 その時の私は確かに精神が衰弱していたのかもしれないと、振り返られる今でこそ思うことも出来るが、その時は何かに追い立てられる様に……或いは本当に追い立てられて……北へと向かったのであった。



 仙台泉を過ぎ、盛岡を超え、八戸インターに着く頃には、路面は既に鏡と間違える程に黒々としたブラック・アイスバーンへと変わり、時折その上に粒の大きい霰が落ちては風に吹かれ、汀に寄せては返す波の様な模様を描きながらやがて散り散りになって行っていた。

 速度規制により相当の低速走行を余儀なくされ、このままのペースだと現着は夜が明けて昼に差し掛かる頃になる位だろうか。

 そんなことを考えながら自動車を進めては停めてを繰り返していると、道の傍らで事故処理を行っている警官達がいることに気が付いた。

 渋滞で停車しているのを良いことに、彼等から聞き出した話に拠れば、どうも折からの冷え込みのせいでブラック・アイスバーンと化した路面で、しかも高速道路であったことが祟り、この先も複数個所でスリップ事故が発生し、復旧作業が行われていると言う。

 速度規制はおろか対面走行や一部片面車線封鎖まで有るとのことで、下道の方が早いかも、と言う情報を得たが、如何せんこちらの車はカーナビも付けていない上に私自身も下道に詳しくもなく、まあ夜討ち朝駆けの時間帯を避けられるならば、との思いも有って、取り敢えずはそのまま、既に高速ではなくなってしまった高速道路での移動をキープすることにした。



 警官達が話していた事故処理個所も残り数箇所となった黒石付近でのことである。

 私はある事実に気付いて慄然とさせられた。

 東京を出てから数時間、東北自動車道を北上して来た車の中に、確かにあの気配が居ることに気付かされたのだ。

 いつから?

 どうやって?

 道中は確かに、間違いなく一人での移動で、その間も気配の存在はまるで無かったにもかかわらず、しかし確かに今現在、それは運転席側の後部座席から自らの存在感を滲ませ、首筋に呼気を感じさせながら、相変わらずボソボソと呟きを繰り返していた。

 今までに無かった突然の状況の変化に泡を食った物の、結局はいつも通りの振舞いに、逆に安堵感を覚えた私は、弘前を抜け、トンネルを抜けるごとに光を反射する銀色の絨毯が徐々に山野や田畑を覆う面積を広げる様を横目に車を走らせ、浪岡を抜ける辺りで視界一面が白い世界へと変貌したのを後目に、そのまま青森中央インターから高速を下りた。

 目的地はここから八甲田山系に向けて1時間ほどの場所である。

 村の目と鼻の先まで来た安心感に身も心も緊張感が緩んだその時であった。

 気配が新たな挙動を見せたのである。

 シート越しに肩に触れる、氷を押し付けているかの様な、しかし確かに指先であろう圧迫感。

 見ないでも、見えないでも判る。気配は運転席のシートの肩部分を握り込んだのだ。

 そして掴んだ指先が、私の肩に触れているのだ。

「……タ……ミ……ケタ……ツ……タ……」

 気配の存在を感知する様になってから初めての物理的な接触と、今までに聞いたことの無い呟き、そして途切れ途切れに聞こえてくるそれの意味する所を理解してしまった私は、思わず身体を硬直させて運転している車を路肩に突っ込ませそうになり、図らずも喉の奥からは音にならないかすれた悲鳴を漏らし、背筋には周囲に降り積もる雪よりもなお冷たいのではないかとさえ思う様な悪寒と溢れ出た冷や汗に濡れ、心臓は周囲に動悸を響かせながら動いているのかと錯覚するほどの拍動しているのを感じ、しかしその恐ろしさに声を上げることすら躊躇した私は、こともあろうに自らの心臓に対してその音を止めろ、と心の中で悪態を尽くほど錯乱してしまっていた。

 危うく事故さえ起こしかねなかったその状況を何とか立て直した私は、その後は努めて平静を装って冬の林道を村に向けて車を走らせはしたが、その間肩に触れ続ける気配の冷たい指先の感触と呟きに対して、どれほど平静を装えていたかについては、結局判らず仕舞いであったことは言うまでもないことであろう。



 村は相変わらず寂れていて、そもそも村の入り口にバスの回転所と停留所を兼ねた共用駐車場が有るのだが、冬季間はおろか赤字路線と成り果てているバス路線は、行政のある意味では良心を体現しているだけの存在で、基本的に各家庭に少なくとも1台、多ければ家族分数台の自動車が有るのが普通で、しかし私の様な余所者にとっては……頼み込んだり、夏場余裕が有れば話は別だが……基本的にこの共用駐車場と言う名の砂利の空き地に車を置くのが常だった。

 個人所有ではあるが、明らかに農作業用ではない、除排雪をメインの視野に入れているのであろうバックホーやユンボである程度の除雪がなされているのがせめてもの救いか。

 相変わらず、気配が背後に控えているのが、向かずとも感じて取れる。

 先ほど運転席のシートを握り込んだ様に、今、腕や肩を掴まれたら絶叫や卒倒どころの話では無くなるだろう、と言うことだけは車内でのあの雰囲気から想像できた。

 「気配を感じること」は違和感や精神衰弱と言った精神的な方向性でのダメージを確かに与えられるが、それが「物理接触」となると、そう言った精神的なダメージもあれ程までに飛躍的に跳ね上がるのもさることながら、単純な「物理的恐怖」……しかも相手は常に視界外からなのだ……を想像させられることも相俟って、これ程までに身体的疲労をも含めたダメージを与えられるものだったとは、それまでの私は想像だにしなかったことであった。

 存外、民間伝承などにおける呪詛の類の有効性と言う物も馬鹿に出来ないものなのか。

 このことについて学術的見地から検証していくのも面白いかもしれない。

 そんな事を考えながら、背後の気配を撒くかの様に、村の入り組んだ辻をあっちに曲がりこっちに曲がりを繰り返していたのは、無意識か半ば本能的な行動であったのかもしれないが、気が付けば気配は確かにいつの間にか私の背後から消えていたのだった。



 目指す建物は村のほぼ中央に位置する神社である。

 元々村の習俗を知る為に祭祀を調べさせて貰ったり、見学させて貰ったり、旧い村の家系図等を調査させて貰ったりと、接触が多い分懇意にしていたT氏と呼ばれている人物が居る場所であるが、それ以上に、この周辺の空気はオカルト方面で素人と言って差し支えない私にとってさえ、何かが違うと言うのが感覚的に判る場所でもあった。

 村の中でさえ、時に遠巻きに感じられたあの気配は、この神社周辺に限って言えば、それを感じたことは今までただの一度も無かったからだ。

 禰宜(神主)を勤めるT氏と2ヶ月ほど振りになる再開を済ませ、客間に通される。

 熱い茶を振舞われ、人心地付いた頃だった。

 私の風貌が余程酷いものであったのだろう、彼は「何が有ったんです?」と断定的に尋ねてきた。

 私はことのあらましを……ひょっとしたら思い過ごしかも知れませんが、と前置きした上で……あらかたT氏に話した所、彼は非常に真面目な顔で何かを考え込み、時折ブツブツと何かを呟いてはそれを自ら否定し、或いは規定の事実の様に何かについて考えては、ここではないどこか遠くを見据えた様に考え込み、何にせよ私の妄言染みた話の内容については一切の否定もせず、兎に角何事かを考え込みながら話を聞いてくれていた。

 一頻りの話を聞いた後、T氏はさて、どこから話した物か……と暫く考えあぐねていたが、少々長くなりますよ、と前置きをし、私の前の湯飲み茶碗に2杯目の茶を注いで話を始めた。



「Wendigo Psychosis……ウェンディゴ憑きと言う物はご存知ですか?」

「アメリカ北部からカナダ南部に分布するインディ……ネイティブアメリカンの一部に見られる文化依存症上の精神疾患でしょう?いわゆる鬱症状と食欲減退を発端に、『ウェンディゴ』に取り憑かれたとの妄想に陥り、異嗜……具体的には人肉嗜好を呈する様になるか、その前に自殺する人も居ると言う」

 T氏は、私の回答に、概ね全くその通りです、と答え、続けて話し始めた。

「このウェンディゴと言う存在がですね、伝承によると『人の背後に忍び寄り、その人に自分の気配を感じさせる』。でも『抜け目が無く人に姿を見せない術を使うので、どれだけ素早く振り向いてもその姿を見ることは出来ない』うえ、それが何日も続いた後、『はっきりと聞き取れない声で呟き始める』んだそうですよ。犠牲者がその空恐ろしさに音を上げるまで」

「それが私に取りついていると?」

「状況を伺った限りですと、そういうことになります……」

と言いかけたT氏の言葉尻を食い気味に、私は半ば憮然とした態度を隠しもせずに、

「ではコップ1杯の脂肪を飲めば宜しいとでも?インディアンですらないのに!?」

 ウェンディゴ症候群の原因の一つとして類推されているのが、冬季におけるビタミン群の欠乏であり、その治療法として動物性脂肪の摂取が挙げられる。

 動物性脂肪にはビタミン群が含まれ、これを摂取出来るからだ。

 もっとも、これも飽くまで経験則で有って、医学的見地から研究された物では無いのだが。

 そんな私の悪態を後目に、T氏はいやいや、と私を制し、

「センセイにはオカルト染みた話に聞こえるかも知れませんがね、こう言う仕事をしていると、そりゃ色々有りましてね。あれは私が若い頃で……祖父がまだ禰宜を勤めてた頃ですから、もう40年……50年くらい前になりますか。M氏がこの村に伝わる伝承について調べたい、と訪れたことが御座いまして」

 「コレ」は「アレ」の話だ。

 ごくり、と唾を飲み込み、私は

「『猿頭児エンズゴ』と『夷鷹イタカ』の話ですね?」

そう言おうとしたその矢先、「エン」まで言いかけた瞬間に、T氏はばっと掌をこちらに向けたのである。

 刺す様な極めて厳しい目付きで、掌をこちらに向けたまま、T氏はふるふると首を横に数度振り、

「その話で間違い無いでしょう。が、『言霊』と言う物の存在する・しないは置いておくにしても、その言葉はご存知かと思います。……そして今センセイが言いかけた『それ』は安易に口に……音にして出すべき単語では無いのです。言葉によって名を与えられた概念や事象は意味を引き寄せる。意味を引き寄せた概念や事象は成長し、その名を持つ『モノ』になる。『モノ』となったそれは更に同じ物や似た様な物同士引き合い、成長し続ける。そして、いつしか現実の『モノ』として顕現するんです。だから、みだりに『それ』を口にすることは、危険を伴う場合が有るんです」

 ふざけている様子ではなかった。T氏は飽くまで真面目にその様に話しているのだ。

 気圧された私は、T氏のその言葉に、発しかけたそれを飲み込んで、ただこくこくと頷くしか無かった。

「そもそもM氏が『それ』を知ったのは、丁度今から100年ちょっと前、廃仏毀釈の頃の資料からであったと聞いています。江戸末期とか、明治初頭の頃ですね。それ以前のこの村では、『それ』を信仰し、召喚しようとしていた土地なんです。それをしてどうした物か、どうしようとした物かは、今となっては判りませんが……」

 召喚?

 召喚しようと、と言ったか?

 ならば『それら』は実在するとでも?

 表情に出ていたのであろう、T氏はコクリと頷くと、

「そうですね。『あれ』は確かに存在します。それについては、センセイの方が、ある意味身を持って体感された通りです。……話を戻しましょう。端的に言ってしまえば邪教の村であったんですよ。ここは。所が廃仏毀釈でそれが逆になった。センセイもお気付きでしょう、この村に小路や交叉が多いことが。人々が言う『サイジンサマ』、あれは道を塞ぐ『賽の神』です」

「道祖神……にしては一般的な物とは違いますよね、かなり」

「ええ。我々は『あれ』が実際に存在することを事実として受け入れています。それらの存在を回避する為に……或いは引き離す為に、あの『サイジンサマ』は設置されています。言わば結界ですね。我々の目からは一本道に見える所でも、『あれ』からそう見えるとは限りません。村全体が『あれ』からの防衛線を張り巡らせているのが現実です」

 ことここに至って、私はT氏が真面目にこれを話しているのか、それとも何かの悪ふざけであるのかすら判別が出来ないほどに混乱して来ていた。

 当然だろう。

 世間一般の常識で考えれば素っ頓狂どころの内容の話では無いのだ。

 むしろ担がれていると疑ってしかるべき状況である。

 ……だが、つい今さっきまで気配が私の肩に触れていたこともまた事実なのだ。

「で、その昔信仰していた『それら』を、M氏は調査しに来ていた、と?」

「先程『言霊』の話をしましたが……当時はそこまでの考えは有りませんでした。無かったと言うか、至らなかったんです。まあ、東京の学者さんが来て、昔のカミサマを調べに来た、その程度の認識だったんです。当時は。だから、基本的には今よりはオープンに調査出来ていたと記憶しています。」

 ですが、と一転、T氏の顔が曇る。

「いつの頃からかは判りませんが……気が付くとM氏の言動や挙動が傍目にもおかしくなって行きました。丁度、今のセンセイと同じ様な症状です。『気配を感じる』『見張られている様だ』『話しかけられるのに相手を見ることは叶わない』……。当然精神も衰弱して行ったでしょう。……ひょっとしたら今回のセンセイの様に物理的な接触もあったのかも知れません。ですが、それ以上に、この村の中で迷うことが多くなったのです」

 意味が判らなかった。

 基本的にこの村は小路や交叉が多いとは言え、見通し自体は……ムラ山やこの境内の様な木々が繁っている場所も有るが……基本的には悪くない。

 それを、迷う?

 『我々の目からは一本道に見える所でも、『あれ』からそう見えるとは限りません』

 そこに思い至った時、頭から血の気が音を立てて引いたのが判った。

「ある時、M氏は『もう駄目かも知れない。もう逃げられない。手を煩わせて済まないが、後のことを宜しく頼む』そう言い残してこの村を出ました。センセイも御存知かと思いますが、それが彼の最後の言葉でした」

 M氏が記録的豪雪の吹雪の中、林道から滑落して死亡したその時の話だ。

 だが、T氏の口からは更に信じられない内容が「事実として」発せられたのだ。

「あれは四八豪雪であったと記憶していますが……如何な記録的豪雪の年とは言え、死亡事故を駐在に届けるまでに春まで待つとか、おかしいと思いませんか?それも、遺族に連絡も無く葬儀まで行って、埋葬まで済ませたことになっている。山を降りられないほどの豪雪なのに!埋葬を!」

 そうだ。言われてみればそうだ。

 地元民ですら身動きが取れなくなるほどの豪雪。しかもこの山間部だ。その時期での積雪量は、果たしてどれほどの深さになる?下手をすれば3mとか4mどころの話ではない。

 それを掘ってまで埋葬するなど、正気の沙汰では無いではないか。

 ましてやその状況の林道を、車で走行しようなどとは自殺行為の何物でもない。

「手遅れ、だったんですよ」

沈痛な面持ちでT氏が囁く。

「発見時には既に冷たくなっていたと聞きました」

私は家族が聞いたと言って話して貰った情報をそのまま口にしたが、続くT氏の言葉に愕然とさせられた。

「M氏の死体、発見されていないんですよ。M氏が『あれ』に変じていたか、変じかけていたかは恐らく事実です。ただ、少なくとも表向き人肉嗜好は見受けられていなかった。ですがね、センセイ。伝承によってまちまちなんですが、『あれ』の別な形態……或いは『あれ』を眷属として使役する存在……もしくは良く似た別個の神性なのかも知れませんが……『それ』は捕らえた犠牲者を宇宙の深淵へ引き回し、哀れな犠牲者は最終的に高空から放り投げられ、地面に激突して死亡する。死亡しなくとも宇宙の深淵に適応してしまったその身体は、地球の環境に適応出来なくて死亡する。……それでも稀に、生き残るモノが居て、そいつ等が『あれ』になるのだと……。ここから先は私の想像ですが、M氏は『それ』の哀れな犠牲者として、或いは宇宙の深淵を引き回されているのかも知れません。突飛な与太話と受け取って頂いても結構です。ただ、廃仏毀釈前の信仰と照らし合わせて考えた時、私にはそう思えてならないのです」



 余りに現実離れしたT氏の話に呆気に取られた私であったが、まさか墓を暴いてまでM氏の遺骨の有無を調べる訳にも行かず、結構な時間も経っていた為、取り敢えず帰路につくことにしたが、その際、T氏は私に一つの護符を預けた。

「出来るだけ常に身に着けておいて下さい」

との言葉を添えて渡されたそれは、丁度メモリースティックDuo位の、或いは500円硬貨くらいの木片に、『賽神様』の文様を焼印で入れた物だった。

 T氏の話が嘘か真かについては今はまだ判らないが、古い習合の一部の資料として、今後の研究価値も有るかも知れない。彼が最後に話した『あれ』が『猿頭児』ならば、『それ』とされたのは『夷鷹』の方なので有ろう。



 周囲にも車内にも気配のないことを確認して、私は車を走らせた。

 取り敢えず今日の所は地元の安ホテルに一泊して、明朝高速道路に乗ろう。

 そんなことを考えながら車を走らせていたその時、猛烈な風が雪を巻き上げて視界を真っ白に染め上げた。

 この土地特有の地吹雪だ。

 風と雪は一瞬で流れ、薄暮の雪道を、前の車のテールライトが、信号のライトが、街路灯が当たり前の様に照らしている。

 だが、暖房の効いた車内で、私は冷や汗をかいていた。

 地吹雪が視界を白く染め上げたあの一瞬。

 あの一瞬に確かに見たのだ。

 噴きあがった風が変に巻き、何かの姿を、ほんの一瞬とは言え浮き彫りにしたのを。

 それはヒトとも猿とも似つかない、奇妙に戯画化された様な歪な骨格の「何か」。

 痩せ細った様な、それでいて力強い筋肉をまとった様な、相反する印象を感じさせる身体に短い脚。

 その脚と対照的に……いや、身体と比較しても異様に長く、抹消部に行くに従って力強く強張った筋肉に包まれた腕。

 子供の描いた人間の絵の顔を、無理矢理現実に顕現させた様な、高さも大きさも違う眼窩に確かに赤く光る眼を持つ「それ」が、ボンネットの上、フロントガラスの向こう側ほんの数十センチの所から車内を覗き込んでいることに!



 ある時、私はふと思った。

 T氏の話に拠れば、M氏の死体は発見されず、それは(恐らくは)『夷鷹』に宇宙の深淵を連れ回されているのかも知れない、とのことだった。

 では、あの時、私の後ろに潜んで呟いて居たのは何者だったのか?

 M氏の資料を読み下しつつも行き詰っていた私の背後で、「エンジゴ」と繰り返し呟いていた『あれ』は何者だったのだろうか?それに「見つけた」とは?

 T氏は言霊云々と言っていた。

 名付けられた概念や現象は、互いに引き合うと。

 ……言霊とは音としての言葉のみならず、文字についても存在するのかも知れない。

 そう考えると、あの時私の背後に潜んでいた気配はM氏の成れの果てだったのではないか、「見つけた」とは自分の研究資料のこと……或いはそれに引き寄せられ、結果的に引き継いだ私のことだったのではないか。

 そう思えてならないのだ。

 いずれにせよ、T氏の言う言霊が文字媒体にも宿る物で有るのならば、私はこれからM氏の研究資料と共に、私のこのレポートについても、封印か閲覧注意をして然るべきだろう。

 何せ今でも時折、あの気配がまとわり付いているのは事実なのだから。

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