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序章

   序章


《とある救急救命士の話》

 ええ。あれは驚きましたとも。我が目を……そして耳を疑いました。うら若い思春期の少女が人前であんな事をするとは。さらにそれがあんな劇的な効果をもたらすとは――驚愕の極みでした。

 ええ、当然初めてですよ。十年に及ぶ救急救命士人生の中でも初めての事です。

 衝撃的とはまさにあのようなことを言うのでしょうね。しばらくの間、雷に打たれたかのように動けませんでした。

 そうですね……あれは九月の初旬、まだ夏の暑さが残る蒸し暑い夕方でした。

 駄菓子屋で心停止を起こした高校生がいる――そんな一報を受けて私達はすぐさま現場に向かいました。高校生で心停止と聞くと珍しいような気もしますが、実際はそうでもありません。スポーツをしていて突如心室細動を起こし心停止――そういうことはしばしばあります。そのような事故があるからこそAEDと呼ばれる装置がそこかしこに置かれるようになったのです。おそらくあなたも目にしたことがあるのではないでしょうか? ……ええ、それです。よく壁とかに立て掛けてある赤い四角い箱です。

 AEDとは自動体外式除細動器と言って、この少年のように急に心停止を起こしてしまった人に用います。日本では救急車が到着するまで七分くらいかかると言われているので、悠長に待ってると患者さんは死んでしまいます。ですからこのAEDで早急に心拍を再開させることが重要なのです。

 私が現場に到着したとき、少年の周りではすでに七、八人の野次馬がいました。私は治療の邪魔になる野次馬の間を割って入り、患者さんのもとへと急ぎました。

 肝心の少年のそばには駄菓子屋の主と思われるお婆さんが明らかに動揺した様子でうろうろしていました。そして少年のすぐ脇では――少年の恋人でしょうか? 高校生くらいの女の子が必死に心臓マッサージをしていました。大したものです。なかなか高校生で、しかも女の子が率先して心臓マッサージなんてできません。

 駆け付けた私を見て、少女は少しほっとしたようでした。そして簡潔に状況を説明してくれました。AEDを使用したが心拍が戻らなかった。呼吸もしていない。少年の頭もとには確かにAEDが置かれており、使用された形跡がありました。本当に大したものだと私は感心しました。少女はその場でできる最善のことを成し遂げていたのです。

 後はプロである我々の出番でした。

 少女の努力に報いるためにも、彼の命は必ず救わなければなりません。人工呼吸と心臓マッサージを代わり、私達は病院へと急ぎました。幸い、そこから五分ほどの距離にある大津橋大学病院が受け入れてくれるとのことでした。心停止は時間が命です。一分経つごとに数十パーセント単位で生存率が落ちていくのですから。いつもの事ながらこの時ばかりは時間の感覚が狂います。五分が一時間にも感じられました。

 ようやく大学病院に着くと、既に循環器内科医の橋本先生が待機していました。少し変わり者ですが、腕は確かな先生です。私は彼に患者を託しました。これで本来ならば私の仕事は終わりです。しかし次の救急要請が特に無かった事もあり、私はもう少し傍で患者さんの経過を見ようと思いました。少女の頑張りに少し情が移っていたんでしょうね。

 しかし、それからの橋本先生の指示が妙でした。普通心停止を起こした患者さんは集中治療室に移動し、DC――つまり直流通電除細動と抗不整脈薬の投与を行うのですが、何故かスタッフも機材もろくに揃っていない通常の処置室へ行くよう命じたのです。

 私は不審に思いながら患者に同行しました。橋本先生の指示に従って救急外来のスタッフが散ってしまったため、気付けば患者の傍には私と少女と橋本先生しかいませんでした。

 ――そして、事件は起きました。

 人気のない処置室の中に入り照明を付けた途端、橋本先生は何故か同伴してきた少女の方に近づいて行ったのです。

 そして、とんでもない事を口にしました。

 え? なんと言ったか? そうですよね……聞きたいですよね。このお話の核心的なところですもんね。けれど、実際のところ言うのも憚られるんですよ。なんというか。あまり口に出したくないというか……。

 ……そうですか。分かりました。でもセクハラとか言わないで下さいよ。お願いしますね。

 ええ……橋本先生は、少女に向かってこう言ったのです。

 臆面もなく。真剣この上ない顔つきで。


「……彼を救いたければ、屁をこいてもらえませんか?」


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