Love or Destiny?
若干の同性愛描写があります。本当に少しなので警告タグはつけていませんが、ご注意ください。
人間には、生まれたときから決められた“運命の人”がいる。
自らの意志とは関係なく、結ばれるべき相手が。
☆
それは、いつも通りの下校風景。俺と、1年のときからの友達である和の。
「へえ。もう吉田に相手が」
「ね。びっくりだわ。『運命なんて信じない。あたしは一生独り身でいる!』……とか言ってたのにさ」
寂しげな横顔。俺はその本当の、隠された意味を知ってる。けれど。
「もしかして羨ましいとか思ってる?」
俺がそう指摘すると、和は足を止めた。
「私は……やだよ、そういうの」
「えー。どうして?」
俺はとぼけたように返す。すると和は鋭い眼差しで俺を見返した。和がこういう眼をするのは、いつも決まってる。自分の話したくない過去……中学のこと、家族のことが出るとき。2年の付き合いになるんだ。「察しろ」なんてわがままは捨てて、いい加減、話してもらいたいものだ。
和は大げさにため息をつく。
「運命なんてロマンチックな響きはしてるけど、よく知らない相手と一生そーゆー関係になるって。何か気持ち悪い」
「気持ち悪いって何だよ……すげえことじゃねえか」
「ホント、真澄ってバカみたいに先生の言ったこと信じるよね。周りの環境とか生き方が教科書通りだったから……って!」
和が俺の横からいなくなった、かと思えば、走り出していた。
「ちょっ…!どうしたんだよ!」
情けない話だが、和は陸上部で俺は運動音痴。追いついて腕を取る、なんてことはできないのだ。
静かな住宅街を抜け、駅前の喧騒に包まれた所で、和は走るのをやめた。
「運命なんてあるからっ、お母さんがクソ親父と結婚する羽目になった!!運命のせいでっ!!お母さん、死んじゃったんだよ!!」
しゃっくりを上げ、泣いていた。いつも穏やかで、時々強いところを見せる、17歳の女の子を俺は泣かせてしまったのだと、俺はその時はげしく後悔した。
駅の地下のファストフード店に入り、俺は和が落ち着くまで待った。そして和はぽつぽつと話し始めた。
「親父……崇光は最低な人間だった。運命の人とまだ会ってない女の子に接触して。運命を感じた、とかそれっぽいこと言って。運命を感じるって感覚、なんてわかんないじゃん。皆信じちゃって。女の人たちは乱暴されて……。用がすんだら崇光は消えてるの」
「え……それって、犯罪なんじゃ……」
性行為を目的に運命の相手だと偽り、性的暴力を行う。詐欺罪と強姦罪になるはず。
「うん。でも実際に罪に問うのはすごく難しい……運命なんて感覚は証拠にならないし、女の人も騙されたことを恥ずかしいって、訴えないことが多くて」
和はズズっと氷だけになったコーラをすする。
「運命の相手であるお母さんと結婚した後も、崇光は犯罪行為をやめなかった。そしたらね。私が小学校6年の頃からね、お母さんがおかしくなってきたの。崇光は仕事が終わってもほとんど家にいなかったから気付かなかった。私は……一番そばにいたのに、気付けなかった」
ハンカチを目に押し当て、和は声を震わせる。
「……お母さん、私が中学に上がった頃……一回ね、一回だけだよ。叩かれた、思いっきり、殺されちゃうってくらい、強く。そのあと、家を追い出されて。……2月の、夜8時頃だった……」
俺は和の細い手を握った。好奇心から彼女の心を傷つけてしまった、せめてもの罪滅ぼしのつもりだった。和はその手を握り返す。
「でも、何が起きたかわかんなくて……お母さんが、何を、したかったのか。……待ってたの。それから少しして、お母さんはちゃんと、ドアを開けてくれたっ……。私を抱きしめて、『ごめんね、寒かったでしょ。ごめんね』って……」
突然耐えきれなくなったように言葉を切ると、和は洗面所の方へ駆けて行った。
俺はふと、和の言葉を思い出す。
「教科書通りの、生き方……」
確かに、俺はそうだ。世界中で起きている問題や疑問に、何の関心もない。高校だってやりたいことは特になかったから、学力と比較して無難な所にした。
それに引き換え、和は。必死に悩んで、考えていたんだ。
「次の日、お母さんは消えちゃた」
ハッとして横を見ると、目を真っ赤にさせた和が戻ってきていた。
「交番に行ったら警察がたくさん来て、タンスから遺書を見つけた。それから一週間後に、お母さんが川で見つかった」
感情を押し殺した声だった。
「ごめん和……俺、お前のことなにも」
「もういいよ、真澄。ありがとう。帰ろっか」
和は鞄を取ると、俺の腕を引っ張った。
「……で、今はお母さんの実家でじいちゃんばあちゃんと一緒に暮らしてる。……あんまり言いたくなくてさ。ごめん、今まで言わなくて」
「いいって。言いたい時に言えば。無理して行ったら、本当に言いたいこと見失うだろ」
改札をすぎた所の脇で俺らは、話し足りなかったことを話し尽くす。これも、いつもの下校風景。
「うん……。あーホント、真澄のそういう所、好きだよ私は」
「はいはい、サンキュー」
電光掲示板を見る。16時42分。もうすぐ、いつもの電車が来る。和が悲しそうな表情になる。
「それじゃ、また明日」
「今日は金曜日だから、“また来週”だよ?」
いたずらっぽく笑う和。その笑顔はかわいい。俺は和の頭に手を置く。
「揚げ足とるなって。はい、また来週」
俺と和は反対側を歩きだす。俺たちの帰る駅は反対だから。
背後で、すぅっと大きく息を吸う気配があった。
「崇光のせいで、『運命の人』なんていなければいいって思ってた。でも!」
今度は頼りないくらいに小さく、震えた声だった。
「真澄の『運命の人』が、私だったらよかったのに」
え、と俺が振り返った時には、和の姿はもう消えていた。
ホームで俺たちは向かい合う。和が小さく手を振る。俺もそれに振り返す。そして電車が俺たちの間を通って行く。俺と和の下校風景の最終ページ。
それが今日はなかった。破り取られたように。和は俺の正面にいなかった。きっと、階段の影で泣いているのだろう。
俺は今日、何度も何度も。大切な友人を傷つけてしまった。でも俺は、和がどうしてほしいか知らなかった。一緒に泣いてやればよかったのか、黙って背中を撫でてやればよかったのか。
音楽が流れる。電車がゴオッっと音を立て、風と共にホームに流れ込むように走る。手であばれる髪を押さえつけ、整える。
プシュ、とドアが開いた。
そこで俺たちは向かい合う。目が合った瞬間、悠が逸らす。その顔は真っ赤で、口は笑みを必死に殺そうとしているのが丸わかりだった。
俺は電車に足を踏み入れた。そして慌てふためく悠を反対側のドアまで追い込む。
「この時間のこの車両、このドアの前。毎日、真面目に居るよな」
「……だ、だから、部活終わるのがいつも同じ時間で……とにかく、偶然なんです!」
「声がでかい」
ますます顔が赤くなった悠が顔を反らす。何か言いたげに口を開いたり躊躇ったりしていたので、待ってみる。
「……そーいえばっ、今日はあの女の先輩居なかったですね、ケンカでもしたんですか」
「ちゃんとチェックしてるんだ」
「違っ……!い、いつも目につくんですよっ、手振るなんて!」
こそこそと話そうとしているつもりだろうが、かすれた声が逆に聞こえやすい。
「だから声がでかい」
悠の口を掌で封じる。
「んー……!」
真っ赤になって怒る悠を見つめながら、ふと和の泣き顔を思い出す。
もしも、運命なんてものがなかったら。
人と人の心を結ぶものを、何というのだろう。
☆
「あー終わった終わったもう書きたくない!!お偉いさんったら、私がこの道600年のベテラン作家だからってこき使いやがって!」
ボサボサの髪をさらにボサボサに掻き乱す、純白のしわくちゃワンピースに身を包んだ女性。
「自業自得だってば。蘭が強引に二人をくっつけちゃったのが悪いんでしょ。そりゃ、あの娘みたいに私たちに疑問持っちゃう人だっているよ」
今にも消えそうな声で呟く、純白のワンピースの線の細い少女。二人とも容姿は人間だが、宙に浮いていた。そして、人々はそんな二人に気がつきはしない。
蘭と呼ばれた女性は餓えた野生獣のような、頭痛に悩まされる締め切り直前の作家のようなしかめっ面でため息をつく。
「だってね、だってね?年違う、学校違う、共通点は通学電車でのたった一駅!時間もなっかなか合わないし……そりゃストーリーも適当になるでしょうよ、矛盾だって生じちゃうでしょうよ!」
「開き直らないでよ。蘭のせいであの娘の後始末しないと行けなくなったんだし……ん。もう一個あるよ、共通点」
「はぁ?あったっけ?」
「性別が同じ、男ってこと」
「ああ……霞。あんた性別気にする派だったっけ」
霞と呼ばれた儚げな雰囲気を纏わせた少女は首を傾げる。
「結使委員としてはあまり気にしないよ。まあ、生物学的には男女が結ばれた方がいいよね。ただ、編集者としてシナリオを読む分には、男女の方が好き。蘭もそっちの方がロマンチックに書けるでしょ?」
それを聞いて、蘭は得意げに胸を反らした。
「まあね。大切なのは経験と慣れだから。私だって同性愛の仕事が増えればねぇ?上手く書けるかもしれないわ」
「男同士だろうと女同士だろうと、男女だろうと本質は一緒なのにね。モチベーションが違ってきちゃうのかな」
「ちょっ……あんた、人の話聞きなさいよね」
「今、人々の間でも同性愛モノ流行ってる傾向あるし、小説とか漫画読んで勉強したら?薺ならいい本貸してくれるでしょ」
明らかに動揺したように、蘭の顔が赤くなった。
「霞。あんたそういうジャンル読んだことないからわからないだろうけど、ああいうのって結構性描写多いんだから!それなのにR指定がないの!……あたしらみたいな純情な乙女が読んだら、ショックでしばらく恋愛不審になるわよ!!」
「っていうか蘭はもう658歳だからR指定要らなっ……んー!?」
「霞ちゃんはお喋りだねぇ!ちょっと黙っとこうかぁ。あとあたしはまだ602歳だから!!」
霞は塞がれた口から蘭の掌をはがす。
「それは死後年齢でしょ。少しでも若いって思われたいのはおばさんの証拠だよ」
「うっさい!190歳のひよっこが!」
「生前含めれば206歳だし。あ、背伸びしたがるのが若者の象徴だね」
にっこりと笑う霞のほっぺたを蘭がつまむ。
「クソガキィ……まだ仕事は残ってんだ……早く帰るぞ……」
「ふぁいふぁい」
霞は右手を左から右へスライドさせる。すると、青白い光が二人の足元から徐々に身体を包んでいく。
「あの女の子。きっと死後は結使に来るんじゃないかねぇ」
「うん。そうしたら、あの娘の運命に対する疑問も解決するね。……あのさ、蘭。運命の人が居なかったらって話」
「霞」
冷え切った蘭の声が、霞の思考をとめた。
「あんなの、気にしなくていい。あたしらは、世界の感情を乱してるわけじゃない。人間たちの、前世の願いを叶えてる。人間たちが望んだことを、やってるんだから」
「うん……。そうだよね」
青白い光が二人の全身を包み終え、閃光のように瞬いた、次の瞬間。二人はもう空中には居なかった。
前世に結ばれなかった人たちを結ぶため、『シナリオ』を操る死後世界の組織――――結使委員。
結使委員は前世の願いが原則である。『記憶の欠片』を人間に振り撒き、それを『運命』と呼ばせた。
しかし、既に交際をしている者や配偶者がいる者もおり、その者たちを引き裂けばまた、来世でその者たちが結ばれなくてはならない宿命になる。前世を其にすれば、現世を犠牲にし、来世までも縛りつけてしまう。
同じことの繰り返しをしていた結使委員は、あることを決めた。
前世の悲しい結末となった想いに忠誠を誓い続けることを。
そして、現世を生きる人間たちから、『ある感情』を亡くすことを。
――――それは昔、『恋』と呼ばれていた。