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決着!
霧がはれたとき、そこに鬼は立っていた。血走った眼をして、頬が裂けそうなくらいに口をひん曲げて嗤っていた。
「キエエエエエエエエエ!!」
奇声とともに、鬼は飛ぶ。空中に弧を描きながら迫ってくる。
「くッ!」
もう一枚、退魔符を取り出す。
「急々如律令!」
瞬時に唱え、符を飛ばす。
鬼と符がともに加速して、高速で距離を詰める。
符が鬼に触れようとしたその時、鬼は大きく体を捻って回避した。
アーチを描く黄ばんだ五本の爪が、アタシの喉元を突き狙う。
鬼は鋭利な爪を武器としている。こちらは符で攻撃をしていた。つまり今は無手であり、守る手段が無い。大きすぎる失態に舌を打った。
もう一度、符を出すか? いやダメだ。それじゃ間に合わない!
良い手段が思いつかない。一刻を争っているのに、アタシは何を呑気な事をしているんだ!
そうしている間にも鬼は迫ってきている。
迫ってきている?
違う、もう……既に。
「――――」
声が出ない。
鬼が。
いつの間にか目の前にいた。
そして浅黒い腕を振り上げるのが見えた。
付け根に蛆が這う爪で、鬼がアタシの喉を掻っ捌いた。その感触に鬼は醜く顔を歪めて嗤う。
しまった、と思ったがもうすでに遅い。
アタシはその場に膝をついてうずくまった。
鬼は愉悦の笑みを浮かべ、ゲラ、ゲラと声を上げている。
うずくまったままアタシは立ち上がらない。
……ああ…………ダメ、だ…………。
その状態のアタシをいたぶろうと、鬼は再び爪を構えた。
――パキン!
何かがへし折れる音がした。
――ペキン、ペキン、ペキンペキン!!
立て続けに鳴った。
音は鬼の爪から聞こえてきた。
もう…………限界だ。もう、笑いをこらえることが出来ない。
くつくつと笑いながら立ち上がる。
「どうしたの? アタシを仕留めたと思ってた?」
鬼はアタシの喉を裂くことなどできていない。爪が割れた痛みに苦悶の表情を浮かべながら、こちら睨む。
アタシの喉は傷一つない。ギリギリのところで太刀を振るい、爪を全てへし折ったからだ。
鬼はわけがわからない様子で、太刀に視線を向けている。
「不思議そうな顔してるわね……簡単な事よ。アンタら鬼と同じで、コレは在ると思えばあるし、無いと思えば無いんだから」
鬼が喉を裂く寸前に刀を召喚した。その刀は冬の冷気を上回る、全てを氷結させる霊気を纏っている。
息も上がり、大粒の汗がドッと吹き出す。これは奥の手だった。使用者の体力を大きく消耗させるからだ。
霊能者は自らの持つ性質を理解し、それに応じた能力を保持している。冷気をたたえる太刀を召喚できたのは、アタシだけの特殊能力。そしてこの太刀の性質は《英雄殺し》。かつて、幾多の神を倒してきた偉大な英雄は、牡牛のように大きい白い猪に殺された。その白い猪の力がこの刀には宿っている。
刀を八双に構えて鬼を捕捉する。
「さあ、来なさい。さっさと終わりにしましょ」
圧倒的な力を前に、鬼はジリジリと、後方へ圧されるように退く。
だが決心したのか、鬼は身を地面すれすれに低くしながら疾駆した。
鬼は、残る反対側の手に生えた爪を、全力で振るう。
一閃。
その爪を刀で一薙ぎする。鬼の肩から先が、全て霧のように散った。斬った感触は無い。ただ空間を薙いだだけだ。
英雄殺しの刀は、獲物を斬った手ごたえすら感じないほどに鋭利だ。たったの一太刀でこの威力を誇る。
鬼の劣勢は明らかだ。それでも鋭い眼光でこちらを睨んでいる。まだ闘志はあるようだ。
両手の爪を消失した鬼は、黒ずんだ歯で噛みつこうとしてきた。
「フフン、無駄よ」
八双の構えを解き、鬼を正眼に捉える。狙うは正中。体を真っ二つに切り裂く!
鬼が迫りくる。――絶対に狙いを外さない。
そのとき、思わず動揺してしまった。あるものが目に入ったから。
なぜ、そんなものが?
鬼のはだけた首元……そこに、噛まれた跡があった。まるで鋭い犬歯で貫かれたような……。噛まれた、というよりは《吸われた》というほうが正しいかもしれない。
頭の中で、ある恐ろしい事態が浮かんだ。その想いを今の間だけぬぐい去る。一切の余念をなくして刀を振るう。刀は真っ直ぐな軌跡を描き――。
そして、鬼を切り裂いた。
脳天から、心臓部へと、真っ二つに。
鬼には悲鳴を上げる暇もない。悲鳴のかわりに裂かれたところから、黒く凝った体液が間欠泉のように噴出する。それが収まると、周囲の闇に融和するように溶けて消えた。
今度こそ、終わった。
仕留めたことを確認して刀を収める。虚空を横に薙ぐと、刀はそこに浸透して消えた。
世界を不吉な赤色に染めていた信号は、パッ、と赤から緑の光に変えた。ようやく現実に戻ってきた気がした。
鬼を倒した。
もう少し安心したかったんだけどなぁ。そうはいかないらしい。
この町に――――
――――《吸血鬼》がいる。
嫌な予感が頭から離れない。魔族の中で高位の吸血鬼が何かをやろうと暗躍している。それがどのような事かわからない。だが確実に人々をおびやかす何かだ。最悪の場合、街の人が一人残らずあの世の住人になるかもしれない。
「ああ、もうッ!」
ひと時の勝利に浸る間もない。身をひるがえして、急いで帰ろうとする。
(早く、対策を練らないと――!)
その時、隅っこで横たわっている少女を思い出した。……すっかり忘れていた。
少女はすぅすぅと規則正しい寝息で、胸を上下させている。
「はぁ…………」
やることが山積みだ。この子はどうすりゃいいの?
送り届けるにしたってどこに住んでるか知らないし……。
深いため息を吐いて、肩を落とした。
手直しして書くだけだからめっちゃ楽。