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供養です。
よければ見てやってください。
深夜。
辺りは霧が立ち込めていて、あまり見通しが良くない。
最近、このあたりでは事故が多発していた。だからそれを知る人たちは、ここを避けるようになった。
聞こえてくる自動車の走行音はだいぶ遠い。ここを利用しようと思うのは、きっと土地勘のない、遠方からやって来る人だけだろう。
霧の中、空中に緑色の光が浮かんでいるのが見えた。光に誘われる蛾のように、そっちを目指す。何となく、そこがアタシの目的地なのだと思ったから――。
それは十字路の信号機が放つ光だった。緑の光は黄に変わって、最後に赤に変わった。
視界には赤い世界が広がる。空間そのものが血に染まったような、そんな錯覚に陥る。それは酷く不気味だった。
寒い。痺れて手先の感覚が無くなってきている。これだから冬は苦手なんだ。体が上手く動かなくなる。
――さっさとやることを済ませてしまおう。この場所で正解だったらしいし。
空気が淀んでいる。
いや、歪んでいる。
古くから、道と道の交点には魔が潜むといわれていた。道と道。単純な人々が行き交う通路を意味するだけでは無い。あの世とこの世が繋がるという意味も含む。特に、古くからある十字路などは霊道としての機能が備わっている。そういった場所では人と鬼が共存している。互いの境界線ってこと。
そして、そこでは鬼が人をさらうこともある。
そんなことをさせないために、アタシたちのような特殊な人間がいるんだ。
日本では陰陽師、西洋ではエクソシストなど……。人ならざるモノに対抗する手段を持つ人間は昔からいた。そういう特殊な人間たちは鬼と戦う技を連綿と受け継いできた。
陰陽師の一族、土御門家。その家系にアタシは生まれた。
まだ高校生だから……とは言っていられない。すでに人を守るだけの力を備えているんだ。だから学業に支障がない程度に、こうして深夜の見回りをしている。女子高生が夜に出歩くってのはあまりヨロシク無いけどさ。
本当ならこんな遅くまで見回りをする必要が無い。アタシが不規則な生活を送る羽目になったことには理由がある。それはこの町に異変が起きたからだ。
霊道が乱されて、鬼が現世をうろついている。普通じゃあり得ないことだ。親父の話だと、どうも犯人が居るらしい。
歪んだ霊道から湧き出てくる悪霊退治と犯人捜し。それがアタシのやることだった。
髪を右手でぐしゃぐしゃとかき回す。髪の毛がボサボサになったけど気にしない。
ああ、早く眠りたい! 面倒事を起こしたのはどこの誰よ!
――十字路を強烈なライトが照らした。大型のトラックが通ろうとしている。
プレートを見るに、どうもこの周辺に慣れている車じゃなさそうだ。遠方から来たのだろう。
そんな事を考えながら呑気に構えていると、トラックの前に人影があることに気がついた。
小柄な少女だ。トラックの運転手には見えていないらしい。
全身が急速に沸騰するのを感じる。舌打ちをしながら、駆けだした。少女を助けるために、必死で両足を動かす。
間に合え、間に合え間に合え間に合え!
トラックが、華奢な体をミンチにした。
嫌な映像が脳裏に浮かぶ。それを振り払い、トラックの前に勢いよく体を投げ出した。そして、少女を抱きかかえながら、道路沿いの茂みに背面から転げ込んだ。
トラックは重低音を響かせながら遠ざかっていく……。
泰智は腕の中で意識を失っている少女が、生命にかかわるような重症でないことを確認した。
この少女は憑かれていた。憑かれた人間は存在が希薄になる。つまり人から姿を認識されなくなる。
だから車に衝突して、死人となってから再びこの世に晒すこともよくある。そういった事態を未然に防ぐのが、陰陽師の仕事だ。
少女を救うことができたことに安堵した。そして安堵とともにあることに気がついた。
気がついた点は二つ。
まず、少女はとても美しかったこと。清楚や楚々という言葉がこれほど似合う女性を、いままで目にしたことが無かった。柔らかそうな白い頬と、薄紅色の潤った唇を月明かりが照らし出す。ちょうど肩にかかる長さの美しい黒髪もその淡白な顔には似合いすぎていた。
少女が美しいと褒めるのは、とても簡単だった。その少女を自らの腕に抱いていると知ると、手が汗ばんでくるほどだ。
もう一つ気がついたことは、アタシの通っている学校の生徒だということ。少女がアタシの着慣れた制服に身を包んでいたから、すぐにわかった。
身近なところで被害が起きたことに、憤りを感じた。被害そのものに憤りを感じたわけじゃなく、自分の無力さに対して。迅速に対応が出来ていたら、ここまでの危険にさらすことも無かった。
憑かれるというのはその一瞬では無く、日常的にそうした環境にいるから発生する。だから《魔が差す》などという言葉があるのだ。
――さて、自分への怒りや反省は後回しにしよう。
『魔が差す』
それは魔がいるから起こるんだ。
少女を安全な端の方に寝かせて十字路の中心を睨む。
人の形をした影が一つ。少女に憑りついた悪霊がそこにいた。
「アァ………あ……ァぁ」
それは、いつまでも耳に残るような不快なノイズを発した。
こうした異界の住人を、昔の人は《鬼》と呼んだ。死んだ人の姿を借りた《何か》がそこにいる。
長い――ざんばら髪を――ブンブンと――振り回し――
――ケタケタと――黄色い歯を見せながら――黒ずんだ歯茎を剥き出しながら――
かつて生きていた何かが、笑った。
ボロボロの汚れた衣服を着た鬼は、素足でこちらへ歩み寄る。その肉体は所々が大きくえぐれ、白骨化した骨と赤い腐肉がのぞいている。
少し前、この十字路で衝突事故が起こった。ここでトラックと女性が衝突した。女性は即死だった。
かつての宿主の意思は亡い。――もし宿主の意思があれば、わが身でこのような醜態を晒してほしくないと考えるはずだ。
たもとから一枚の符を取り出して、それを人差し指と中指で挟む。そして顔の前で構えた。
符を起動させるのは、たった一言でいい。
「急々如律令!」
唱えると符は青白い光を放った。そして指から離れて、高速で鬼に向かって飛んだ。符が通ったところには光のラインが出来ていた。
鬼は飛んでくる符が、危険なものだとわかったのだろう。小太刀ほどの長さの爪を振り回して切り裂こうとする。
しかし符の方が速かった。
ぶぉん! と爪は大きく空を切る。それと同時に、符が鬼に触れて炸裂した。
鬼にとって、清浄な光は身を溶かす酸と変わらない。
オオオオオオォォォォ!!
耐えかねた鬼の悲鳴が轟く。ただの怨念霊であれば、これで消滅する。
使用したのは《退魔の符》。穏便に事を済ませるのが目的では無い。強力な呪力をもって鬼を消滅させるものだ。
強力な符の余波が周囲に霧を発生させた。
これで終わりだ。
今日はもう大丈夫だろう。鬼はめったに現われるものじゃない。今、この地域はあの世とこの世が入り混じっているから、鬼が這い出てきているけど。
鬼退治は終わったし、残る問題は少女をどうするかだ……。
ケタケタケタケタケタケタ、ケタ。
霧の中から笑い声が聞こえる。
「――そうか」
まだ、終わっていないんだ。
内容をガラリと変えました。というか、主人公の性別が変わった。