01.雨中に出逢う
通い慣れたこの道を、自宅に向けて歩く。普段と違うのは今が朝だと言うことくらいだろう。
仲の良い同僚から突然『夜勤の日を代わってくれ』と頼まれ二つ返事で承諾したのはまだ記憶に新しい。どうせ予定も入っていなかったし、夜勤の日が代わっても構わなかった。確かに夜勤となれば昼夜逆転した生活を送らざるを得なくなる。でも私は、この朝の静かな雨の中を歩くのが嫌いではなかった。
慌てて出勤していくサラリーマンや、傘を差してゴミ捨てをする主婦を尻目に自宅へ向かう。もう少しで家に着く、と言う所で耳障りな音と電柱に取り付けられた立札が目に付いた。その立札には白地に赤い文字で『工事中につき通行止め』と大きく書かれている。その文字の横には、工事をしている会社の名前と共に、申し訳なさそうにお辞儀をする道路整備員の絵が小さく描かれていた。どうやら耳障りな音の正体は道路工事の音だったらしい。
この道の先を曲がれば自宅はもうすぐそこだと言うのに、どうやら今日はついていないらしい。いくら雨の中を歩くのが嫌いではないと言っても、夜勤明けで疲れているのだ。早く帰ってゆっくり休もうと思っていたのに。雨は先程よりもその勢いを増していた。
面倒だがいつまでもここで立ち止まっている訳にはいかない。踵を返し別な道を曲がる。確かこの道を行けば自宅のある道に出られたはずだ。夜に数度しか通ったことの無い道を日の出ているうちに歩くのは新鮮で、辺りを見回しながら歩く。
と、ふと足を止めた。誰かに呼ばれたような、そんな気がして。前を見れば向かって左に小さな公園が見えた。あそこに何かがある。そんな予感がして、公園へと足を向けた。
一歩、公園に足を踏み入れた途端、目に入るのは大きな紫陽花。それもただの紫陽花ではない。まるで血のような、鮮やかで濃い深紅が一面に広がる。そういえばいつだったか『深紅い紫陽花の下には死体が埋まっている』なんて噂を聞いたことがあるが、それは強ち間違いではないらしい。その紫陽花の前には、此の世の者ではない存在が居た。
まだ小、中学生くらいだろうか。少し長めに切りそろえられた焦げ茶の髪にまだ幼さの残る顔立ち、青い半袖Tシャツにハーフパンツ姿の少年だった。ただ、少し様子がおかしい。
此の世の者ではない存在となってから時間が経てば『呑まれる』、つまりその場所に捉われて苦しみ続けることになるのだ。そうすれば浄化させることは出来なくなる。消すしか方法が無くなってしまうのだ。それは存在を消す、その人を殺す事と同じだ。私はこれまでに何度も“そういう存在”に会ってきた。間に合わずに救えなかった事もあった。『呑まれる』までの時間は一定ではなく、その期間は様々。恐らく此の世への思いの強さが関係しているのだろう。
そして今、目の前に居る少年はまだ『呑まれて』いない。と言う事はまだ此の世の者ではなくなってからそう時間は経っていない筈だ。しかし、この少年からは此の世への『未練』と言うものが見て取れない。死して尚此の世に留まっていると言うことは何かしら思い残したことがある、ということ。そして多くの場合、思い残したことに関係のある場所に留まることになる。その場所や物への『思い』に縛られてしまうからだ。
だが、この少年は何故公園に居るのだろう。見た所この公園には花が手向けられている場所は無い。つまり少年はこの公園で亡くなった訳ではないだろう。では、何故此処に留まっているのか。紫陽花を見つめる少年は、まだこちらの存在には気付いていない。
もし、もし私に出来る事があるのなら。彼を救う事が出来るのなら。今ならまだ間に合う。彼は彼の在るべき処へ行かなければ。
「ねえ。」
その為に、私は手助けをしよう。私にしか出来ないこと、いつかあの人を送り出した時のように。
「貴方はどうして此処に居るの?」
振り向いた少年の目が大きく開かれる。
「……紫陽花に、水をやる為に。」
どうやら会話をすることは出来るらしい。訝しげな視線を向ける彼を安心させるために、優しく微笑んで見せた。
「そっか、偉いんだね。私の名前は川瀬 波瑠。貴方は?」
一瞬戸惑うようなそぶりを見せた少年は、しっかりと私の目を見つめた。
「俺は、四葩 椎。」
「椎くんか、良い名前だね。」
「何の為に名前なんて訊くんだ。」
明らかに警戒している彼、椎くんは私を睨む。いきなり知らない人に、それも大人の女性に話掛けられれば警戒するのも当たり前だ。無理もない。
「なんか、大事そうに紫陽花を見てたから気になったの。椎くんはいつも此処に居るの?」
「……嗚呼。」
矢張り、この場所に縛られているようだ。しかし、あまり一度に沢山の事を話しても混乱させてしまうだけだろう。それに警戒されたままでは話を聞かせてくれないかもしれない。雨も強くなってきたし、また今度出直そうかと思い直した。
「ねえ、また来るからその時に詳しい話を聞かせてほしいな。」
「別に構わないけど。」
「有難う。じゃあ、またね。」
軽く手を振れば小さく振り返してくれた彼に一先ず安堵する。普通に会話が出来ていると言う事は、まだ時間はありそうだ。再び自宅へと向けて歩き出した。
彼が『またか。』と漏らした呟きにも、その様子を窺っていた人影にも、気付かないまま。




