第二話
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どういうわけかグラシアの隣にはシェイラが可愛らしい笑顔を浮かべて座っている。リモンシェラ子爵の自室にてすっかりと出かける準備が整ったシェイラがお茶をしており、当然という顔をしてついてきたのだった。父が何もいわなかったので、見合い相手も了承済みなのかもしれないな、とグラシアは不思議に思いながらも納得した。
「お姉さま、緊張してらっしゃらないのですね。さすがですわ」
待ち合わせの時間となっても相手方はまだ到着しない。シェイラは当分到着しないとふんで話しかけてきたようだった。いま侯爵領は些細なトラブルが頻繁しているという話なので、その対応に追われているのだろう。その上、この会場は、リモンシェラ子爵領の中にあるシャノン侯爵家が経営に関わっている高級レストランである。リモンシェラ子爵の屋敷からは馬車で半刻ほどであるが、シャノン侯爵家の屋敷からはどれだけ急いだとしても三刻ほどの時間がかかる。今日の席は中止となるかもしれない。それはグラシアとしては嬉しいことだ。このまま縁がなかった、と中止になるとなお嬉しい。ミリカは残念がるかもしれないが。
外に漏れないようにすこし小さな声で返事を返す。妹の声量は普段から大きくないので問題ない。小鳥が歌っているようでずっと聞いていたくなる声だ。
「実をいうと、ついさっきまでは緊張を通り越して逃げ出したい気分だったの。でもいまは……吹っ切れた、というのが正しいかしらね」
相手が何を求めているのかまずは見極めよう。まずはそれからだ。その結果万が一の確率だがグラシア自身を求めているのならばそれは受け入れるしかない。(極力回避する方向で調整したいが。)
侯爵家に楯突けるはずがないのだから、なんとでもなれ、と半分やけっぱちになっているというのもある。
「そうですのね。それにしてもいまのお姉さま、子爵領のお金持ちを言いくるめて大金を巻き上げる商談の席に向かうときと同じ顔をしていますわ」
「そ、そうかしら」
商談の席のグラシアは相手の考えを引き出し、自分の要望とすりあわせた上で双方で折り合いをつけよう、という方針で話を運ぶ。もちろん相手の考えを事前に想定しておき、自分の要望を最大限叶えるための準備は怠らない。
言われてみれば確かに、自分の人生の中でこんなことが起こるとは思ってもみない降って沸いたような見合い話であるため、相手の考えを読んだり準備したりということが十分にできていないだけであまりいつもと変わらない気がする。街の人気娼婦のお姉さんは「恋は駆け引きよ」といっていたし、この席を除いたグラシアが結婚相手について考える場合は寸分違わず商談の席と考えは同じである。
「うーん。確かに……って、シェイラ、あの時のわたしは寄付を求めにいっただけ、無理強いしたような表現はよしてちょうだい」
「まあ。そうでしたの。金貨の袋を懐に忍ばせて笑っているお姉さま、とうとうあくどい商人に転向するのかと心配しておりましたのよ」
「まさか。わたしは子爵領を豊かにすることに心血を注いでいるのよ」
「冗談です。存じておりますわ。そうですわね、商人のよう、という話しならば、わたくしのほうが……」
「……二人とも、そろそろおしゃべりは止めにしなさい。まったくそなたらは、この状況でよく口が動く……」
リモンシェラ子爵が姦しい娘二人に注意の言葉をかけるが、その声は小さく震えており説得力、威厳ともにまるでない。リモンシェラ子爵は気が弱い、グラシアはおそらくこの見合い話に一番動揺したのは父に違いないと思っている。気が弱く、野心もまるでない。それは貴族の男性として誉められることではなかったが、気が弱いからこそ娘二人は彼の野心のために政略結婚させられたり、女性としての価値をあげるような勉学を強いられることなく自由に生活できているのであった。グラシアが「リモンシェラ子爵領をわたしが守る」という決意を掲げているのも彼の性格が一役かっている。
リモンシェラ子爵の言葉にシェイラが口をひらいた。
「お言葉ですがお父さま、約束の時間はとうに過ぎておりますが、シャノン侯爵家の方々はまだこちらにいらっしゃっていないではありませんか。侯爵家の方々の前では静かにしておりますが、このいつまで続くかもわからない待ち時間にまで大人しくしている必要はないと思います。失礼なのは相手の方ですもの、わたくし、侯爵家の従者が外で聞き耳を立てていて、あとでわたくしたちの話を告げ口したって、悪いとは思いませんわ」
「悪いとか悪くないとか、そういう問題ではないのだが……」
シェイラのいつもにもなく不機嫌そうな様子にグラシアは首を傾げた。さきほどまでころころ笑って話をしていたけれど、そっと怒りを鎮めていたのだろうか。それにしても、どうしてシェイラが不機嫌なのかわからない。
「シェイラ、疲れたのなら、あなたは先に帰ってもいいのよ?」
「お姉さま、わたくしは疲れてなどおりませんわ。お姉さまこそ、怒ってお帰りになってもよろしいのですのよ」
「ん……わたしは怒っていないし、疲れてもいないわ。シャノン侯爵家の方々が到着されるか、もしくは、中止の連絡がくるまで待っているつもりよ」
おそらく帰ったとしても不敬だと罵られることはないだろう。シェイラの言う通り、先に失礼を働いたのは向こうである。だが、目上の相手でもあるし、この待ちぼうけを食らわせられている時間が、後々の交渉に優位に働く可能性もあるかもしれない。自分の思うように事態を進めたいのであれば、少しくらいの時間の浪費など苦労のうちに入らなかった。シェイラはわたしの答えが気に入らなかったのか、小さくため息をついて、目を瞑ってしまった。頬が少し膨れていて、眉も下がっている。怒ったような、困ったような顔。どんな姿もシェイラはかわいいなぁと思い眺めていると、扉を叩く音が聞こえた。
「リモンシェラ子爵さま、シャノン侯爵より伝言がございます。入ってもよろしいでしょうか」
「うむ。入りなさい」
「失礼いたします」
この見合い会場に到着した際、リモンシェラ親子を出迎え、己のことをシャノン侯爵家の侍従と名乗った少年が、静かに部屋に入る。さすが侯爵家、案内を受けた時にも感じたが、幼い少年の侍従への躾もしっかりと行き届いている。彼は口を開くと同時に深く頭を下げた。
「大変申し訳ありませんが、本日は急ぎの要件のため、こちらに来ることはできないそうです。こちらにこられるぎりぎりの時間までなんとかできないかと苦心しておられたそうですが……大変申し訳ありません。食事の用意ができておりますので、差し支えなければゆっくりと昼食を食べていってください」
「……そうか。仕事ならば仕方がないな。せっかくなので、食事をいただくよ」
「はい。すぐに用意いたします」
侍従が出て行った後、一瞬だけ静寂が訪れたが、やはりシェイラは腹が立っているようで、「すぐに出て行くべきだわ、お父さま」と父に訴えたが、父は取り合わなかった。シェイラの言葉にはいはいと頷く父親の姿しか見ていなかったグラシアは、父は意外と頑固なんだな、と認識を改めた。しばらくすると食事が運び込まれ、シェイラはしぶしぶといった様子で食事を始めた。グラシアは一番迷惑を被っているというのに、不思議なことに気分は穏やかなものだった。シェイラが十分怒ってくれたからだろうか。見合いが中止になるという良い方向に事態が向かっているからだろうか。気がかりなのはシェイラとシャノン侯爵の長男との見合いの席であると他の貴族達が思っているため、見合いをすっぽかされたなどとシェイラに悪評が立つことであったが、それはシャノン侯爵に訂正してもらえばいいや、とグラシアは美味しい料理を堪能した。