第一話
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リモンシェラ子爵には二人の娘がいる。上の娘はグラシアといい、下の娘はシェイラという。下の娘シェイラは物心つくかつかないかという幼い頃より、その可愛らしさは右に出る物はいないのではないかといわれるほど愛らしい容姿をしており、貴族の子女の嗜みであるリュートの演奏やバレエも優れていたため、ホームパーティへの誘いが途切れることがなかった。また、リモンシェラ子爵も娘が褒められるのが大変嬉しいようで、あちこちのパーティに子爵夫妻とシェイラで参加したため、社交界デビューを果たす年齢である十七を待たずしてシェイラのことを知らない貴族はいないというほど有名となっていた。シェイラに惚れ込む男性は多く、毎日手紙や贈り物は後をたたない。一方、姉のグラシアはとりわけ容姿に恵まれているわけではなく、リュートやバレエの腕も、ダンスのステップも目を見張るほどでもない平凡な娘であった。ついこの前の春社交界デビューを果たしたところであるが、シェイラの姉ということで過剰に期待が高まっていたこともあり、彼女を前にして参加者は皆一様にため息をついた。グラシアとしてはそれは予想していた光景であり、小さな頃からよく向けられてきた視線であったため、特段気にせず一夜を過ごした。その動じない姿は、付き添いを務めたリモンシェラ子爵が拍手喝采を送りたくなったほどである。
グラシアとシェイラが共に人前に出る事がほどんどないため知られていないことだが、二人は大変仲の良い姉妹であった。互いに似合うドレスや髪飾りを選び合ったり、二人きりで遅くまで話しをし、そのまま眠ってしまったりするのはよく見られる光景である。夫妻は娘のことを二人とも愛しているが、シェイラを優先しグラシアを放っておくことが多く、そんな環境で育ってきたというのに、二人とも、特にグラシアがまっすぐ擦れたところのない優れた娘に育っている、と誇りに思っていた。
そんなリモンシェラ子爵家にシャノン侯爵家からお見合いの依頼状が届いた。その話は暇を持て余す貴族にとって格好の興味の的となり、瞬く間に広まっていった。通常であれば、爵位が二つも上の侯爵からの見合い話を断るというのは考えられない。トントン拍子に結婚まで進むものである。だが、相手はリモンシェラ子爵の娘、シェイラである。王家から求婚されることがあってもおかしくはないとひっそりと噂される彼女だからこそ、リモンシェラ子爵がどう行動するか、人々は己の考えを囁き合い、こっそりと賭けも行われていた。わきにわいたリモンシェラ子爵家のお見合い話しだったが、皆根本的に見誤っていた。それは、シャノン侯爵家が見合い相手に指定したのは妹のシェイラではなく、グラシアであったということだ。
「ああああ、ミリカ、わたし、許されるのなら逃げ出したいわ」
「なにをいっているのですか、グラシアお嬢様。大変お綺麗でいらっしゃいますよ」
「世辞は結構。ほんとうに、どうしてわたしなのかしら」
噂の見合いの当日、いつもからは考えられないほど着飾らされたグラシアは寝台の前で頬杖をついていた。髪を結い上げてくれているグラシア付きの侍女ミリカに時折頭をまっすぐ、姿勢をただして、と注意を受けながら完璧に仕上げられていく自分の姿をぼんやりとみているが、妹の方が絶対かわいい。なにかが間違っている。そんなことばかり頭に浮かぶ。
「ねぇミリカ」
「だめですよ。今日は絶対逃がしませんし、逃げれやしないということはわかっているでしょう?」
「ちぇ」
このまま街に逃げよう。なんて甘い考えは、それが不可能であるということをグラシアがよくわかっているということも含めて見通されていた。グラシアとミリカは出会ってから十年ほどたつ。主従とはいえ同じ年頃の娘どおし、気安く言葉を交わす関係であるのだが、ミリカは真面目でしっかりもので責任感が強い。初めの頃はミリカを巻いて街に遊びに出ていたグラシアだったが、いつのまにか巻くことができず後ろに控えるようになり、ついぞこの前はグラシアが好きそうな店の情報を事前に仕入れていて案内してくれるほどになってしまった。護衛の役もこなしてみせます、と短剣での戦い方を学んでいると聞いた時は、彼女を取り返しのつかない道へと導いてしまった気がしてしかたがないが、それはもう後の祭り、ミリカはグラシアに生涯ついていくという誓いを取り下げるつもりはないし、グラシアもミリカを離すつもりはない。
「はい。できましたよ」
「ありがとう。でもほんとそれにしても……」
「もう、まだそんなこと言ってるんですか? 社交界でお会いしたことがおありなのでしょう? わたしの大切なお嬢様が次期侯爵さまに見初められたということについて、誇りに思うことはありますが、不思議に思うことはありません」
きっぱりと恥ずかしい台詞を言うミリカに、グラシアは苦笑した。ミリカはグラシア贔屓が過ぎるのだ。一般的な貴族女性と比べ頭一つ高い身長、いざという時のために習っている武術のためにひきしまった固い身体。醜悪ではないが、決して美人ではない容貌。衣装と化粧と宝飾品で整えたとはいえ、どこをとっても素のままのシェイラに敵わないということはグラシアはよくわかっていた。シャノン次期侯爵、ウィルフレッド・シャノンとは幾度か顔をあわせたことはあるが、言葉を交わしたこともなければ、ダンスを踊ったこともないのだから、ミリカの言う見初められたなどあるはずがないだろう。
「またミリカはそういうこという。ま、いいわ。」
相手の真意は、相手に問わねばわかるはずもない。グラシアはいつもの社交界で言い寄ってくる男と同じで、シェイラと仲良くなりたいがために声をかけたという可能性を捨てきれないでいた。そんな理由で見合いの席を用意したといえばどんな醜聞が流れるともしれないが、そこまでしてシェイラに近づきたい、という考えはわからないでもなかった。それほどまでに、シェイラは素敵な女性で、気弱な男性からすると高嶺の花なのである。うん。そう思っていたほうがグラシアの方も楽だ。
ミリカを相手にうだうだととりとめもないことを話していても、待ち合わせの時間は刻一刻と近づいてくる。グラシアは心を決めることにした。
「いってくる。報告を楽しみにしていて」
「ふふ、いってらっしゃいませ」
自室を出たグラシアはみっともないことを承知でそっと扉に耳をあて中の音を拾うことに神経を集中させた。ミリカはひとりでいると独り言をよく話すのだ。最後に見た笑顔がおどろくほど綺麗な笑顔だったから、ろくでもないことを考えているな、と呆れ半分興味半分で盗み聞きを決行することにした。案の定、楽しそうな声が聞こえてくる。
「恋愛にまったく興味がなく、あまつさえどこか無難な貴族の次男か三男を婿にとろうなどと考えていらっしゃったお嬢様に恋の刺激が! ふふふウィルフレッドさま、このお見合いの席がうまくいくことはまったく望みませんが、そのことはとても評価しますわぁ。あぁそれにしても、グラシアさまを綺麗に飾り付けるのは楽しいですわね、社交界程度じゃここまでしっかり支度されないのですもの。次の高位の方からのお見合いはいつかしら」
「……ミリカ、あなたね…………」
半分予想通りの独り言を呟きながらうきうきと広げた化粧道具を片付けはじめた侍女の頭をはたきにいきたくなったがぐっとこらえ、リモンシェラ子爵の部屋へと向かった。緊張感を吹き飛ばすほどの脱力感を味あわせてくれてありがとう、と帰ってきたら告げるべきかしらね、とグラシアは苦笑した。