三 嵐が来て、やがて静まりかえること
小さな店は、嵐に見舞われた。
子羊の香草焼き。
茄子と玉葱の辛煮。
雉肉と胡麻の葉を刻んだ和え物。
瓜と挽き肉の炒めもの。
香草と駱駝の肩肉煮込み。
とき卵をかけまわした五穀雑炊。
餡掛け肉団子。
干し肉とキャベツの酢漬け。
西瓜。ナツメ。杏。干し葡萄。等々―――。
彼等は凄まじい勢いで、出される料理を吸い込んでいた。
しかもたったの四人、うちひとりは若い女である。
さらに、まだ到着から判刻とたっていない。
それでいながら彼等は、片時も会話をやめようとしなかった。
口を開くときには、いつも喋るのと料理をほうり込むのとを兼ねている。
その声がまた、途方もなく大きい。
ひときわ大柄な男が、訛りのある声を銅鑼のように響かせると、負けじと女がよく通る声を張り上げる。
背の高い優男もからからと羽根つきの扇子を振り、呑気そうな若い男も酒が入るとすっかり廻って、意味不明の奇声をあげはじめた。
酒といえば、呑む量もまた尋常なものではない。
葡萄の醸造酒、糯米や麦の蒸留酒、さらにはそこにナツメ等を漬け込んだ果実酒、果ては料理酒や味醂まで何でもかんでも煽ってしまう。
ただでさえ騒々しいのに、酔うとそれが数倍になるのだった。
もちろん媛と、ひとりしかいない料理人は、とてつもなく忙しい。
料理に酒にと、用意する側からなくなってしまうので、小さな店を休みなく駆け回らなければならなかった。
何しろ彼らは食べ物か酒、どちらが切れても箸で食器を叩き出すのだ。
「おおい、酒が切れてんで。何でもええわ。早う持ってきてや」
「ちっとは我慢てもんを覚えなさいよ。すいませーん、このお肉に小さいお豆の入った炒め物、もうありませんかあ?」
「その豆は豆鼓という、コクと香りを豊かにする発酵食品でございましょう。最近、発明されたと聞きましたが、なるほど食材の旨味をよく引き出して、実に興味深いものですな。ところで、まだ白酒はございますでしょうか」
「アチョー!」
ひとりを除いて、文字通り引っ切りなしにオーダーしてくる。
目がまわる忙しさで、そのうち食材や酒も切れ、何度も近隣に借りに走らねばならないほどだった。
だが―――。
「ふふ」
媛の口元には、微かな笑みすら浮かんでいた。
額ににじむ汗すら拭うのを忘れている。
これほど忙しく立ち回ったことなど、一体いつ以来だろうか。
傍若無人は先ほどの陳俊と同じかそれ以上なのに、不思議と腹が立たない。
何故だろう?と考えてすぐ、
(そっか―――)
どれもこれも、実にいい笑顔なのだった。
他の客も迷惑というよりただ呆れ―――むしろ楽しんでユーモラスな珍客を見物している。
「なんやこれ。旨いやんけ。白いやんけ。四角いやんけ」
「それは豆腐でございましょう。淮南王・劉安が考案したといいますから、一五〇年前には発明されてございます」
「そない昔からあるんか。煮てよし、焼いてよし、そのままでもええ―――おそろしいもんやな。知らんかったわ」
「筋肉ばっかつけてるから、脳味噌がお留守なのよ」
「なんやコラ、鼻に薪つっこんでカチカチいわしたろか」
「それケツからつっこんで口から出るまで蹴りあげるわよ」
「ヒーハー!」
やがて、奇声をあげる若い男が、酔い潰れてひっくり返った。
巨漢は他の客と腕相撲をはじめ、優男が扇子をひらつかせて見物している。
「ご馳走さま」
媛が食後酒をつぎにいくと、若い女が礼を言った。
「お口にあいましたでしょうか」
「こいつら見てわからないかな?ははは」
つられて媛も笑ってしまう。
「あたしね、麗華っていうの。よろしく!」
互いに自己紹介をして、自然と話が弾み出した。
ふたりの年齢はそう違わないようだ。
同世代と笑い合うなど、それこそ何年ぶりかわからない。
「ごめんね、やかましくて。こいつら作法ってもんを知らないんだから」
媛は曖昧に笑うにとどめた。
「久しぶりに、楽しくおもてなしできました」
「料理人のおじさんも、いい腕してるね。美味しかった」
「ありがとうございます。あの、どちらからいらしたんですか」
「西よ。ずいぶんあちこちまわっで、久々に戻ってきたの」
「ああ、内地の方ですか」
「ん、あたしはね―――あそこでひっくり返ってるのはもっと北のほう。でかいのと細いのはここよりずっと西。出身は別々らしいけど」
「旅先でご一緒になられたんですか」
「ううん、会ったのは長安。ええとね―――まあ、いろいろあったのよ」
媛はそれ以上、聞かないことにした。
客商売をしているからには、そうしたところも心得ている。
「あそこで寝てるのが劉嬰。だらしないけど、あいつがあたしらの〈大将〉なわけね」
「お若いのに、凄いですね」
「まあね―――で、腕相撲やってる樽みたいなのが弓林。あたしらは〈将軍〉って呼んでる。扇子を振ってるのが方望。あれは〈先生〉ね」
「面白い方々ですね」
「面白いけどね。世話が焼けるっていうか、手間がかかるっていうか」
また笑うしかなかった。
「で―――あたしは〈姫〉とか言われてるわけ。照れるね、ははは―――」
「あの、どちらまで行かれてたんですか?」
「そりゃもう、あっちこっち。莎車、疏勒国、康国―――ひと晩じゃとても喋りつくせないな」
「羨ましい―――あたしも、いってみたいな」
媛の父親は寡黙な男だったが、それでも機嫌のい時に何度か、幼い娘に旅の思い出を語って聞かせたことがあった。
内容を理解するほど知識はなかったが、それでも懐かしそうに目を細める父を通じて、はるか西にある世界に憧れたものだった。
「連れていってあげてもいいよ」
「え―――?」
「ただし、あそこで寝こけてる奴がいいと言えばだけど」
まるで行き倒れのように転がって、涎まで流している〈大将〉こと劉嬰のことであった。
「言ったでしょ。あいつが〈大将〉だから。あいつがいいと言ったら、あたしら否応ないの」
「そ、そんな―――」
冗談にしても突飛すぎて、媛は困惑してしまった。
「はは、ごめんごめん。苛めちゃった?」
「そ、その、あたしには旅籠もありますし―――」
「あんた、真面目ねえ。うん、そういうことにしときましょ。でも、あいつならいいって言うと思うけどな」
「あのう、劉嬰さんですか―――あの方はどういう」
「あいつ?一応、あたしの旦那ってことになってるけど」
「え―――?」
迂闊なことに、ふたりが夫婦だとは考えもしなかった。
媛は耳まで赤くなった。
「あらら、なんであんたが照れるのよ」
「いえ、その―――」
「はは、そろそろ潮時みたいね。今日はこれでお開きにしときましょ。二階、泊まれるの?」
「あ、は、はい」
「じゃ、ご厄介になるね―――みんな!今日はお開きだよ。寝るべし、寝るべし!」
腹がくちくなって、それぞれ好き勝手なことをしている仲間に、よく通る声で麗華が宣言した。
「そうそう、支払いは塩でいいよね?」
部屋の反対側では〈将軍〉こと弓林が、二十連勝の勝鬨をあげているところだった。
方望〈先生〉は他の客を賭けをはじめ、倍々になっていく賭け金で、そこもちょっとした賑わいになっている。
床に転がったままの〈大将〉劉嬰は、あろうことか顔に落書きをされていた。
騒がしい珍客に巻き込まれるかたちで、久しぶりに酒場は賑わっていたのだ。
それらが、一瞬にして静まり返った。
「・・・」
店内の誰もが、麗華を凝視して固まっている。
「なんや。どした」
怪訝な顔の弓林が周囲を見まわした。
方望も困惑しているのか、無言で扇子を揺らしている。
「―――どしたの?」
「それは―――受け取れません」
「なんで?楼蘭産の特上モノよ?」
今度は店内がどよめいた。
歓声ではなく、同情と絶望の入り混じった呻きに近かった。