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十四 詫びて礼を尽くし、アッパーカットでKOすること

「カンネーの戦いを応用いたしましょう」


 弓林の「突入」より少し前、扇子を揺らしながら方望が言った。


「もっともカンネーの戦いは、平原でおこなわれた会戦でございますが、今回は城攻めに用います」

「時間、ないんやろ?みんなで正面からいったほうが早いんとちゃう?」

「お気持ちはわかりますが、力押しは案外と時間がかかるものなのでございますよ」

「ねえ、ところでカンネーって何?」


 カンネーの戦いはこの時代を遡ること約二百年、ローマに攻め入ったカルタゴの名将ハンニバルが、5万の兵力で7万を「包囲」し壊滅させた一戦である。


「この場合に不可欠なのは前衛の働きです。ここは弓林どの、あなたにお願いしますよ」

「ん?ワシか?」

「右翼が大将どの、左翼が姫様。そして私は後衛―――カンネーならさしずめ、カルタゴ歩兵といったところで」

「なあ、手短に言ってくんな」

「この場合、前衛の役割とはつまり―――」


* * * * *


「言うてるやろ。ほんまに用事があんねんて。ついてくるなや。来たらあかんて」


 趙将軍から逃げ回る弓林が立ち止まったのは、しばらく走り回った後だった。


「お前。人の話、聞けや」


 趙将軍はもう返事もせず、走りこんだ勢いそのままに、振りかぶった長矛を脳天めがけて打ち下ろす。

 やった―――。

 息も切れ切れに追いついてきた衛兵たちはそう思った。

 それほど完璧な一撃だったし、古参の兵は、実際にそうやって敵を屠る光景を、何度も目にしてきたのだ。

 よもや外れるはずのない、必殺の一撃のはずだった。


「?」


 だが、それでもまだ笑みを浮かべたままの弓林は、長矛が地面を打った後も平然と立っている。

 打ち下ろされる瞬間、斜め後ろにステップしてかわしたのだ。


「なあ、見たか今の。地味やけど大事なとこや。横に逃げるだけじゃあかん。後ろに距離をとるだけでもあかん。両方や。剣先の軌道変える奴とか、途中で突きに入る奴とか結構おんねん。ほんまやで」


 もう前後もわからないほど頭に血が上った趙将軍は、すぐさま次の一撃を放った。

 これもかわした方望は少し距離をとり、すっと両腕を上げた。

 深呼吸をして、顔つきが変わる。

 見たこともない、奇妙な構えだった。

 半身に構えて肩を揺らし、軽く握った右は顎の横、同じく左は目の高さ。

 引きすぎない程度に顎を引き、肩幅に開いた両足は爪先立ちで、絶えず前後にステップを踏んでいるが、それでいて身体の軸は微塵もぶれない。


「本意やないけど、ひとかどの武人に無礼な態度をとって申し訳なかった。これも作戦や。こっからはもてる技を全部だして、礼を尽くして相手させてもらうわ」

「―――?」


 趙将軍は知る由もないが、これこそ今日でいう拳闘―――すなわちボクシングである。

 古代ギリシヤで発祥した拳闘は、この時代すでに八百年の伝統をもつ格闘技であった。

 少なくとも紀元前七七六年には古代オリンピックの正式種目となり、ローマ帝国が誇った巨大コロシアムで全盛期を迎えたのちに、西ローマ帝国滅亡によって一度その歴史を終えている。

 こんにちのボクシングとは違い、その技法は荒削りというより原始的で、防御技術といえばブロッキングとスウェーバックをやる程度、ウィービングでもしようものなら達人クラスということになる。

 攻撃に関しては、振りかぶった腕を前方に繰り出すのみであり、ほとんどの試合は体格と体力で勝敗が決したという。

 そこへいくと、弓林は革命児といえた。

 惜しむらくは、その技術を後世に伝える機会がなく、またその気もなかったことだろう。


「―――なんの真似だ」


 趙将軍が訝し気に観察していると、いきなり弓林が消えた。

 歴戦で鍛えられた動態視力が辛うじて影を捉えるが、時すでに遅く懐に飛び込まれている。

 こうなると長い柄が不利だった。

 将軍は下がって距離をとろうとしたが、弓林はぴたりとついて許さない。

 低く構えた巨漢の上体が、上下左右に激しくぶれた。

 今でいうデンプシー・ロール(?)―――趙将軍が培ったもののふとしての本能が、


(危険―――)


 と告げ、思わず柄を横に防御姿勢をったが次の瞬間、その内側から突き上げる一撃に顎を持っていかれていた。

 仰向けに一回転しそうになるところを踏みとどまると、すかさず続いて左右ほぼ同時の連打が襲う。

 崩れ落ちそうになりながらも、ひと薙ぎ見舞う長矛をくぐってさらに一撃―――今度こそ趙将軍は宙を舞った。


「ぐあっ―――」

「―――無駄や。しばらくは動けんやろ」


 何をされたかすらわからず、とにかく立ち上がろうともがく将軍の上から、弓林の声が降ってきた。


「拳を突くにも距離がいるねん。おっさんの得物と射程が違うだけや。せやからあそこで離れようとせんで、むしろ前に出るべきやったと思う」


 その声は落ち着いて、あたかも一戦を論評するかのように、


「慰めやなく、際どい勝負やった。ワシは刃物振り回す相手と仰山やってきたけど、おっさんワシみたいな拳闘士は初めてやろ。せやから今日の勝負は、あまりにもワシが有利やったんや。気ィ落としなや、次はわからんで」

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