プロローグ
初投稿です。苦心惨憺の末、歴史的事実を引用しながら大筋では嘘をついているという少々タチの悪いものになってしまいました。何だかそれっぽいファンタジーとしてお読みいただければ幸いです。厳しさのなかに厳しさの垣間見えるご感想をお待ちしております。
砂獏に月が出ていた。
寒い―――。
旅人は男が三人、女が一人。
それぞれ駱駝に揺られている。
「なあ大将、まだつかへんの?」
〈大将〉と呼びかけられた若い男は、星のまたたく夜空を見上げながら、
「そうですね、あと二日ってところでしょうか」
「かかりすぎや。今夜中には着かれへんのかいな」
「頑張って距離を稼げば、明日の夜半には―――着きますかね?」
「なんで疑問形やねん」
大柄な男は、切なげに嘆息した。
無尽蔵のスタミナは長旅を苦にしないが、そのぶん単調に感じるようだ。
「まあまあ将軍どの、さほどにお急ぎになることもございませんでしょう」
そう慰めたのは、背の高い男だった。
すらりとした長身も軽やかに、すまし顔でゆったり駱駝に揺られているが、あご先で揺らす羽根付きの扇子が、あまりにも場違いだった。
「せやけど、先生―――」
「いま少しの辛抱で、砂漠の都と言われる、あの有名な敦煌でございますから」
ぱっと扇子を開いた長身の〈先生〉は声も高らかに、
「敦煌―――そう、オアシスが育んだ東西文明の交差点、砂上の真珠と謳われる商人の聖地―――」
「商人の聖地ぃ?」
駱駝の背で居眠りをしかけていた女が、ぱっと顔を輝かせて、
「いっぱい人がいるのかな?」
「おりますとも。人口およそ三万八千。少ないようですが、西域では有数の大都市に数えられます。かつての帝都百万とは較べるべくもありませんが、人口の大半が交易商となれば―――」
「そりゃ楽しみだね。稼ぐぞ、稼ぐぞォ!」
とは、駱駝に背負わせた荷を、売り捌くつもりなのだろう。
「でも姫さま、聖地の商人はそんなに甘くないかもしれませんよ」
釘をさしたのは、星空から視線をおろした〈大将〉だった。
「何よ、むしろ腕がなるってもんじゃない」
「いや、何事も最初は謙虚に慎重に、ですから」
「びびったら負けよ。だいたい大将あんた、いっつも腰が引けてんのよ」
「いえ、ただ僕は―――」
「しゃきっとしなさいよ、男でしょ!」
「まあまあ、姫さま」
〈先生〉が助け舟を出した。
「そのお話は、敦煌に着いてからでも、遅くないのではございませんか」
それはそうだ。
西の最果てとはいえ、彼らにとっては、ほぼ十年ぶりの漢文化圏である。
漢帝国―――建国の祖・劉邦が廟を開いて二百余年。
ついに奸臣・王莽によって帝位を簒奪されたが、これを奪い返した光武帝により、からくも皇統は引き継がれていた。
時に西暦二五年。
相次ぐ内乱で国力は疲弊し、後世に劉家の漢か、李家の唐かと讃えられた、大帝国の面影はすでにない。
しかし、それでも大陸の東に君臨する強国であることに違いはなかった。
その威風は砂漠を越え、インドのバラモンや中東のパルティア帝国、その先にいるキリストの弟子たち、そして帝政に移行したローマにまで聞こえたという。
だがそんなことは、砂漠をゆく〈姫〉には関係なかった。
(あんた、おぼえてなさいよ―――)
威嚇をこめた視線を感じて〈大将〉は首をすくめた。
「せや、まずは無事に着くことや。聖地は逃げへんて」
話の口火は誰だったか〈将軍〉は忘れているようだが、とりあえずそれで手打ちとなった。
月はまだ高い。
駱駝は黙々と、冷たい砂を踏みしめていた。