プロローグ
「……傘、好きなの持ってけ」
「ありがと、じゃあね」
***
好きなのを持ってけと言われたけれど、彩芽邸にはコンビニで売っている透明傘しかなかった。選んだ傘の持ち手には「はずれ」と書かれたシールが貼られている。
シールを撫でながら、つい笑ってしまう。目印なのだろうけど、これではあんまりだ。今度可愛いのを贈ろう。
それにしても、今日の映画はよかった。最終決戦の作画も最高で、神々しかった。後光がさすのはよくある表現だけど、実際はどんな感じなんだろうか?
車のヘッドライトでできた自身の影を見ながら、ぼんやりと考える。
影は、いつまでも消えない。
おかしいな、と思って振り返ると、真後ろにトラックがいた。
***
長い廊下を二人の少女が歩いている。
廊下には天井板がなく、むき出しにされた電線や配管が、整然と、ときおり交差しながら入り口から奥に続いている。
短髪の少女が、長髪の少女の手を引き、奥へと進んでいく。少女たちの隣にいる執事やメイドは身動ぎ一つしない。
「ちょ、ちょっと待って…」
「行きたいんでしょ?ならどうせ行くんだし、いま行こう!」
「ひ、一人で行くから……」
長髪の少女は立ち止まり動かなくなった。かたわらで甲冑を着た男が、何も言わずに少女を見下ろしていた。
「あやめちゃん?」
「……」
短髪の少女がバットを背負い両の手を自由にする。そして、長髪の少女を持ち上げようとした。
「さくらちゃんっ、まって、歩くから!」
薄暗い廊下に声が響く。少女たちはまた歩き始めた。
制服を着た男と女、魔術師、ドワーフ、エルフに見送られながら、二人は廊下を進んでいく。突き当りのガラスの扉を開くと、きわどい恰好をした男女が天井からぶら下がっていた。
それは、水着を着たキャラクターのパネルだった。
「…あやめちゃん、大人なんだね?」
「……」
長髪の少女は顔を赤くして、また動かなくなってしまった。
***
「さくら、あぐらやめときな?」
「いいじゃんあやめしかいないし」
二人は桜の部屋でアニメを観ていた。
「学校でも脚、広げてるじゃん?せめて体操着履きなよ」
「暑いからやだ」
桜は画面から目を離さない。彩芽が勧めたバトルアニメを、すでに三回みている。さすがに飽きた彩芽は、なんとなしに桜の横顔を見る。
整った顔に、わんぱくな割には傷の少ない肌。しかし、夏の日差しで肌はきれいに焼けていた。
「遊び行くときさぁ、運動着じゃん?なんで?」
「帰り道走れるし。一石二鳥」
「…日焼け止め塗ってる?」
「いい。冬には戻るし」
桜は、画面から目を離さない。
「……ハンバーグも焦がすし」
「…?うん?」
「調理実習。なのに生焼けだったし」
「…そう!それ!あれだけ焦がしたのにおかしいよね?」
ようやく桜がこちらを向いたので、彩芽は動画を止めた。熱中していた桜が、文句を言いながら彩芽に覆いかぶさり、マウスを奪おうとする。拍子に、壁に立てかけてあった竹刀が倒れた。
「さくら、特訓しよう」
彩芽に馬乗りしている桜が首を傾げる。
「なんの話?」
「女子力上げよう」
「女子力って、古いって。それってあれでしょ?――ジェンダー……ダイバー…?」
「……ジェンダーハラスメント?」
「そう、それ」
彩芽は上体を起こし、「耳当たりのいい言葉に流されちゃだめだよ」と膝の上の桜に言った。
「家の姉ちゃんみたいに、特殊メイクしないと出られなくなるよ?」
「…メイクしなきゃいいじゃん」
「しなくていいように頑張ろうって話。スキンケアのやつ、姉ちゃんの余りがあるから」
「うーん……」
悩んでいる桜の顔を見て、彩芽は笑みを浮かべた。
「今から、可愛くなれるかなぁ…?」
桜の問いに、彩芽は胸を叩きながら答える。
「任せな」
桜は彩芽の顔を見ながら照れくさそうに笑う。
いそいそと彩芽の膝から下り、彩芽はアニメを再生した。二人並んで見始める。先ほどとは変わって、桜は少し集中できていないようだった。
「今度、可愛い女の子がいるアニメも教えてね?」
桜のお願いに、彩芽は無表情になった。
「アニメの女の子は、参考にしない方がいい、かも」
***
「彩芽~、今日勉強おしえて?」
「はいはい、部活は?」
「ミーティングだけ」
放課後、桜は廊下から教室にいる彩芽に声をかけた。
「ミーティングって何やってんの?」
「試合観戦」
桜の後ろにいた、剣道部員たちが笑う。
「桜は楽しそうに見てるだけだからね~」
「彩芽ちゃん頭いいし、桜の代わりに来る?」
「いや、私、素人だし。ていうかエースがそんなんでいいのか…?」
彩芽の疑問に、桜は満面の笑みで答える。
「みんな優秀だから!分析は任せてる!」
「あたぼーよ」
「一回でも手合わせすれば桜のが優秀なんだけどね」
仕事を押し付けられているにもかかわらず、剣道部員はさして気にしていなかった。
「試合だと別人みたいで格好いいんだけどな~」
「――そうだ!彩芽ちゃんも試合見に来なよ。次が最後だし!」
剣道部員の提案に、彩芽は顎に手を当て考える。
「――ありだな。どこでやってるの?」
「県立体育館!バス一緒に乗ってく?」
「いや、部員じゃないし…」
「お堅いなー」
「誰も気にしないのにー」
黙ったままの桜に、彩芽は声をかけた。
「なんか緊張してない?やっぱり、行かない方がいいか?」
彩芽が桜を真正面に見据える。桜は落ち着かない様子で目を泳がしていた。
「いや、来て、ほしい、かも」
「じゃあ行くわ」
「うん」
剣道部員が温かい目で桜と彩芽を見ていた。
「あ、そろそろ行かないと」
「彩芽ちゃん、じゃあね~」
彩芽は手を振り見送った後、予定帳を開いた。
***
「桜、勉強してるの?大学も推薦で行けるでしょ?」
「うん、でも、大学では部活以外の時間も欲しくて」
「え、え?なんに使うの?」
「彼氏か?彼氏ができたのか?」
「え……?いや、彩芽と遊ぶ時間がないから」
「あ~、彩芽ちゃんか~」
「仲いいよね。…いっそ一緒に住んだら?」
「――それいいかも。家賃半分で済むし、時間もたくさん取れる!彩芽料理上手だし!」
「……合理的だねぇ」
「……ロマンのかけらもないねぇ」
どこか落ち込んでいる仲間たちが何にがっかりしてるのか、いまひとつわからない桜は小首をかしげた。
強豪校ゆえの練習時間の長さのせいか、浮いた話の一つもない少女たちが、腕を組みながら廊下を歩いて行った。
***
「お邪魔しまーす」
「いらっしゃーい」
桜が彩芽の家に入ると、家主はパソコンの前に座っていた。部屋の中央、夏用の薄手のカーペットの上に白い円卓が置いてある。卓の上には鑑賞のお供であるお菓子とコップがすでに用意されていた。
桜は彩芽の肩に手を置き、モニタをのぞき込む。
「なんだ、ゲームか」
「なんだとはなんだ。面白いぞ」
モニタにはキャラクターが並んでいた。金髪碧眼、黒髪赤眼、茶髪茶眼…。色と髪で人を識別している桜にとって、優しい設定だった。「目って200種類あんねん…」と言っていた彩芽には物足りなそうだ。
「気に入ったキャラはいるかい?」
「ん~、この子」
黒髪ロング、赤い目をした女の子を指さす。
「これ乙女ゲーだぞ。せめて男選んでくれ」
「並んでるのが悪い。――早く観ましょう。今日、帰らなきゃだから」
あいあい、と彩芽が冷蔵庫から飲み物を持ってくる。桜はテレビの電源を点けた。
***
「泊まっていきゃいいのに」
「……うん、でも、明日はやいから」
満場一致で、といってもここには二人しかいないが、気に入った作品はひさしぶりで話し込んでしまった。そのうえ興奮が冷めず、もう一周、止めたり戻したりしながら観たのですっかり遅くなってしまった。
「眠いんだろ?送るか?」
「……だいじょうぶ」
「タクシー呼ぶ?」
「……もったいない」
桜は靴を履き、立ち上がる。
「…やっぱり送るから、ちょっと待ってて」
「あやめは心配性すぎ…」
桜がドアノブに手をかけ、彩芽に振り返る。
今にも帰りそうな桜を見て、彩芽は観念した。
「……傘、好きなのもってけ」
「ありがと、じゃあね」
***
夢を見てた気がする。
長くて、幸せな夢だった。
トラックは未だ私の目の前にいて、二つのヘッドライトがまぶしい。
ライトに照らされた雨粒がキラキラと輝いていた。
さっきの夢は、走馬灯?
死ぬ直前、過去を一瞬にして思い出すことがあるらしい。
助かる方法を探すためだそうだ。
でも、その術はなかったみたい。代わりに幸せな過去を見せてくれた。
身体は少しも動かない。
死にたくはない。けれど、どうしようもない。
彩芽の笑顔を思い出しながら、願う。
来世でも、彩芽に、良い人たちに巡り合いますように。
彩芽が幸せになれますように。
遅くない?
トラックは少しは進んだものの、あと1メートルは離れている。
目を閉じられないのでライトがまぶしい。
段々と腹が立ってきた。
せっかく穏やかな気持ちになれたのに。
やっぱり避けてみるかと思っても、身体は動かない。
弱気なのがいけないのかもしれない。
よし、トラックを壊そう。
今日見た映画を思い出せ。
このスローモーションの世界は覚醒の予兆。
超能力でこの状況を覆すのだ。
斬撃で真っ二つはどう?
爆炎で吹き飛ばしてもいい。
エネルギー弾も出してみたい。
念動力で止めるのもあり。
あ、でも派手なのだと、運転手さんが死んじゃうな――
衝撃。
目の前が真っ暗になった。
身体の感覚がない、けど、音が聞こえる。
雨粒が傘に当る音。
碌に動けない使用者を、冷たい雨から護る音。
(この傘、「当たり」だったよ…)
心配性の親友が気に病まないか、それだけが、気がかりだった。




