干物姫《カヨン視点》
私の母はそれはそれは美しく、それはそれは悪虐非道な悪女だったそうな。
酒池肉林、姦淫、その他諸々。
とにかく、欲の望むままにそんなことを繰り返したことにより、この国は一度だけ大きく傾いた。
それはもう、善悪を図るはずの天秤が壊れたかのように。
当時、この国の国王であった父は相当な様子で母に入れ込んでいたようで....母が誰かを殺せと囁けばその諫言の通りに動く程に、まるで蜘蛛の巣という罠に嵌ってしまった哀れな虫のように、母という蜘蛛に喰われてしまったのだ。
そんな状態の国王が正気なわけはなく、おかげで王宮も後宮も地獄と化した。
私が生まれたのは、父と母は自業自得というにはあまりにも悍ましく、因果応報というにはあまりにも惨い結末を迎えようとしていたまさにその時だった。
母は腹の中にいる赤子のことを王子だと信じ、処刑される寸前に私を産んだ。
けれども....産まれてきたのは王子でも何でもない、ただの女。
王の座を継ぐことも、奪うことすら出来ない存在が生まれてしまったのなら、その権力に縋ることが出来なくなった母が正気でいられるはずもなく、産まれたての赤子である私を殺そうとしたため、母は首を刎ねられて死んだ。
それが、悪女クミホとしての母の末路であった。
その悪女の腹から産まれた私、リ・カヨンは赤子には罪が無いという理由で今日この時も生きている。
ただし、王の座を継いだ三番目の兄の温情によって後宮に軟禁されるという形で。
表向きは死産という形で私の存在は無かったことにされているが、それでも悪女の子という事実には変わりない。
一度火が付いた花火の勢いが止められないように、憎しみや恨みの炎もまた消えはしない。
全ての元凶である母が死んだとしても、王宮や後宮の人々は私のことを恨み続ける。
憎悪という感情とは、そういうものなのだ。
かと言って、私は父や母を恨んでいるというわけではない。
むしろ、自身を権力争いや花嫁修行から遠ざけ、快適な暮らしを送るように仕向けたことに対し、私は感謝しているのだ。
周りから干物姫だの何だのと呼ばれてはいるが、別にそんなことはどうでもいい。
好きな時に本を読み、好きな時に飲み食いし、好きな時に寝る。
私は、干物姫としてこの生活を続けられらことが出来ればそれで良いのだ。
「カヨン様、お食事を持ってまいりました」
「ん、ありがとう」
今のところ、私の侍女は最近入ってきたばかりのジユだけだ。
他の下女は皆、中途半端な同情心の末に私への嫌がらせで盛られた毒でやられた。
それでも生き残った者には、体のどこかしらが動かなくなるような症状が現れ、どっちにしろ侍女を辞めていく。
.....生半可な哀れみを抱くからこそ、大体の侍女はこうなってしまうのだ。
それらのことを踏まえた上で、ジユが今までの侍女と違っている点を挙げるとするならば....彼女は感情を読み取るのが得意な部類な人間、と言えば良いのかもしれない。
それは言い換えれば、嘘を見抜ける極めて稀な人材とも言える。
彼女の場合はそれに付随して余計なお節介をしてしまうところがあるため、仕事探しに苦労していたとか。
まぁ、ほんの少しの正義感は時に自身に損害を与える場合もあるし、致し方ないことなのだとは思うけど....そこに自己満足があるのなら、同情はしないけど。
「で、今日も何かあったの?」
「別に大したことはないですよ」
大したことはない。
ジユはそう言うけれども、私にとってそれは『大したことではないが、些細なことはあった』という意味にしか聞こえない。
恐らく、王宮か後宮内で何かしらの些細なことが起きたのだろう。
でも、その些細なことがやがて水面に映る波紋となり、王宮と後宮を揺るがす騒動になることもあり得る。
私は、部屋に篭ってそんなことを考えるのが好きなのだ。
姫君としては下品な趣味だとは思うけれども、こうでもしないと軟禁生活を楽しめないのだから、せめて生活の知恵と言って欲しいものである。
「それはどのぐらいの『大したこと』なの?あなたが気にしない程度の『大したこと』なのか、それともあなたが気にする程度の『大したこと』なのか......是非とも教えて欲しいんだけど、ダメ?」
「.......」
そう尋ねたところで、ジユは答えようとしない。
それもそのはずだ。
自ら面倒事に突っ込んで痛い目に遭おうとするなんて、彼女はそんな馬鹿なことをするような阿呆ではないからだ。
この王宮....あるいは後宮内で起こる面倒事は、大抵の場合は様々な捩れに捩れた感情から起因するものが多い。
嫉妬・憎悪・恋慕・愛情。
結局のところ、そういうところは母が生きていた頃から変わってはいない。
いや、むしろ人間はそう簡単に変わらないの生き物だからこそ、こうなるのは必然なのかもしれない。
「....どちらかと言えば、私の気にする範囲での『大したこと』ですね」
観念したようにジユはため息を漏らすと重い瞼を開き、翡翠のように輝く瞳で私を見上げた。
どうやら、王宮か後宮で何かあったのは間違いないらしい。
そうでもなければ、傍観者であるはずのジユがあんな風にため息など吐かない。
これも、人間観察という私の褒められない趣味の賜物だろう。
「それじゃあ、聞かせてくれる?あなたが気になっている『大したこと』のない面倒事ってモノを」




