2-3
じっと目を見つめられて居心地が悪いのに、なぜか深い湖面の色から目が離せない。
そんな異様な状況で、フェリノスは淡々と、爆弾発言を置いていった。
「君を正式に、俺の妻にする」
フェリノスの言葉を理解するのに、きっかり10秒の時が流れただろう。
「い、い、今、私に求婚なさいましたか?」
「した」
首を縦に大きく動かして頷くフェリノスの、無表情でありながら自信満々な顔。
〝私〟に求婚したってことは、つまり――
「私がフローラではないと気付いて……?」
「君が来る前から気配でわかっていた。魔力には個人差があるからな」
「…………」
唖然とした。私がエルヴノール領へ向かう時から、この人は馬車の中身がアリアストラであると気付いていたのだ。だから道中に雪を避けるような魔法をかけていたのね。
私が魔力を持たない人間だから。
わからないはずがないと思っていたので(やっぱりな)という気持ちの方が大きいが、それにしたって、最初のあいさつで言ってくれたらよかったのに。
(あ、でも、王命に背いて来てるのだから、堂々と言える話じゃないわよね。後ろに従者もいたし……)
とはいえ、もう少し何か、意思疎通を図る方法とかいろいろあっただろうに。
「あの、なんて言っていいか……」
「すべての懸念が片付いたわけじゃないからな。返事ができないのは無理もない。だが、君を守る為にはこの方法しかないんだ。あまり時間がない」
「えっ、ま、守るって……? 時間がないってどういう――」
その時、急に内扉が開かれて、騎士団の鎧を着こんだ一人が「申し上げます!」と息を切らせて飛び込んで来た。
「王国の、役人の方が来られました! 門を突破してこちらへ向かっております」
「アリアストラ、ひとまず君はここにいてくれ。俺が迎えに行くまで待っているように」
「え、ちょっと、待って」
私の制止の言葉も空しく、フェリノスは布団を蹴飛ばして騎士の一人と内扉の向こうへ消えて行ってしまった。
(役人……?)
――嫌な予感がする。
それから私は落ち着かない気持ちを抱きながら、フェリノスの言うことを守って部屋に閉じこもった。
冷気が漂う窓際に身を寄せて、ただひたすらに銀世界を眺める。婚姻を延期し、求婚してきたフェリノスの真意を問いただしたくて仕方がない。
(守る? 守るってどういうこと? リナリアを私にあてがったときも同じようなことを言ってた……それと関係があるの……?)
聞きたくても本人はいない。リナリアに聞けば、役人の相手をしているそうで、しばらく時間がかかりそうな雰囲気だった。
どんよりとした曇り空がだんだんと暗くなり始めた頃、リナリアが湯浴みのためのお湯を温めるという名目で部屋の扉を叩いた。「どうぞ」と一声かけて、扉の方に目をやる。
リナリアの後ろでメイドと執事がこちらを覗き込むように「やっぱり……」と言いながらそそくさと去っていった。好奇心を剥き出しにしたような、野次馬根性で正体を見破りにきたような、そんな不躾な態度を目の当たりにしたリナリアが慌てて扉を閉めた。
その時初めて、私は城の中の不穏な空気を感じ取った。
リナリアが「申し訳ありません」と深々と頭を下げ、浴室へ消えていった。せかせかと湯の準備をしてくれている間、用意してくれた夕飯を少しずつ口に運ぶ。今日はどうしても食欲がわかず、残すのは贅沢の極みだと思いながらも、食が進まなかった。
そのうち湯浴みの準備を終えたリナリアが、気分の落ちている私に遠慮がちに一通の手紙を差し出した。
「ご主人様から預かって参りました」
フェリノス宛で、ヴィレオン家の紋章が押された封蝋印。既に開けられているようで、リナリアが「先にご主人様がご確認されておりました」と添えてくれた手紙を受け取る。
便箋にはこうつづられていた。
[姉のアリアストラが妹に成り代わり、フェリノス殿の妻になる気でそちらへ行ってしまった。魔力が無いが故に魔法使いとしての立場を得るための強行突破だと考える。既に王国にはアリアストラが王命に背く行為をしたということで通報しており、日付が回る前に役人たちがアリアストラを迎えにエルヴノール領へ到着するだろう。昨日の今日で申し訳ないが、事情を理解してアリアストラを役人に引き渡してほしい。出来も頭も悪い娘が多大な迷惑をかけて本当にすまない。――オルティス・ヴィレオン]
全文を読んで、手紙に皺が寄るほど力強く握りしめた。
文言通り役人に引き渡されれば私は王命に背いた人間として罰を受ける。待っているのは死罪だ。国民の前で見せしめのように首を刎ねられ、強制的に人生の幕を下ろされる。
自分の首が飛んでいくところを想像して、うなだれた。わかっていたことだ。わかりきっていたことだったのに。
こみ上げる涙を必死になって押さえつける。
このシナリオはとても綺麗過ぎる。