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その後、フローラのことがあったせいでまともに魔物討伐ができなかったということで、魔物討伐会は三日間に引き延ばされた。撤収作業をしていた者たちが、大慌ててそれらを元通りにしていく。私も、申し訳ない気持ちを抱きながらハルたちを手伝った。それが一昨日のこと。
テラヴィの予想通り、魔物たちはフローラの異様な気配が原因で逃げていただけらしい。あれから稀少な個体の数はぐんと減り、無事に最終日を迎えることができた。
「ほんとに一人で討伐しちゃうんだな、お前……」
地面に倒れ伏した鎧の翼竜の亡骸を呆然と見上げながら、フランヴェルがぼそりと呟く。
「ヴィレオン家の騎士団が使っている盾の強化魔法を教えてもらったの。一回目は剣が砕け散っちゃったから……」
ロングソードを超合金で強化したものの、衝撃に弱い性質で跡形もなくなってしまったあの日の夜を思い出す。
(団長に教わっていて良かった)
魔物討伐会が終われば、ヴィレオン家の騎士団は解体されてしまう。彼らが一番得意としている鋼鉄生成・強化する魔法を教えてもらうには今しかないと思ったのだ。
騎士団長はとても優しく、そして懇切丁寧に、持っている知識のほとんどを分け与えてくれた。曰く、私が最後の後継者だからだという。
子供の頃に、武器の素材について教えてくれたのはこの人だ。あの時は魔力がなくてさわりだけしか教えてもらえなかったが、この人のおかげで命があるといっても過言ではない。
すべての術を一瞬のうちに習得するのは骨の折れることだったけれど、根気強く鍛錬に付き合ってくれた彼には感謝してもしきれない。
今朝、森へ入る前に、名残惜しそうに家紋が入った盾を撫でる騎士団長の姿がとても寂しそうで、胸が苦しくなった。職が取り上げられるわけじゃないことが唯一の救いだ。
最後の瞬間まで、ヴィレオン家に尽くすと言ってくれた騎士団長を誇りに思う。
彼とのやり取りを思い返しながら、翼竜の身体にそっと触れた。
テラヴィとフランヴェルが近づいてきて、まじまじと鋼鉄の鎧に刻まれた傷を眺める。
「アリアストラ、翼竜の倒した方をうちの騎士団に伝授してくれない?」
「あ、俺のところも頼みたい」
「わかった」
頼られることは素直に嬉しいと思う。
私はここにいていいのだと思えるから。少なくとも、私の実力を認めてくれたということだから。
「アリア! 撤収するぞ!」
遠くの方でフェリノスが私を呼んでいる。
「それじゃあ、また後日に日程を決めましょう。私がそちらに伺います」
「手紙を送るよ」
「よろしくな!」
「モテモテだねえ、アリアストラ」
「リュシェル」
合流地点から拠点へ戻る道すがら、リュシェルが私の肩に腕を置いた。
隣を歩くフェリノスがぴくりと反応する。
「取って食いやしないよ、過保護だね」
無表情ながら警戒心を最大にして私とリュシェルの動向を窺っているフェリノスに、彼女は盛大に呆れの溜息をつく。
苦笑をもらしながら、私もリュシェルの腰に左腕を回した。
「リュシェル。傷を治してくれてありがとう。ずっと言えてなくてごめんなさい」
「おや。そんなの、気にしなくていいのよ。あんたの綺麗な肌に似合わないものだったからね。全部消してやれなくてごめんよ」
肩に回されていた手でポンポンと頭を優しく叩いてくれて、思わず懐きそうになった。
「優しい……リュシェルってお姉さんみたい」
「あらあ。可愛いわね。私がお嫁に貰って帰ろうかな」
「だめだぞ」
空いていた私の右手を取られて引き寄せられる。あからさまな嫉妬に、じわりと頬が熱くなる。そんなに警戒しなくても、フェリノス以外の人間に靡くつもりなんかないというのに。
後ろでテラヴィの「愛されてるねぇ」というからかいが飛んできて、私は口をきゅっと真一文字に引き結んだ。にやけてしまいそうな顔を必死で隠す。
「あんたたちの挙式が今から楽しみだわ」
「余計なことはしてくれるなよ」
「花嫁を可愛く聞かざるぐらいは許してくれるだろ?」
「可愛くなるならな」
「はい、言質取った。それじゃあ、また会いましょうね、アリアストラ。私も手紙を書くよ」
「待ってる」
ばいばいと手を振って、リュシェルが足早に拠点の方に戻っていった。騎士団たちは撤収作業を既に終えており、主人の帰りを待っていた。
ハルがフェリノスに「部隊に異常ありません」と手短に報告して、白い封筒をフェリノスに手渡した。王国の紋章が刻印された蝋で閉じられているものだ。
なんとなくピンときて、でも言葉にするのは躊躇われた。フェリノスの動向を、そわそわとした気持ちで窺い見る。
「政務官様から預かって参りました」
「ありがとう」
フェリノスがやや乱雑に封蝋を剥がして、一枚の手紙を取り出す。私からはなんて書いてあるのか見えないが、真剣な表情のフェリノスが全てを読み終えて、私を見た。
にこりと柔らかい微笑みを向けられる。私もつられて微笑み返した。主人のめったに見ない表情の移ろいに、ハルがぎょっと目を丸くする。
フェリノスは手紙を持ってこちらに歩み寄ると、それを私に手渡した。
「俺の婚姻相手が王命によって決められた。――アリアストラ、君だよ」
「……本当だ」
婚姻相手の通達文書の全文を目で追って、下部に押印された国の紋章を指でなぞった。
魔力の量で婚姻の相手が決まる世界だ。
正式に、国王からフェリノスに釣り合える人間だと認められたような気がして、視界が潤む。一度零してしまったら最後、それはとめどなくあふれ出て、止まらなくなってしまった。
私の運命は必ず『死』へと直結していた人生だった。もう生き延びようとしなくても良い、フェリノスの横に堂々と立っていていい。殺されることはなくなった――王命が白紙になった瞬間に安心したと思っていたのに。
自分が思うよりもずっと、緊張していたらしい。
フェリノスに支えられながら、地面に膝をつく。手紙を抱きしめて、子供のように泣きじゃくった。
「アリア。もう心配いらないよ。誰も君を傷つけないから」
「ありがとう、ありがとう、フェリノス。あなたがいなかったら私はここまで強くなれなかった」
「それは俺のセリフだ。君がいなければ、もっと早くに挫けていたのは俺の方だ」
涙で濡れた頬が温かい手に包み込まれる。
「ま、待って……今、顔見られたくない……ぐちゃぐちゃなの」
「俺は気にしないが……君が嫌なら、しばらくは見ないでおこうか」
優しく抱きしめられて、その日は目が腫れるまで泣き続けた。
――――
「白銀の髪によくお似合いです、奥様」
リュシェルが贈ってくれた、金色のリーフクラウンの髪飾りをつけてくれたリナリアが、満足げに頷いた。
鏡の中にはまるで別人のような私が映っている。
「ありがとう、リナリア。そろそろ時間かしら? フェリノスは来るかな?」
「ええ、安心してください。たとえ魔物が現れようとも、奥様を待たせるような人ではありませんから。……あ、ちょっとお待ちください」
ドレッサーの椅子から立ち上がろうとした私を制して、綺麗に結ってくれた髪型をさらに整えてくれる。
私よりも気合いが入っているリナリアの様子に、ずっと口角が上がりっぱなしだった。
純白のドレスを撫でて、これから迎える時間のことを考える。