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その音を認識した瞬間、電流が直撃した。
身体を八つ裂きにされるような感覚。痛いのか熱いのか冷たいのかわからない。その一瞬だけは感覚が『無』になる。左頬から首筋にかけて、フローラが大好きなあの傷が浮かび上がったのがわかった。
どしゃりと地面に身体がたたきつけられる。
しばらくまともに息ができなくて、ただ呻くことしかできなかった。生理的な涙が頬を伝って傷を刺激して初めて、痛覚が戻ってきたのだと自覚する。
――久しぶりの折檻だ。こんなに痛かっただろうか。これでよく死なないものだな。
ぼんやりとした頭で、冷静な考えが過る。
誰かが私を抱き起こす感覚がした。多分、名前を呼ばれているんだろうけれど、耳が遠くなっていて聞き取れない。
胸甲と襟の詰まったシャツのボタンを外してくれて、息苦しさが軽減された。優しく暖かい手で背中を撫でられて、次第に呼吸が楽になっていった。
「……アリア、大丈夫か。アリアストラ……っ」
「フェリノス……」
大きく息を吐いて、俯いていた顔を自力であげた。またみっともないところを見せてしまった。
コバルトブルーの瞳が揺れている。
「……油断、してたわ。私……あの折檻が一番嫌いだったのよ」
「折檻……?」
胸元に視線を落として目に映ったのは、みぞおち付近から谷間にまで伸びた葉脈状の古傷。それに繋がるようにして、新たに付けられた同じ形の傷跡。手でなぞって、左の頬を伝って耳にまで届いていることがわかった。
もう、隠すどころじゃない。今更シャツを手で押さえてももう遅い。
私の肩を掴んだまま、傷を見て言葉を失っているフェリノスを見上げた。
その後ろで、フローラの身体をフランヴェルが羽交い絞めにしているのが見えた。未だに、私がどれだけ自分の安寧を犯しているかを声高に叫んでいる。全部自分の我儘だということに気づいていないのは、フローラだけだろう。
派手な姉妹喧嘩を見せてしまったという申し訳なさが勝って、ふらつく足を叱咤して立ち上がった。
フェリノスが慌てて補助してくれる。
かけよってきたリュシェルが私の傷を見て、フェリノスと同様、言葉を詰まらせた。
「あんた――」
彼女が何かを言いかけた瞬間、ドンッと地面をたたくような地響きが鳴り響いた。鳥が羽ばたいて、一気に空が暗くなる。
「ーーあはははは! お姉さま! あんたは今ここで死ぬのよ!」
突然のフローラの狂ったような笑い声と共に、どろっとした黒い魔力がフローラの身体からにじみ出た。フランヴェルが咄嗟に身体を離す。
テラヴィが目を見開いて、フローラから距離を取った。
ずずずずとフローラの黒い魔力から現れたのは人型の〝ナニか〟だった。
目深にかぶったローブのフードのせいで顔はわからない。万物を『死』に追いやると一目みて理解できるほどの、禍々しい雰囲気を醸し出している。
広がった瘴気が草木の命を奪っていくのを視界にとらえて、フェリノスが瘴気を凍らせようとした。が、凍るどころかこちらに向かって一直線に流れ込んでくる。
私が代わりに両手をかざして、フローラに向かって風を吹かせて瘴気を蹴散らした。
「フローラに当たるぞ!」
こちらに合流してきたフランヴェルがそう叫ぶ。
だが彼女は瘴気を浴びても平気なようだった。にやにやと口角を上げて、私をずっと見つめている。
魔物がフローラのどす黒い魔力の上から動かないところを見ると、フローラの魔力を拠り所にしている可能性が高い。
もしかしたら動かないのではなく離れられないのかもしれない。
ローブから骨ばった手と鎌が現れた。魔物が鎌を一振りする。目に見えない斬撃が襲ってくるのを感じて、各々が飛びのいた。背後にあった木がなぎ倒される。斬られた瞬間から切り口は腐り始め、一瞬にして枯れ木になってしまった。人間に当たればひとたまりもないだろう。
随分と厄介な存在だ。
「……そもそもあれは魔物で合ってるわけ?」
「人間の魔力に巣くう魔物は僕も初めて見るね」
「焼いてみるか」
フランヴェルが立ち上がって、魔物を縛り上げるように炎を纏わせたものの、びくともしていない。
リュシェルがくるりと指を回転させた。樹木から伸びた蔦が魔物を捕えようとするが、到達する前に瘴気で枯れて攻撃が届かない。
ならば金属ならどうかと剣を投げつけてみたが、一瞬にして錆びて朽ちてしまった。
ありとあらゆる攻撃はすべて破壊され、打つ手が見つからない。
テラヴィが言っていた「人間の魔力に巣くう魔物」という言葉が何度も脳裏を過る。
「消滅に対抗できるもの……何か……」
すべてが破壊される。物理的な攻撃は意味がない。
黒い魔物の斬撃を避けながら、必死に頭を働かせる。瘴気を風で追い返しても、森の命がどんどん奪われていくだけでなんの解決にもなっていない。
フローラの身体からは絶え間なくどす黒い魔力が滲み出ている。あれの根源はフローラ自身の魔力だろうから、すべてを出し尽くせば魔物も消滅するかもしれない。
けれどそれは現実的じゃない。
(消滅を待つには、フローラの力が強すぎる)
大魔法使いの産まれで、フェリノスと同等の魔力量を持っている。
せめて切り離すことができれば――
「経絡を塞ぐ……?」
はっとして目を見開く。経絡を塞げば、魔力の放出は止まる。そうなれば魔物を自壊に誘導することができる。
そのためにはフローラに近づいて、経絡を塞ぐための処置を施さねばならない。
魔力が一番漏れ出ているところを、外側から干渉して遮断すれば可能だ。
それに、事態を収拾させるなら、今しかない。
「アリア……?」
フローラに近づく方法を探っていると、何かを察したフェリノスが背後から声を掛けてきた。
「今から私があの魔物を倒してくる。手出しはしないで。私を助けようとしないで」
さっきから外側でいろんな人間の気配がしている。その中にも政務官の姿があるのはなんとなくわかっていた。
自分の実力を見せる機会を失う訳にはいかない。
生き延びるために妹を利用するなんて、最低な姉かもしれない。
それでも、私は殺されたくない。
殺されたくないから、剣を握った。
「何をする気だ。無茶なことはやめ――」
必死で止めようとしてくるフェリノスの胸倉をつかんで、引き寄せた。
フェリノスの頭上を斬撃が掠めていく。驚きで目を見開くフェリノスの唇にキスをして、今度は身体を突き放した。
私たちの間を、新たな斬撃が突っ切っていく。
「私、あなたと結婚すること、諦めてないの」
「っアリア!」
風魔法で、私とフローラを包み込む形で壁を展開させる。気流を利用して、瘴気を壁の中で循環させて外に漏れださないようにした。斬撃も瘴気と一緒に、自然と壁に吸い込まれていく。
逃げ回っていたせいで思うように魔法を使えなかったが、うまくいって良かった。
「フローラ。馬鹿な真似はやめなさい」
「どっちが馬鹿なのよ。お姉さまこそ、皆のために早く死んでちょうだい」
「私は死なない」
フローラに近づこうとしても、必ず目の前に立ちはだかってくる魔物。フードの向こうに一瞬だけ深い空洞が見えた。一瞬だったのに、底なしの闇に放り込まれたような感覚に陥って、恐怖に足がすくんだ。
冷や汗がだらだらと流れて止まらない。あの空洞を見つめてはいけないと、身体が警鐘を鳴らしている。
(近付けないなら……!)
最大級の風魔法を魔物に浴びせる。魔物の身体は一瞬だけ霧散して、風がやむと同時に形状を戻した。
風を当てる時間を長くして、魔物の形状を崩す時間を長く取る。フローラの身体が見えて、咄嗟に腕を伸ばした。驚きに目を見開いたフローラが、身を引いて逃げる。
風魔法に瘴気が入り混じるようになって、やむなく魔法を止めた。
――フローラが逃げなければ、確実に腕を掴めていた。
もう一度試そうとして、フローラが叫ぶ。
「触らないでよ!!」




