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干支語 巳  作者: 鷹兵衛
3/3

拝啓 名も知らぬ君へ




 雨脚が強くなり、際限なく濡れ続けるその身に。そっと、番傘が傾けられた。






 某年のある日。

 とある地主の屋敷が、ただでさえ肥えた財布をより一層肥やし、金が蔵に溢れんばかりになったという。

 噂によればその男、八岐大蛇なる化け物の討伐に関わっていたらしく。討伐した際にその蛇が残した何かを持ち帰ってその栄光を手にしたのだとか。




「そんなお屋敷のご子息のご子息のご子息のごしそ…。何番目だったか忘れたが、とにかくお偉い方が、こんな俺になんの用があるのやら」




 縦長の大きな木箱を背負った青年が、無駄に大きな門前で、呆れたようにため息をついた。

 その様子を門番らしい男二名が腹立たしげに睨みつけるが、青年はたいして気にした様子はない。




「さてと。んじゃあさっさと終わらせて、今日はゆっくりするぞ~っと」




 仕事前なのにも関わらず呑気に伸びをして門をくぐる。待ってましたとばかりに家の中から腰の曲がった使用人がやってきて、丁寧に屋敷の中を案内してくれた。




「いや~これは立派な屋敷ですね。噂通り。 いや、それ以上」


「お気に召されたようでよかったです」




 少し疲れたように使用人は笑った。

 見る限りどうやら、屋敷の主は自分以外の者には関心がないらしい。家の第一印象にも関わる招待客をむかえに来させる使用人がこんな表情を浮かべているのを放っておくのだ。

 使用人が前を歩くのをそう冷めた目でみつめながら、青年は本題を聞くことにした。




「今日はどういったご用件で? ご主人が風邪でもめしましたか?」


「はい……。 お察しの通り。 近頃、主様の体調が芳しくないのです」


「はは、もうその主様もご年配でしょう? 老いってやつですよそりゃあ」


「なっ、なんてこと言うんです!」


「いえいえ。これは事実だと思いますよ? 嘘をつくと誤診と判断されかねないので正直に言わせてもらいますが、そりゃあ人間の摂理ってもんです。 俺でも治せない」


「まだ診てもないのになぜそう言いきれるのです」


「さぁ? でもそう思うから言いました」




 使用人の心が揺れるのが手に取るようにわかる。

 振り向かずに歩き続ける使用人の輪郭に沿うようにして汗が落ちるのを、青年は見逃さなかった。




「あんたも分かってんでしょ」




 立ち止まって、試すように。使用人に投げかける。

 使用人は自分の背についてくる足音が止まったことに気が付き、やっと振り向いた。

 冷や汗を大量にかいた顔。恐怖で、取り繕った笑顔すら難しいようだ。




「別に意地悪しようってんじゃないですけど、俺を待つ人は金を持ってるあんたらみたいな人ばっかじゃないんだ。 金がなくて、あちこちたらい回しにされて。されてるうちに危篤になった人がわんさかいる。 延命治療をするためにおれはこの仕事をしてるんじゃない」


「そう言わず、どうか会うだけでいいのです! あって頂けませんか!! 若くして『不治の病』とされてきた病を治す薬を作りだしたあなただ! きっと主の命も救え」


「それはいったい誰のため?」




 まっすぐに使用人の顔を見る。

 使用人は目を見開いて、がっくりと肩を落とした。

 青年はその様子をしばらくの間見ていたが、さっきまでの会話など無かったかのように肩をすくめた。




「まっ、会うだけは会ってやるよ。 じゃなきゃあんたの首が冗談抜きで飛んじまうだろ?」




 安心したように息を吐く使用人の横を通り過ぎ、廊下にそって歩く。使用人は小走りに青年のあとを追うかたちで屋敷内を案内した。

 うしろで使用人がなにか言っているのを聞いている様子もなく、青年は庭を見る。




「なぁ」


「あ、はい。何でしょう」


「あれ。なに?」


「え? あ、あぁ。 あれは八岐大蛇の置き土産です」




 青年が指差した先には、白髪に同じくらい白い肌。所々鱗のようなものが見受けられる、目は前髪に覆われて見えず、怪しい雰囲気をもつ女だった。

 枯山水の円の中心で、杭につながれて身動き一つしない。




「へぇ、あれが八岐のね。 いやよかったよ」


「何がです?」


「何がってさ」




 青年は振り返ると後退しながら笑った。




「ここの屋敷の人は女を杭につないで観賞するのが趣味なのかな? なんて思ったからさ。 八岐の置き土産なら逃げないようにしとかないとね」


「は、はぁ」




 奇妙な発言ばかりの青年を困ったように見ると、使用人は立ち止まった。

 ちょうど庭にあの女の姿がみえなくなった位置にある部屋。どうやらここに主様と呼ばれる男がいるらしい。使用人はそっとそのふすまを開けると、青年に入るように促した。

 青年は鼻で息をつくと、促されるまま部屋へと入った。

 背でふすまが閉じられることを確認し、部屋の最奥で何かに寄りかかるかたちで座る老人に視線をうつした。


 老人は声もでないのか、こっちへこいと手招いている。

 青年はあらたまった様子もなく、老人の前に正座した。




「今日はどういったご用件で?」


「……」


「……?」




 口を動かしているが、なんといっているか聞こえない。

 青年は小首を傾げて眉間にしわをよせた。




「はい? なんでしょう」


「……りを」


「すみません。あまりよく聞こえない」


「薬を!!!!」




 突然の大声に背が自然とのけぞる。

 老人は突如として立ち上がり、青年の腕をつかんだ。




「不死の薬を作ってくれ!!!」


「……は?」


「わしは死にたくない! 不死の、不死の薬を作るのだ!! 嫌とは言わせんぞ! 嫌と言えば、お前を今ここで殺してやる!!」


「ちょ、あんた何を」




 周りのふすまが一斉に開く。

 沢山の屈強な男たちが、青年を取り囲んだ。

 腕をつかまれ、その場に無理やりひれ伏せさせられる。腕を背中で固定され、肩には痛みがはしった。青年は頭上にいる老人を睨みつけ、ねじあげられる腕の痛みに耐えながら叫んだ。




「薬は毒をもって病を中和するもんだっ! あんたは寿命が。 死が。 中和できるとでも言うのかっ!!」


「わしに口答えをするな! これからはこの屋敷で、わしの為だけに薬を作れ! 若き薬師よ!!」


「んだとこのクソ爺っ! 俺はあんたのためだけに薬を作るなんてまっぴらだ!! あんたが患者なら無償でも見てやる。 だがな、人っつうのはいずれ老いて死んでいく! それを犯すことは薬師の誇りにかけてしないっ!!」


「言ったな若造がっ! ならばよい。お前が診た患者すべて探し当て」




 老人は大きく息を吸い、その言葉の続きを言い放った。




「そいつらを、そいつらの家族全員の前で殺してやるっ!!!!!!」




 抵抗していた青年の動きが止まる。

 睨みつけていた瞳は一気に動揺の色にそまり、冷汗が頬をつたった。

 老人はその一瞬を見逃さず、青年の頭を踏みつけた。




「……っ!」


「おまえのその才能は、わしを救うために、神がおまえに授けたものだ。 使用する権限はわしにあるのだっ!」


「う、クッ」


「さぁ、どうする。わしの為に働くか!」




 青年は悔しそうに唇をかみしめた。

 口からひとすじ、血が流れておちる。

 青年は目をきつく閉じ、消え入りそうな声で呟いた。




「あなたの為に、くす……、薬を。……っく。作りましょう」


「それでよい。最初からそう申しておけばよかったのだ」




 青年の頭から足をはなす。

 青年は、踏まれた時のままの姿勢で、じっと肩だけを震わせていた。







 ふらふらとやってきた道を帰る。来た時以上に廊下が長いように感じる。

 本当はここに残って幽閉同前にされるところだったが、そこは何をされようとしっかり抵抗した。おかげで元の仕事をしながら屋敷に通えばいいということになった。

 廊下の途中、ふとあの庭に目をやる。

 杭につながれた女は、来た時とまったく変わらない様子でそこに座していた。


 なんの気まぐれだったか。いや、気晴らしだったのかもしれない。

 青年は女に話しかけた。




「なぁ。そこでずっとそうしてるのか?」




 女は聞こえていないのか顔もあげないままだったが、青年は立ち止まってその女のことを見つめ続けた。

 女の髪が風ではない。まぎれもなく彼女の動きでゆれたことを確認し、きれいに整えられた枯山水のことなど気にもとめずに庭へ入って行った。




「なぁ。いったい何百年。そこでそうしてるんだ?」


「……」




 返事のない女に呆れたように肩をすくめると、青年は少しの間傍にいた。

 女は相も変わらず下をむいて動かないが、青年には今その状態が何よりも心地が良かった。




「俺もあんたと変わらないな。庭に杭でつながれちまった」




 女の下をむいたままの表情が少し変わったことなど気が付かず、青年は庭を荒らしながら門まで向かい出て行った。

 その様子を、少し首を動かして少女が見ていたことなど知らぬまま。






 その日は雨がひどかった。

 屋敷に『不死の薬』づくりに向かった初日のことだ。

 青年は番傘をくるくるとまわしながら暗い夜道をえらく楽しげに門をくぐった。


 玄関の手前で番傘を閉じようとして、青年は手をとめると、また番傘を開く。

 そしてまた、綺麗に整った枯山水を荒らしながら庭へ侵入し、女の元へと向かった。

 青年が思った通り、女は昨日と変わらぬ様子でそこにいた。闇夜に白い彼女は浮いたように見えなくもない。

 傘など用意されることもなく、その身を雨に打たさせている。

 青年はため息をつくと、番傘を女に傾けた。


 突然やんだ雨に、女は目を丸くして上をみあげる。




「お?やっと顔が見れたな」


「……」


「八岐のは人の言葉はわかるのか? とりあえず罵られてるくらいは理解可能だったり?」


「……」




 あいもかわらず話さない少女に肩をすくめると、しゃがみこんで目線をあわす。

 女は青年の顔を食い入るように見つめていた。




「そんな穴があくくらい見るなよ。 あ、俺が最初にそうしたからやり返してんの? だって珍しいだろ? 目の前に化け物が杭につながれていたらさ」




 青年は自分が濡れることなどかまわないといった風に番傘を女の側においた。

 女は青年の奇妙な行動に目を丸くしながら、青年の顔を覗き込む。




「じゃあ、俺は仕事があるから。 その傘やるよ。 どうせ明日にはぶっ壊されてなくなるんだろうけど」




 木箱を背負い直して、指定された場所へとむかう。

 女はその背を見送ったあと、青年がおいていった番傘に手をかけた。まだ青年のぬくもりが残った傘を、女は黙って、抱きしめるようにつかんでいた。






 青年の日々は多忙なものだった。

 朝は貧しい人たちに与える薬を作り、昼は診察へ向かう。唯一休息の時間だった夜は『不死の薬』を作ることに従事させられる。

 青年は休みなく働いて、疲れているはずだったが、いつも変わらずにふるまっていた。


 そして変わらず女の場所へ通っていた。

 庭師に怒られもしたが、やはり気にした様子もなくご機嫌そうに女の場所へ通うものだから、憑かれたのだとか、気が狂ったのだとかいう噂がたったりしたが青年には別にどうでもいいことのようだった。




「よう、八岐の。 珍しくこの俺が菓子を買ってきてやったぞ~」


「……」


「ん? そういやぁ蛇は菓子食えんのか? まぁ酒を飲んだっていうくれぇだし、食うか」


「……」


「ほら、口あけな?」




 女は青年を感情のこもっていない目で見つめていたが、悲しそうな光を瞳に宿して目線をそらした。

 そして、女は初めて口を開いた。




「噛みつくとは思わぬのか」


「……ん? あ、なんだお前の声か。 噛みつくのか? 怖い奴だな」




 青年は変わった様子もなくキョトンとしていたが、あまりに女が見つめてくるので、いつものように肩をすくめた。




「おまえに噛まれたところで別に関係ないね。 俺薬師だし。 蛇に噛まれたときようの薬が作れないわけじゃない」


「……貴様は私の毒を消せると?」


「ん? ああ。消せるだろうな」




 当たり前の様な顔で言いきった青年に目を丸くする女の額を小突くと、菓子を女の口につっこんだ。

そしていたずら小僧のように笑うと、さっと立ち上がって行ってしまった。


 それから毎日毎日。青年は飽きたようすもなく女の元に通った。




「いや~杭につながれた者どうし、楽しくやってる方が気が楽ってなもんだ」


「……? 貴様は十分自由であろう。このような鎖もあらぬ」


「あー……。 似たようなもんさ」




 さっきまでとは違う、初めて見るようなまじめな顔で青年がうつむき、女は焦ったように話題を変える。




「して、私が数百年のあいだここに居る間に外界はどのようになっておる」


「ん? あぁ、疫病が流行ったり。 ここの主様みたいに、貧民なんざものともしない奴が増えてさ。 あんたのいう外界は荒れにあれてるよ」


「……そうか」


「そうだよ。 まぁどうすることも出来ないけどね」




 カラカラと笑ってまるで軽話でもしていたかのような口ぶりに、女は複雑そうな顔をした。

 女は実のところ、青年がここの家主に何を命じられて、寝る間も与えられずに働かされていることを知っていた。

 化け物の自分には関係のないところだと最初は思っていたのだが、日に日に細くなっていく青年の体を見ていると、目をそらさずにはいられなくなっていた。




「逃げようとは思わぬのか」


「は?」




 女は藪から棒に呟いた。

 青年は驚いたように女の横顔を伺っていたが、突然ふきだして笑い始めた。

 奇妙なものを見るような目で青年を見る女の髪をぐしゃぐしゃとかき乱すと、青年はまたさっと立ち上がった。




「なに言ってんだ。 それも実は事情があってね。 逃げるに逃げられないんだ」


「しかし、それで貴様自身が壊れては元も子もないであろう」


「そんなこと、おまえが言うのか八岐の」




 いつものように自分を気にした様子もない姿に、女は悲しそうにうつむいた。

 いったい何が、青年をこうさせているのかが、全くうかがい知れなかった。


 人をたくさん食べてきた。人をたくさん困らせた。人の泣き叫ぶ顔が面白くて仕方がなかった。

 そのときの自分が、青年をみていると酷く滑稽で仕方がない。


 「んじゃあ仕事があるから」と持ち場に戻る背が、見えない鎖に支配されているようで。

 だからと言って、どうしようもない事実に。

 どうして彼は身を任せていられるのか。

 女は自分を拘束する鎖を握り、無気力にその場にうなだれた。






 その翌日。青年は少し歩みがおぼつかなくなってきた。




「酔っぱらったのか?」


「ん? あぁ、そう。 ちょっと飲みすぎてさ」




 互いに千鳥足の理由を知っているのに、決してそのことにふれようとしなかった。

 冗談を言い合ってごまかして。


 その翌日。青年は会話の途中で咳き込むようになってきた。




「薬師のくせに風邪をひくか」


「はは、薬師もあんたみたいな化け物と違って人間なんでねー。 風邪もひくさ」




 青年は珍しく酒を飲み、女にも勧めて楽しげに笑った。

 時々せきこむその声は、猟銃で空から地にたたきつけられた、烏の様な声だった。


 その翌日。青年は途中で寝てしまうことが増えてきた。




「寝たのか」


「…………ん? あ、寝てた? いや~睡眠不足も末期だね」




 目をこすり、女の肩にそっともたれた。

 その髪を指先でいじりながら、青年は力なく笑う。その日は雨で、新しい番傘をわざとらしく荒らした枯山水の真ん中に突き刺していた。




 その翌日。青年は咳と一緒に血をはいた。


 驚いたような顔をする女を指差して笑いながら、青年は言った。




「なぁにただの過労だ。 いいよな、お前はこんなのがなくて」




 いつも通り、人を罵っているともとれる言葉。

 それが酷く。無いはずの心に突き刺さった。




「薬で治せぬのか」


「過労は薬で治したってダメだ。 体をだまして治ったところで、反動が後でくるからな」


「ならば、薬は役立たずだな」


「ははは、過労に効く薬は休養さ。 これは俺には作れない唯一の薬でね、人の意志が関わってる」




 口の横についた血を手で拭いながら笑う。

 女の表情はこれといって変わった様子は無かったが、瞳の色はころころとよく変わるようになっていた。




「もし今死んじまっても、それはそれでいいかなぁ。 なんてさ」


「……!?」


「俺は絶対に『不死の薬』は作らない。 いや、作っちゃいけない。 中和できないものをどうにかすることなんて出来やしない」


「だからと言って、貴様が消える理由には」


「作れちゃいそうだから怖いんだよ。 俺は」




 星空を見上げながら、青年は呟いた。

 その声がひどく真面目だったから、少女はくっと息をのんだ。




「自分で言うなんて随分な自意識過剰だろ? でもさ、俺はきっと出来ないだろうってことを何度も何度も成功させてきてしまった。 無駄に自信がついちゃってさ。 何せ失敗がないんだよ。 知識ありすぎて参るね」




 泣きそうな声で笑い、青年はその場に寝転んだ。

 八岐大蛇の側で寝転ぶなんて、随分なめられたものだなと思いながらも、女も食べる気にはなれず、青年とともに寝転んだ。




「殺されるのは、酷く怖い。 なにせ道理から外れてるからね。 でも、過労ってんなら納得がいくし」


「今ここで寝たら、貴様は助かるのか?」


「さぁ? もしかしたらこのままあの星になっちゃうかもな」




 仕方がないように笑うと、青年は目を閉じた。

 女はその横顔を、見つめることしかできなった。寝息を立てない所を見ると、ただ目を閉じているだけなのだろう。

 もしかしたら、何かが迎えに来てくれるかもしれないなどという願望に、今まさに身を委ねているのかもしれない。




「ユエっていう女の子は体に発疹ができる病でね。 今まさに闘病中なんだ。 その隣の爺さんはとにかく咳が止まらない。 その向かいの家では、家族全員が皮膚のただれる病でさ、それはもう見るも無残なんだよ。 でも皆治る見込みがある人たちばかりだ。 薬を塗り続ければ、飲み続ければきっとよくなる。 その薬を作れるのが俺だけなら、俺は生きて、彼らが生き残るところを見届けなくちゃあならない」





 くまのできた目をひらき、ふらりと立ち上がって少女に微笑んだ。

 「だから俺は、どこからも逃げられない」とでも言いたげに。









 ある日の夕暮れ。この日も雨がひどかった。

 青年はふらふらと、それでもわざとらしい軽快な足取りで、屋敷の門をくぐった。


 珍しくその日、門番はいなかった。

 どうやら使用人も休暇をもらったらしい。屋敷には人っ子一人いやしない。

 それでも自分を見張る屈強な男たちは変わらずあの部屋にいるのだろうと思うと、気が重くて仕方がない。


 とりあえずと、青年は番傘をくるくると回しながら少女の元へと向かった。

 手土産に菓子などと思っていたが、あいにくこの雨だ。湿気るだろうとやめておいた。




「よ~八岐の! どうせ今日もべったべたなんだろ?傘貸しにきて」




 青年は息をのんだ。

 そこには、いつものように座しているのではなく、横たわった女の姿があった。

 白い枯山水は、真っ赤に。まるで血の池のようだ。




「おい、八岐の!」




 青年は駆け寄り、女の体を持ち上げた。脈打っていない動脈。もともと無かったかもしれないが、冷たくなった体温。

 青年は女をその場に残し、急いで家主のいる場所へと向かう。

 廊下の途中とちゅうで肉塊とかした使用人たちをこえて、青年はその扉をあけた。




「……っ!」




 青年は、どの遺体よりも無残に切り刻まれた主の身をみて吐きそうになった。

 まるで地獄絵図。それ以外に表現しようがない。

 青年は一時茫然としていたが、同時にほっとしていた。『不死の薬』を作らない努力をせずにすむ。とにかくこの場から逃げてしまおう。

 青年は気力なく廊下へとむかった。

 現状はよく分からないが、何かの恨みをかってこんなふうになっているのだろうことは想像がつく。




「……ちゃっちゃと逃げちゃうか」




 まだ殺戮者がこの場にいたら、自分も殺されかねない。

 死んでしまったものはどうしようもない。おいていくことしか出来ない。

 心中、謝罪の念にとらわれながら、女の体の横を通って庭を横切った。

 門を出ようとして、背後から声がして振り向くと、そこには野蛮そうな血まみれの男が立っていた。斧をもった男は、血走った目で青年を見る。




「あ、やばいなこりゃ」




 青年が呟いたころには、斧をもった男がものすごい勢いで走りだしたところだった。

 何も考えず、青年は木箱だけは絶対に離さずに駆けだした。




(なんで、なんでっ!)




 いっそ過労で死ねるなら本望だと。ついこないだ天に向かって呟いたばかりじゃないか。殺されるのは怖いと、人生初めて弱音をはいたばかりじゃないか。




(あの先に、あの先に、俺を待つ人たちがたくさん居るんだ)




 雨の中、手をのばす。

 青年がよく患者を見に行った、村の明かりが涙に滲む。




(俺が死んだら、誰が不治の病を治す? ユエはどうなる。爺さんはどうなる。 その向かいの家族は?)




 「ありがとうございます」と手を握られたことを思い出す。

 ただ、元の笑顔に戻すため、たくさんの毒草から薬草まで調べまくった。

 たまに自分が毒にやられて死にかけもした。自分が生きるために必死に薬を作って、それが人々の役にたつようになった。




(薬は、この箱の中にあるんだ…! 俺が届けなくちゃ、誰がこの中身を……)


(……そうだ。 この箱さえ守れば、みんなは助かるのかもしれない。 この箱だけは。 この箱だけは)


 青年に迷いはなかった。背負った木箱を草むらへ放り投げる。

 それだけだ。それだけで、彼の体は限界だった。

 青年の体は、もう既に使い物にならない状態だったのだ。歩くのもままならない。そんな状態でありながら、二本の足を地につけ立っていた。




(殺されたくないなぁ…)




 そのとき、青年の背に斧が刺さった。

 青年の体は前方にとんでいき、泥の上を転がった。

 男は青年の背から斧を抜き取り、青年を転がして仰向けにし、また斧を振り下ろした。









 雨が降り続く中、若い男の体が泥の上に仰向けに転がっていた。

 顔の半分は鋭利な大き目の刃物で吹き飛ばされて跡形もない。しかし、その青年が、いったい誰であったかは、村の者ならきっとわかるだろう。

 しかし、青年の体を一番に見つけたのは、彼が今まで世話し、世話になった村人ではなく、血ににじんだ着物をきた女だった。


 青年の目はあの星空をみていたときと変わりなく、まっすぐ天を仰いでいる。

 しかし、その目にいつもの光はない。


 女は、その場に膝まずいて、青年の顔にかかった髪をよけた。

 いつもの減らず口も、肩をすくめる動作も、何一つしない。




「なぁ、死んだのか?」




 返答の無い青年に、なんと声をかければと考えるが、思いつかない。

 脈なるものをはかればいいのだろうか。呼吸を確かめればいいのだろうか。




「なぁ、教えてくれ。 どうやったら貴様が生きていると確かめられるのだ? どの薬を使えば、お前のその傷を中和できるのだ」


「なぁ、どうして応えてくれぬのだ?」


「なぁ」




 女の体には太刀筋が確かに残っていたが、みるみるうちに治っていく。

 感情の伺えぬ表情ではあったが、女の声と瞳の色は、焦りに満ちていた。




「応えろ愚か者! 私を誰だと思っている! 八岐の、八岐の……」




 その続きが思い出せず、困惑し青年の頬に手をそえた。




「貴様が八岐の八岐のというから、その続きを忘れてしまったではないか!! どうしてくれるのだ! おい起きろ!! どうして、どうして喋らぬ!!」




 女の額にあった赤い文様が発光し、青年の身を包む。

 まるで力を流し込むかのような光の動き。それと同時に、青年のふきとんだ部位が徐々に回復していく。


 そのとき、女は人間しか流しえないものを、目から滴り落とした。




「おい!! 起きろ!起きろバカ!!」


「起きてよ! ねぇ、起きてよ!!」




 女の頭に、青年と過ごした日々が揺らぐ。

 目を覆い隠すように伸びた髪をかき分けて、目を、半ば無理やりであったが合わせようとしてくれた日。

 口をきいた日。笑った日。泣きそうになった日。

 「仕事だ」と行ってしまう背に、「行かないで」と叫びそうになった日。




「逝かないで……」




 女の口からもれた言葉は、人しか持ちえぬ感情から生まれたものだった。


 青年の黒い髪は、少女と同じ白髪へと変わっていく。

 黒い瞳は残されたままだったが、吹き飛んだ方の目は少女の目と同じ色をし、頬には鱗が目立つようになる。

 所々髪に黒い部分が残ったままのとき、青年の目に光が宿った。


 女は人の型をとどめておけず、蛇の姿に戻りそうになる。

 その消えかけた手首をつかみ、青年の口がそっと開いた。




「……馬鹿、それ以上やったら、お前が、過労死、しちまう、ぞ」




 女は涙をおとしながら、青年の頬から手を離し、抱きついた。

 青年は「痛い痛い」と悲鳴をあげながらいつものようにカラカラと笑い、女を同じく抱きしめた。


 そのとき、青年の頭に響いていたのは、まぎれもない彼女の声。

 しかし、彼女から発せられているとは到底思えない声。




『人で無きお前に、人の記憶を持つことは許されぬ』


『捨てよ。生きたければ、生きた記憶をおいてゆけ』




 女の生きた記憶だろうか。見覚えのない女が、目前で喰われるのをふと思い出す。

 人が恐れる様子を、従う様子を見るのが楽しくて仕方がなかったことを思い出す。

 剣が振り下ろされ、体がバラバラになる痛みを思い出す。


 青年は、あきらめた様な笑顔をつくると、女をはなして投げた木箱を拾い上げた。

 自分の身の内から聞こえる声に抗いながら、青年は息をはいた。




『捨てよ。捨てよ。捨てよ』


(やり残したことあるからさ、捨てるのは後でもかまわない?)


『……』




 黙った声に、青年はほっと息をつくと、女に無邪気に笑って見せた。

 消えかけた女の体を抱え上げると、青年は山奥にある自分の家へと向かった。

 家に着くころには雨はやみ、冷たい空気があたりをおおっていた。じっと待機する女を横目に、青年は紙に、患者それぞれの薬の所在や作り方を書きしるす。




(よし、これで大丈夫)


(あとは……、そうだ)




 『不死の薬』の作り方を、また別の紙に書き記し、外で火を焚きそこで燃やした。

 高く上る煙に青年はすべてを終えたように微笑んだ。

 女はその横顔を見て、酷く不安にかられ、その腕にしがみつく。

 その腕をなで、青年は天にむかって呟いた。




(どうか、誰も分からない所に。 でも必要とあらば、使ってやってください)



『・・・捨てろ、捨てろ。 捨てろ。 捨てろ』


(あーもう、分かってるよ)




 青年は女に向き直り、日の出を背に、今まで見たことのないくらいに

 優しく、楽しそうに、嬉しそうに笑った。




「忘れちまう前に、せっかくだから教えといてやるよ」




 青年は雨に濡れて顔にかかった少女の髪をかきあげて額にキスをし、呟いた。




「愛してる」









 目をさますと、そこは小高い山の中腹に位置した洞窟だった。

 少し頭が痛いのを気にしながら、光の入る外を見る。雨が降っていたと思った外は快晴らしく、きらきらと光っている。

 側にあった木箱をたぐりよせ、抱えるようにして座り込む。


 側に来た白蛇の頭を撫でてやり、ヘビは小さく、胸中で呟いた。




「・・・・・・(なんだか妙な夢を見てた気がする)」




 眩しそうに目を細めながら外へ出る、水たまりには空がうつって鏡のようだ。

 それを覗き込んで、青年は顔をしかめた。




「・・・・・・(俺ってこんな顔だっけ?)」




 人のような顔に嫌悪感をおぼえる。

 片目は黒真珠のように真っ黒で、気色悪いことこの上ない。




「・・・・・・(とりあえず髪伸ばして隠すか)」




 右側の前髪を引っ張りながら、青年は空をみあげた。

 「あぁ、やっと自由だ」なんていう感情を仕舞い込んで。






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