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干支語 巳  作者: 鷹兵衛
2/3

蛇が名を得た日の物語


 ズン…


 何者かが森に降り立つ。木々はその者が起こした暴風になぎ倒され、大地は爪で抉られた。



 ―――その森を見下ろせる所に位置する洞窟で、白い影がむっくりと起き上がった。その影に、もう一つの影がまとわりつく。

 昼間の光は半分まで洞窟内を照らしだしているが、影には至らない。ゆっくりと開かれた眼が、そんな少ない光を反射する。

 砂煙と、烏の群れが悲鳴のような声で鳴くのを眠たげな目で見つめ小さく舌打ちした影は、無理やり引きずり起こすようにして立ち上がると、ボロボロの笠を目深に被り、ゆらゆらと、光満ちる外にへと歩み出た。


 笠で光を避けたとしてもやはり眩しいらしく、影の正体は目を細める。

 砂煙の位置を確認し、滑るように、それは山を駆け下りた。光をさけながら森を駆け、その場所にたどり着くと、降り立った者が、駆けつけてきたそれを見下ろす。

 貧弱な細い人型のそれを見て、地に降り立った空を駆る伝説の獣は、低い、雷のような声で言い放った。


「よう……、森の中の引きこもり」


 その声のせいで、愛用だった笠はたやすく吹き飛んでしまったが、気にする様子もなく、怪訝そうに睨みつけ、


「…龍がこんなところに何しに来た」


 怒気の満ちた、静かな声でそう問うと、砂煙がはれ、お互いの顔が露わになる。龍は伝承に伝わる通りの長い胴に髭をなびかせた姿でクックッと笑った。


「なんだ、せっかく遊びに来てやったというのに。歓迎に酒など無いのか、ヘビよ」


「遊びに来てくれと頼んだ覚えはない。ここは俺の森ださっさと帰れ」


「なんだ、冷てぇな」


「・・・・・(面倒くさいなぁ)」


 龍が山に降りてくるなど聞いたことがない。こういった珍事への対処法は、人間も神も、動物も変わらない。生贄を用意して、立ち去ってもらうのだ。

 肩にのせた白い大蛇が、空気を吐くような声で鳴く。その頭を撫でながら、ヘビと呼ばれた人型はぽつりと内心で呟いた。


「・・・(そんなこと、俺には関係ないけど)」


 ヘビは鼻で息を吐くと、随分高くに位置する龍の目をまっすぐに見つめた。

 太陽と同じ方向にいる龍は逆光で真っ黒だが、眼だけは明るく光っている。


「はは、面白い奴だな。ヘビだというのは明確なのに、型は人間そのもの。逆に肩にのる白蛇は人に近いようだ。気に入った!」


「・・・(さっさと帰れっての)」


 苛立ちながら目線をそらすと、龍はその顔に自らの顔を近づけてきた。

 巨大な眼球がヘビをとらえ、ヘビもその眼球の映る自分に重ねて苛立ち、また別の方を見る。覗きこまれる。そらす。覗きこまれる。そらす。のぞ…


「…お前、その首の鱗を引きちぎられたいか」


「おぅおぅ、わしの鱗を引きはがすという。やはり面白い奴だ。どうだ?そろそろ引きこもりもやめたらどうだ?」


「・・・(お前に関係ないだろうが!!)」


「そうだ。いいことを教えてやろう」


「・・・・・・(いらんっ!)」


「人間はな」


「・・・?」


 龍が人間について話すなど、珍しいこともあるものだと、少し聞く耳を持つ。その様子に龍は満足げに大きな口を歪めると言った。


「長い年月が経てば経つほど、愚かなことを考えるようになるもんだ。そのせいで、わしの仲間の首がいくつ持っていかれたか。ヘビよぉ。ここに長く留まっておくのもいいが、そのうち人間は、自分たちより長く森に住むお前を狩りにくるぞ?」


 目を見開いて押し黙る。

 白蛇は逆にその眼を細め、龍に向けていた視線を地に落とした。


「じゃあな」


 まるで言い切ったとでも言わんばかりに、龍はその場から、降りた時と同じように轟音をたてて飛び上がった。気づかぬ間に曇った空を悠々と飛んだあと、雲の中へと姿を消す。

 ヘビはその場で茫然と立ち尽くしていたが、ハッと我に返ると、龍がいなくなったことを確認した。


「・・・(何なんだあいつは)」


 今にも降り出しそうな空を見つめた後、落ちた笠を拾い上げ、振り切るように、ヘビは巣に帰った。








 龍が森に降りてから何日が過ぎただろうか。

 長く生きていると、一日の感覚が随分短く感じてくるものだ。

 これは、人間と似かよった部分なのではないかと思う。

 雨がしとしとと降り続く今日。白蛇は龍が降りた日から様子がおかしい。

 自分の心の代弁者ともいえる白蛇がここまで動揺した様子を見せるのだ。

 きっと自分もあの日から、何かを恐れているのかもしれない。


(何を恐れることがあるっていうんだ)


(何も怖くなんてない。何も怖がることなんてない)


 ここから追い出されるなんてことくらい、何とも思わない。

 そうやって、自分の身を抱え込む。


(なのに何なんだ)


 追い出されることを思うだけで震えが止まらない。

 長く住みすぎたのかと思う。だから、自分の考えに体が付いてこないのかもしれない。

 白蛇が静かに地を這い、ヘビに優しげな視線を向けた。

 自分も不安であろうに、落ち着かせようとしてくれているのか。

 白蛇の頭を撫でようと手を伸ばしたとき、突然大きな雷が森に落ちた。

 巨大な音に耳をふさぐ。


 少し間をおいてから雨脚が強くなる音がして、ヘビはそっと覆った耳から手を放した。

 少し森が騒がしいことに気が付いて、森の見える位置まで移動し、その光景に息を詰まらせた。


「・・・なん、だ?」


 一列になってこちらに進行してくる光。それは突然森に現れた打線のようだった。

 浮かんだように、暗い森を照らし、かるくうねりながら進む。

 この雨の中、松明の先に火をつけて、何をしにこの森に来るというのか。


「・・・っ!!(マズイ!)」


 ヘビは急いで穴に戻り、その場に置いてあったものを乱暴に大きな木箱に詰め込んだ。

 何を恐れているのか、何が怖いのか。そんなことはヘビには分からない。

 それでも、一つ。分かっていることがある。


『あいつらは俺を狩りに来ている』


 住んでいた痕跡を消すことはできない。それでも、今ここを逃げ出すことは出来るはずだ。

 箱を背負い、走って穴から出ようとするヘビに白蛇も続く。


 しかし、彼らが知る以上に。人間の足は速かった。


 ふもとまでたどり着いた人間と目が合う。

 雨に濡れた顔が、お互いにどう映ったかは分からない。

 しかし、人間にとっての自分が、化け物であることに変わりはないようで。


「いた!!いたぞ!!!」


「どこだ!?」


「ほらあそこ!」


「弓を引けっ!ここからならギリギリ届く!」


 いっせいに弓を引き、放たれる。

 足元に矢が刺さったのを見て、一気に血の気がひくのが分かる。


(殺されるっ!!)


 弾かれたように走り出す。

 ぬかるんだ地面に足を取られ、何度もこけそうになりながら、無茶苦茶に走った。

 とんできた矢があちこちをかすめる。

 振り向いた瞬間に頭を射られそうになり、咄嗟にしゃがんで浮いた帽子が代わりに射られて、どこに行ったか分からない。


 暗闇で目立つ白髪は、どこまで行っても目に付くようで。

 追いかけてくる人間の足は止まることを知らない。


「・・・クソっ!(いくら走ってもきりがないじゃないか!)」


 森を知り尽くすヘビでも振り切れない。数が人の心を強くしている。

 なら、もう手立てがない。

 数であたればどんな強い獣も負ける。


「・・・・!(なら、この手ならいけるかもしれない!)」


 速さをたもったまま、振り向いて地面に手をつきだす。

 つきたてた五本の指がヘビのからだを乱暴に止め、地面にめりこんだ腕に、白蛇がすばやく巻きついた。


「……すまない」


 小さく呟いたのち、白蛇の頭にある紅い印が発光した。

 そのようすを見て、人々は足をとめる。

 何が起こったのか分からないといった風に茫然とそれを眺めていたが、ある一人がそれに気がついた。


「へ、蛇だ!!」


 足元に、何百匹という数の山蛇が這う。

 まとわりつき、体を這い上る。首に到達したところで、蛇たちは人間の首に噛みついた。


「こ、殺せ!燃やせ!」


 必死になって山蛇をおいはらうが、一向にどこにも行かない。

 その数は、人間の数を優に上回っていた。

 何匹もの蛇が首をおとされ死んでいく。その光景を背に、ヘビは走った。


(あぁ、ごめん。お前たちを、道具のように切り捨ててしまった。本当にごめんなさい…)


 山をおわれ、ヘビは、白蛇と共に。

 逃げることだけを考えた。


 逃げてにげて逃げてにげて


 どこで止まっていいのか分からずに…。









 ハッ、ハッ、ハッ、ハッ…



 あがった呼吸、まとわりつく汗。もたつく足。追いかけられる背。

 あぁ、もう全て捨てられないだろうか。

 このまま行くあてもない。人間として生きるには、この身の鱗がじゃまをする。

 そもそも、白蛇をおいてなどいけない訳だから、けっきょく人として生きる道などない。


(もうダメかなぁ・・・)


 背にもう人間がいないことは知っているのだけれど、ここで止まれば殺されてしまう気がする。弓を持ち、無機質に自分を見るあの視線が、今ある自分の背に穴をあけそうで。


(殺されたくない…。殺されたくないよ…)


 死にたくないとは思わない。ただ殺されることが、怖くてしかたがない。

 穴にいたときの得体のしれない恐怖がこれだと気づき、ヘビは息をふっと吐いた。

 足はもうすでに限界だ。

 ずっと同じ速さで動いていた脚が、どんどん速度をおとしていく。

 ふらふらと、まるで気力を失った道化師のように。まるで糸の切れた操り人形のように。

 そうして気づかぬうちに、彼は壊れかけた社の鳥居をくぐった。









「おめでとう」


(・・・え?)


 その声が聞こえたのは、鳥居に入ってすぐだった。

 透きとおった、万物を優しく包みこむような落ち着いた声。

 脚はとうとう限界をこえてその場に折れる。その身をふわりと受けとめて抱きしめる声の主を、くらくらとしたままの視界で、上目づかいに確かめる。


 そこに映ったのは、紅白に交互にきらめく長い髪の女だった。

 人の型をしているが、それが人間でないことは、彼女をまとうその空気が納得させる。


「・・・っ(誰?)」


 身をよじる力も残されていないヘビを包みこんだ白い腕は、地に膝をついたヘビと同じように。膝を地につけていた。


「よく来てくれました。ヘビ」


 突然名を呼ばれ、困惑する。

 人ではない。なら、こいつは何なんだ。


 疑問ばかり浮かんでくるが、疲れ切った頭ではその疑問を解決するのは難しいらしい。

 不本意だが仕方がないと、もう残っていない体力で、口をひらいた。


「あん、た」


「あなたは六番目に、私のもとに来てくれました。本当にありがとう」


「な、にを」


 ふっと、女とヘビのあいだに風がながれたかと思うと、ヘビの疲労は一瞬にして消え失せた。


 ほんの一瞬で体が軽くなったことに目を丸くし、上向く。

 女と真正面に視線がぶつかり、まっすぐ自分を見るその目に驚いてそらし、居心地わるそうに、身をよじって抜け出した。

 女は素直にヘビをその腕の中から逃がすと小さく頭をかたむけて


「私は四季神。人の型をしているのには事情があります。だからそんなに怯えないで」


 困ったように笑った顔に、緊張の糸がゆるんだ。

 周りを確認する余裕を取り戻し、見渡す。気が付かない間に、誰のものとも知らない社に転がり込んでいたらしい。

 提灯には火がともり、明るくやわらかにその社へ続く階段を照らし出している。


 汚れきっていた着物は新しい…見たこともない紅白を基調とした着物にとりかえられており、髪色も四季神と名乗った女と似たような色になっている。

 逃げる際に引っ掴んだ木の箱は、新しい木で作りかえられたように傷一つない。

茫然としていると、四季神のうしろから聞いたことあるような聞いたことないような声がふってきた。


「引きこもりはやめたのか?蛇」


 自分を『引きこもり』と過去に称した者のことを思い出し、声のした方を見る。

 しかし、そこにはヘビの知らない。人の型をした龍がいた。


「・・・・!?(りゅ、龍!?でもどうして人の型に?)」


「おめぇはあまり変わらんなあ!」


「・・・・!(お前は変わりすぎだろ!!)」


 突然じぶんが人型だという点で目立たなくなり、おちついたのと同時に、やはり違和感を覚える。


 不思議そうに龍のことを見上げているヘビが気にくわなかったのか、龍はひとつ咳ばらいすると、ヘビの頭上に手をのばした。

 警戒し、その腕をはらおうとするのをよけ、羽織についたフードを引っぱってきて深くかぶせる。


「やっぱ蛇は陰気でなくてはなぁ」


 馬鹿にしたように言ったふうだったが、ヘビにはそれが嫌味に聞こえず、黙っていた。

 かぶせられたフードを指でつまみ、もっと深く被り直した。と同時に、何かを思い出したように傍にいた白蛇を見る。


 白蛇はいつもと変わらぬ姿で小首をかしげた。


「・・・(よかった…。白蛇は人の型にならずにすんだのか)」


「白蛇も変わらんなぁ!」


「彼女は二匹目の蛇に相当しますから。それに彼女は…」


 白蛇と目があい、少し間をおく。

 その様子を交互に見て、龍は意地の悪そうな声で笑った。


「ははっ!ためらわなくても、そいつが人に近いことはあるていど高等になれば察せる」


「まあ、そういうことです」


 やんわりと流す。

 白蛇はほっとしたような仕草を見せると、ヘビに巻きついた。


「辰。ヘビをつれていってあげてください」


「タツ…?」


「わしのこの場での呼び名だ」


「・・・・?(なぜ名前をもらっている?)」


 名前をもらうなど、まるで人のすることだ。そう言いたげに四季神をみると、四季神は、癖なのか。また困ったように笑った。


「ふふ、実は私。何かの名前を覚えるのが苦手なんです。それはもうひどいもので、アマ…テラス?大神さまの名前も随分あやふやで」


「・・・・・(それはさすがにどうなんだ)」


「それで、自分で名前をつけたら覚えるかなぁ?っと。一種の試みってやつです!」


 当時では珍しいガッツポーズを決め込む四季神と首をひねっているヘビに吹き出しながら、辰は涙目になりつつ女に問いかけた。


「こいつは何と呼べばいい?」


「そうですねぇ…。では巳で」


「・・・・!?(ちょっと待て、どうやったらそうなる!!)」


「ほう?わしの後ろはミィになったか!!」


「・・・巳だ(ミィってなんか馬鹿っぽいじゃないか)」


「ミィ」


「・・・・・・(もういいや面倒くさい)」


 『蛇』と『巳』の意味がいっしょならどうでもよくなった。

 これが順応というやつかとため息をつく。その頬に四季神は手をのばし、互いの額をコツンと近づけ微笑んだ。


「巳。これからよろしくお願いします」


 顔が熱くなり、急いで離れる。

 肩から顔を出した白蛇が心配そうに巳の顔を覗き込むのをよけるようにしながら、四季神と辰の間を通り過ぎ、奥の階段に足をかけた。


「お?もう行くか?」


「・・・案内しろ(まったく、何なんだこの状況は!!)」


 名前が覚えられないだのなんだの、とんだ阿呆ではないか。

 一方的に話してこちらの事情はお構いなし。ヘビにとっての最も苦手な性質であるはずなのに、胸が高鳴っている自分に苛立ち、辰を急かす。


 前に立った辰についていくようにしながら数段登ったところだった。

 背後で何かが階段をものすごい勢いで登ってくる音がしたかと思えば…


 前方に巳のからだは弾きとばされた。

 というよりは、何かにのしかかられて身動きがとれなくなった。

 四季神はそのうしろでくすくすと笑っている。


「・・・・!(何なんだ次からつぎへと!!)」


「わ、悪いわるい!・・・って人か!?」


 ぱっと飛びのいたそいつは自分のからだを確認し、少し眉をひそめたあと。

 すぐにその顔をきりかえた。

 そして、起き上がろうとする巳に手をのばし。屈託のない笑顔でわらった。


「ごめんな、大丈夫か?」





これは、蛇が巳になった


始まりの物語。





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