1章7話 アリスの日常
マーモインが襲ってきてから数日。
ようやく心の整理がついて落ち着いてきた。
そして決心が着いた私は、アモンから魔力の調査について聞くことにした。
ずっと悩み続ける訳にも行かない。
私の身に何が起きたのか。そして、あの悪魔のことを。
私は聞かなくてはならない。
リビングに足を運ぶと、朝食を作り終え待機する一色さんが視界に入る。
一礼すると椅子を引いて座るように促される。
傍らを見ると、アモンも待機しているので私は迎えの席へアモンを促す。話を聞くためだ。
アモンは私の意図を汲み取ると、向かえ側の先に座る。
わたしも合わせるように自分の先に座る。
私とアモンが席に着くと、遅れて一色さんがアモンにコーヒーを差し出す。
ティーカップから程よく湯気がたち、ほのかな苦味が漂う。
ケルベロスは姿はここには無い。一応部屋もあるのだが、番犬として、外にいたいらしい。
私は朝食を食べながら、アモンは迎えの席でコーヒーを飲みながら、一色さんは私の後ろに控えて、それぞれの位置につく。
ちなみに悪魔は基本食事を取らないらしいが、アモンはコーヒーが好みらしい。
だから食卓を囲みたい時はこうして、コーヒーを嗜んでくれる。彼なりに私に合わせてくれているようだ。
バッチリ雰囲気だけは醸し出せていて、悪魔と知らなければ一流貴族の紳士に見えなくもない。
顔だけは無駄にいいんだよな。
コーヒーの香りと味を楽しんだ後、アモンは話し始める。
いよいよ本題だ。
「調査の結果、お嬢様が魔力を使えなくなった日は丁度マーモインがこの世界に来た日でした。そして、お嬢様が魔力を使えるようになった日もまたマーモインがこの世界から消えた日です。」
「なら、あの悪魔が来たことで私の魔力がおかしくなったって事?」
「そういうことになります。彼は魔力を沢山使用していましたからね。この世界の魔力循環に大きな影響を与えたのでしょう。」
「そうだよね……。人や動物にあれだけ影響を与える力なんだもの。過剰に使ったら、世界のパランスもおかしくなるよね。」
「そうなんでしょうね。……すみません。あまり、お嬢様のためになるような情報ではなかったですね。」
「ううん。今回の件のことはよくわかったし。ありがとう、アモン。」
かなりあっさりと終わった報告だった。私は一言お礼を告げる。
だいたい予想通りだったが、アモンの調査のおかげで信憑性が増したことも事実だ。
私の力は魔力や悪魔に影響を受けるということがいよいよ確信になったわけだ。
世界の魔力循環というものを乱すことが出来れば、私の力は少なくなるということ。
それは言葉にしてみれば簡単な行為だが、被害を考えるととても実行には移せない。
どれだけ多くの命を傷つける結果になるだろうか。
アモンがいなければ、一色さんだって悪魔に変えられていたのだ。
加護持ちの人々が悪魔に変わる『堕天』。あれがさらに拡大していたらと考えるだけで恐ろしい。
幸いこの件での死傷者は出ていないらしい。
テレビや新聞、協会の情報でもなにも報じられてはいなかった。
1週間以上もこの世界に来て何をしていのかは、分からない。もしかすると国がらみの隠蔽も考えられなくも無い。
犯罪や事件そういったことに絡んでいた可能性だってある。悪魔の力を使えば、どんなことだってできるのだから。
だが、その辺はアモンがうまく立ち回ったのだろう。そう考えることにした。
「お力になれたのなら、幸いです。……これで私の報告は以上です。……ほら、一色。言いたいことは早めに言った方がいいぞ。ワタクシは席を外すから。」
報告を終えるとアモンは立ち上がり、家事に戻る。
あの襲撃から、よそよそしかった一色さんを気遣ってのことだろう。
一色さんの肩を軽く叩くと、迎えの席に座るよう促す。
一色さんは素直に座り、私の方を真っ直ぐ見つめてくれる。
「先日はたいへん申し訳ありませんでした。悪魔の力に溺れ、主に攻撃するなど、メイドに有るまじき行為です。」
なるほど。気にしていたのはその事だったのか。
一色さんは連日の疲れもあるし、なにか考えていることがあるのだとは思っていた。
「気にしなくていいよ。それに守ってくれましたし。」
「……ありがとうございます。でも、少しだけ。昔話をさせてください。そのうえで私をメイドとして傍におくか考えて欲しいのです。」
「……昔話?」
「はい。ずっと隠していて申し訳ありません。色欲のアスモデウスのことです。お嬢様には聞いて頂きたいのです。」
「わかった。それで満足するなら、聞くよ。」
「ありがとうございます。」
一色さんは軽く深呼吸すると、話し始めた。
色欲の悪魔。アスモデウス。
その存在のことを。
ーーーーーーー。
「私には昔から天使の加護が備わっていました。生まれた時からこの髪で……周りからは天才だとか、神に愛されてるとか、そんなことも言われていました。」
私とは真逆だ。
生まれながらに神力に優れた美女。
周りはさぞチヤホヤしたのだろう。
言葉の端々から感じる疎外感。
別々の扱いを受けてきた私と彼女。
それでも周囲との違いに感じた疎外感は同じだったんじゃないかと思う。
一色さんは誇らしいその力を持つことを、すこし寂しそうに話す。
「お嬢様からしたら嫌味な話なのは分かります。ただ、わたしはなんというか誰にも見られていない……そんなふうに思うようになっていったんです。……みんなが見ているのは私ではなく、この力だと。この力がなければ、私にはなんの価値もないのだと。そう思いってしまったんです。……贅沢な悩みですよね。」
「大丈夫だよ。嫌味だなんて思ってない。そうやって、思えるからこそ、一色さんは魔力を持つわたしをアリスとして、見てくれているんですよね。……ちゃんと、分かってますよ。」
「……お嬢様。そう言っていただけると助かります。」
「ううん。……私こそ、話逸れちゃったね。もう黙って聞くから、続けて?」
「……はい」と噛み締めるように言うと、一色さんは続ける。
今の気持ちだけは伝えたかった。
これからの先の話は黙って聞くことにしよう。
恐らく今の話が彼女の人間性を構築する上で大切な話だったのだろう。そしてなにより、私に話しづらい話だったと思う。
再び深呼吸をすると、話し始める。
「当時の私には今のお嬢様みたいに仰ってくれる友人はいなくて。ただただ、毎日が空虚で退屈でした。何をしても満たされなくて。下手に手を抜くものなら、幻滅されて。頑張れば頑張るほど、疎まれて。……息が詰まりそうでした。」
最高クラスの神力を持つ一色さん。学園をかなりの好成績で抜けたと有名だ。
それなのに、彼女の進路は誰も知らない。
こんな魔力を持つ私のそばにいるなんて本来であればありえない事だ。
でもそれだけに彼女が感じてきた辛さは彼女にしか分からないのだろう。
多くの葛藤があったことが伺える。
「だからでしょうか。私は自分の理解者を心から求めました。空虚な心を埋めてくれる親友を求め続けました。……それからでした。彼の……アスモデウスの記憶が流れてくるようになったのは。」
アスモデウス。悪魔。
アモンが言うには口数の少ない悪魔だったらしい。
マーモインは一色さんのことをアスモデウスの転生者だと言っていた。
きっと、一色さんが己の理解者を求め続けてきたことで魂が答えたのだろう。
膨大な天使の力を持つ彼女なら不思議な話ではない。
悪魔の生まれ変わりだと言うならなおのこと、自らの願いを叶えるために力が目覚めたのかもしれない。
「以前お話しましたよね。サラのこと。私の親友……というより、アスモデウスが愛した女性だったんです。……その人との日々が流れてくるようになったんです。……その記憶は美しくて、幻のように遠くて、手を伸ばしても届かなくて。……だから大切にしようと思ったんです。届かない彼方の記憶。……それを大切に守り続けたら、この世界のサラに出会えるじゃないかって。」
「素敵な事だと思うよ。前聞いたサラさんは偏見のない人だったんでしょ?」
「はい。悪魔であろうとも、天使であろうとも、その人を見つめる。……アリスお嬢様。あなたのようなお人です。」
「そんな……私は別に。自分のことでいっぱいなだけだよ?それに私にとっては一色さんが大切な人だよ。私のことをずっと、守ってくれて。そばにいてくれて。」
「違うです。そうじゃないです。……アスモデウスの最期はそれはもう酷かったんです。……彼はサラを愛するばかり彼女に近づく男を片っ端から殺して行ったんです。何度も、何度も。どんな善人であっても。……誰よりも彼女の幸せを願っていたはずなのに。……彼女が好意を寄せる全てをこの手にかけたんです。」
「ちが……それは!!前世の話でしょ?いまの一色さんはそんなことをしない!!!」
「同じではありませんか!!!!」
「……えっ」
「私は……私は!!!誰よりもあなたの幸せを願っています!!!それでも、それでも!!!傷つけてしまったではありませんか!!!」
一色さんは感情のままにテープルを叩く。
その瞳には大粒の涙が溢れかえっている。
人とは違う力。
誰にも理解されない気持ち。
流れてくる悪魔の記憶。
心の支えにしてきた記憶と心を苦しめる悪夢。
そして、自分が誰かを傷つける痛み。
「……バカ!!」
私は泣き崩れる一色さんを抱き寄せる。
「私がそんな話されて離れるわけないじゃない!!!」
「お嬢……様?」
「全部……全部!!ちゃんと、分かるから!!私はちゃんと受け止められるから!!だから、そんなに自分を苦しめないでよ!!!……家族でしょ!?私も頼るし、一色さんも頼ってよ!!アモンもいるし、ケルベロスだっているよ!?そう教えてくれたのは一色さんだよ!!!」
「っ……!!はい……!!そう…ですね……そうでした。すみません……お嬢様には敵いませんね。」
「分かればよろしい!反省してね!」
「…はい!」
ーーーーーーーーー。
それから1ヶ月して学校にも復帰。
毎日一色さんとアモン、ケルベロスに見送られて登校する。
悪魔と魔獣、前世は悪魔だった人、魔力が増え続ける私。
そんな奇妙で変わった家族だけど、それでいいと思った。
だって、ハザマにこそ己の心があるのだから。
善悪だなんて決めなくていい。
己のしたいことをする。
それでいいんだと思う。
学校でもすんなり友達はできたしね。
変に意気込んで『友達作ろう!』って意気込んでたけど、友達なんて気がついたらできてるもんなんですよ!
金髪で加護もなくて、魔力が多い私だけど、恵実は普通に接してくれる。
教室に着くと、男子に絡まれる女の子を助けている恵実の姿が目に入る。
相変わらずお人好しさんだ。
一件落着したみたいでニコニコしながらこちらに来てくれる。
「おはよう!アリス!」
「うん、おはよう。恵実!」
ふあああ!!友達と朝の挨拶!
何度やっても新鮮だ〜。
「大丈夫だった!?来る途中絡まれたりしなかった!?」
「してないよ、もお、過保護だなあ。」
「だって、アリスったら、毎回嫌味言われても気づいてなくない?」
「嫌味?言われてるの?」
「ほら!やっぱり!」
「心配だわー、入学式の時も蹴られてたでしょ?」
「ああ、あれはびっくりしたね。でもあの時は豊華さんに助けられたから」
「でも、ああいうの続いたら怪我するんだからね!あの時だって、お姉ちゃんいなかったら怪我してたよ!あの時から私アリスにけっこう話しかけてたんだけど、受け流されること多くてね」
「ごめんって。去年は余裕なかったからさ」
『真昼豊華』さん。入学式の時に助けてくれた女の人。実は恵実のお姉ちゃんだったそうで。初めて聞いた時は驚いた。不思議な縁ってやつだろうか。
「それに!佐藤未来!どこのクラスになったか知らないけど!あいつすっごいアリスの周りにいて全然近づけなかったんだから!!!」
「恵実ってば、またその話?私知らないんだよなあ、その人のこと。そんなに私の周りにいたの?」
『佐藤未来』さん。恵実と同じく神力に優れた男の人。去年、同じくクラスだったらしい。ごめんなさい。覚えてないです。
でも私のことを助けてくれてらしくて、感謝はしています。
「そうだよ?絶対この人、アリスになんか言いそうだなあって雰囲気の人が近づくと未来が現れてどこか連れていくの。いっつも、追いかけたけど消えるのよね。……そうそう、入学式のときも消えたのよね。お姉ちゃんも睨まれたって言ってたな、そういえば。」
「え?豊華さんも話してたの?その人のこと。……なんかおこがましいかもしれないけど、ストーカーっぽいね、その人。」
「そうなのそうなの!だから、何度か言ってやったわよ!そしたら、最近見なくなったわね。」
「出来れば普通に話したいね。悪い人じゃ…ないんだよね?」
「う、うーん?微妙?ちょっと変ではあると思う。魔獣に噛まれてニコニコしてたし。」
「こわ……」
そんなふうに他愛の話を続けていると先程恵実に成敗されていた男子組が大柄な男を連れて現れる。
「てめらか。子分が世話になったな。」
「世話なんてしてませんよ。掃除ですね。かわいい女の子に虫がついてたもので。」
「へっ。達者だな。無能な姉貴に代わってヒーローごっこか?大好きなお姉ちゃんが卒業して寂しいんか?」
「いこ。アリス。」
「やだ。」
「え?」
「どなたか知りませんか訂正してください。豊華さんは無能なんかじゃありません。恵実の家族のことバカにしないでください!!!それに、私の友達の努力や人柄を否定しないでください!!!」
「ちょ……え?アリス!?いいって、こういう人たちなんだって!」
「やだ。すっごい腹立つ!!!」
「ちょ、落ち着いてって。やめよう?ね?私がふっかけちゃったから」
「やだ!!!」
「もお……アリスぅ、嬉しいけど、怒んないでよお」
「ほう。噂のアリスお嬢様じゃねえか。聞いてるぜ。加護持ちを排出する名門なんだってな。カッカッカッ!!揃いも揃って無能揃いかよ!!最近調子に乗ってるみてえだからよ。その綺麗な顔ぐちゃぐちゃにしてやんよ!!!!」
「アリス!!!」
「ぐっ!!!!」
男が拳を振りかざした刹那、男は何故か転がって飛んでいく。
「え?」
「お嬢様に触れるな!!無礼者が!!!」
目の前には赤い瞳で男を睨みつける白銀の髪の男の子が現れる。
横顔はとても美しく寄せ付けないその瞳はどこか見覚えがあった。
「……未来?あんた未来じゃない?」
その少年を知っているのか恵実は少年に近づく。
「み、みらい!?未来って言ったのか!?」
「アリスをとにかく守るとかいうあの!?」
「納得がいったぞ!あいつ、天羽家なんだ!だからあの女を守るんだ!!!」
「じょ、冗談じゃねえ!!!古の魔王を封印した一族に勝てるわけがねえ!!!」
「実力が理解出来たようですね。早々に立ち去りなさい。」
「は、はいいぃい!!」
なぜか絡んできた男たちは怯え始め、気絶している大柄の男を抱えると逃げていった。
未来……。佐藤未来?彼が?
呆然とその美しい顔を見つめていると、少年は何も言わずに私に近づいてくる。
「お怪我はありませんか?痒いところは?お風呂に入りましょう。汚れてしまいましたからね。お着替えも必要ですよね。あとは念の為にお薬も飲みましょうか。」
まくし立てるように早口で言うと、私の体をぺたぺたと触り始める。
「ちょ……ちょ!!!やめろ!!なんですか!急に!!!」
なんだ、なんだ?
なんだこの既視感は!!!
「大丈夫ですよ。ワタクシが全部して差し上げますから!」
「あっ!?さ、さては、あんた!?アモンね!?」
「はい!お嬢様!貴方様のアモンです!」
「なにやってんの!?ばっかじゃないの!!!!!」
「あ〜知り合いだったのね〜」
ニコニコと笑うアモン。苦笑いの恵実。
中々に平穏は遠いようで。
近づくどころか遠のいている部分もある気がするけど。
でもまあ、悪くないなと思う自分もいるわけで。
友達がいて家族がいる日常。
そんな生活、私に訪れるなんて思わなかった。
いつか必ず、実現してみせればいいのだ。
指輪なしでこの日常を。残り2年と10ヶ月で。
私の野望を。
私の大切な人たちと一緒に。