1章5話 アリスはアモンを頼る
魔力が少なくなってから一週間。私は外に出らずにいました。
過去のトラウマがわたしの不安を助長しています。
もし、突然魔力が暴走を始めたらどうしようと考えてしまうのです。
もう大切なものを、誰かを、傷つけたくない。
それならいっそこのまま、引きこもっていた方がいいに決まってる。
「お嬢様。」
「なに。」
布団に潜っていると、聞きなれた声が聞こえてくる。
アモンだ。
今は顔を見られたくない。
「そのまま、お聞きください。」
「……うん。」
「一色が毎晩泣いています。」
「っ……」
胸が強く締め付けられる。分かっている。私が間違っているって。
一色さんはいつもご飯を運んできて、変わらない様子で話しかけてきた。
でも、わかっていた。困っているって。
それでも私はどうしたらいいか、分からない。
魔力が無くなれば、幸福になれると思っていたのに。
こんな形で叶いたくなかった。
「責めている訳じゃありません。ワタクシも一色も心配なんです。……たった十数年しか住んでいないワタクシになら、何をぶつけても良いのでは?お話を聞かせてください。」
たった十数年って。ブレないなあ。悪魔は。
いつもは一色さんと言い争っているのに、信頼しているんだな。
アモンにだからこそ言えるのかもしれない。
ずっとそばにいた一色さんより。
真剣なアモンの声がいつもとは違ったからなのか。ひとりで思い悩むのが限界だったのか。わたしはぽつりぽつりと話し始めた。
「……怖いの」
「……はい。」
「……頑張れないの」
「……はい。」
「どうしたらいいか、わかんないの!!!」
「……はい。」
アモンは優しくただ聞くことに徹してくれた。
心がどうにかなりそうだった。締め付けられて、二人に心配をかけていると思うと余計に止まらなかった。
ーーーーーー。
どれぐらい時間が経ったのだろう。
わたしは布団を涙でぐちゃぐちゃにしながら、想いを伝え続けた。
「お顔。見せてください。」
「やだ。ぐちゃぐちゃだもん。」
断ったものの、アモンは布団を取ってみせる。
どんな顔しているか分からないけど、きっと酷い顔をしているだろう。
でも、アモンは気に留めることなく、私を抱き寄せた。
「お嬢様の想いはいつも綺麗です。根幹にあるのは、いつも誰かのことです。」
「ちが……私は……」
そんなに綺麗な心をしていない。
でも抱きしめられると、認められた気がして体がずっと楽になっていく。
「これでもワタクシは貴方を主として、認めています。貴方の頑張りを見てきたつもりです。」
「……うん。」
「だから、たまには頼ってみませんか?」
「……え?」
「お嬢様はもっと欲に忠実になった方がいいです。ひとりで抱え込みすぎですよ。」
「……うん、助けて。」
「はい、かしこまりました。……私のお嬢様。」
想いを吐き出したからだろうか。素直に言葉が出てくる。頼っていいんだ。そう思えたのかもしれない。
アモンは私から離れると、自信ありげに笑ってみせる。
「お嬢様が困った時は一色とワタクシが必ず助けます。……あいつの事は気に入りませんが、お嬢様を思う気持ちは同じです。……ですから、安心してお待ちください。魔力が減った原因を調べてきます。」
「うん、お願い。……私を助けて。」
「はい。いつでも、貴方様を助けてみせます。」
アモンを私に笑いかけると、その場を後にする。
悪魔の力なのか黒い霧を纏うと、そこにもう姿はない。
私は顔を少しだけ整えると、一色さんの所へと向かった。
ーーーーーー。
キッチンに向かうと、一色さんがいつものように立っている。
「あっ……おはようございます。お腹すきましたか?今からご用意を始めますね。」
一瞬驚きながらも、爽やかに笑ってみせる一色さん。それでも、目の下は赤く腫れ上がっている。
胸がぎゅっと締め付けられる。
私は堪らずに一色さんに抱きついた。
「お、お嬢様!?」
「ごめん、沢山心配かけた。」
「ほんとですよ。私の大切なお嬢様。」
一色さんは振り返ると、私を強く抱きしめる。
「……本当によかった。」
「……うん。ごめん。」
「はい。反省してくださいね?」
「……うん。」
今は少しだけこの温もりに甘えようと思う。
私はどうしようもないぐらい馬鹿だから。
こんな私を想ってくれるふたりがいるから。
もう少し頑張ろう。
ーーーーーー。
朝食とシャワーを終える。
久しぶりにちゃんとした生活を送っている気がする。
そんな私の顔を見てか一色さんは、とある提案をしてくれる。
「お嬢様、中庭少し歩きませんか?」
「で、でも。」
「大丈夫です。お忘れですか?家に結界張っているんですよ?」
「そうだったね。うん、わかった。」
一瞬外に私の魔力が溢れ出ることを懸念したが、見透かされた。そうだった。一色さんが天使の加護で守ってくれているんだ。
今の私の魔力はとても少ない。それでも心配でそのままソロモンの指輪をつけている。
「お嬢様に見せたいものがあるんです。ようやく申請が通ったもので。」
「申請?見せたいもの?」
言わるがまま、彼女について行くと綺麗なお花畑と走り回る黒い大きな犬が見える。
「い、犬!?」
「はい!魔獣です!」
「ま、魔獣!?」
「お嬢様の入学式の時、教会に送られそうになっていた魔獣なんです。1年間ぐらい色々申請して飼うことが出来ました。危害を加えない保証もついています。それにお嬢様が心配されている魔力の件もクリアでしょう?」
「た、たしかに。」
ずっと、動物は飼いたかった。でもわたしの魔力は危険すぎる。制約付きの魔力制限は、いずれ溢れ出る可能性がある。
加護の力も敷地などの一定の場所に展開できても生き物には不向きな力だ。だからこそ、人間も加護持ちかそうでないかで括られている。
アモンや悪魔などは魔力の扱いに長けているのか、魔力調整はお手の物だ。
私のように終始体内から溢れ出ている訳では無いから、周りへの影響は少ない。
今この庭のお花も綺麗に咲いているが、一色さんの力あってこそだ。私が近づき過ぎると、枯れてしまう。ましてや動物なんて魔獣化する可能性が高かったのだ。
結界と言っても、魔力の耐性をつけいるに過ぎないということだ。強い魔力を浴びせれば、簡単に貫通してしまう。あくまで保険だ。
私という存在は指輪の力がなければ簡単に生命を脅かす。
だから私は命の責任を取れないと判断した。
少なくとも、魔力の件が解決しなければ。
「ケルベロスおいで!」
「け、ケルベロス!?」
「はい!番犬にピッタリでしょ?」
「そ、そうだけど……」
思いっきり悪魔の名前じゃない。
「はは。アモンさんもひいてましたね。知り合いに名前似てるって。」
「あっ……ちゃんと悪魔でいるんだ。」
一色さんと会話をしていると、ケルベロスは笑ったようにこちらへ走ってくる。
しっぽをブンブン振って、一色さんに撫でられている。
か、可愛い。
「でも素敵な名前なんですよ?」
「え?ケルベロスが?」
「ワン!!!」
「おお、名前に反応した。」
「ナベリウスっていう悪魔に名前が似ているそうです。」
「ナベリウス……さん」
「ワン!!!!」
「いや、貴方はケルベロスでしょ?」
「ワン!!!!」
ああ、かわいい。なんだろう、この子アホっぽい。
「ナベリウスは威厳と名誉を回復する悪魔なんですって。」
「威厳と名誉……」
「はい。お嬢様の野望を手助けしてくれると思いませんか?」
「私の野望……」
話しながら、一色さんに手を引かれケルベロスを撫でさせられる。
フサフサの毛が手に馴染んでいく。
ケルベロスは嬉しそうにリラックスした表情を見せる。
「か、かわいい」
「はっ!?私も犬になりましょうか!?」
「何言ってんの」
「私も撫でてください!」
「ぎゃるるるる!!」
「なっ!今は俺の番だ……ですって!?生意気な!!!!」
「え、会話出来るの?」
「では、私が撫でて差し上げましょう!」
「ぎゃうぎゃう!!!」
「なっ!?お前は天使臭いですって!?失礼な!!!!」
「あはは、なにやってんの?ふたりして。」
不意に笑いが込上げる。
私が思っているよりもできることが多いのかもしれない。私がマイナスに考えていただけなのかもしれない。
今更ながらにそんなことを思った。
私の野望。
普通の生活をすること。
魔力の問題を解決すること。
確かに。ケルベロスを飼うことは大きな一歩になる気がした。
「お嬢様。私もアモンも魔力なんかで、変わりません。ずっとそばにいますからね。」
「うん、そうだね。新しい家族もできたしね。」
「はい!」
私は一色さんに笑ってみせる。
「わん!!!!」
ケルベロスも賛同してくれるようだ。
少しだけ希望が見えた気がする。
アモンが帰ってきたら色んなことを相談しよう。
私には大切な家族がいるんだから。
ーーーーーー。
「ほう?こんな所に魔獣と加護持ちが二人。これは中々。」
刹那、背後から聞きなれない声が聞こえてくる。
黒の装いに黒の髪、赤い瞳。
「……悪魔?」
「ご明察。」
「ぎゃるるる!!」
「何者ですかあなた。どうやって、結界を?」
不敵に笑う男。白い肌とかきあげた前髪。尖った耳に尖った爪。しっぽに翼。
始めて会った時のアモンを思い出す。
でも分かるのは同じであり、全く異なる悪魔であること。
悪意が透けて見える。いや、隠す気がないのだろう。
全身から漂う鉄の匂いは不快だった。
一色さんとケルベロスは私を守るように前に出る。ケルベロスはあからさまに威嚇をしている。魔獣が警戒するほどの魔力ということただろうか。
明らかな敵意。一色さんがいつでも詠唱できる準備をしているのがわかった。
「おやおや怖い怖い。……まずは名乗ろう。俺は『強欲のマーモイン』。今の強欲と言えばわかりやすいかな。」
「強欲……?」
「そう、俺が強欲。」
「何が目的ですか?」
「いや特にないさ。ただ人々の欲を叶えてやってるんだよ。お前らの望みはなんだ?金か?俺なら叶えてやれるぞ?」
マーモインはそう言うと、魔力を形成する。その闇からは次々に金貨が放出させる。
「俺ならいくらでも出してやれる。どうだ、乗る気は無いか?いい夢を見させてやるよ。」
「いえ、お断りします。お嬢様に仕えていた方がお金もらえますので。お引取りを。」
「ふん。つれねえな。ならそこのお嬢様?富は要らねえか?富を得るための知恵を与えてやるよ。頑張る姿勢は名声となり、富はお前の力となる。どうだ?欲しくねえか?英雄でも総理でもいい。なりたいものになる力を与えてやる。」
刹那、目の前に男の顔が現れる。
「なっ……!?」
「お嬢様!!!!」
「邪魔すんなって。」
男は飛びかかった一色さんを吹き飛ばす。
ありえない勢いで花壇まで飛んでいく一色さん。
「一色さん!!!」
「ぎゃう!!!」
「だめ!ケルベロス!!!」
わたしの静止を聞くことも無く、ケルベロスも噛み付く。
だが、分かっていたかのように肘打ちを食らわせると、ケルベロスを怯ませる。
「クックックッ。こんなもんか。」
「い、要らない!!帰って!!!」
「要らなくねえだろ?」
私は必死で顔を背けるが、心を見透かされる。
男は何度も私の視界に入ってくる。
「お前求めてるだろ?認められたいんだろ?お父さんとお母さん、友達も欲しいだろ?俺の力があれば、叶えられる。どうだ?」
心に隙間に悪魔が入り込んでくる。
身を委ねたくなるほど、黒くて邪悪で、心が染っていくのがわかる。
「欲望に忠実になれよ」
刹那。その言葉が、私の意識をこの世界に呼び戻す。
私に言葉をくれたのはアモンだ。この人じゃない。
「いらない!!!!!」
「なっ!?魔力だと!?」
私の全身から魔力が溢れ出る。パキッと音がして指輪が割れるのがわかった。
「私が欲しいものはアモンがくれる。一色さんがそばにいてくれる。ケルベロスが癒しをくれる。欲しいものは全部持ってる!」
「あ、アモン……?アモンだと!?」
「富も名誉も全部、私が手に入れる。私の欲望は私が叶える!!!あなたなんかの力は必要ない!!!」
「クックックッ。ハーハッハッハッハ!!!いいだろう!!!気に入った!俺のものにしてやるぞ!人間!どこまで耐えられるか、見せてもらおうか!!!」
突然高笑いを始めるマーモイン。何を思ったのか倒れている一色さんの首を絞め始める。
「あ……ぐっ!!」
「なっ!!!!なにしてんの!?」
「分からねえか?流し込んでんだよ、魔力を。」
「え……?」
「俺にはな。もうひとつ力があんだよ。」
「何を言って……」
「堕天。聞いたことねえか?」
「堕天……?」
「まあ、見てろよ。大切なものを目の前で壊されても、その馬鹿みたいにでかい魔力を保てるか試してやるよ。」
「なにいって……」
「お前がこの女の人生を狂わせるんだ。よく見ておけ!!!」
「やめ……」
私が駆け寄るよりも早く一色さんから、大量の魔力が溢れ出す。
「いや……やめて……やめてよ!!!」
みるみるうちに変色していく綺麗な髪の毛。
徐々に紫色に変化していく。
「お嬢……様…に、にげて。だ、大丈夫……あなたにはあ、アモンが……いますよ。」
「い、一色さん!!!一色さん!!!」
わたしは必死に声をかけるが、その姿は魔力に飲み込まれていく。
「クックックッ!!!成功だ!!!さあ、名乗れ!新たなる悪魔よ!!!」
「……色欲。」
「は?」
「……アスモデウス。」
魔力の霧が晴れると、紫色の髪を靡かせる無口な女性が現れる。
私の方を一度も見ずに女性はマーモインに跪く。
「なるほど。ラファエルに幽閉されたとは聞いていたが、まさか転生しているとはな。とんでもない誤算だ。……殺せ、あの女を。できるな。」
「かしこまりました。」
「そんな……うそだよね、一色さん……?」
一色さんは私の声など聞かずにゆっくりと近づいてくる。
笑い続けるマーモイン。
私は震えて動けない。
「どうして、なんで!!!!元に戻ってよ!!!一色さん!!!!」
「……アリス……ぐっ!?……うるさい、黙れ!!」
一色さんは頭を嫌がるように抱える。
「……え?」
「サラを守る。サラを守る。サラを……守る!!!」
ブツブツと何かを呟く一色さん。我を忘れたように私に殴りかかってくる。
「っ!!!!」
私は強く目を瞑る。
そして、願う。
助けて。
「助けて、アモン!!!!」
「はい。お嬢様。」
「え……?」
私は恐る恐る瞳を開ける。そこには一色さんの拳を受け止めるアモンの姿があった。
「記憶取り戻すのはいいですが、一色の記憶忘れちゃ意味無いでしょう。」
「ア……モン?」
「もう『あなた』の知る『アモン』ではありませんよ?」
「なら……だれ?」
「お嬢様の使用人アモンですよ。あなたと同じ、ね。」
アモンは拳をそのまま勢いに任せて振りほどくと、体勢を崩した一色さんの頬にビンタを食らわせる。
そのビンタがあまりにも強かったのか、一色さんは転がっていく。
「一色さん!」
「牛は打たれ強いですよ。」
「で、でも!!!悪魔にされちゃって!!!!」
アモンは混乱する私を子供のように撫でると、笑って背を向ける。
「覚悟はいいな。低級悪魔。」
「低級……?俺を舐めるなあ!!!!俺は強欲だぞ!!!!」
「……それがどうした。」
刹那。アモンはマーモインの腹部を貫いていた。
「ワタクシの主を傷つけた罪、償ってもらおうか。」