3章5話 掛け違えた約束
紅に染まる瞳。溢れ出る魔力。響き渡る憎悪に満ちた声。
突然、ナーヴァは魔力に包まれ、バルバトスを攻撃し始める。
バルバトスはいとも容易く避けて、俺の方へふわっと現れる。
「『あれ』はどういう状況でしょう?」
微笑んでいるが、瞳は笑っていない。
赤い瞳に見つめられ、俺は慌てふためく。
「お、俺も良くわからなくて……」
「そうですか。……ところで、あなた以前私と会ったことありませんか?」
「え……?」
「いえ……なんでもありません。昔の知り合いに似ているような気がしたのですが。気のせいでしょうね。」
「あ、ああっ!?うしろ!」
話していると、バルバトスの背後にナーヴァが剣を振り下ろす姿が見えた。
「はいはい。わかっておりますとも。」
俺は慌てて声を出すが、バルバトスは左手を軽く上げて、ナーヴァの剣を弾く。
「単調な力任せな攻撃。美しい見た目に反して獰猛だ。」
剣を弾かれ、体制を崩すナーヴァ。こんな状況にもまるでバルバトスは動じていない。
「足運びも甘い……!!」
体勢を崩した隙をついて、足を絡めナーヴァを転倒させる。
さらに鮮やかな身のこなしで、ナーヴァの首を掴み、持ち上げる。
「がはっ……!!」
息ができないのか、ナーヴァは苦しそうな声を漏らす。
「うーん。やはり混ざり物ですね。でも、なんでしょう?違和感を感じます。」
考えるようにナーヴァを見つめるバルバトス。ジタバタと手足を動かし暴れるナーヴァ。俺は未だにこの状況についていけていない。
「悪……魔……ころ……す!!アンリマユ……!!!!」
刹那。
ナーヴァの羽根は黒く染まり、更に魔力の圧が強まる。
「なっ……堕天!?」
呆気にとられるバルバトス。
あまりの魔力にバルバトスは手を離し、膝をつく。
「がはっ!?ば……ばかな……この私が血を……」
魔力の圧だけでバルバトスは吐血する。
今目の前で何が起きているんだ。俺はただ呆然と見つめているだけなのか。
「死ね……!!」
ナーヴァは躊躇うことなく、動けないバルバトスに剣を突き立てる。
違うだろ。俺がするべきことなんて、最初から決まっているだろ。
俺に幸せをくれるナーヴァを守ることだ。
彼女に恩返しすることだ。
そうだろ!?俺!!!!
「っ!?やめるんだ!!!ナーヴァ!!!!!」
今とめないと、ナーヴァを失う気がする。
俺は突き動かされるように駆け出し、叫ぶ。
刹那。
「人の家で暴れないでよ。」
黒髪の美少年が目の前に現れ、ナーヴァを蹴り飛ばす。
「ああああああっ!?」
少年の赤い瞳がこちらを見ると、俺の記憶の中で何かが動く。
「……バアル…?」
「?……君、どこかで会ったことある?」
なぜだが、この少年とは初対面ではない気がした。
「あっ……ナーヴァは!?」
一瞬意識が飛んでいたが、我に返る。
吹き飛ばされたナーヴァを見ると、気絶していた。
「何の騒ぎ!?」
再び、門から人が現れる。
一人は赤茶髪の女性。もうひとりは白髪のおじいさんだ。
二人とも上等な和服を纏っている。
「この子が暴れたんだよ。それより、バルバトスが重症だ。手当しないと。」
「申し訳……ありません。ベルゼさん。助かりました。」
「気にしなくていい。あの子一瞬だけ……いや、今はいいや。」
「……はい、私も感じました。」
「大丈夫か、バルバトス。」
「ええ、数日休めば、何とか。」
バルバトスに肩を貸し中へ入っていく少年とおじいさん。
取り残されたオレはどうすることも出来ずに、ナーヴァの傍にいるだけだった。
すると赤茶髪の女性が温かく微笑んで、手を差し伸べてくれる。
「あ、えーっと。とりあえず上がりますか?明星さん……ですよね。」
「い、いいんですか。こんなに暴れて……バルバトスさんに怪我を……」
俺は申し訳なさそうに顔を上げる。
「びっくりはしましたけど、故意じゃないって分かりますから。誰も何も言いませんよ。」
暖かく微笑む。
あれ、なんだろう。この違和感は。彼女の発言に今少しだけ、違和感を覚えた。
まるで、先程の戦闘を見ていたような口ぶりだ。この人は遅れて現れたよな?
一瞬、彼女の発言に違和感を感じるが、暖かい雰囲気に安心してしまう。
「……すみません。厚かましいのはわかっていますけど、ナーヴァの治療もお願いできますか?彼女は普段はあんなことをする子じゃ……」
「わかってますよ。行きましょう。」
「は、はい。ありがとうございます。」
俺はお言葉に甘えて、ナーヴァも豪邸に運んだ。
「ああ、申し遅れました。アタシは真昼豊華です。どうぞ、よろしく。」
「あ、ああ。メールの……明星です。明星清直……です。」
「はい!よろしくお願いしますね。」
真昼さんは軽く振り返ると、穏やかな笑顔を向けてくれた。
ーーーーーーーーー。
豪邸の1階。ナーヴァを和室に抱き抱えて運ぶ。
優しく横にさせて寝かせる。
ナーヴァは苦しそうに眠っている。
「一体……なにが……」
俺はそんな言葉しか発せない。
思い詰めるように座ってナーヴァを見つめる。
「大切な人……なんですね」
「ええ……知り合ったのは最近なんですけど……気がついたら、俺の中で大切な人になっていたんだと思います。」
「分かりますよ。アタシもそうでしたから。……今、ソロモンさんを呼んできますね。加護持ちの人なんで、見てくれますよ。」
「い、いや、その……この子は…」
加護持ちに見られるという言葉に少し不安がよぎる。
加護持ちということは教会からの庇護を受けている可能性が高い。
いくらトラスト財団とはいえ、表向きは世界的に有名な組織の一つだ。
悪魔との関わりがあるというのも俺の推測でしかない。
しかもナーヴァは既に暴れて、職員を傷つけている。
攻撃の口実には充分なりうるだろう。
俺はつい、警戒するような視線を送ってしまう。
それに加護持ちが使う神力。アクマの使う魔力と相反しそうで、嫌な予感もよぎった。
「わかってますよ。その子、ナーヴァさんは悪魔なんですよね。安心してください。アタシも悪魔の契約者です。どうこうするつもりはありませんよ。」
穏やかな口調で話してくれる真昼さん。そこにはまるで、敵意は感じない。
そして、さらっと告げられた言葉。悪魔の契約者?どういうことだ。
この人、ナーヴァが悪魔だって、気がついていたのか?
俺はまだそのことは話していない。この前のこともある。警戒して、ナーヴァが悪魔であることは伏せていたはずだ。
先程の戦闘を見ていたのなら、そこから予想できるのはわかるが、この人は見ていないはずだ。どうなっている?先程の違和感の正体はこれだったのかもしれない。
見透かすような瞳に、混乱が生まれる。
「あなたは…一体……」
「正義の味方です!……なんちゃって。」
つい漏れ出す一言に笑顔で返してくる真昼さん。
人差し指を唇の前で立てて、ニコッと微笑む姿は、ただの無邪気な女の子だ。
暖かい笑顔に、悪意のない雰囲気。
先程の戦闘を見ていないのに、状況を知っているかのような口ぶり。
悪魔の契約者という話は本当なのかもしれない。
悪魔と契約した者は感覚や意識、記憶さえも共有するという話を聞いたことがある。
「これお水です。少しゆっくりしててくださいね」
真昼さんは未開封のペットボトルを手渡してくれる。
受け取ると、ひんやりとした感覚に少し涼しさを感じる。
「あ、ありがとうございます。」
「いえいえ。不安にさせたお詫びですよ。……それでは一旦失礼しますね。」
俺は少しだけ、警戒を解くことにした。
真昼さんは笑顔でその場を立ち去ろうとする。
遠ざかる背中。なぜか、言葉が溢れてくる。
ようやく会えた理解者に、言葉を求めてしまったのかもしれない。
「俺は……どうすれば、良かったんですかね……」
少し気を許したからかそんな言葉が出てしまう。
真昼さんは、襖に手をかけてそっと口を開く。
「もしかしたら、悪魔と人間は分かり合えないのかもしれない。そうでなくても、人と人って難しいじゃないですか。」
「……そうですね」
「でも……明星さんとナーヴァさんは違うんじゃないですか?」
「………え?」
「何があっても、信じてあげてください。それは、あなたにしかできないことですよ。」
「それは……どういう……」
意味深な物言いに疑問が生まれる。
「ただの経験談ですよ」
真昼さんは振り返って優しく微笑む。そのまま、その場を後にした。
信じること、か。
心がけてみよう。
気持ちが少しばかり、軽くなったのを感じた。
ーーーーーーー。
数十分経って、真昼さんと先程の老人が現れる。
真昼さんが言っていたソロモンという人物だろう。
白髪の髪の毛に、上等な和服。
鼻筋は通っていて、瞳は青い。
こちらの地方の顔つきではないから、海外の人なのだろう。
「初めまして。私はソロモン・トラスト。まあ、ここの代表みたいなものをしているよ。よろしくね。『明星清直』さん」
「は、初めまして!!ここ、こちらこそ、よろしくお願い致します!………先程は大変失礼致しました。」
俺は慌てて、立ち上がり謝罪する。まさかトラスト財団の代表が出てくるなんて。
「いえいえ。気にしないで欲しい。君も想定外の出来事だったと見える。」
「え、ええ。普段は無邪気で子供みたいな女の子なんです。あんな事をする子ではなくて……」
「なるほどな……。記憶を取り戻したいという子はその子で間違いないかね?」
「は、はい。この子……ナーヴァは記憶喪失みたいで……俺も最近会ったばかりでよくわからない部分も多くて。」
「なるほどな。……ひとまずは治療が先かな。一応念の為、君とその子には結界を張らせてもらうよ。……理由はわかるね?」
「も、もちろんです。」
先程暴れたんだ。目を覚まして暴走しない保証なんて、どこにもない。
こうやって話してみて、ほんとに俺はナーヴァのことを何も知らないと痛感させられる。
曖昧な話ばかりだ。
守らないといけない。
アスタロトに言われた忠告が響いている気がした。
ソロモンさんは詠唱することなく、俺とナーヴァを指先で囲う。
すると、俺とナーヴァを包むように、緑色の円が出現し、檻のように閉じ込められる。
「以前彼女にはどんな治療をした?」
「こ、こんなふうに暴走したのは初めてで……」
「これまで一緒にいて一度も疲労も、怪我もした事がないと?そんなことは無いだろう?」
「……え?」
つい警戒するような視線を送る。探るようなこういう視線には昔から覚えがある。
つい、身構えてしまう。ナーヴァのことだから、尚更だ。
「警戒しなくて大丈夫ですよ。ソロモンさん回りくどい意地悪な言い方しか出来ないんですよ。」
警戒する俺を見透かしてか、真昼さんが話しかけてくれる。ソロモンさんは苦笑いをしながら、真昼さんに言葉を返す。
「豊華さんは辛辣だなあ……」
「いえ、ホントのことですから。」
「……なんかバルバトスに似てきてない?」
「それもちょっと嫌ですね。」
「え、えーっと、俺は何をしたら……」
知らないうちに真昼さんとソロモンさんが微笑みながら会話している。
でも、目が笑ってない。なんか怖い。
「こんなふうに暴走したのは初めてですけど、他にも体力切れや傷を負ったことはありませんか?」
「ああ、それなら……初めて会った時にすごい疲れてて……」
ようやく質問の意図を理解する。
暴走を抑える方法ではなく、傷を癒す方法を検討しているようだ。
どうやら、俺は勘ぐりすぎていたらしい。疑うような視線にナーヴァのことを探ろうとしているのかと、警戒してしまった。
「その時、明星さんは彼女に何をしてあげましたか?それが治療のヒントになるはずです。……あ、この人もやばいこと沢山しているので、おふたりを悪いようにはしませんよ。怪しい感じの人ですけど、悪い人ではありませんから。」
「中々酷くない?さっきから……」
「いえ、本当のことですから」
「最近口癖だね、それ」
真昼さんが場を和ませようと俺の緊張をほぐそうとしているのがわかる。
「あ、でも君たちが悪いことを考えていたら、一生実験するつもりだけどね。」
「平気でこういうこと言う人なので、お気になさらず。」
気にするだろ。怖すぎるって。
真昼さんは穏やかに話してくれているが、ソロモンさんは底が見えない。
今の発言も絶対本気だった。さすが有名な組織を築いているだけの事はある。
アスタロトとは別の怖さがある。
内心怯えて仕方ないが、二人の身内トークを軽く流す。
そのまま、ナーヴァと出会った時を思い出しながら、質問に答えることにした。
「えっと、特に俺は何も……ナーヴァは俺の魔力を食べたとか言ってたけど……普段はご飯食べて、沢山寝て……っていう感じで……治療なんて、したことありません。」
「ほう?魔力……とな。それでやってみよう。君は魔力が多いみたいだしな。」
「魔力って渡せるんですか」
純粋な疑問が生まれる。同時に不安も襲ってくる。魔力に関わることは少しだけ、嫌な記憶を想起させる。
「渡せるよ。……安心していい。君の魔力はわたしがコントロールする。君はナーヴァさんのことをたくさん考えて頬に触れているだけでいい。」
不安がる俺を見透かしてか、暖かい声色で話すソロモンさん。この人は何もかもわかっていそうで、怖いところがある。
「そんなんで行けるんですか?」
「物は試しだろ?やってみるといい。上手くいかなくても、その結界が2人を守ってくれる。安心していい。」
「……分かりました……やってみます。」
オレは首から下げていたネックレスを外す。
魔力を外に出すんだ。これがあったら、邪魔になる。
「……すまないね。」
俺が重々しくネックレスを外すと、ソロモンさんは申し訳なさそうに言葉をかけてくれる。
これは俺にとっての精神安定剤のようなものだ。
効果とかじゃない。
身につけているだけで、不安から少し遠ざかるような気がしていた。
久しぶりに外したことで、少しだけ恐怖が俺を包む。
「本当もっと楽な方法があるんだが、豊華さんにダメと言われてな。」
「当たり前です。ベルゼもいるんですよ。変な影響与えたら、どうするんですか。」
「……ベルゼは君より随分年上だがな。」
「それでもです!!」
「わかった、わかった。けど、この方法が上手くいかなかったら、試すからな。」
「……それでいいですよ。だってアタシたちみたいには行かないんですよね?」
「……魔力量が桁違いすぎる」
「なら、ソロモンさんが魔力渡せば早くないですか?」
「豊華さんはわかってないな。それじゃあ、ロマンチックじゃないんだよ。……それに魔力だって、誰彼構わず取るって訳じゃない。相性と信頼が大切だ。……自分とペルゼなら、他の人から貰ってるの嫌だろ。そういうもんだよ。」
「……ですね。」
さっきからなんの話をしているのだろう。
俺に話してくれているみたいだけど、まるで何の話か分からない。
「あ、あの?」
「ああ、すまない。始めようか。」
俺がキョトンとした表情で見つめると、二人は準備を進めてくれる。
ーーーーーーーーー。
意外と魔力の譲渡は簡単に終わった。
ソロモンさんの言う通り、ナーヴァの頬に触れて、瞳を閉じて彼女のことを強く考えた。
出会った日から、今日までのことを。
どれも一瞬で思い出せた。
どれも思い出す姿は、天真爛漫で、振り回される景色ばかり。
コロコロと表情を変える美しくて愛らしいその顔ばかり。
どんな些細な日常も、灰色だった俺の世界を色づかせた。
それだけにやっぱり、納得がいかなかった。
彼女の憎悪に満ちたあの姿は。
ーーーーーーー。
「……清……直……?」
小さな声が俺の耳に届く。
淀みなく澄んだ声。
俺の中にある確かなナーヴァの声だ。
一瞬強烈な倦怠感に襲われるが、瞳を開けると、心配そうに見つめるナーヴァがそこにいた。
「……良かった。目が覚めたんだね」
「……うん」
俺はなるべく優しく話しかけた。
俺とナーヴァの様子を確認してか、気がつくと、結界は消えていた。
「状況は飲み込めているかな?ナーヴァさん」
ソロモンさんと真昼さんは少し離れたところからナーヴァに話しかける。
「……あんまり、わかってない。……ただ、清直困らせた。……それだけはわかる。」
「暴れたことは覚えていないかな?」
「暴れ……た?」
単刀直入に踏み込むソロモンさん。真昼さんは頭を抱えている。
俺はナーヴァをゆっくり起き上がらせ、用意された水を渡す。
ナーヴァはゆっくり飲み干すと、俺の方をじっと見つめる。
「本当……?」
「あ、ああ。ここについてすぐに……男の人に斬りかかった。」
「覚えて……ない。」
「……全然正気じゃなかった。」
俺はどういう顔をしたらいいのか分からず、顔を背けてしまう。
「……引いた?」
「……びっくりした。ナーヴァが居なくなるような、そんな気がした。」
「ごめん……」
俺とナーヴァの中になんとも言えない空気が流れ込む。
ナーヴァも自分の変化に戸惑いを隠せないのだろう。
寂しそうな困ったような顔をしている。
もっと俺がしっかりしないといけないのに、どうしたらいいのか分からない。
「でも起きてくれて……良かった。」
「うん……」
俺はそれだけはきちんと目を見て、伝えた。
ーーーーーーーー。
「話は終わったかな?」
ソロモンさんは座り込むと、真剣な眼差しでこちらを見据える。
「あ、はい。それで……記憶の件は無し……ですよね……」
自嘲気味に言ってみせると、ニヤリとソロモンさんは笑ってみせる。
「若者が年寄りの前で、悲観するものではないよ。悪魔アスタロトの使いを無下にはできないさ。」
「アスタロトさんのこと知っているんですか?」
「私は知らんがな。バルバトスとベルゼが知っているみたいでね。……悪魔に関する案件だから、放っておく訳にもいかないからね。」
「……それで俺たちに会ってくれたんですか?」
少し言い方が気に入らなかった。
世の中のためになるように動いている組織が、結局は個人的な利益のために動いている。
そんなふうな言い方に聞こえた。
オレが青臭いだけなのかもしれないけど。
「不服そうだな。」
「……それは……」
「そりゃあ、ソロモンさん言い方悪いですもん」
俺がどう返すか躊躇っていると、真昼さんが間に入ってくれる。
俺たちとソロモンさんのちょうど間に座って、呆れた顔をしている。
「豊華さん……?私に今日当たり強くない?」
「……ソロモンさんは意地悪ですけど、元々ウチは企業の相談より本当に魔力に困っている人たちの相談を優先的に行ってきました。もちろん、今回は紹介があったので、早く対応しましたけどね。」
真昼さんはソロモンさんの問いを無視して、暖かい言い方に変えてくれる。
正直いって安心した。
「あはは、そ、そういう意味でしたか……」
「すみません。うちの当主が意地悪で。」
「い、いえいえ!そんな!!」
こんな上流階級の人と話す機会がないから、思考の読み合い・駆け引きみたいなのを持ち出すソロモンさんは苦手だ。
俺がそれだけ、ガキ臭いのはわかってるけど。
そんなに今は余裕が無い。
だから、真昼さんが間に入ってくれると、助かる。
「……なんかデレデレしてて、気持ち悪い」
「……え?」
真昼さんに心の底から感謝していると、隣から辛辣な言葉が飛んでくる。
「真昼さん助けてくれてるんだから、感謝するのは普通だろ?」
「なによ、真昼さんって。鼻の下伸ばして!」
「別に伸びてねえだろ!」
「伸びてるもん!ばか!ばかばかばか!」
「な、なんだよ、急に……」
ナーヴァは突然大声を出して、俺と視線を合わせてくれなくなる。
「カッカッカッ!!!!青春よのう!!!……あたっ!?」
突然高笑いを始めるソロモンさんの頭を真昼さんが叩く。
「いいから、話進めてください。」
一連の光景を俺とナーヴァはキョトンとした表情で見つめる。
ごほんと、咳払いをすると、ソロモンさんはふたたび真剣な面持ちで話し始める。
いやいや。無理あるって。
というツッコミは心の中に秘めて、俺たちは聞くことにした。
「記憶の件は何とかして見せよう。」
「ほ、ほんとですか!?」
「やった!!!!」
「ただし、条件がある。」
浮き足立つ俺たちに、釘を刺すソロモンさん。
「条件……?」
「君たち……いや、特にそこのナーヴァさんには豊華さんとベルゼの護衛に就いてもらいたい。」
「護衛……って……どういう」
「ソロモンの指輪を届けて欲しいんだ。『天羽アリス』に」
ソロモンさんはこれまでにないぐらい真剣な面持ちで言葉を紡ぐ。
補足するように、真昼さんが言葉を添える。
「今日これからアタシとベルゼはアリスちゃんの所に大切な贈り物を届けないといけないんです。」
「え、ええ。話の流れ的にそれはわかりますけど。その『ソロモンの指輪』ってそんなに貴重なものなんですか?」
「貴重ではあると思います。トラスト財団の一大プロジェクトですからね。」
「そんなに大切なものを運ぶのに、なんで私たちに護衛を頼むの?」
俺が聞きたかった問いをナーヴァが質問してくれる。
「その指輪を狙っている悪の化身がいるんです。」
「マリスというとんでもない悪魔だ。」
「本当はバルバトスさんが護衛に着くはずだったんですけど、いまは……その……動けないので。」
少し卑怯だと思った。
バルバトスさんを傷つけたのはこちらの不手際だ。
悪いとも思ってる。
でもそれを引き合いに出すのはズルだと思った。
最初から対等な交渉をする気なんてなかったんだ。
バルバトスさんが傷ついた時点で、ナーヴァを護衛につかせると決めていた。
だから、親切にしたんだ。
こんなの、納得できるわけが無い。
せっかく信じてたのに。
「……そんな話を聞いて、オレがナーヴァを行かせると思っているんですか」
怒りのあまり語気が強まるのを感じていた。
なにより、ナーヴァを危険にしてしまうことが腹立たしかった。許せなかった。
いくらなんでも危険すぎる。ベルゼというのは先程の少年のことだろう。
あんなに強い少年がいても、戦力が足りないと思っているんだ。
相手は相当厄介な恐ろしい存在なのだろう。
こんな話は無効だ。
「行こうナーヴァ。帰った方がいい。」
俺はナーヴァの手を取り、外に出ようとする。
刹那。
パチン、とオレの手は弾かれた。
「……えっ」
「清直はひとりで帰っていいよ。ここからは私の問題だから。……ここまで連れてきてくれて、ありがとう。」
「なっ……な、なにワガママ言ってんだよ!!!俺はお前を心配して言ってんだぞ!?」
俺は焦るようにナーヴァの肩をゆする。
オレはどこまでも必死なのに、ナーヴァは俺の事を見てくれない。
「……私、清直に守ってなんて頼んだ?」
「……そん……な…」
わかっていたことだった。
この関係はいつか終わるって。
ナーヴァの純粋な瞳にはもう、俺は映っていない。
記憶を取り戻す、母親と父親を探す、復讐果たす。
そういうものしか見えなかった。
「私約束したよ。一緒にいるのは、復讐を果たすまでだって。……だからもう、お別れだよ、清直。」
俺を残して、ナーヴァとソロモンさんと真昼さんは部屋を後にした。
なにか真昼さんとソロモンさんが俺に話しかけてくれていたが、何も耳に入らない。
俺はそのまま崩れ落ちて、座り込む。
「約束したじゃん……俺の願いを……叶えるって……」
俺は知らない屋敷で一人泣くことしか出来なかった。