3章3話 二人は図書館に行く
疲労困憊の中、自宅の扉を開ける。
すると暖かな空気と、食欲を誘う胡椒とニンニクの香りが漂う。
「おかえり!清直!」
エプロン姿で出迎えてくるナーヴァ。
子供のように笑顔を弾けさせ、こちらに来てくれる。
ナーヴァと過ごすようになって、1ヶ月ぐらいだろうか。
「ただいま。いつもありがとうね。時間合わせてくれて。」
ナーヴァは遅く帰るオレに合わせて、料理をしてくれている。
こんな可愛い女の子が待ってくれているのに、早く帰って来れないのが情けない。
「いいんだよ!それに、前より早いじゃん!それより、食べて食べて!今日はニンニクマシマシ、スパイシーチキンだよ!上手くいったの!」
褒めて、と言わんばかりに俺を食卓へ連れていく。
「おお、これは美味そうだな」
「えへへ!でしょー!」
一緒に過ごしてわかったことがある。
ナーヴァは見た目は美しい女性だが、中身はまだ幼い子供と言ったところだ。
無邪気さがある、と言えばいいのか。
本人曰く、年齢は俺より上らしいけど。
ひとまず、二人で仲良く食事を楽しんだ。
最近、体の調子がいい。
綺麗な部屋でご飯を食べ、規則正しく生活しているからだろうか。
家に帰ってくるのが早くなったのも、ナーヴァのおかげと言える。
家に誰かが待ってくれているのは、こんなにも暖かいものだったのか。
生活が整って、なんだか体から力が湧いてくる。
この美味しい食事も、俺に元気になって欲しいから、ニンニクを効かせてくれているのだろう。
ありがたい限りだ。
まさか、悪魔の手料理の虜になるなんてな。
「そういえば、聞いてもいーいー?」
「ん、なに?」
食事を食べ進める中、不意にナーヴァは問い始める。
「清直のパパとママはどこ?家族は?」
純粋な疑問だ。
一緒に住んでいるのだから、気になるのは当然か。
ナーヴァは悪魔なのに、家族がいたみたいだし、疑問に思っても無理はない。
「ああ、俺の両親は……」
その言葉を口にした刹那、頭に不快なノイズが走る。
「両親は?」
「両親は……いないよ。いつ居なくなったのか、知らないけど。あんま、小さい時のこと覚えていないんだ。」
「そうなの?」
「ま、こんな髪に目だしな。捨てられたんだろ。」
「せっかく綺麗なのに、ね。もったいない。捨てられたかどうかは分からないんじゃない?」
「綺麗か……。そんなこと言ってくれるのナーヴァだけだよ。」
「えっへへ、清直も私の事綺麗って言ってくれた!パパとママと同じ!」
「そうだな。」
「うん!」
そのまま食事を再開する。
ナーヴァがいると、心の平穏が保たれるな。
オレはこの子がいなくなったら、どうなるんだろうな。
少し考えただけで、怖くなる。
期待しないつもりだったのに、あまりにも、彼女は俺にとって眩しすぎる。
ーーーーーー。
食事を終え、ソファに二人で座る。
のんびり過ごしていると、ナーヴァが質問してくる。
「ところで、さ、ここってどこの地上界?なんてとこ?」
「え?いや……俺が君たちの呼び名知るわけ……いや、知ってる……ような気がする。」
知らないと言おうとした刹那、脳裏にひとつの言葉が思い浮かぶ。
俺はそのまま口にしてみる。
「……間球。天界と魔界のちょうど中間地点にある、地上界のひとつ……」
言葉がスラスラと出てくる。
俺はいつ、こんな知識を手に入れたんだ。
「え、間球!!!!ここ間球なの!?」
俺が自分の思考に混乱していると、ナーヴァが嬉しそうに笑顔を向けてくる。
「え……あぁ、うん。そうだよ?知ってるのか?」
「うん!パパとママ、昔住んでたの!私がここに来たのも何か意味があるのかも!!」
「そうなんだ?それは確かに、関係あるかもね。」
ナーヴァの両親がこの世界に来ていた。それなら、過去の記録に何か手がかりになることがあるかもしれない。
「聞いておきたいんだけど、ナーヴァは何のためにこの世界に来たのか、どうしたら帰れるのか、それを調べるってことであってる?」
「うん!そうだよ!どうやってきたのか、覚えてないし。パパとママどうしてるのかも気になる!」
「えっと、何も覚えてないんだっけ?」
「うん!パパとママと楽しく暮らしてたら、なんかとっても悲しいことがあって…えっと、えーっと、そう!復讐しないといけないの!」
俺は確認のためにナーヴァに質問していく。
離れたくないとおもっている。それでも、同時に彼女のためになにかしてあげたいとも思っている。
こんな俺を頼ってくれたから。
俺に安らぎと幸せをくれたから。
何とも断片的で抽象的な話ばかりだが、来れたのなら、帰る方法もあるはずだ。
少し悪魔や古い歴史を調べてみるのはいいかもしれない。
「なら、明日調べに行こうか。」
「え?お休み取れたの!?」
「何とかね。」
「やった!」
「いつも買い物とか行ってるだろ?そんなに嬉しいか?」
あまりにも嬉しそうにするナーヴァ。弾ける笑顔が眩しい。
俺はつい、照れ隠しでそんなことを言ってしまう。
出掛けるのは初めてでは無いはずだ。一緒に買い物してから、羽を隠すことを条件に好きに出かけていいと伝えている。
それに好きなものを買えるように、お金を渡している。
好きに出かけていいし、好きなものを買っていい。
一通り、生活に必要なものが揃うデパートは紹介してあった。
初日に買い物してから決めたことだ。
以前、一緒に外に出た時、それなりに外のものに驚いてはいたが、適応は早かった。
それに両親の教育がいいのか変なことはしなかった。
だから、好きに過ごさせていた。
外にも羽を隠せば行けるし、美人だからナンパされるだろうけど、俺なんかよりは数段強い。
「もうっ。わかってないな!お出掛けは誰と行くか、だよ!清直とは2回目のデートだねっ。」
真っ直ぐ嬉しそうに伝えてくる。
見た目は美人なのに、変に純粋で懐いてくるから困る。
こういうことを平気で言うから、恥ずかしい。
「ただの図書館だよ?」
「いいの!!!」
プクっと頬を膨らませつつも、ナーヴァはウキウキと楽しそうだった。
さて、本格的に調べるとするか。
俺は浮き足立つナーヴァを他所に、国立図書館を目的先に決定させた。
大都市に住んでいると、こういう時に便利だ。
ーーーーーーーー。
翌日。久しぶりにゆっくり眠れた気がする。
眠気眼を擦りながら、視界を開く。
すると、花のような香りと豊かな温もりを感じた。
「……え?」
困惑しながら傍らに目をやると、俺に抱きつき眠るナーヴァがいた。
状況を理解したその瞬間、俺の心臓は跳ねた。
全身が熱くなるのを感じる。
ここはベッド……。昨日はソファで眠ったはず。
そ、そうか……。ナーヴァが俺をベッドに運んだのか。
「いやなんで、一緒に寝てんだよ!」
我慢していたツッコミが時間差でやってくる。
無防備にスヤスヤ眠るナーヴァ。はだけた服から覗く魅惑の体。綺麗な素肌。
「っておーーーい!バカか!俺は!!!」
触れたくなる衝動を何とか抑え、自分の顔面を何度も叩く。
こんなに純粋な子に手を出せる訳ないだろ。
一瞬チラつく欲求とそれと同時に湧き上がる罪悪感。
俺はそのまま布団から出ようとする。
しかし。
「んんー……さむーい。」
「どわっ!?」
寝ぼけているのかナーヴァは羽を広げて、俺をさらに強く抱きしめる。
「まずいまずいまずいまずい。ほんとうにまずい!!!」
色んな意味でまずい。
オレは何とか抜け出そうとするが、ナーヴァは次に足を絡めてきて、いよいよ身動きが取れなくなる。
体柔らかあ、羽ふわふわ〜
「ってちがーーーう!!」
ナーヴァの温もりと柔らかさで寝そうになるが、何とか意識を取り戻す。
「うぅん、もうちょっとだけ〜」
疲れが溜まっているのかナーヴァは全く起きる気配がない。
と、いうか……
俺が変に抜け出そうとしたせいで、ナーヴァの腕が……
俺の首に……
「ギブ……ギブギブギブ!」
強く首を絞められ、俺はまた意識を失った。
ーーーーーーーー。
数分後、起きたナーヴァに起こされ、ようやく目が覚める。
「んー!よく寝た!!!おはよ!清直!!」
伸びをしながら、笑顔を向けてくるナーヴァ。
はい、ナーヴァが元気そうでなによりです。
布団、もう1個必要だな。
ーーーーーー。
朝から大変だったが、ひとまず用意を終えた俺たち。
目的地である図書館へ向かった。
本来、図書館へは電車を使った方が早いのだが、休日ぐらいのんびり歩きたい。
都心は平日だろうが、休日だろうが、混んでるからな。
オレとナーヴァはのんびり歩きながら向かった。
「としょかん、としょかん、と・しょ・かーん♪」
洋服に身を包み、隣を歩くナーヴァ。
羽も隠していて、こうして見ると、ただの女の子だよな。
「楽しそうだな。」
「そりゃあね!行ったことないところだし!パパとママのこと、なにか分かるかもしれないし!清直とデートだし!」
「デートって……はは。何かわかるといいね。」
「もうノリ悪いな!それに帽子にメガネ!髪もボサボサ!!!デートなんだよ!しっかりオシャレしてよ!」
プクっと頬を赤らめる膨らませて、怒ってみせるナーヴァ。
「この髪と目を目立たせる訳には行かないよ。……俺の魔力は人を……不幸にする。」
「ふーん。なんか、窮屈だね?」
グイッと顔を近づかせてくるナーヴァ。不思議と大人っぽさを感じた。
「まあいいか。清直の魅力は私だけ知ってればいいもんね。」
「オレの魅力って……」
「今度おうちでおしゃれしてね?わたし清直の顔タイプなんだあ。髪の毛もちゃんとしたら、ぜったいもっとイケメンだよ?」
「変なこというなよ。……調子狂う。」
「だって、ホントのことだもん。何あったか、知らないけど、私はあなたに助けられた。キュンってしたの。」
「でも俺は……」
「……清直が本気出したら、こんな世界簡単に壊れちゃうよ?」
「……え?」
切り替えるように鋭い眼光で見つめられる。
これは冗談なんかじゃない。
俺の魔力はそれほど危険ということなのだろうか。
ナーヴァはきっと、慰めのつもりで言ったのだろう。
だが、俺にとっては恐怖でしかない。
「楽しみだなあ!図書館!」
「……あ、ああ。」
何事も無かったかのように、いつものように戻るナーヴァ。
たまに感じる。
ナーヴァはちゃんと、悪魔だって。
ーーーーーーー。
都心にある国立図書館。
国が扱う全ての図書がだいたいここで読める。
借りられないものも多いが、ひとつぐらい情報も見つかるはずだ。
最近はマーモインなんていう悪魔が出たらしいし、ひとつぐらい過去の記録があってもおかしくないだろう。
悪魔絡みの情報は教会が統制しているから、新聞やネットは参考にならない。
伝承でも物語でも当時の時代背景がわかるものでもあれば、儲けものだろう。
黒い大きな建物。
何度か来たことはあるが、相変わらず大きい建物だ。
知識への強い欲。
それは悪魔崇拝に近しいものがある。
情報統制の一貫だろうが、ここまで黒い建物はこの世界でそこまでみることはない。
知識なんてなくても加護さえあれば、生きている世界だ。
当たり前といえば当たり前だ。
だが、必死で努力する人を、読書が好きな人をなにがしろにしているようで、好きじゃない。
俺を助けてくれない教会を、ただ恨んでいるだけなのかもしれないがな。
「おっきいね!ここなの!?」
「そうだよ、行こうか。」
「うん!」
ーーーーーー。
中に入ると、俺と同じように帽子をかぶっている人や素顔を隠している人が多くいた。
受付の司書さんは白髪で、ひと目で加護持ちだとわかる。
愛想良く微笑んでくれているが、まるで監視だな。
「静かだね、ここ。」
「みんな本読んでるからな。ナーヴァも静かにな。」
「うん」
俺達は小声で話しながら、奥へ進んでいく。
頭上までぎっしりと本棚があり、受付を中心として建物を包むように円形に作られている。
見上げると、上の階の本棚が見えて、誇張なしに本の建物と言ったところだ。
エレベーター、本を検索する装置、読書スペース、イベント会場。
外の異質さに比べて、中は中々楽しそうだ。
全員が全員、図書館を悪く思っているわけじゃない……と言ったところか。
「わあ!本がいっぱい!ねえねえ、あそこのコーナー!キラキラしてるよ!」
子供のように目を輝かせるナーヴァ。
悪魔だからやっぱり本とか知識が好きなのだろうか。
「あれは絵本のコーナーだな。見てきていいよ。俺は俺で調べたいことあるし。」
「ほんと!?いいの!?」
「いいよ、ただ目的も忘れずにね。」
「うん!もちろんだよ!!!」
ーーーーーー。
ナーヴァと別れた俺はひとまず、端末を使い検索をかける。
キーワードは悪魔。
もちろん、検索結果はゼロだ。
「ま、だよな。」
俺はそのまま2階にあがり、歴史のコーナーへ足を運ぶ。
分厚い本が立ち並ぶ中、タイトルに目を配らせていく。
年代ごとに書物がまとめられているが、絞り込むのは難しい。
俺だって、悪魔の逸話ぐらいは聞いたことがある。
かつて大魔王をアマハネの一族が封印したとか、天羽家に悪魔を名乗る男が現れたとか、最近ならマーモインとか。
だが、悪魔の話はどれも抽象的で、まとまりがない。
詳しい情報がなく、目撃例ばかり。
どこかで聞いたことがある話も、どこから得た知識なのか分からないことが多い。
すぐに情報を統制されるからだ。
アマハネの一族の話なんて、伝承の類だ。
俺は神話がまとめられている本を東西南北の地方のものを積み上げ、机に広げる。
次に、大雑把に古代、中世、近代、現代で歴史書を広げる。
「少しでも手がかりあるといいけどな。」
何せ、情報が少なすぎる。
悪魔のことや悪魔が現れた当時を知りたい。
そこから、悪魔が現れる条件や生態を知れたらきっと力になるだろう。
「いやまてよ……」
大事なことを忘れていた。
悪魔にとって何よりも大切なのは魔力だ。
ナーヴァは少し俺のイメージする悪魔とは違う感じがする。
だが、魔力については概ね予想通りだった。
俺は人間の生態に関わるコーナーへ向かう。
魔力や神力についてまとめられている本を見つけた。
そのまま先程の席に戻り、本を並べる。
気がついたら、とんでもない数の本が並べられていた。
「たくさん読まれるのですね?何か調べものですか?」
不意に司書の女性に話しかけられる。
「ええ、まあ。ちょっと調べたいことがあって。」
「よろしければ、本お探ししますよ?端末はご利用になりましたか?」
「え、ええ。ただ、検索に引っかからなくて。」
「歴史に、神話に、魔力、神力、幅広いジャンルですね。失礼ですが、どんな本をお求めで?」
女性は俺が積み上げた本にひとつずつ視線を落とす。
「え、えっと、悪魔の本とかって……あったりしますか?……な、なーんて。」
「……悪魔。そういうことですか。」
女性は俺の言葉に対して、声色を変える。
「ええ、ありますよ。悪魔に関する本。」
「え……本当ですか!?」
「ええ、ですが、閲覧制限をかけています。この申請書類にあなたの身分とお仕事を。それから、加護を提示してください。」
「……加護……」
「無理なら、諦めてください。そんなに深くまで帽子をかぶって、自信の無いあなたには無理なことだって、言ってるんですよ。」
「くっ……」
急に高圧的になる女性。
所詮こんなものか。
「自分で調べるので、結構です。」
「そうですか。」
オレは不貞腐れたように本に目線を移す。
女性は気持ちよさそうに微笑むと、その場から立ち去ろうとする。
刹那。
「……か、館長」
「え……?」
女性の怯えるような声に思わず顔を上げてしまう。
そこには大柄な美形の男が立っていた。
スーツ越しでもわかる筋肉の張り。
赤い瞳に銀色の長髪。
圧倒的な存在感に、俺まで怯えてしまう。
「その子、ワタシのお客様なんだけど?随分、酷い扱いしてくれるじゃなーい。」
「も、申し訳ありません!!!で、ですが!!!!この方は悪魔の本を……!!!」
「ノンノン。図書館ではお静かに、ね♡」
「……し、失礼致しました。」
「中に通していいかしら。」
「……か、館長!!」
「大丈夫よ。閲覧制限のある本を見せる訳じゃないから♡ただ、お話するだけよ。」
「……そ、それなら。大丈夫です。ただ、規則は守ってください。」
「わかってるわよ♡規則は美学よね。……醜い人間が定めたつまらない盟約だがな。」
ギロリと、女性を睨みつける男。
切り替えるように笑顔で俺の方へと近づいてくる。
「案内するわ。いらっしゃい。」
男は優しく微笑む。
その刹那、俺の脳裏にひとつのビジョンが流れてくる。
大きな翼を羽ばたかせる漆黒のドラゴン。
その鋭い赤き瞳がジッと俺を見つめてくる。
その瞳と男の瞳が重なり、意識が戻ってくる。
「さ、行きましょ♡」
「え、えっと、連れがいて」
「いらないわ、そんな子。ワタシはあなたとお話したいのよ。さ、おいで。」
「は、はあ。」
何がどうなっているのか分からないが、着いていくしか無さそうだ。
先程高圧的な態度をしてきた女性は尻もちをついて、蹲っている。
よほど、恐ろしかったのだろう。
ーーーーーーー。
エレベーターから地下へ向かい、長い廊下を抜けて怪しげなひとつの部屋に辿り着く。
男がカードキーと指紋をスキャンすると、扉が開かれる。
「ほら、入って」
「は、はあ。し、失礼します。」
オレと男が扉を抜けると、扉は閉じられる。
「ふう、楽にしていいわよ。ここ、ワタシしか入れないし、セキリュティも厳重だから。機械的にも、魔力的にも、ね。」
「は、はあ。」
扉を抜けた部屋は高級そうな家具で埋め尽くされていた。
革のソファに落ち着いた色のテーブル。
本棚やデスク。
俺は促されるまま、ソファに座ると、コーヒーを出される。
「ブラックでいいわよね」
「え、あ、はい。」
男は俺の前の席に座ると、足を組んで、コーヒーを口にする。
俺は促されるままコーヒーを口にする。
苦味が口に広がり、すこし冷静になる。
いや、これどういう状況?
突然オネエに知らない部屋に連れてこられたんだが。
「あの、俺調べものの途中でして。」
「悪魔のこと調べてるのよね。ワタシで良ければ、教えるわよ。」
「え、でもさっき司書さんにダメって……」
「本の閲覧はね。だから、ワタシが説明してあげるのよ。それなら、問題ないでしょう?」
「そ、そうなんですかね」
「ええ、そういうもんなのよ。」
「で、でもなんで俺に教えてくれるんですか?」
「やだわ。昔からの仲じゃない。何でも教えるわよ。それに人間ごときの作った知識より、ワタシから知識を得た方がいいってわかってるでしょ?」
男は自信ありげに言ってみせる。
俺はこの人のことを知らないはずだが、先程からこの人は俺のことを知っているような口ぶりだ。
だが、不思議なもので、この人の知識は全て正しい、どんなことよりも正しいと本能がそう伝えてくる。
「ふーん。さっきビジョン見せたのにまだピンと来ない?悲しいわね。ワタシ、アスタロトよ。今は人間の体借りてるけど。」
「……アスタ……ロト」
妙に口に馴染んだ。
俺は確かにその名前を知っていた気がする。
「そう。……でも驚いたわ。死んだと聞いていたから。あなたも人間の体を借りてるのね?」
「え……?」
「ふーん。なるほど、そういう事ね。おおよそわかったわ。」
足を組み直し、考え直すアスタロト。
人間の体を借りてる?俺も?
一体何の話をされているか分からない。
「誰かと勘違いされてませんか?オレはあなたと会ったことが……ないと思います。」
「自信なさげね。そりゃあそうよね。会ったことあるんだもの。ねえ、『〇〇〇〇〇〇〇〇』?」
なんだ、耳鳴りがして最後の方上手く聞き取れなかった。
「えっと、今なんて言ったんでしょう?上手く最後の方聞き取れなくて」
「あらやだ、プロテクトかかってるのね。あなたの本当の名前呼んだのだけれど。」
「オレの……本当の名前……?」
「魂は嘘をつけないものよ。でも別に今のあなたを否定している訳では無いのよ?ま、気にしないで頂戴。ワタシは得るものがあった。報酬よ、あなたに臨む知識を授けるわ。何でも質問して♡」
「で、でも……」
この人を信用していいのだろうか。
異質な空気感と謎の信頼感がある。
それでも一歩間違えたら、ナーヴァが危険な目にあうかもしれない。
「安心しなさい。ここでの話は口外するつもりはないわ。悪魔のことを調べてるってわかってて、連れてきているんだもの。もし、ワタシが敵ならもう既に捕まえてるわよ。」
「それは、そうですけど。」
確かにアスタロトの言う通りではある。
こんなまわりぐどいやり方をする意味は無い。
少しだけ話してみるか?
実際、手がかりがなくて、困っていたのは事実だ。
「聞くの?聞かないの?」
急かされるように問われ、俺は焦ったように口を開く。
「……じゃ、じゃあ、俺今、とある悪魔のことを調べてて。」
「一緒に来た子でしょ?レディのプライベートを覗くのは関心しないわね。」
「……ナーヴァが悪魔だって、気がついていたんですか。」
「いいえ。ただ、予想で言ってみたのよ?あなた随分脇が甘いのね。」
「なっ……」
「ワタシがさっきの司書だったら、バアン!!死んでたわよ?あのこ。」
アスタロトは指で銃の形を作り、俺を撃ち抜いてみせる。
本当に銃で撃たれたような衝撃に襲われる。
上手く乗せられた。
警戒していたはずなのに、易々と情報を持っていかれた。
この人の言う通りだ。
悪魔がいるなんて分かったら、大騒ぎだ。
「それに貴方、簡単にコーヒー飲んだわね?もし危ない薬入れられていたら、どうするつもりだったの?」
「なっ……!?」
「安心しなさいよ。何も入れてないわ。ただ、悪魔と共にこの世界で過ごしたいなら、もう少し賢く立ち回らないとね。」
「……ご指導感謝します。」
俺は悔しい思いをしながらも、アスタロトに感謝してみせた。
ここで冷静じゃなきゃ、やっていけない。
「あら、素直ね。そういう態度嫌いじゃないわ。意地悪はやめて少しだけ情報を提示するわ。」
「全部は教えてくれないんですか」
「それには対価が足りないわね。」
「対価……」
「ワタシは古からいる悪魔よ。今の形骸化した魔力のみを求める契約よりも己の欲を渇望するわ。ワタシが欲するのは知識、そして力。」
「俺には払えませんね。」
しれっとカミングアウトされる悪魔という事実。だが、人間でないのは何となくわかっていた。そこに時間を割くのはもったいないだろう。
「そうでもないわ。貴方からは3つの知識を得た。だから3つの知識をあげるわ。」
「あっ……ありがとうございます!」
どうやら、情報を提示してくれるらしい。少しばかり安心した。
俺はカバンからノートを取り出し、書き込んでいく。
「まず一つ目。ナーヴァちゃんの手がかりを知りたいなら、記憶を探りなさい。それが一番早いわ。どうしてナーヴァちゃんの記憶が消えているのを知ってるのか、なんて野暮な質問は良してね?あなたの行動やこれまでの会話でわかる事だから。」
「記憶って……そんな簡単に」
「続けるわよ。方法は2つ。強欲の悪魔アモンを呼び出すこと。もうひとつはトラスト財団のソロモンに相談すること。どうしたらいいか、それは自分で調べてちょうだい。そこまでサービスするつもりは無いわ。でももし、アモンちゃんを呼ぶなら、ワタシに言ってね。協力するから。」
俺の話を聞くつもりがないのか、どんどん話を進められていく。
この人は相当観察眼が鋭い。
俺が次に何を言うかなんて予想ができているみたいだ。
「続いて、とある悪魔の伝承よ。アダムとイブ、神によって作られた人間。でも彼らの前に別の人間が作られていたわ。彼女の名はリリス。リリスはアダムと結ばれるものの、悪魔になってしまうわ。……この伝承はナーヴァちゃんに関わることだから覚えておくといいわ。」
「人間が……悪魔に……?」
「最後にひとつ。悪魔と天使、人間の特徴だけれど、天使は白き髪と蒼き瞳を持つと言われている。けれど、それは絶対ではない。悪魔も同様に黒き髪と赤い瞳を持つとされているけど、それも絶対では無い。人間は魔力、神力によって、見た目が変化する。それらは力の総量によって決まってくる。でも、それも絶対では無い。……ただ、絶対なことがある。悪魔はかならず黒い翼とシッポを持つ。天使は必ず白い翼を持つ。人間は天使になることは出来ない。天使は悪魔になることが出来る。」
「なんですか、それ。」
「あなたが知りたいことには全て答えたわ。これ以上は対価を求めるけど、どうする?」
「いえ。ありがとうございました。」
俺は聞いた内容を簡単にノートにまとめて、その部屋から出る。
アスタロトは特に何も言わずコーヒーを飲んだ。
「じゃあね、『明星』ちゃん。」
名乗っていないはずだが、彼には全て見透かされているのだろう。
特に疑問に思うこともなく俺はその場を後にする。
ーーーーーー。
なんだか、どっと疲れた。
信用できるかは分からないが、調べてみてもいい気がする。
それになぜかは分からないけど、この情報は正しいと俺の本能が告げている。
1階に戻ると、ナーヴァは嬉しそうに絵本を見せてくる。
「これ!この本!悪魔出てくるよ!!!借りていい?」
「え、ああ、うん。いいと思うよ。」
「ありがとう!!」
カードを手渡すと、嬉しそうにナーヴァは本を借りに行く。
遅れて俺も着いていくと、本のタイトルと著者が目に入る。
『サキュバスと少年』。
製作……トラスト財団。
著者『天羽エリス』……。
これは……ひょっとしたら、使えるかもしれない。
偶然が必然か。オレはアスタロトから与えられた知識と、ナーヴァが借りた本で少しだけ手がかりに近づいた気がした。