2章8話 豊華は悪魔を知る
流れてくる意識。
遠い記憶。
共有される感情。
赤き月に魅せられて、彼は暴食の悪魔と化す。
これが君が抱えてきた闇なんだね。
アタシはどうすることも出来ず、その感情を受け止めてあげることしか出来ない。
強い誰かの怒り。
それを突きぬけて、悲しみと後悔、耐え難い感情の連鎖が起きていく。
苦しみと憎しみに似た辛い感情。
そして、閉じこもる事を決めた。
でもこれは、やっぱりアタシの知っているベルゼだ。
みんなを世界を大切に想っていたからこそ、誰もが君に世界を託したんだよ。
ーーーーーーー。
窓から差し込む眩しい光。
眠気眼を擦り横を見ると、寄り添うように眠るベルゼ。
どうやら、疲れて一緒に眠っていたらしい。
本当に昨日は色んなことがあった。
どうやらアタシは仮死状態になっていたらしい。
ベルゼが契約してくれなかったら、死んでいたと思う。
アタシの体は流れる魔力や神力を一定に保つことができるらしい。
そして、神力も魔力は同じ量が流れるとお互いを打ち消し合い、無力となる。
だからアタシは神力も魔力もこれまで使えなかった。
そして魔力と神力を同じ量流さなければならないベルゼの封印を、簡単に解くことが出来た。
今回のは恵実から受けた神力の力が、アタシの両者を一定に保つ力の許容を超えてしまった。
だから、死に近づいた。
だが、ベルゼが契約してくれたことで、本来いつも補填する魔力が流れ込み死を回避できた。
契約の影響なのか、前よりも自分の体のことや悪魔のことを理解している。
この1ヶ月相当ベルゼや悪魔のことを調べて悩んだというのに、今では簡単にわかってしまう。
これが知識を司る悪魔の力なのだろうか。
知らないはずの知識を『知っている』。
何とも、表現しづらい感覚だ。
そんなことを考えながら、横を見やる。
傍らには子供のように穏やかに眠るベルゼ。
頬を軽くつつくと、柔らかく返ってくる。
「会った頃はガリガリだったのにね。」
穏やかな笑みが零れる。
健康的な肉体になってくれて、良かった。
アタシは起こさないように、そっと起き上がる。
だが、ゆっくりとベルゼも瞳を開ける。
「ごめん、起こしちゃった?」
「………」
「ベルゼ……?」
ゆっくり身体を起こしたベルゼ。
アタシの顔をボーッと見つめている。
アタシは心配になり、覗き込む。だが突然、ベルゼは驚いたようにベッドから転げ落ちる。
「ゆ……豊華?」
「え!?あ、え!?大丈夫?」
「な、なんでベッド……え?」
「あ、うん。昨日疲れてそのまま寝ちゃったみたい、ビックリしちゃった?」
なぜだか、ベルゼは顔を真っ赤にして苦しそうに胸を抑える。
「大丈夫……?」
アタシは駆け寄り、ベルゼの頬や額に触れる。もしかして、熱があるんだろうか。
「だ……大丈夫。契約の後遺症……だから」
ベルゼは更に顔を熱くし、アタシから顔を背ける。
心配だ。そんな後遺症があるなんて。
今のアタシにはない知識だ。
「後遺症……?大丈夫なの?」
「う、うん。少しびっくりしただけだから。ちょっと気持ち落ち着けたら治るから。そのあとで、居間に行くよ。」
「そ、そうなの?変わった後遺症なんだね。」
「う、うん。だね。」
「じゃあ、アタシ、居間に行ってるね。なにかあったら、言うんだよ?昨日大変だったんだし」
「う、うん。そうだね。」
ベルゼはごく自然に笑顔を向けてくれる。
それが何よりも嬉しかった。
前はどこか距離を感じていたから。
ようやく、心の枷が取れたのだろう。
「ベルゼ……おはよう!」
「っ!!!……お、おはよう。……元気になって、良かった。」
「ベルゼのおかげだよ」
「僕も沢山助けて貰った。」
「支え合って、いっしょに分かち合うのが、家族だよ。」
「なんだか、あったかいね。」
「そうだね!」
アタシは優しく微笑むと、その場を後にする。
ーーーーーーー。
ソロモンさんの豪邸は一階部分が和室。2階部分が洋室となっている。
海外の方やお客さんが来た時のために、洋室が用意されている。
まだアタシは経験ないけど、パーティやイベントも行うらしく、そのための措置らしい。
1階も2階も馬鹿みたいに広いから、和と洋両方楽しめる変な家、という印象だ。
アタシは一階に降り、和室の一つへと入る。
すると、布団の上で眠る恵実の姿があった。
アタシが仮死状態になった後、ミカエルに悪魔召喚に使われた。
確かに記憶にある。
多分、ベルゼのだと思うけど。
治療はラファエルさんにしてもらったけど、やっぱりまだ起きないか。
召喚された悪魔との繋がりは消えてるみたいだけど、堕天した影響が体に負荷を与えているのかもしれない。
恵実の中で、アタシに裏切られたという気持ちと、アタシを傷つけたということが大きく影響しているのかもしれない。
アタシの勝手な想像だけど。
たぶん、世間的には恵実の方が正しい。
アタシの方がおかしくって、恵実はどうしたらいいかわからなくなったんだと思う。
ちゃんと話がしたい。
寄り添える落としどころを見つけないと、解決はできない気がした。
あの日、無理にでも追いかけていれば、こんなことにはならなかったと思う。
どこかで、アタシは恵実はもうしっかりしているって押し付けてた。
きっとわかってくれるって。
でも、きっと、アタシが焦らせただけで、理解してくれると思う。
もっと沢山ベルゼのことを知ってもらおう。
そうしたらきっと、恵実も認めてくれるはず。
「……どうやったら、起きてくれるかな。話したいこといっぱいあるんだよ。恵実。ベルゼの事も、もう一度、ちゃんと話そう。アタシずっと待ってるからね。」
アタシは優しく手を握ってみせる。
何年もゆっくり話していなかった気がする。
アタシはきっと、選ばれた人間である恵実に距離を感じていた。
後ろを着いて来てくれていた妹が遠くに行ったような。
でも、きっと離れちゃったのはアタシの方なんだ。
勝手に壁を作って、家族であることに甘えていた。
「お姉ちゃん……失格だね……」
アタシは立ち上がると、その場を後にする。
襖を開けると、ベルゼそっくりな男の子が柱にもたれ立っていた。
ベオル。
うん。彼も記憶にきちんとある。
「くだらないな、相変わらず。」
「何が……ですか。」
「妹だよ。」
「……?」
「あいつ、起きてるぞ。……起きる気がないだけだ。」
「どういう……こと?」
「寝かせとけってことだよ。起きたくねーって言ってんだから、放っておけよ。」
「そんなことできないよ。家族だし。」
「あっそ……」
きっと、もう起きられるはずなのに、起きていないということだろう。
心の問題か、恵実は目を覚ますのを拒んでいる。もしくは、彼女の中で色んなことを整理しているのかもしれない。
アタシはべオルの横を通り、居間へと向かう。
「ホント、変わった人間だな。」
去り際、べオルはそんなことを呟いた。
ーーーーーーー。
居間に辿り着くと、眼鏡をかけたソロモンさんが本を読んでいた。
書見台に本を乗せ、チェアにゆったりと腰掛けている。
「おお、よく眠れたかい。豊華さん。」
「ええ、まあ。」
「それは良かった。」
ソロモンさんは本を閉じると、眼鏡を外しこちらに微笑みかけてくれる。
「本読んでいていいですよ。アタシは仕事しますので。」
「いやいいんだ。読書と言っても絵本だしね。まあ、いいから、座りなさい。……今日は休みとしよう。」
「え?」
ソロモンさんはアタシにそう言うと、座布団と椅子を持ってきて腰掛けるように促す。
「え?いいですって。もう元気ですし。」
「他に相談したいことがあるんだ。」
「相談……?」
「それに色々疑問もあると思うんだ。ベルゼとべオルが来たら始めよう。」
「は、はあ。」
「それまでこれでも読んでいるといい。」
ソロモンさんは、先程読んでいたと思われる絵本を手渡してくる。
「これは?」
「エリスが描いたものだよ。あの離にしまってあったんだ。」
「どうしてまた?」
「エリスもアリスと同じで、魔力が多い体質だったんだよ。だからこそ、魔力を少なくする方法を模索していた。……悪魔の絵本は読んだことあるかな?」
「ええ、悪い男の人が悪魔を使って、悪いことをするみたいな。」
「君はどう思った」
「え?……どっちも悪いなって。人間にペコペコ従う悪魔も、悪いことを自分の手を汚さずに手に入れた男も、何もかもが不快な本でした。……なんだろ、決めつけみたいな、幅広い理解ができない子供向けじゃないような、悪魔と関わるな、魔力は悪いと遠回しに言われるようで」
「そうだな。そういう認識をさせるための本なのだろう。だからこそ、エリスはその認識を少しでも変えるような取り組みを始めた。世の中にはたくさん魔力のことで悩まされる人がいる。それを正しく理解してもらうための絵本だよ。」
「そう……なんですね。」
アタシは促されるがまま、絵本を読んでみた。
ーーーーーー。
サキュバス。
それは人を惑わせる悪い悪魔。
男の人をその美しい姿で惑わし、命を奪い取るのです。
でもここに一人。
ただ、人と仲良くなりたいサキュバスが一人。
彼女はただ、人間に興味があっただけなのです。
作物はどう育てるのだろう。
美味しいご飯ってなんだろう。
家族って……なんだろう。
悪魔にはない暖かな知識。
それを求めていたのです。
でも多くの人間は悪いサキュバスの餌食となっていきました。
だからこそ、村の女の子たちは彼女を恐れました。
仲良くなることなんて、出来なかったのです。
悲しみにくれるサキュバス。
冷たい雨に打たれても、罵声を浴びせられても、ナイフで切りつけられても、誰も助けてくれません。
一人小屋の中、震えていました。
ただ仲良くなりたかっただけなのに、と。
そんな翌朝。暖かな温もりに包まれて目を覚まします。
小屋に立ち寄った少年が毛布をかけてくれたのです。
そして、怖がるサキュバスにパンとスープを差し出して微笑みました。
その瞬間。
サキュバスは恋をしたのです。
少年はサキュバスの疑問にいつも正直に答えて、いつも真面目に協力してくれました。
一緒に作物を育てたり、水の上で遊んだり。
一緒にご飯を食べて、眠る。
村の人達にも沢山声をかけてくれました。
サキュバスのとんでもない思いつきで、いつも振りまわされる少年。
それでも少年は、いつも笑ってくれました。
そんなある日。
大きくなった少年はサキュバスに指輪をプレゼントしました。
『これは人間になれる指輪だよ。僕のお嫁さんになってください。君のことを必ず、守るから。』
サキュバスは嬉しさでいっぱいになりました。
でもサキュバスは知っていました。
毎晩、村の人達に酷い目に合わされていることを。
そして、自分の仲間のサキュバスに、その命を狙われていることを。
少年は強い愛で、ほかのサキュバスの力を跳ね除けていました。
それでもサキュバスは心配でならなかったのです。
とっても、嬉しい。けれど、人間になってしまったら、少年を守ることができない。
少年には幸せになって欲しい。
自分のような悪魔とではなく、幸せな暮らしをして欲しい。
そう思い、嘘をつきました。
『お前を食べるために嘘をついていたのさ。お前のことなど好きではない!人間と悪魔が結婚などふざけるな!』
サキュバスは、瞳にいっぱいの涙を溜めて、その場からいなくなりました。
その後サキュバスは少年を狙う仲間のサキュバスを全て倒し、命からがら逃げてきました。
これで同族から恨まれる存在となりました。
もう、どこにも彼女の居場所はありません。
これで良かったんだと。
でも翌朝、怪我はすっかり良くなり心地よく起きられます。
『逃げよう。一緒にどこまでも。僕は君のことを愛してる。』
指輪をそっと左手の薬指にはめて少年は言いました。
少年は全て知っていたのです。
サキュバスは幸せそうに笑いました。
ーーーーーーーーー。
この絵本を読み終えた時、なぜだか涙が止まらなかった。
どうしてか、それは分からない。
でもきっとこれはエリスさんの願いが込められている気がした。
「とっても、素敵なお話でした。」
「私も……そう思うよ。素敵で綺麗なお話だ。」
「お話も綺麗でしたし、悪魔のこともよくわかるようになっていますね。教育にもいい気がしました。」
ベルゼの知識を頼りにするなら、悪魔に子孫繁栄や恋愛という感情はない。
子供と言うより、眷属はいくらでも増やすことができるからだ。
食事をすることもない。
魔力さえあれば彼らは存在できるからだ。
サキュバスという種族も存在せず、悪魔に男女の概念なんてない。
でもアスモデウスという悪魔は人に恋をしたらしいし、ベルゼは食事を好む。
だが、どちらとも悪魔にとっては稀有な存在だ。
つまり問題なく悪魔という存在をうまく伝えている。
そう感じた。
「少年のようになれる男はきっと、いい大人になれるんだろうね。」
「ソロモンさん?」
「いや、なんでもないさ。」
ソロモンさんはどこか遠くを見つめるように、寂しそうな顔をした。
ーーーーーーー。
絵本を読み終えて数分、ベルゼとべオルが現れた。
いつの間にかソロモンさんの隣にはバルバトスさんがいて、不敵に微笑む。
あれ、バルバトスさん今日も眼鏡してない。
あれ伊達だったのかな。
「朝食を済ませてから話したかったが、悪魔の割合が多いからね。先に話を進めようか。」
言われて気がつく。
悪魔が三体という異常な光景が成立している。
「先に質問だ。爺さん。昨日俺らがあそこで戦ってるってよく気がつけたな。タイミングもバッチリだったしな。しかもかなり前からそこの悪魔に監視させてたよな。お前、何が狙いだ?」
「もう少し駆け引きしなよ。ストレートすぎるよ、君は。」
「俺はめんどくせえのが嫌いなんだよ。考えるのも駆け引きすんのも、だりい。スパッと簡潔に頼むわ。」
「君だって、ずっとこの家に住み着いていたじゃないか。」
「急に半身の封印解けたら、そりゃあ来るだろ。」
「ならちゃんと管理しててよ。」
「やだよ、めんどくせえ。それに本はルシフェルが管理してたはずなんだよな。だから、どこにあるか知らなかったんだよ。急に間球で気配感じたから、飛んできたってわけ。」
「はあ。適当だね、君は。」
べオルが話を進めさせる。質問するだけしてべオルは畳の上に寝転がる。
ベルゼは呆れてため息をついている。
ここまでの話、以前のアタシなら置いていかれていただろう。でも、今はベルゼとの記憶共有があるから話についていける。
バルバトスさんは屋敷で働くようになってから、ずっとアタシとベルゼを監視していた。
べオルもベルゼも気がついていて、気がついていなかったのはアタシだけだ。
出会った時からそうだけど、ソロモンさん、バルバトスさんは謎が多い。
ベルゼたちの話が逸れたところで、本題に戻すようにソロモンさんは話し始める。
「盛り上がってるみたいだけど、質問に答えよう。簡潔にいえば、監視のためだね。ベルゼは研究対象だ。もちろん豊華さんの力も知る必要があった。」
「僕たちを助けられたのに助けなかったのは?」
なぜ監視をしていたかの問いには答えてくれた。次はなぜ助けなかったのか、という部分をベルゼが質問する。
助けてはくれたけど、狙ったようなタイミングだった。ほかのタイミングでも助けられたのではないか。
助けてくれていれば、もっと穏便に済んだのではないか、そういう質問だ。
「考えてみてください。あなた方が戦っても勝てないような相手なんですよ。私はソロモンを呼ぶことで精一杯でしたよ。」
割って入るように、監視していた本人が説明してくれる。
バルバトスさんの手に負える事態を、超えていたという事だろうか。
「…………豊華さんとベルゼが離れるとは思ってなくてな。それは本当にすまないと思っている。」
申し訳なさそうに頭を下げる2人。
「い、いえ!こうして助かったんですから!いいですよ!」
私は慌ててフォローするが、べオルとベルゼの2人を見る目は鋭かった。
確かにあまり答えにはなっていなかった。
つまりアタシとベルゼが離れたことで、対応が遅れた、ということらしい。
きっとバルバトスさんに出されていた命令は、ベルゼの監視がメインなんだろう。
納得できないけど、納得するしかない。
「質問していいなら、アタシからも質問いいですか?」
「どうぞ。」
アタシは空気を変えるために、他の質問を捻り出す。
「結局アタシたちに何をさせたかったんですか?昨日のミカエルの事は偶然でしたけど、ベルゼが悪魔だって、最初からわかってましたよね。」
空気を変えるために質問したが、いつもはぐらかされていたため、詰めるように聞いてしまう。
「そうだね。順を追って説明しよう。今日話したいのもそれだ。……前に豊華さんには、影の魔獣に襲われたところを助けてもらったね。」
「ええ、それがきっかけで色んなことが起きましたね。起きたというか、起こされたような感じでしたけど。」
何を話し始めるのかと思えば、出会った時の話からだった。
「全てわかっていたことだったんだ。このバルバトスの未来を予見する力でね。」
前にも言っていた未来を見る力だったか。それを通して、全て知っていたということだろうか。
「わかっていた上で何もしなかった……ということですか?」
疑問は尽きない。あの時感じた仕組まれたような感覚には、納得が行き始める。
それでもまだ、質問の答えには至っていない。
そのうえでバルバトスさんは今のアタシの質問に答える。
「私の力は万能ではないのです。不用意に未来を変えようと動くと、予想もできないようなことが起きます。そのためいつも、いくつもある世界の可能性からひとつを選択するのです。その結果、今日この場で皆さんが集まっている未来を選んだ。これが一番皆さんが安全な世界でしたからね。……恵実さんはどの世界でも心を壊してしまいました。この世界が1番まともだったのです。それは本当にすみません。」
再び申し訳なさそうに謝るバルバトスさん。変えられないこともあるということか。
「いえ、お2人ができる限りのことをしたのは何となく分かりました。……恵実の事はアタシにも責任ありますから。」
アタシは一言そう告げると、再び聞く姿勢に戻る。
ここまで話を聞いているが、結論は見えてこない。だが、ここまでの話は道筋に過ぎないのだろう。アタシ達は黙って聞くことにした。
「そのうえで何をさせたかったのかという質問だが、豊華、君は何故か影の魔獣を引き寄せない力があった。君と巡り会う世界だけ、影の魔獣の被害から生き延びることができたんだ。……さらに魔王であるベルゼの封印を解くことが出来た。……そして、君たちの監視を続け、完成したんだ。本物の『ソロモンの指輪』が。」
「本物の……ソロモンの指輪?」
ソロモンさんは懐からひとつのケースを取り出す。
それを開けると、ごく普通のリングが当てこまれていた。
黄金にきらめく指輪は、特に何も感じられない普通の指輪と遜色なかった。
「未来で見えない部分は好きに動いていいんです。豊華のその力はきっと研究の助けになる。そう思い、そのままの未来を受け入れた。誰も犠牲になることなく、興味深い力を持つ豊華と知り合うことが出来るこの未来を。」
「ここから先の未来はどうやっても見通せなかった。だから、これは賭けだ。君にこの指輪を託したい。」
「託す……?」
「この指輪は唯一、アリスの魔力を完璧に封じることができる指輪なんだ。この指輪を彼女に渡して欲しい。」
深々と頭を下げるソロモンさん。
これがアタシにやらせたかったこと?
「この指輪は君の力を解析したことで、完成できたんだ。今までの指輪はアリスに渡したが、72個以上作ると必ず壊れた。そして、何度指輪や他の抑える手段を渡そうとしても、必ず影の魔獣が現れて壊されてきた。君にしか出来ないことなんだ。」
アタシにしか出来ないこと。
その言葉にアタシの胸は大きくときめいた。
断る理由が見つからなかった。
今なお、魔力で苦しむアリス。
これがもし、上手く行けば、世界中で魔力に苦しむ人を助けられるかもしれない。
それをアタシにしか出来ないとお願いされたのだ。
受けよう。この依頼。
アタシは迷うことなく手を伸ばす。
「止めないのか?あいつ受けるぞ。」
「いいんだよ。僕の主はそういう人だ。」
「影の魔獣、きっと面倒なことになるぞ。」
「なら……僕が守るよ。」
「……そうかよ。」
アタシはベルゼに視線を送る。
ベルゼは迷うことなく、頷いてくれた。
「受けます……その依頼。」
「ありがとう。」
ソロモンさんは穏やかな笑顔を向け、アタシに指輪を手渡す。
その刹那。
「あがっ………!?」
「……え?」
ソロモンさんの胸をバルバトスさんの腕が貫いていた。
「困るんだよ。それは。」
「バルバトス……お、お前……」
「楽しかったよ。人間。お前との友だちごっこはな。」
「な、に……?」
「そうそう。エリスもそういう顔して死んで行ったよ。」
「おま……えが、エリスを………」
ソロモンさんは吐血し、その場に倒れる。
アタシは目の前で起きたその光景を驚愕しながら見つめ、後ずさりする。
「豊華!!!」
ベルゼの声で意識が覚醒するが、時すでに遅く。
バルバトスさんがアタシの腕を掴み、指輪を奪い取る。
「いたっ……!?ど、どうして!?」
アタシは一度、宙吊りとなるが、すぐに離され床に振り落とされる。
見上げて困惑しながら、声を出すが答えはかえってこない。
バルバトスさんは不敵な笑みを浮かべると、指輪を握りつぶす。
粉々になった指輪を倒れているソロモンさんにかけると、頭部を踏みつける。
その行為にようやく状況が呑み込めてくる。
ようやく完成した指輪を、今壊した?
誰よりもそばで見てきたバルバトスさんが?
バルバトスさんは何度もソロモンさんの頭を踏みつけ、心の底から嬉しそうに微笑む。
今、理解した。
アタシは大きな勘違いをしていたことを。
目の前にいるのは
悪魔だ。
こいつは悪魔だ。悪魔だったんだ。
ソロモンさんを裏切ったんだ。
アタシは今になってその恐ろしさを知った。