わたくしとの婚約を本当に破棄してもよろしいのですか?…しちゃいましたね?でしたら殿下の今後はもう知ったこっちゃありませんわ
「エルネスタ・シェルドワーニュ!私は其方との婚約の破棄をここに宣言する!」
舞踏会の会場がざわめいた。よく通る澄んだ声で全く笑えないことを宣言した彼は、皇太子オーガス殿下。その影からは、小動物のような愛らしい女性が不安げにこちらをうかがっている。男爵令嬢のアンナ様だ。
…全く予想できなかったわけではないけど、まさか本当に言い出すだなんて。
「…あら、オーガス様。本気でございますか?絶対に後悔されなくて?」
わたくしは、エルネスタ・シェルドワーニュ。前王の弟の娘、傍系王族である。
「当然後悔などするわけがない!私は愛するアンナとともに生きるのだ!これを見ろ!」びりっ。
静まり返ったホールで、その音はやけに大きく響いた。
…あー、やっちゃった。
「了解いたしました、つまり殿下は皇太子の座を降りられるということですね?」
「何を言う!?私が皇太子に決まっているではないか!」
「殿下は何もご存知ではないのですね…」「は?」「殿下は平民の子なのですよ」
「どういうことだ!?エルネスタ、説明しろ!」
「…エルネスタ様の手を煩わせる必要はありません」「アレックス様?」
進み出たのは、第二王子のアレックス様。同い年なのにとても賢くて尊敬していますけれど、関わりは浅いです。
…最低限の関わりしかない彼が、どうしていきなり?
「貴女は下がっていて大丈夫ですよ」わたくしを庇うような場所に立ち、オーガス様と向かい合う横顔はとても真剣なものでした。
「兄上、私から説明します」
彼はすらすらと語り始めました。
これは、父上が若かりし日。父上は公爵令嬢の母上と政略結婚しました。
皇室の者としての責務は完璧に果たし、国民からの信頼も厚く、母上は身内の贔屓目を抜きにしても国母として完璧な方です。しかし、父上との結婚に恋愛感情は全くなく、それでいいと思っていらっしゃいました。
また、父上にとっては母上は完璧すぎて息苦しい存在だったようです。
もともと父上は、身分関係なく気になる女性には簡単に手を出す方だったので、義務や貞操を重視する母上とは合っていなかったのでしょうね。
母上が、一人目の子、要するに私達の姉上が出来たのでもう最低限の役目は果たしたと言い、閨事に対して積極的でなかったこともあります。
色事好きの父上としてはとてももの足りず、しょっちゅう城を抜け出して身分を偽り花街で遊んでいたそうです。
そこで、父上は『愛する人』と出会いました。とても儚げで美しく、かつ体も魅力的な方らしいです。
情のない母上への当てつけもあったのでしょう。何度も彼女のもとに通い詰め、数え切れぬほど抱き、当然の結果として孕ませました。
彼女との間に生まれた男子はあまりに愛らしく、どうしても手元に置き次の王として育てたいと考えてしまったのです。
まあそれはどうしようもなく揉めますよね。なにせ、正妻との子がいるのに、庶子を皇太子に据えるなんて、あまりに無茶振りです。しかも身分も何もない女との子なのです。
それでも父上は愛する女との子を溺愛していましたから、何が何でも諦めませんでした。
そこで、傍系王族のエルネスタとの婚約が結ばれたのです。
それに伴い、彼は父親と叔父、そして王妃と契約を交わしました。
一、王妃が養母としてオーガスを育て、
生母とは一切関わらせない。
一、オーガスが皇室の者として遇される間は、
今後王妃との間に男子が生まれても、
その子は皇太子としない。
一、オーガスは、エルネスタとの結婚をもって
王となる。また、結婚がならなかった場合、
廃太子され、皇室から除名される。
一、オーガスが皇室の者として遇される間は、
彼が庶子だということは秘匿する。
「ということです」「う…嘘だ、そんなの嘘だ!私は騙されない、認めないぞ!!」
「でしたら、壇上の父上と母上にお聞きしてはどうですか?」
「ち、父上!こんなの嘘ですよね?エルネスタとアレックスは私を陥れようとしているだけでしょう!?」「はあ……すまないが、本当のことだよオーガス」
「母上…!私は母上の息子でしょう!?どうかそう言ってください!!」「馴れ馴れしくしないで頂戴。貴方がエルネスタ嬢との婚約を破棄した以上、わたくしが貴方の母である義務は既にないわ」
オーガス様は最後の頼みの綱とばかりにわたくしに手を伸ばします。
「エ、エルネスタ!!長年婚約者として連れ添ってきたのだぞ!!其方に情というものはないのか!?」
「あら、情も何も、殿下がわたくしではなくアンナ様を選ばれたのでしょう…?」
「もう殿下でもなく、ただのオーガスですよ」「おっ、おい!?」
冷たい目をしてアレックス様が言い放ちました。
「貴方がエルネスタ様を大事にするのであればそれで良かったのです。そうしたら、私は弟として貴方とエルネスタ様をお支えしたのに…」
「だ、だったら!エルネスタ、今からやり直そう!一生大事にするから!!」
「駄目です」何故かわたくしが返事をする前にアレックス様が言いました。
「今更未練がましくされたところで、もう契約はたった今、貴方の手で破棄されましたよね?」オーガス様の顔色がどんどん蒼白になっていきます。
「もうこれ以上我慢なりません。エルネスタ様は私が幸せにしますのでご心配なく」
…!?!?
手を取られる。「ちょっ?!」「父上、母上。今この場で、私とエルネスタ様の婚約を承認していただきたく思います」「……許そう」「許します」
「な、何をいきなり」「驚かせてごめんなさい。……本当はずっとお慕いしておりました」
…いきなりそんなこと言われても。
「ずっと、ずっと大切にすると誓います。私との婚約を、どうか受け入れてもらえませんか?」
真剣な眼差し。オーガス様とは、こんなふうに正面から見つめ合ったり心の内をさらけ出したりすることはなかった。
「…よろしくお願いします」
「エルネスタ!お前尻軽すぎるだろう!?こんなにすぐに別の婚約を決めて!!」「オーガス」
「アレックス様、わたくしがお話させてください」「…分かりました」
オーガス様。ずっとわたくしの婚約者だった方。恋にはならなかったけれど、貴方を支えようとわたくしはずっと頑張ってきたのに。
「先に浮気なさったのも、婚約を破棄されたのも、オーガス様です」
責めたい気持ちは大きい。けれど、わたくしが愛をオーガス様に捧げられなかったこともまた事実。物足りないと思われるのも、しょうがない面はある。でも、
「恋は恋、結婚は結婚で分けて考えてくださればよかったのです」
そうしたら、わたくしは王妃様のように模範的な妻となったでしょう。
…今更考えても仕方のないことね。
それに、わたくしも、アレックス様の瞳の中の熱に心が揺れてしまいましたし、もう戻ることはできません。
…結局、誰もが恋という得体のしれないものに翻弄されるのです。わたくしもしかり。オーガス様のことばかり責められないのよね。
「当然、後悔などするわけがないとおっしゃいましたよね」「あ………」
「愛するアンナ様と、末永くお幸せに。それではごきげんよう」
後日。
平民となったオーガスは、あれほどまでに傾倒していたアンナに振られたらしい。
噂で聞いた話、「わたしは玉の輿に乗って王妃になりたかったのです!平民の妻なんかには絶対にならないんだから!!」と叫んで、オーガスを張り倒したらしい。
…裏表のあるタイプって怖いわね…。
わたくし自身について?ああ。皇室から慰謝料をいただきました。
それと、今はアレックス様と仲を深めつつあります。
「エルネスタ、大好きです、貴女が私の婚約者になって本当に嬉しい」
澄んだ目がくしゃりと細くなった様子がとても可愛いです。きらきらしています。
…心臓がうるさいです。
「…父上を脅して根回しした甲斐があったよ」「…?なにか言いましたか?」
ぼそりとなにかを呟いたようですが、聞き取れませんでした。
「何でもないですよ。これから、ふたりで幸せになりましょうね」「はい」