密かな逢瀬
「時間がもっと欲しいな。今度はいつ会えそうだろうか」
まさかの申し出で、八重は飛び上がりそうになるほど驚いた。
「夕方でしたら、夕食のお買い物に出掛けるついでに立ち寄ることが可能です」
それでも平静を保って応える。本当は買い出しの係は他の使用人の役回りだったが、なんとか変わってもらえると思い、返事をした。浅黄は喜んで鞄から次の本を差し出すと、ではまた一週間後、夕方にこの公園で、と言った。浅黄との約束が嬉しくて、八重も頷いて返事をする。八重が公園を出ていくのを浅黄は見送ってくれて、後ろ髪を引かれるとはこういう感情のことを言うのだと、八重は胸いっぱいの気持ちで思った。
それからというもの、買い物の役回りを他の使用人から変わってもらいながら、公園に赴いた。浅黄はいつも新しい本を貸してくれて、会うたびに読後感想の共有で二人は盛り上がった。浅黄は時々本と一緒に甘いものを買って来てくれて、話をしながら八重はそれをご馳走になった。特にあんパンは食べたことのないものであり、八重は目を輝かせて頬張った。
「ははっ、八重さん、頬にあんがついてしまっているよ」
「えっ?」
恥ずかしい指摘をされて、八重は頬を拭った。しかし浅黄は違う、と言って手巾をポケットから取り出すと、八重の頬を拭った。真っ白な手巾はあんが付いて汚れてしまった。
「すっ、すみません! 私、洗って返します!」
美味しさに我を忘れた恥ずかしさと、真っ白な生地に黒いあんがつくった染み、という絵面に動揺して、浅黄の持っていた手巾に手を掛けると、思わず浅黄の手に触れてしまい、パッと手を離した。そのしぐさに浅黄が笑う。
「そのようにされると傷付くなあ」
「す、すみません……。浅黄さまが悪いという事では、決して……!」
「はは、分かっているよ。八重さんが男性に慣れていないんだよね」
「は、はい……」
男性という意味でもだが、なにより浅黄の手だったからだ。しかしそんなことは伝わらなくていい。コクコクと頷き、差し出された手巾を受け取った。
「きちんと綺麗にしてお返しします」
「気にすることはないよ。汚れを取る為に、持っているのだから」
「は、はい。でも必ず!」
きゅっと手巾を握ると、浅黄が八重の頭を撫でた。
「君は良い人だね。賢くて、まっすぐで、やさしくて」
「い、いえ。家ではいつも愚図だと言われます。私が気が回らないからだと思います」
「まさか!」
浅黄は驚いたように言うが、いつも叔母からはそう叱られていたので、愚図なのは事実なのだと思う。浅黄は八重の言葉にしばし考えたような様子を見せて、そうか、とひと言呟いた。
「では、これが今週分の本だよ。また感想を聞かせてくれ」
「毎週毎週、本当にありがとうございます。どれだけ疲れていても、夜に本が読めると思うと、お仕事にも精が出ます」
「そうか、それはよかった。さあ、そろそろ時間だね。また来週会おう」
浅黄がそう言って八重を送り出してくれる。八重は新しく借りた本と手巾を持って、名残惜しく公園を後にした。
「八重。最近買い物に出ては公園で油を売っているところを、近所の人が見たと言っています。その上、男性と一緒だという事ですが、それは本当ですか?」
家に帰ると叔母が玄関で待ち構えていて、詰問された。咄嗟に言い訳も出来ずにいると、そのままパン! と頬を叩かれた。
「なんてふしだらな子だろうね! そうやってあやめの立場を悪くしようというのですか!」
「い、いいえ、奥さま。そのような気持ちは、決して……!」
「その気がないなら、何故斎藤家の名を貶めるようなことをするのですか! お前には私たちに養ってもらっているという感謝の気持ちが足りない! なんです、その手巾は! 男物じゃないですか!」
「あっ……!」
手巾を叔母に取り上げられて八重は追いすがったが、男物の手巾に叔母の怒りはますます高まった。
「やっぱり近所の人の言うことは本当ですね! 八重、お前は今後家から出るんじゃないありません! あやめは今が大事な時なんです、お前が足を引っ張ってはいけない!」
再び頬を叩かれて、八重はその場に倒れた。腹いせ紛れに叔母が八重の腹を蹴る。
「本当に厄介ごとしか呼ばない子だね! 反省しなさい!」