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かしづく日々

*




八重の家は勲功を治めたことによる子爵家で、つつましやかな暮らしをしていた両親だったが、豊かな財を惜しみもなく一人娘の八重に使った。八重に掛ける父母の愛情は底深く、幼い頃から勉学に励み、習字や茶華道、ピアノなどを習い、ゆくゆくは貞淑な令嬢と目されていた。




ところがその両親が、流行りの感冒を悪化させて相次いでこの世を去った。齢十四の八重は男爵である叔父の家に預けられ、小学校を卒業した後、女学校に進むことを止めさせられた。




叔父の家には同い年の従姉妹がいた。物静かな八重と違い、派手なことを好む従姉妹は、八重が両親からの形見として持って来た着物も帯もかんざしも何もかもを取り上げて自分のものにした。人に逆らったことのなかった八重の必死の抵抗は、居候だからという一言でなかったことにされ、また父の財産を継いだ叔父もそれを止めず、おまえは居候なのだから、と、八重に使用人の仕事を宛がった。




元来おっとりした八重だったから、叔父の言動に反抗などできなかった。愛情深く豊かな生活は過去になり、叔父一家にかしづく日々が続いていた。




「八重! いつまで掃除をしているの! 雨が降りだしそうなのに、洗濯ものも干したままで!」




その日も叔母から叱責が飛んだ。廊下を雑巾がけしていた八重は、仕事が遅いと言って、持っている木の棒で八重の腕を叩いた叔母に向かって頭を下げ、申し訳ありません、と謝罪する。




「本来だったらお前のような愚図など、役立たずとして家を追い出してもおかしくない所ですよ! それを使ってやってることに、感謝はしているんでしょうね!?」




「はい、奥さま。至らない点が多く、申し訳ありません」




八重を見下ろす叔母にもう一度頭を下げて、謝罪する。廊下に額を擦りつければ、更に用事を言いつけられる。




「掃除は直ぐに終わらせなさい。洗濯ものを取りこんだら、あやめに傘を届けなさい。あの子、今日、傘を持って行かなかったから、雨に濡れると風邪をひいてしまうわ」




あやめと言うのは八重の従姉妹だ。今日は女学校の友達と新しく出来たカフェーへ行くのだと、朝、楽しそうに話していたのを、身支度を手伝っていた八重は聞いていた。




「はい、わかりました、奥さま。急いで傘を届けてきます」




「ああ、それから、帰りにお饅頭を買ってきて。午後にお茶を入れますから、そのお茶うけよ」




「はい、必ず」




言うことを言ってしまうと、叔母はもう八重に興味をなくしたように背を向けて去って行った。廊下の掃除はまだ終わっていないし、叔母の言うように雲行きも怪しい。早く掃除と洗濯ものを片付けて、あやめに傘を届けなければ。八重はあわただしく動き始めた。長い廊下を冷たい水に浸した雑巾で拭ききり、雨が落ちる前に干していた洗濯物を取り寄せ、たすきを外して家の裏戸からあやめの華やかな洋傘を持って、学校へ向かった。




どんよりと黒く垂れこめた雲が空を覆う帝都の街には、あたたかそうなインパネスコートやショールを身に着けた人々が行きかっていた。その中を、ぼろの紬だけの身なりで、俯いて歩いていく。顔を上げれば、華やかな装いの人々に、羨ましい気持ちが出てしまうからだ。




(身寄りのなくなった私を引き取ってくださったんだもの。おじさまもおばさまも、悪い人じゃないわ)




はあ、とあかぎれだらけになった手に息を吹きかけ、あたためながら女学校へと急ぐ。山手の一画にあるその女学校は、軽快なバランスの取れたフランス詰みの緋色のレンガ造りの建物で、丁度授業が終わったところだったのか、学生たちが煉瓦門をくぐって出てきているところだった。八重はその正門から出てくる生徒を見逃さないでいられる、少し離れた場所に立った。門の前には迎えの人力車がいっぱい待っていたからだった。


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