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鬱金桜の君  作者: 遠野まさみ


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身分差の壁(3)

「あやめさんが受け取られました。私は斎藤家に奉公に上がっている身ですし、たとえ宛て名が私でも、受け取れるはずがございません」


「何故だい? 君に似合うように桜の花の柄を選んだのに」


浅黄は気分を害したように眉間にしわを寄せた。よく考えればわかることなのに、何故この人には分かってもらえないのだろう。


「私は身分も何もない奉公人です。そんな人間が侯爵家のご子息からの贈り物など、受け取れるはずがございません」


「君は読書を嗜める教養もあるし、立ち振る舞いも粗野ではない。なにか事情があるのであれば聞くが」


そんなことを知って、どうしようというのだろう。八重が叔父や叔母を頼らないと住む場所もないことは変えられないのに。


「事情などございません。私、今日は浅黄さまにお別れを言いに参ったのです。私は斎藤の使用人で、本来でしたら、浅黄さまとお話出来るような立場のものではございません。たびたび家を抜けることも、難しくなるでしょう。もうこの公園にも来ません。今までありがとうございました。私のこれからには楽しいこともなくなりますが、浅黄さまはどうか素敵な時をお過ごしください」


失礼します。そう言って八重はその場を離れようとした。その八重の手頸を浅黄が握って止める。大きい手に握られて、手首がどくどくと脈を打っているのが分かる。


「じゃあ、尚更あの着物は君が受け取ってくれないか。僕だって誰彼構わずあのようなことをしているわけではない。君が困っていたから、助けたくてそうしたんだ。君が着物を受け取ってくれたら、僕はもう何も言わない」


浅黄の言うことは難しいと思う。あの家であの着物が八重のものだと信じている人は、使用人も含めて誰も居ない。そんな中、着物を取り返すなんて、できっこない。でも浅黄に納得してもらうために、八重は首肯した。


「……あやめさまに話をしてみます。それでいいでしょうか……」


「ああ。僕は君にあの着物を受け取ってもらいたいんだからね」


まるで着物を取り返せる未来があるかのように、浅黄が言う。出来ないんです、とは言わずに、八重は浅黄と約束をして、公園を出た。





家に帰り、あやめの部屋を掃除する傍ら、贈られた着物の桐箱を確認する。麗筆な文字で書かれた『斎藤男爵家 八重様』の文字が、一層むなしく目に映る。するとそこへあやめが帰って来た。


「お前、私の部屋で何をしているの!」


「あやめさま。この蓋に書かれた文字、これは私の名前です。宮森さまが、傘を貸したお礼にと贈ってくださったものなのです」


「以前、その話で饅頭を盗んできたことへの言い訳にしたと聞いてるわ! 使用人風情のお前が宮森さまに恩を売るだなんて話を、誰が信用しますか! 作り話でわたくしから着物を奪おうというの? お前は本当に根性が曲がっているわね!」


座っていた八重の背中をあやめが足で蹴る。倒れ伏した八重の額に桐箱の角があたり、額に傷が出来た。


「お前の汚い血で大切な箱を汚さないで頂戴! 今夜は宮森さまもご出席されるパーティーがあるのですから、こんなところで油を売っていないで、早く仕事をするのね!」


一向に八重の話を聞こうとしないあやめに、もうこれ以上言っても無駄だと思い、八重は部屋を辞した。





夜のパーティーの為に、あやめは八重に身支度を手伝わせた。あかるい空色の着物はあやめの華やかな美貌に似合っており、八重が自分のものだと豪語するものとはとても思えない。


「お前にはこの素晴らしい着物は不似合いよ。どう口が曲がったら、この美しい着物を自分のものだと言えたのでしょうね」


きろりと八重を睨んで、支度を終えた両親のもとへ行く。俯いたままの八重は、馬車に乗ったあやめたちを玄関で見送っていた。


パーティー会場には華族や政財界の要人が集っていた。あやめも心弾む思いで会場へ足を踏み入れる。


「お父さま、お母さま。こんなに素敵な着物を頂いたんですもの、宮森さまにご挨拶しなくては」

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