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鬱金桜の君  作者: 遠野まさみ


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身分差の壁(2)

「奥さま、あやめさん。ここに宛て名が書いてあります。これは私宛ではないのですか……?」


どうしてもその場を動けない八重にしびれを切らした叔母が部屋から戻ってきて、八重が抱えていた桐箱を奪ってしまう。


「お前のことなど知らない宮森さまが贈り物をするわけないでしょう! あやめのことは見合い写真を送ってありますから、ご存じのはずです! あやめのものを盗もうとするなんて、お前は大した泥棒猫ですね!」


叔母はそう言って桐箱の門であやめの腰を殴打し、それを持ってあやめの部屋へ行ってしまった。本来だったらここで引き下がるべきだ。でも浅黄はあの別れ際に斎藤家に話を通すと言っていたし、桐箱の宛て名は確かに八重だった。だからあの桐箱の贈り主が浅黄のような気がしてならなかった。八重は二人を追いかけてあやめの部屋に行き、空いている襖の間から中の様子を覗き見た。部屋の中ではあやめが桐箱から出したと思しき着物を自分に当てており、着物は桜の柄が美しい空色の着物だった。八重は浅黄の言葉を思い出した。


――――『君は春の青空に誇る桜のように笑う人だね』


もしかして、その気持ちを込めて選んでくれた着物なのではないか。そう思った。しかしあやめたちに浅黄と会っていたことを告げると、斎藤家の品位を下げたと罵られるような気がして怖かった。口で何を言われても我慢できるが、厳しい折檻が怖い。叔母から常時受ける折檻だけでも体に出来たあざが消えないのに、あやめも加わったらどんなにひどいことをされるだろうと、八重はもう口を挟めなかった。


(お話出来ただけでも、奇跡的な方だったのよ……。私はもう、子供の頃の私じゃないんだし……)


両親が居れば、また違っただろうか。それとも浅黄が読後感想として述べたように、結局八重と浅黄は縁がない運命なんだろうか。家紋入りで着物を贈ってくれた真意は何処にあったのだろうか。通すつもりだった話とは、いったい何のことだったのだろうか。華族である浅黄が、……下働きでしかない八重に対して。まさかとは思うが。


(……いいえ、そんなことありえないわ……。浅黄さまは、おうちの役に立つためのお相手を選ばれるはず)


それが華族の結婚というものだ。あやめだってそうである筈。だから結局、八重はひと時の思い出を胸に、浅黄のことを過去のこととしなければならない。……ジクジクと、熟れた柘榴ざくろから実が飛び出すように胸が痛む。幼い頃の淡い黄緑色の思い出が、そんな色になってしまったことがとても残念だった。


叔母とあやめは宮森家からの贈り物が届いたことで一気に機嫌がよくなった。些細な事にも八重に対して難癖をつけていたのが嘘のように、この三日間を過ごした。八重は買い物に出ることを許され、家を出た。……公園に近づくにつれ動悸が激しくなるのは、気の所為ではない。公園の通りへ抜ける角からすらりとした体躯の洋装の男性が、公園の長椅子に座っているのが見える。八重は角を曲がらず、公園の通りの一本裏……、つまり今歩いている道をまっすぐ行くべきだった。


(ああ、でも、お会い出来るのも、これが最後かもしれない……)


もう会わないと、そう言わなければいけない。そう思うと、角を曲がらないという選択肢はなかった。八重はおずおずと公園の入り口に立ち、浅黄に向かって頭を下げた。浅黄は冬の空気が春になってぬるむように表情を変え、椅子から立ち上がってこちらへやって来た。


「やあ、八重さん。来てくれたということは、おうちに許可を貰えたのかな」


「はい。奥さまは大層喜ばれておりました」


謝意として、頭を下げる。浅黄はうずうずした様子で言葉を継いだ。


「君は? 君は喜んでくれなかったのかい?」


浅黄の常識を欠いた発想を残念に思う。どうして八重があんな高価な着物を受け取れると思ったのだろう。斎藤家にはあやめが居るのに。


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