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あれから一週間、ブロムベルク王国からはなんの頼りもない。
むしろこっちから出向いた方が良かったかしら。
そう考えていた矢先、リタが私を呼びに来た。
「ヴィア様ぁー!ダンジョンの中に見慣れない者がいるわ」
「見なれない者?」
冒険者ならそう言うだろうし、盗賊なんかも死んだ冒険者の剥ぎ取りしに来ようとするので別に珍しくもない。
一体誰だ?
「どんな人なの?」
「んーと、二人組でね。一人は多分女よ。フードを被ってるけど、ライトピンクの長い髪がこぼれ出てたから」
その説明でもしやと思った。
もしかして、ユリアーナ?
いやでもユリアーナはルドガーの婚約者だから今頃王宮で王妃教育でも受けている頃の筈よ。なんでわざわざこんなダンジョンの中に入ってきたの?
「あともう一人は子供みたい!」
ユリアーナって妹弟いたのかしら。設定には出てこなかったけど、最早設定とか今更かもしれないわね。
兎に角会いに行ってみようかしらと呑気に立ち上がった時、リタが重要なことをこぼした。
「あ、急いだ方がいいと思うわ。子供の方、死にそうな顔ししたから」
「急いで案内して!」
【ユリアーナ視点】
私の家であるリーネル家は元々伯爵家だった。
ある日祖父が事業に失敗し、男爵位に転がり落ちた。そこからはあっという間で、気がついたら没落寸前となっていた。
我が家を立て直すには自分より位の高い貴族へ嫁ぐしかない。父も母も、なけなしのお金で兎に角私を着飾り見目の良い娘へと仕立てるのに必死だった。
貴族としての生活しか知らない両親は勿論市井に出て働くなんて考えられない。私が失敗すれば一家揃って首をくくるしかないと美しいネックレスをつけながら毎日毎日呪いのように言い聞かせた。
自分はともかく、妹のラーラをどうにかしてあげたかった私は両親のそれを受け入れた。
そんな時、たまたま学園の中庭でルドガー様に出会った。
その時は特に何か会話らしい会話をしたわけではなかったように思う。ただ殿下が落としたハンカチを拾ってお渡ししただけ。ただそれだけだった。
そのうち図書室や廊下、休憩スペースなどで何故かよく出会うようになったのだ。少し違和感を感じたけれど、それよりも母の呪いのように呟かれる言葉が頭をよぎった。
だからルドガー様に笑顔を向けられた時、私は色々な思いに蓋をして笑顔を取り繕った。
ルドガー様は少し怖い。何処へ行ってもいつの間にか目の前に現れるし、他の人と話せば面白くないと引き止められた。
何より私を見る瞳は父や母のそれの様に盲目的だった。私しか見ていないようで、実際は何にも見ていない。そんな瞳が私は苦手だった。
そのうち私とルドガー様の話が噂になると両親は泣いて喜んだ。絶対に私を未来の王妃とする為、祖父時代の友人を頼って私を高位貴族の養女にする話も飛び出した。
「絶対王妃になるのよ。私たちが生き残る道は貴女にかかっているわ」
そう何度も囁かれ、期待される私は自分がとうしたいのかなんて分からなくなった。ただ私が家族を助けなくてはという思いだけがあった。
あの方――シルヴィア様の私への怒りはもっともだったと思う。だけどシルヴィア様に怒鳴られても私は謝ることしか出来なかった。
ラーラの未来を守りたい。その思いだけで何とかやってきたのだから。
何が起きても私は止まることを許されなかったし、私自身止まっては行けないと思っていた。とにかく最後まで走り続けなければいけない。そ周りが見えていなかった私は事の重大さに気がついていなかった。
重大さに気づいたのは忘れもしない。シルヴィア様が断罪されたあの夜会の日だった。
ルドガー様は今まであったあらゆる問題を並べ立て、シルヴィア様を断罪した。
その内容の殆どは私自身が経験したことだったから分かりきっていたけれど、浮気した挙句自分自身の婚約者を断罪するルドガー様の気持ちはさっぱり分からなかった。
ただ分かるのは、私が二人の間に割って入ったということだけ。
浮気をしたのはルドガー様と私なのに誰しもがシルヴィア様を諸悪の根源として話す。
勿論モンスターを放ったりして良いわけではないけれど、少なくとも私はこんな風に皆の前で断罪することなど望んでいなかった。
じゃあどうしたかったのかって?
分からない。
私は自分のことが分からない。
自分自身にも置いていかれる私をよそに、話はどんどん大きくなっていく。
人々のささやき声は大きくなる。そのどれもが私には届かず、代わりに母のあの呪いのような言葉が再び蘇った。
『絶対王妃になるのよ。私たちが生き残る道は貴女にかかっているわ』
自分のせいで一人の人生が今めちゃくちゃになっているという事実に吐き気を催しながらも私は何も言い出せなかった。
母に付けられたネックレスがまるで首を絞めているかのような錯覚を覚える。
言葉が出てこない。
どうしたらいいのかも、どうしたいのかも分からないのに断罪されるシルヴィア様をみているのが苦しかった。
それでも私は何も言わなかったのだ。
そんな自分に私は失望した。
ただ驚いたように見開かれた金の瞳と伸ばしかけた腕が印象深く記憶に残った。
そうして私はシルヴィア様を見捨てた。
それから二年、私はルドガー様の婚約者として王宮で王妃教育を受けながら学園に通っていた。
その間は本当に忙しくて同じ家にいるのにラーラともすれ違っていた。
そんな中、ラーラが後天性覚醒をしたことを夕食前に知らされた。
私も家族も常人種だけれど、我がリーネル家では今までに後天的に亜人種になった者は割と多いと聞いている。
実際私達の叔母さんはある日突然鳥の亜人になった。
だから妹が覚醒したと聞いた時、きっとブロムベルクでも多く目にする犬の亜人や鳥の亜人にでもなったのかな思った。
なのに、妹が覚醒したのはネズミの亜人種だった。
それを知った途端、まず両親が豹変した。
「ラーラは降りてこないの?」
夕食に顔を出さない妹を心配して私が声をかけると母はなんでもない事のように鍵を掛けているからと言い放った。
「お母様……?どうしてラーラの部屋に鍵なんか……」
「ユリアーナ!!」
金切り声の様な母の一声。その後で猫なで声の様な気味の悪い声で私に言い聞かせた。
「貴女はこれから王妃になるのよ。なのにうちから日陰者が生まれてしまったことを知られたらどうなるか……!」
「何言ってるの……?!」
すぐに私はラーラを助けようとしたけれど父にも止められた。
発狂する母を止められず部屋へ近づけもしなかった。
次の日、私はルドガー様に相談した。
ルドガー様はいつも、必ず助けになるから何かあったら話して欲しいと何度も私に言っていたから。
王宮なら常人種に戻る方法も書いてあるかもしれないし、もしなかったとしても次期国王になる彼が味方してくれればラーラを王宮で匿えるかもしれない。
安易にそう思った私はラーラのことを話してしまったのだ。
しかし返って来たのは戸惑うような声とそらされる視線だった。
「済まないユリアーナ。王宮は太陽の一族の神聖な場所だ。日陰者を王宮へ入れる訳には……」
「そう……よね。変なことを言ってごめんなさい。今日は帰るわね」
「ユリアーナ!」
私の名前を呼ぶルドガー様の声を無視して私は家路に着いた。
これからどうしたらいいのだろうか。途方に暮れながら家に着くと笑顔の母が待っていた。
あんなに必死だった母の笑顔は明らかに異様だった。
「どうしたの?」
私が恐る恐る尋ねると母様は笑顔で答えたわ。
「喜んでユリアーナ!ラーラを常人種に戻す方法があるのよ」
「本当?!」
まさかの言葉に私は飛びついた。良かった。これでラーラはきっと元に戻る。ホッとしつつも、心のどこかで不安がよぎった。
王宮でも分からないことを母様たちが本当に知っているのだろうか。
私の不安が的中するように、階段を上る途中でラーラの悲鳴のような泣き声が響いた。引き止める母を押しのけて転がり込むようにしてラーラの部屋へと向かう。
「ラーラ!」
見えたのはベッドの上でネズミの耳があった場所を抑えて泣きじゃくる妹と、鋏を構える父の後ろ姿だった。
父様が持っていたのは大きな枝きり鋏。
普段は使わないで庭に放って置かれているやつだ。
「お父様!!何をするんですか!!」
慌てて二人の間に割り込むとラーラを背中に庇った。しかし父様は私の事なんてまったく見ていなくて、ラーラの大きな耳だけを親の仇のように見つめている。
「退きなさいユリアーナ」
「娘にこんなことをするなんて!どうかしているわ!」
「……っ、私達はこうするしかないんだ!」
私はようやく日陰者と呼ばれる人達の迫害を理解した。両親ですらこうなのだ。外で暮らす人々がどれだけ残酷なことか。考えるだけでゾッとする。
大体、自分だって同じようなことをしたじゃないか。
あの夜会の日、私がしたことはシルヴィア様を日陰者だと晒して追い出した。
私は両親と同じだ。
だけど、ラーラだけは守りたい。そんな都合のいい思いが許されるはずもないのに私は必死だった。
兎に角、もうここに居てはいけない。私は両親を睡眠魔法で眠らせるとラーラをギュッと抱きしめた。
「うぅ……ぇっ、ねーさま……っ!」
「ラーラ!私が必ず助けてあげるからね」
追いかけて来た母が何やら叫んでいたけれど同じように魔法で眠らせる。重なるようにして倒れ込む両親には目もくれず、私は家にあった包帯でラーラの耳を処置するとそのまま自分の部屋へ飛び込んだ。
今まで自分が貯めてきたありったけのお金や、ルドガー様に頂いたネックレスやイヤリング。兎に角お金になりそうなものを全部カバンに詰め込んだ。服も落ち着いたものをいくつか詰め込むと今度はラーラの部屋へ行き、彼女の服も詰め込んでいく。
「ラーラ、行きましょう」
そうしてリーネル家から二人の娘が行方不明になった。
行く先は決めていなかったけれど、昼間はなるべく宿に居て、夜になると人通りの少ないところを進んだ。酒場で情報収集していると、誰かが夜行性の亜人種について話していた。この先のダンジョンに日陰者達が住み着いているという噂を耳にしたという。
それも既に村よりも大きくなっていて住み心地のよい場所となっているらしい。そんな夢みたいな話とは思ったけど、私はそれに望みをかけた。もしかしたら助けてくれるかもしれない。
本当は偏見の少ないシュトルツァに渡りたかったけれど、この状態では怪しまれる。
何よりシュトルツァまでは遠くて馬車ですら2ヶ月かかる。2人で進んだら何ヶ月かかることか。
何日経ってもラーラの耳からは血が止まらない。古びた鋏だったからバイ菌が入り込んだのかもしれない。
この状態でシュトルツァを目指すなんて無理だ。
朝になれば人が多くなる。今しかないと思った私はぐったりしたラーラを背負い、ダンジョンへと向かって走り出した。
ダンジョンへ入り込むと真っ暗闇が私達を襲った。何度も転びそうになりながら私は暗闇の中をがむしゃらに走った。学園で習ったお粗末な魔力感知を頼りにして魔力のない所へと移動する。
けれど上がった息は抑えられないし、腕の中の熱はどんどん上がっていく。
「お願い、もう少しだから頑張って」
泣きそうになりながらも涙を拭う暇なんてない。
兎に角必死でダンジョンの中を進んだ。
その後ろで大きな影が襲いかかってくるのにも気づかずに。
足元に火の玉が飛んできて、避けようとした拍子にそのまま前のめりに転んだ。
荷物に引火したことで相手の顔が浮かび上がる。
大きく口を開けて吠える魔狼が立っていた。
ダメだ間に合わない。
覚悟を決めてラーラを抱き締めるが待てど暮らせど一向に痛みはやってこない。
一体どういうことかと目を開けると大きな地響きと共に魔狼が地面に倒れ込むところだった。
「大丈夫かしら?」
聞き覚えのある声に顔を上げると、あの夜会の日に見た金の瞳が私を見つめていた。
【シルヴィア視点】
リタの案内のもと、ユリアーナ(仮)の場所へと急ぐ。
本当にユリアーナなのか分からないので念の為の(仮)である。
別になくてもいいんだけどね!でも違かったらあれだし!
この辺りはシュトルツァのダンジョンと繋がっていた所だ。ある程度一掃したのでモンスターはもう程ど残っていないはずなんだけど何やらさっきから騒がしい。
偵察蝙蝠で確認すると大きな体躯のモンスターが吠えていた。あれは魔狼ね。普段は群れで行動するモンスターだけど私が片付けちゃったからか今は一匹しかいない。
このままだとユリアーナ(仮)が襲われてしまう!
危ないわユリアーナ(仮)!!
彼女を助ける為、後ろから彼らの弱点であるしっぽの付け根と頭を魔力で思いっきり叩く。大きな体躯のダークルプスがひっくり返ると、その後ろから見知った淡いピンクの髪が見えた。
良かった、これなら(仮)を取ってもよさそうだわ。やっぱりユリアーナだったのね。
彼女は大事そうに誰かを抱き締めている。
「大丈夫かしら?」
「……シルヴィア様?」
「そうよ。久しぶりねユリアーナ嬢」
二人ともボロボロだし場所が場所だから移動したい所だけれど、まずはユリアーナの腕の中にいる子供をみるのが先決だわ。
随分血の匂いがこびりついている。
「ラーラ……っ、妹を助けてください!」
「!……みせて」
妹だといったラーラはネズミの亜人らしいが、その片耳は切り落とされている。処置はしたらしいけれど、傷口からバイ菌が入り込んで現代で言うところの破傷風の様な状態になっているらしい。
そもそも日陰者を見てくれる医者自体稀だ。簡単な処置しか出来なかったせいでこうなってしまったのね。
「シルヴィア様……っ!」
「大丈夫よ。すぐに治してあげるわ」
そう言って強ばった肩を軽く叩くと泣きそうな顔でユリアーナが私を見る。しかしそれを遮るようにしてリタがその鋭い爪を私とユリアーナの間に置いた。
「ちょっとリタ!」
「……ヴィア様。この女、ヴィア様を断罪した女でしょう?知ってるわよ。ピンクの髪に赤い目の女が男爵家の長女だってさっきみんなに聞いたもの」
リタは何を言い出すんだ。今はそんなこと関係ないでしょう。
そう言葉にする前に言いたいことが伝わったのか、リタがムスッとした顔でこちらを見る。
「ヴィア様が国を追い出された原因なのに!」
「それは今関係ないでしょう」
私とリタが言い合っているとユリアーナが両手をついて額を地面に押し付けた。ビックリしてユリアーナを見る私とは裏腹に、覚めた表情でリタがユリアーナを見下ろす。
「……あの時は本当に申し訳ありませんでした。謝って済む問題でないことは分かっています。何でも致します!娼館だろうとどこだろうと行きます!この首も差し出します!だからどうか妹だけは助けてください!」
お願いしますと言いながらユリアーナが泣き崩れる。
ちょっとリタぁあぁ!!
なんかすっごく私が悪役みたいじゃない!(いや、悪役令嬢だけど!)
私は助けないなんて一言も言ってないわよ!
私を庇いたいのはとっても有難いけどそんなことしているうちにこの子が死にかねない!
「ユリアーナ、顔上げて。良いこと?妹の前でそんな簡単に自分が娼館に行くなんて言ってはいけないわ。それに頭も下げるものじゃない。私は大丈夫だと言ったでしょう。その言葉に二言はないわ」
私は空中にアイテムボックスを開いた。
止血するだけなら上級回復薬を与えれば治るけれど、出来れば耳ごと治してあげたい。
ラーラを寝かせると持っていた護身用のナイフで指の薄皮を切る。滲んだそれをラーラの口元へ持っていくと一滴だけ飲ませた。
そしてラーラに飲ませたその一滴へ意識を集中する。溶け込んで混ざり合うそれを耳へ集めるとスキルを使った。
まるで植物の成長を早送りで見るかのように耳があっという間に生えてくる。痛みも雑菌も消えたのか、ラーラの顔色は格段に良くなった。
「はい、もう大丈夫よ」
「本当に……ラーラは……っ!」
「魔力の影響でまだ眠ってるけどそのうち目を覚ますわ」
私のスキル分身と復活の応用。
相手の魔力を使って他人に行うものだ。
これは使う時に本人の魔力もごっそり持ってかれているのであと数日は眠ったままかもしれない。でも、もう大丈夫なのは顔を見たユリアーナも感じたらしい。
これ、気をつけないと私が狩られかねないからあんまりやらないのよね。
「さっきのことは秘密よ」
「はい……!ありがとう……本当にありがとうございます……っ!」
妹を抱きしめながらユリアーナは何度もお礼を言った。
それからやはり二日経ってラーラはようやく目を覚ました。
結局行くところの無いユリアーナ達はここで暮らすことになったけど、これって誘拐だなんだとか言われないわよね?
ユリアーナはルドガー王太子の婚約者という立場だし。
それだけが気がかりだったが、その後ユリアーナはルドガーに手紙を送った。
内容は見ていなかったけれど、なんとなく察してしまう。
あいつ、二人目の婚約者も無くしたのね。
ルドガーは自分が大好きだから自分の都合の良い所しか見ていないし、自分の都合の良いように解釈する癖がある。
ユリアーナが震えてたのだって本人とよくよく話し合えばすぐに分かったでしょうに、自分と会って喜ばないはずがないとか思ってるのよね。
どこの帝様よ。ちゃんと見なさいよね。
ユリアーナ自身も断れなくてなぁなぁにしたままここまで来たんでしょうけど、あいつにも問題があるわね。
これは自業自得としか言いようがない。
なのでルドガーの件は知らぬ存ぜぬを決め込むことにした。
面倒くさいし。
一方、リタや他の子達は皆ユリアーナの滞在にいい顔をしなかった。
あの子たち私の事大好きだからね。私がここへ来るきっかけになったユリアーナが許せないのでしょうけど、正直シルヴィア嬢がやった事はかなりやばいことばっかりだったから彼女を責める気にはならないわ。
むしろ申し訳ないくらい。
日陰者になった妹を大切にする姿を見て少しずつ歩み寄り始めた。
私とユリアーナが二人でいてもちょっと遠くから眺めているくらいで間に入ってくることも無くなった。
「シルヴィア様には本当に感謝しています」
「なによ急に改まっちゃって」
「ずっと謝りたかったんです。今更謝ってもどうしようも無いけれど」
「あなたの状況は聞いたわ。私の方こそ……色々して悪かったわね」
というか嫉妬に駆られて殺そうとしたり男たちを送り込んだりとやらかしまくっていて私の方が訴えられてもおかしくないんだけど。
「私、日陰者とかそういうの何だかとても遠い話のような気がしてあまり気にしていなかったんです。でも、ラーラがネズミの亜人になって全部が変わりました。父も母も、ルドガー様も変わってしまった。けどきっと私だって変わっていた」
そうかしら。
ユリアーナは変わらなかったように思う。
あの夜、真っ青な顔で立っていたのは彼女だけだった。
皆が私の転落を喜ぶ中、貴女だけが違和感を抱いていた。
今も昔も、それこそ現実世界からゲームを通して見ていた時から貴女の根底は変わらない。
それでも――。
「人は変わるものよ」
何も言えなかった貴女は妹の為にここまでやってきた。
大好きだけれど依存と束縛に塗れた男爵家から、自らの手でラーラを救い出して私の元まで訪れた。
差別が当たり前の世界で生きてきた貴女がそれに立ち向かうのは、憑依してきた私とは全然違う。凄いことなのよ。
おかげでここの子達も少しづつ同胞以外の人間に心を開きつつある。
いい傾向だわ。
エリアスの真っ赤な瞳とはまた違う。ほんのりピンクの混じった赤の瞳が泣きそうに歪む。
「そうですね。でもそんな私の目をラーラが覚まさせてくれました。私の大切な妹。私に出来ることは何でもお手伝いします」
「そう。ならまずは……」
覚悟を決めたように閉じられる瞳と唇。頬がヒヤリと冷たい。緊張しているのがこちらにも伝わってくる。
私が触れたことに驚いたのか、パチリと瞳を瞬かせた。
「心から笑いなさい」
「……へ?」
私、ユリアーナの笑った顔が大好きなのよね。
丸い瞳がとろりと溶けて周りの景色に合わせて輝くのを観るのが大好きだった。
そんな悲しい顔じゃなくて、嬉しそうに笑って欲しい。
「あなたが心から喜べばラーラも喜ぶわ」
「シルヴィア様……」
攻略対象者達に向けるような笑顔を見たいって思うのは、悪役令嬢としては駄目かしらね。
【ルドガー視点】
あくる日、ルドガーの元へ一通の手紙が舞い込んできた。
それは監視の目を飛び越えていつの間にかルドガーの部屋へと置かれていたものだった。
不審には思ったものの、表紙に書かれた『ルドガー様へ』の文字は間違いなくユリアーナのものだった。
手紙に不審な魔力は込められていない。
ルドガーはその手紙を開けて読んでみることにした。
『ルドガー様へ』
突然の失踪と手紙にさぞ驚かれたことと思います。大変申し訳ありません。
私ユリアーナ・リーネルはルドガー様へ大切なお話と謝罪をしたくこの手紙を送りました。
私の家、リーネル家の状況はもう既に分かっていらっしゃることと思います。
私達家族は――
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・
・
それは失踪したはずのユリアーナからであった。
ユリアーナからの手紙にはこれまでの身の上と、ルドガーに対する謝罪が長く綴られていた。
最後に、婚約解消を求める内容と共に急な解消による損害金をこれから一生をかけて返していく旨が記されていた。
手紙を読み終えたルドガーは思わずその手紙をぐしゃりと握り潰す。
突然のことに混乱して頭がどうにかなりそうだった。
家庭の事情は噂で何となく察してはいたが、ユリアーナは自分の意思で接していると思っていたし、いつも楽しそうにしていると思っていた。
だというのにこの手紙は全く違った内容が綴られている。
俺が見ていたユリアーナはまやかしだったのだろうか。
机の上で両手を組み額を押し付ける。
大人しくて、ちょっと人との会話が苦手なユリアーナ。
いつもマイペースで少しだけ返事が遅い。でもそれが彼女の可愛いところだと思っていた。
寒そうにしていて顔色が悪いのは家庭の状況が悪いからだと思っていた。
いい物を食べればきっと元気になると思い色々なものを送った。
しかしユリアーナはそのままだった。
ならばきっと生まれつき身体が弱いのかもしれない。
そう思ってユリアーナへ送るドレスはなるべく着やすいものを選んできたつもりだ。
何がいけなかったのだろうか。
考えれば考える程分からない。
ユリアーナがおかしかったのは最後に会ったあの時だけだ。
それ以外はいつも通りだったはずだ。
妹……。
そうだ妹だ。
ルドガーはハッとして顔を上げた。
妹が日陰者になったと言っていた。
きっと優しいユリアーナは日陰者を見捨てることが出来ずこんな手紙を書いてきたのだ。
ユリアーナは押しに弱い。自分の意見はあまり言わない優しい子だ。
これも仕方なく書いているに違いない。
無意識に顎へ手を置き思考をめぐらせる。
伝統を重んじる王宮に日陰者を住まわせるのは骨が折れそうだ。
しかしやってやれない事はない。
重鎮達の目が届かない所へ閉じ込めてしまえば何も言われないはずだ。
それまで少々手間が掛かるがユリアーナの為なら仕方ない。
どうせ私が王になるのだから多少の融通はきくはずだ。
日陰者は外には出られない。離宮でも作ってそこから出さなければ問題ないだろう。
よし、そうと決まれば話は早い。
ルドガーはガタリと立ち上がった。
離宮の準備とそれから必要最低限のメイドとまぁ病気した時の為の口の硬い医者の準備だな。
やることが決まればなんと心が晴れやかなことか。
ユリアーナがどこにいるのかは分からないが、きっとこれは魔力でここへ忍ばせたに違いない。今のうちに王宮魔術師を呼んでこれの追跡をさせよう。
そう思い立ったルドガーは早速王宮魔術師を呼ぶべく執事を呼ぶ鐘を鳴らした。
その頃にはすっかりシルヴィアから預かった手紙のことはルドガーの頭からすっぽ抜けていた。
* * *
ルドガーがここを去ってから一ヶ月後、ようやく使者がやってきた。
あまりにも来ないのであいつ違うことをして手紙の存在を忘れたな、と直感したシルヴィア。
何度でも言うがルドガーはポンである。脳内お花畑だ。
人の話は基本的にあまり聞かない。
きっと居なくなったユリアーナ捜索の指揮を取っているうちに手紙のことを忘れたのだろう。
(※あながち間違っていない)
使者は素知らぬ顔で王城へ来るよう伝えてきたが、お前が来いよと思わんでもない。
さすがにこんなところまで来るわけが無いので仕方ないけれど。
ひとまず全員を例の会議室へと呼び寄せ、状況を説明することにした。
「絶対罠ですって!」
エリアスが大反対して、テーブルをダンッと両手のひらで叩く。勢い余って前のめりだ。
それを見たテオも隣でうんうん、と頷いた。
「まぁ、十中八九そうでしょうね」
ブロムベルクにとって日陰者の国なんぞ悪魔の国くらいに思ってそうだわ。
シルヴィアの座る椅子に上から腕を垂らしもたれかかっていたリタが首を傾げる。
「ヴィア様行くのー?」
「えぇ、一応王命ですからね」
ルドガーには色々言ったが、一応シルヴィアはブロムベルク王国民。国民として王命は絶対だ。
「私ついて行こうか?」
「いいえリタ。それよりも皆に頼みたいことがあるわ」
私はこれからの作戦を皆に伝えることにした。