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第2章 ペンとシュガーパウダー

 理真(りま)はまた、件のメッセージの前に屈み込んだ。私と二人の刑事もそれに倣い、“ヒミツ”と書かれたメッセージを囲んで大人四人が額を突き合せるという、傍から見ると何とも異様な光景が完成した。こうして見ると、メッセージとして書かれた文字はけっこう大きい。一文字が二十センチ真四角くらいの大きさがある。


「何か気付くこととか、ない?」


 理真は私たちの顔を順繰りに見回す。


「……ないわ」

「……ありませんね」


 刑事二人が答え終え、私にお鉢が回ってきた。探偵と刑事が何も見いだせないというのに、一介のワトソンに何かを期待されても……。


「……拭き取られてない?」


 素直に感じたことを私は口にした。


「拭き取られてる?」

「そう」訊いてきた理真の顔を見て、私は、「ここ」と、まさにメッセージが書かれた部分の床を指さして、「このメッセージのところだけ、拭き取られてる。その周りには、細かい、粉っぽい埃が広がってるから」


 アパートの管理人という職種に就いているためか、こういうところが気になるのが私の悪い癖。それを聞くと、理真は屈んだ姿勢から、腹ばいの体勢に移行して、


「……確かに。このメッセージの上だけが、モップ掛けされたみたいに拭き取られてるね」

「でしょ」


 私も改めて観察してみた。よく見てみると、床の広範囲に(うっす)らと――ベージュの床と似たような色のため視認しづらいが――粉末状のものが散らばっているのだが、“ヒミツ”と書かれた上だけには、その粉末がかぶっていないのだ。理真が言ったように、つまり、メッセージの上だけにモップを掛けたような状態となっている。


「被害者が、このメッセージを書くために手で床を払ったのかな?」

「絶命間近の状況で、そんなことに気を遣う?」


 ごもっとも。実際、この程度であれば、わざわざ払いのけなくとも床にペンを走らせるのに何の支障もないだろう。散らばっている粉末は、そのくらい微量なのだ。


「何だろう? これ……」


 さらに理真は、床の粉末に顔を近づけて、くんくんと鼻を鳴らすと、


「……甘い匂いがする」

「甘い匂い?」


 どれどれ、と私も同じように鼻を近づけてみると、なるほど、確かに床――というか、その粉末――からは、甘い中にもビターテイストが混じっている、香ばしい匂いが嗅ぎ取れた。


「シュガーパウダーじゃない?」


 顔を上げて私は言った。


「シュガーパウダーって」と理真も同じように顔を上げ、「お菓子なんかに使う?」

「そう。スイーツの最後の仕上げに表面にまぶしたりする。しかも、これは……」私は、指で床を捺し、付着してきたパウダーの香りを確かめてから、「シュガーとココア、二種類のパウダーを混ぜたものだと思う」

「だから、白じゃなくて濃いベージュっぽい色になってるんだね」


 丸柴(まるしば)刑事も、床を捺した指先に鼻に近づけて、


「……確かに。甘いだけじゃなくって、ビターな香りも混じってるわね。ここでお菓子を食べたのかしらね」

「――これじゃないですか?」


 立ち上がった(なか)()刑事は、スマートフォンの画面を見せてきた。そこには、お菓子の空袋が表示されている。


「この部屋にあった証拠品の写真のひとつです。被害者の()(がい)さんのものだったと見られています。調べたところ、東京限定で売られている菓子のひとつで、確かに、()(じま)さんがおっしゃったように、砂糖とココアのパウダーを混ぜたものが使われていますね」

「東京限定品、ですか?」


 理真が訊くと、


「はい」と中野刑事は、「ちょっと待って下さい。もしかしたら、販売店の情報があるかも……」スマートフォンを操作して、「……ありました。これですね」


 中野刑事が見せてくれたのは、その菓子を販売している店のSNSページだった。


「……『新製品チョコレートタルト。本日より発売開始!』、『このタルトのためだけに開発した当店オリジナルのココアシュガーパウダーが絶品!』、『必ずやみつきになります!』……」


 理真は、そこに列記されている惹句を読み上げていく。


(ます)()は東京在住のタレントなので、今朝の新幹線でマネージャーの佐貝と一緒に新潟入りしています。この菓子は、新幹線乗車前に東京で買ってきたものなのでしょう」


 中野刑事の追加情報に、理真は、


「そうみたいですね。このお店はパン屋が本業なので、早い時間から開店していますから、朝の新幹線の乗車前でも購入可能だったのでしょうね」


 丸柴刑事も、


「東京で買ってきたタルトを食べたときに、まぶしてあったパウダーが床にこぼれたのね。ああいうパウダーって、どんなに気をつけて食べても、絶対にこぼれちゃうもんね」


 同感。ああいうスイーツは、見た目の“映え”もいいが、もっと食べやすく作ってもらいたいと常から思っている。そういったスイーツの消費ターゲットに入っているであろう、二十代女子が言うことではないのかもしれないが。


「うん」と理真は、丸柴刑事の言葉に頷いて、「この床に散らばった粉末は、東京で購入されたお菓子からこぼれたものである可能性が極めて高い。そして、どういうわけか、ダイイング・メッセージは、その散らばったパウダーを払ったうえで書かれている……」

「解せないわね」


 丸柴刑事も頷いた。


「中野さん」と理真は、「このメッセージが書かれたペンを調べてもらえませんか」

「もちろん。で、何を調べればいいのですか?」

「ペン先です。このメッセージが本当に床のパウダーを払ったのちに書かれたものであるなら、ペン先には綺麗なままになっているはずですから」

「承知しました」


 中野刑事はスマートフォンを架電した。本部に繋ぎ、押収された証拠品であるペンを調べてもらうのだろう。


「……そうか、分かった。……ん? お前には鑑識の仕事があるだろ!」


 最後は声を荒らげて、中野刑事は通話を終えた。恐らく電話の相手は、鑑識の須賀(すが)洋輔(ようすけ)だろう。須賀も中野刑事に負けず劣らず、理真のファンなのだ。現場に出られないことを悔しがっているに違いない。それはさておき、


「安堂さん、ペン先には何も付着していなかったそうです」


 中野刑事の報告を聞くと、丸柴刑事が、


「じゃあ、やっぱり、被害者は一度床を払って綺麗にしてから、ダイイング・メッセージを書いたってこと?」

「しかも、“ヒミツ”なんていう、わけの分からないメッセージを」


 中野刑事も首を傾げる。納得いかない、という表情で、理真は、


「そんなこと、ある? 今際の際に、わざわざ床を綺麗に払ってからダイイング・メッセージを書くだなんて。床が見えないほど汚れていたというならまだしも、よほど近づいて見ない限りはパウダーがあることも分からない、ペンを走らせるにはまったく支障のないくらいだったのに、だよ?」

「そうは言っても、理真、実際、ペン先からシュガーココアパウダーは検出されなかったわ」

「そうなんだよ。その事実は認めざるを得ないけれども……」


 理真の視線は、再びメッセージに向いた。“ヒミツ”と記された、ダイイング・メッセージ。膝立ちになり、もっと近くで凝視する。またも腹ばいになり、さらに眼前で。指先を床に書かれた文字の上に滑らせたところで、


「……中野さん」

「はい?」

「もうひとつ、調べてもらいたいことが」

「何なりと」

「発見時、ペン先は乾いていましたか?」

「乾いて?」

「そうです。ペンは、キャップが外れた状態だったのですよね」

「ええ。まさか、ダイイング・メッセージを書いたあと、わざわざキャップを閉めるなんて、するわけありませんからね」

「ですよね。まして、そのメッセージが、まだ途中だったのなら、なおさら」

「えっ? 途中?」

「ともかく、お願いします」

「わ、分かりました」


 中野刑事は、再びスマートフォンをダイヤルする。


「丸姉にも、調べてもらいたいことが」

「なに?」

「そのペンのメーカーに訊いてみてもらいたいの」

「メーカーに? 何を?」

「キャップを外した状態で、どのくらいの時間が経ったら、ペン先が乾いて使えなくなってしまうかを」

「分かった」


 丸柴刑事もスマートフォンを取りだしたところで、ようやく理真は、腹ばいの姿勢から立ち上がった。


「安堂さん、死体発見時、ペン先はまだ乾いていなくて、インクは出る状態だったそうです」


 今度は余計なおしゃべりなしで、中野刑事の報告が先に来た。それから少しして、


「……ありがとうございました」丸柴刑事も通話を終え、「理真、あのペンは、一般的な気温、湿度下だと、キャップを外した状態で一時間も経てばペン先は乾ききってしまうそうよ」

「やっぱり……」


 我が意を得たり、とばかりに、理真は頷いた。


「何が、やっぱり、なの? 理真」


 丸柴刑事が訊くと、


「おかしい」

「何が?」

「死体が発見されたのは、午後三時二十分だよね」

「そう。通報とほぼ同時刻」

「警察が来るまで、十分くらい?」

「そうね。現着は、三時半前後だったわ」

「ということは、だよ。死亡推定時刻の下限、午後一時半に犯行が起きて、被害者がダイイング・メッセージを書いたのだとしたらさ、二時間ものあいだ、ペンはキャップが外された状態で床に転がっていたってここになるでしょ」

「そうね……あっ! そういうことか!」

「なのに、ペン先は、まだ乾いていなかった」

「あっ!」中野刑事も声を上げた。「変です!」


 理真は、指先を唇に触れ、そのまま黙りこんだ。これは理真が推理をするときの癖だ。しばしの黙考から帰還した理真は、


「丸姉、関係者全員の名簿とか、ない?」

「あるわ。書類を持ち歩くのは面倒だから、撮影してスマホに入れてる」


 理真は、丸柴刑事が開いた、関係者たちの氏名が記された画像ファイルを見ていき、


「……丸姉、中野さん、この人を調べて下さい」


 ピンチアウトで拡大表示されたのは、“出演者:二宮(にのみや)伸博(のぶひろ)”という名前だった。


「調べるって、素性とか?」

「直接だよ。ペンを所持しているはず」

「ペン?」

「そう。乾燥しきって、しかも、ペン先にシュガーココアパウダーが付着しているペンを」



 警察の聴取に素直に応じた――観念したのだろうか――タレント、二宮伸博の背広懐からは、一本のペンが発見された。理真の推理どおり、そのペン先は乾ききっており、さらに、肉眼でも分かる程度にベージュ色のパウダーが付着していた。

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