お下がり
隣に住んでるあかねお姉ちゃんには、子供の頃からよく遊んでもらった。歳はみっつ離れていたけど、同学年のどの友達よりも仲が良かった。お互いの家に遊びに行ったり、公園で一緒に遊んだり。小さいときの記憶では、いつもお姉ちゃんが隣にいた。
「あかねちゃんとユウコちゃんは、まるでほんとの姉妹みたいに仲良しね」
近所のおばさんからそんなことを言われたとき、ほんとの姉妹よりもずっと仲良しだと思ったものだ。兄弟姉妹のいる友達からは、お兄ちゃんに意地悪されただの、妹がわがままでウンザリしているだの、そんな話ばかり聞いていたから。
あかねお姉ちゃんと私は、喧嘩なんて一度もしたことがなかった。
お姉ちゃんは優しかったから、年下の私がわがまま言っても、すこしも怒ったりしなかった。それどころか、しょっちゅう私に物をくれて甘やかしてくれた。
「この服、小さくなって着れなくなっちゃったから、ユウコちゃんにあげる」
と言って、かわいいピンクのワンピースをくれた。私は大喜びして、もらった服に袖を通した。
「この靴も、私の足には合わなかったから」
ワンピースに似合う赤い靴もくれた。私はそれを履いて、休みの日にはお出かけした。
兄や姉がいる友達の中には、上の子からもらうお下がりを嫌がる子もいた。使い古してくたびれてるし、自分の趣味でもないし、って。
でも私は、あかねお姉ちゃんからもらうお下がりは全然嫌じゃなかった。
お姉ちゃんは、買ったものにすぐに飽きてしまうらしく、どれも新品同然にきれいだったし、大人っぽいセンスは、私が自分で選ぶより趣味がよかった。
何より、大好きなお姉ちゃんからもらうものは、全部私のお気に入りだった。
あかねお姉ちゃんが中学生になったある日、大きな包みを抱えて私を訪ねてきた。
「このお人形、あげる。お人形に着せるお洋服も、お家も、一緒にもらってくれる?」
包みの中身は、私がずっと前から羨ましかった豪華なドールハウスのセットだった。私は歓声をあげた。
「ありがとう、お姉ちゃん! 全部、全部、くれるの!?」
「うん、全部。ユウコちゃんが遊んでくれると、お人形も喜ぶと思うわ。私はもう、そういう子供っぽいのは卒業しちゃったから」
中学校の制服を着たあかねお姉ちゃんは、興味なさそうに告げると、「それより、見て」と嬉しそうに通学カバンについたキーホルダーを見せてきた。
かっこいい男の子がウインクしているイラストが描かれていた。表面がキラキラしていて、男の子の歯もキラリと光っていて……まるでこっちに笑いかけているような表情に目を奪われた。
「それ、なあに?」
「推しよ、推し。アクキー。トレーディングでキラ出すの苦労したんだから。しかも限定衣装よ。それに今度のライブイベントのチケットも取ったの。本番までにグッズを集めて装備を固めなきゃ! 痛バッグ作って同担に見せつけてやらないと」
お姉ちゃんの発言は半分くらい意味がわからなかったけど、カバンから次々出てくる同じキャラクターのグッズを手に熱っぽく語る様子は楽しそうだった。どうしてこのキャラが好きか、魅力はなにか、キャラのことを考えるだけでどれだけ幸せか……。
「今日はたくさん語れて楽しかったわ。じゃあまたね」
満足したお姉ちゃんが帰ったあと、私は部屋に残ったドールハウスでひとり遊びした。ずっと欲しかった憧れの人形だったけど、いまひとつ熱中できなかった。私ももう四年生だし、お姉ちゃんが言うような子供っぽい遊びにハマる歳でもないのかも。
それより、今日会ったお姉ちゃんの様子が頭から離れなかった。あかねお姉ちゃんがあんなに興奮しているのをはじめて見た。好きが溢れて、彼のグッズをそばに置くのが何よりの喜びといった感じ。あれがきっと、恋というものだ。
幸せそうなお姉ちゃんが私は羨ましくてならなかった。
「担替えしたの。新しい推しができてグッズの置き場がないからもらってくれる?」
一ヶ月後くらいにお姉ちゃんが家にやってきて、箱いっぱいに収まったキャラグッズを私にくれた。どれも、前に見せてくれたキャラクターのものだった。
「いいの!? こんなに、たくさん!」
私は飛びつかんばかりの勢いで箱を受け取った。お姉ちゃんが恋した相手というだけで、私はそのキャラクターが好きになっていた。グッズの詰まった箱は、宝物のように輝いて見えた。
「うん……興味、なくなっちゃったから。今は別の人が好きでね。見てこれ! 推しぬい。自作したの。それにトレカ。こうやって透明なケースに入れるといつでも持ち歩けてね」
あかねお姉ちゃんがカバンから取り出したのは、別のキャラではあったけれど、今もらったものと似たようなグッズだった。お姉ちゃんの熱い語りに、私は真剣に耳を傾けた。お姉ちゃんが愛を捧げたように、私もこのキャラを愛すると決めた。そうすることで、お姉ちゃんと同じくらい幸せになれるという確信があった。
あかねお姉ちゃんが飽き性なのは昔から変わってないらしく、私のもとには数ヶ月ごとに新しいキャラクターのグッズが届いた。担替えしたり、ジャンル替えしたり。アニメだったりソシャゲだったり音楽コンテンツだったりの推しの『お下がり』のグッズを、私は心から楽しんだ。
お姉ちゃんの飽きるペースは私と同じくらいだったから、興味が薄れてきた頃合いに新しい供給が来ることになる。グッズ自体よりも、次にお下がりをもらえるそのときを、私は心待ちにしていた。
変化があったのは、お姉ちゃんが高校に上がった頃。しばらくグッズの供給がなく、お姉ちゃんが家に遊びに来る機会も減っていた。
街で、お姉ちゃんが同じ学校の制服を着た男の子と二人で歩いているのを見かけた。通学カバンから、推しのグッズは外されていた。
お姉ちゃんは、現実世界に好きな人を見つけたのだ。
でも、私は焦らなかった。お姉ちゃんからもらった中学の制服を着て、最後にもらったキャラグッズに囲まれながら、ただ待った。ずいぶん前、ドールハウスをもらったときもこんな気持ちだった。私の部屋で埃をかぶっていたドールハウスは、結局人にあげてしまった。遊んだのは最初だけで、次にもらえるもののことばかり考えた。
「ユウコ、久しぶり。これ、私のなんだけど、もういらないからユウコにあげるね」
玄関先に現れたお姉ちゃんは、前に見かけた男の子を隣に連れていた。私は大喜びで駆け寄った。
「いいの、お姉ちゃん! うわあ、近くで見ると、背も高くてかっこいい! すてき!」
「ユウコにとっては大きいかもね。私だと身長も同じくらいだし。何より、年上のほうが余裕があって素敵だと思ったの。だから、学校の先輩と新しく付き合うことにしたんだ」
お姉ちゃんがスマホで見せてくれた2ショット写真には、背の高くて日焼けした、お姉ちゃんよりも年長っぽい男の子が写っていた。テニス部の主将らしい。
玄関にいる学ランで色白の男の子は、ちょっと目の焦点が合っていなくて虚ろな表情をしているけど、十分にかっこいい。私はお姉ちゃんからもらった男の子の腕にぎゅっとしがみついた。
「やったー! 嬉しい。ありがとう、お姉ちゃん!」
「うん。大切にしてね」
「するする!」
私は何度もうなずき、大はしゃぎで自分の部屋に連れて帰った。お姉ちゃんのおかげで私は中学1年生にして、みっつも年上の大人っぽい彼氏を手に入れた。
お姉ちゃんは、高校生活でモテ期に入ったらしい。三年間で恋人が切れることがないほどで、いろんな男の子と次々に付き合った。先輩、後輩、他校の生徒や大学生、社会人まで。中には通ってる高校の教師なんて相手もいたけど、結局長続きはしなかった。
「飽きちゃったから、ユウコにあげるね」
別れた相手はみんな私の家の玄関に連れてこられた。今までもらった服や靴、グッズと同じように、全部私にくれた。腑抜けになった男の子はどれも反応に乏しかったけれど、見た目は格好良かったし、あかねお姉ちゃんの趣味は私の趣味でもあった。昔からそうだ。自分で選ぶよりも、お姉ちゃんのセンスを信頼するほうがよかった。
お姉ちゃんから新しい人をもらうとき、私も今の相手を捨てた。お姉ちゃんが付き合った人と同じだけの数、私も恋人を作って別れた。
お姉ちゃんが高校を卒業してしばらくは、何をしているのか不明だったけれど、夏頃だろうか、キャリーバッグを携え玄関に現れたお姉ちゃんはすっかり様変わりしていた。
「『かつての友人に相まみえるべし』――星の導きにしたがって会いに来たわ、ユウコ」
お姉ちゃんは真っ黒なベールを頭から被ってサングラスをかけていて、一瞬誰だかわからなかった。紫のスパンコールでギラついた上着を着て、辞書のように分厚い本を抱えていた。
「あかねお姉ちゃん! 久しぶりだね」
「長く会いにこれなくてごめんなさい。今日、この日に再会するのが運気がもっとも良いと星読みの先生が仰っていて。占星学って奥が深いのよ、生まれた日、時間によって、人の運命は最初から決まっているの。最善の道は生まれたときから示されているのに、運命を知らないばかりに人は回り道をしてしまうの。先生はそんな過ちを正してくださるのよ」
あかねお姉ちゃんは息継ぎもせずに言い切ると、急にうずくまって頭のベールを両手でわしゃわしゃやりだした。
「何してるの、お姉ちゃん?」
「星は偉大だわ。でも、矮小な人間には、星のパワーは強すぎるの。特に太陽。近年の温暖化や流行り病もすべて、太陽神の怒りに端を発するの。巷にあふれる陰謀論に騙されては駄目よ、先生のおっしゃることが最も正しいのだから。星を敬い、与えられた運命に従うのが怒りを鎮める唯一の方法。正しく星を崇め、星を恐れなければならない。だから、パワーを浴びすぎないように私たちはベールをまとい、こうやって」
お姉ちゃんはベールを掴んで髪から浮かせたり、また押し付けたりした。見た目より固い素材でできているらしく、玄関にしゃかしゃかいう音が響いた。
「――定期的にパワーを散らす必要があるの。ユウコも外に出るときはサングラスをかけたほうがいいわよ、太陽光が人生の歪みの原因になるのだから」
「そうなんだ! 今度からそうするよ、お姉ちゃん」
私は玄関にあった母親のサングラスをあわててかけた。お姉ちゃんは満足げにうなずき、昔と変わらない優しい笑みを浮かべて付け足した。
「あ、もちろん、守護星の光は別よ。自分の守護星からもたらされる光は積極的に浴びたほうがいいの。だから私も自分のカラーの服を着て、スパンコールで乱反射させることで光を増幅してるのよ。先生によるとユウコも同じカラーらしいから、ほら、私が前使っていたのをあげるわ」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「それと、先生の著作もどうぞ。分厚いけれど、ありがたい教えが載ってるから、全部目を通したほうがいいわ。これが第一弾、これが第二弾で、これが改訂版。それとデザインを一新した新装版と……」
お姉ちゃんは抱えていた一冊に加えて、キャリーバッグから何冊もの本を取り出して積み上げていった。崩れそうになる本のタワーを私は抱えられるだけ持って自分の部屋に運んだ。壁を見つめてぼーっとしていた昔の男は追い出して、空いたスペースにもらった本を置いていく。何往復かしたら、部屋の一角は聖典だらけになった。
玄関に戻ると、お姉ちゃんは腕時計を確認していた。
「ユウコ、これから時間ある? 定例の合同セミナーがあるんだけど、一緒に参加しない?」
「本当? 行く行く!」
「そう言ってくれると思ったわ。昔の友達はなんだか最近付き合いが悪くて……」
私たちはお揃いの紫のスパンコールを身にまとい、分けてもらったベールを被って太陽光を避けながら外に出た。お姉ちゃんとの久々のお出かけだった。
それからも、私はお姉ちゃんから様々なことを教わり、紹介してもらい、いろんなものを貰った。
「お金がいくらあっても足りないわよね。ここのカードローン使ってるんだけど、ユウコも利用してみない?」
「あんなインチキ占い師を信じてたなんて、頭がどうかしてたわね。ほら、ユウコもそろそろ必要になるんじゃないかと思って持ってきたわよ。はい、破産申請書」
「最近眠れないんじゃない? 前に大量に買って余った睡眠薬、あげるね」
「市販の睡眠薬ってろくに効かないわよね。やっぱこれじゃないと、向精神薬」
「この前手首切ったカッターナイフなんだけど、使う?」
お姉ちゃんが知ったこと、経験したこと、使ったもの持っていたものすべてが私のものになっていく。私はあかねお姉ちゃんの人生を寸分違わずなぞって、再演していった。
もう何日も重たい無気力に支配されて、指先ひとつ動かせず、カーテンを閉め切った暗い部屋の床で寝っ転がっている午後のことだった。部屋の片付けくらいしなさいとたまに母親の小言が飛んでくる以外は、変化のない日々。起きているんだか寝ているんだかはっきりしないまどろみの中、耳に聞き慣れたチャイムの音が届いた。
(――あかねお姉ちゃんだ!!)
私は床から飛び起き、着替える気もせずお風呂にも入ってないズタボロの格好のまま、笑顔で玄関扉を開けた。
懐かしいあかねお姉ちゃんの姿があった。学生時代に比べるとだいぶ痩せてはいたけど、心療内科に入り浸っていた頃よりは顔色も良さそうだ。もちろん、お姉ちゃんに紹介してもらった私も同じ病院に通っている。
「ユウコ……」
「お姉ちゃん! ずっと待ってたよ。今度はなにをくれるの?」
期待に胸を弾ませる私の目に、お姉ちゃんが連れている男の人が映った。美形ではなかったけど、穏やかそうな顔つき。歳もずいぶん上で、のんびりしたお父さんみたいに見えた。まだ日光に当たると倒れてしまいそうなお姉ちゃんを、支えるように寄り添っている。
恋人か。お姉ちゃんが今まで付き合ってきたタイプとは全然違うみたいだけど。
でも、私もお姉ちゃんも歳を取ったし、そろそろ落ち着いたタイプと付き合うべきなのかもしれない。
お姉ちゃんからもらえるものなら何でも嬉しかった。私が男の人をもらおうと伸ばした手を、お姉ちゃんが間に入って遮った。
「お姉ちゃん?」
「ユウコ。今日は大事な話があって来たの。ユウコにこの人を紹介したくて」
お姉ちゃんは真剣な顔をしていた。どうしてそんなに深刻そうなのか、私にはわからなかった。いつだって、お姉ちゃんが私に会いにくるときは、なにかを、誰かを紹介してくれたから。今日だってなにも変わらない。
自分を慕ってきた年下の幼馴染に、お姉ちゃんは親しみと、申し訳無さと、いろんな感情がないまぜになったみたいな瞳を向けて話した。
「大切な人なの。心を壊して人生のどん底にいた私を救ってくれた。今まで、私は精神的に弱くて不安定なところがあったから……支えになってくれる人が、ずっと必要だったの」
私はうなずく。わかるよ。お姉ちゃんの人生をなぞってきた私にも、必要なものだから。
「だからごめんなさい。この人だけは……カズオさんだけは、ユウコにあげられない。これからの人生も、私の隣にいてほしい人だから」
「――え?」
私は伸ばしかけた手を宙で止めたまま固まった。お姉ちゃんの言葉が信じられない。今、なんて? あげられない? ――嘘。
お姉ちゃんは、ただ本当に紹介するためだけにここに来たのだと理解するのに、しばらく時間がかかった。
「ユウコも、私からもらったものじゃなく、自分のものを見つけるのよ」
大人びた目をしたお姉ちゃんは――私の知らない顔をしたお姉ちゃんは、最後の言葉を残して去った。玄関を出る間際、カズオさんの腕を取ったお姉ちゃんの左手に、婚約指輪が光っていた。
(お下がり2 へ続く)